朝ドラ「マッサン」の主人公マッサンは、
どうして余市町を選んだのか?
スコットランドに似た風土の北海道での、
ウイスキー造りを誓っていたマッサン。
しかし最初に選んだのは余市町ではありませんでした。
マッサンが余市町で、
大日本果汁株式会社を設立して今年で80年。
醸造学を学んだ大学を卒業後、
本格的な国産ウイスキー造りを志したマッサンは、
大阪の摂津酒造に入社し、スコットランド留学しました。
帰国後、諸事情により摂津酒造を退社。
寿屋に迎えられ、いよいよウイスキー造りに挑むことに、
「日本でのウイスキー造りは北海道が最適。」と語っていたマッサン。
しかし、寿屋の社長、鳥居信治郎から、
「北海道はあまりにも遠く、流通の便が悪すぎる。」
という理由から、近隣での製造を押し進められ、
水質の良い大阪の山崎でウイスキー造りを始めました。
そしてついに、国産初の本格ウイスキー「白札サントリー」を発売。
しかし、この2年前にすでにマッサンは、
北海道の江別市で、次なるウイスキー工場の建設を考えていたようで、
マッサンの自身のノート(竹鶴ノート)には、
その理由や、用地の購入額見積りなども記載されています。
それが、寿屋の次の工場建設のためなのか、
もしくは独立を考えてのことだったのかは定かではありません。
しかしその後、江別市の予定地は、
氾濫の危険性があることが判明し、断念せざるを得なくなります。
さらなる適地を模索したマッサンは求めていた理想的な地に辿り着きます。
それが、よりスコットランドに近く、そして穏やかな気候の余市町でした。
さらに余市町ではリンゴの栽培が盛んで、
そのリンゴを使ったジュースを製造・販売すれば会社の収益になって、
ウイスキーを作るまでの間の経営基盤になるとマッサンは考えたのです。
また、当時リンゴの販売価格は非常に不安定で、
それを安定的にマッサンに購入してもらえるということで、
余市町の農家や、農会(後の農協)からも大変歓迎されました。
工場建設の際にはそういった農家の方々も、
土砂を運ぶ手伝いをしていたようです。
ニッカウヰスキー余市蒸溜所 創業当時の様子
そうして、余市町でウイスキー造りを始めたマッサンでしたが、
もし、最初の予定通りマッサンが江別市に行っていたならば、
会社は「大日本果汁株式会社」ではなく、
もちろん「ニッカ」でもなかったかもしれませんね。
なにより余市町に移り住んで、
一番喜んだのは、妻のリタさん(朝ドラマッサンではエリー)で、
余市町の気候や風景はスコットランドに良く似ていて、
とくに朝・夕の感じがそっくりだったようです。
そんな、マッサンとリタ(エリー)の物語り、
朝ドラ「マッサン」が、もう間もなく始まります。
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