秋の季節、街を歩いていて金木犀の香りを嗅ぐと、いつも思い出す場所があります。
 それは、もう、この世界には存在しない場所です。
 
 僕が通っていた小学校のすぐ近くに古くから建っている都立高校があります。
 小学校に通いだしたばかりの頃、鍵っ子だった僕は放課後になるといつも、小学校の門を出て少し歩き、その都立高校のグラウンドに面した大きな金網の隅っこに何故か開いていた人ひとり通れる位の破れ目をランドセルをしょったままくぐり抜けて、高校に遊びに行っていました。
 その高校の中に、この世で一番好きな場所があったのです。
 それは、開校百年近い高校の、当時はまだ木造だった校舎に囲まれるようにそこに在った小さな噴水のある中庭でした。
 校舎沿いにたくさん立ち並んだ銀杏の木々、噴水の池を眺める形に点在していた無数の木製のベンチ、足元には石畳が敷かれていて、その中庭にはネルシャツやジーンズに身を包んだ私服姿の高校生の男女がいつも楽しそうに行き交ったり、ベンチで語らったりしていたのでした。
 小学生だった僕から見たら、とても大人びて見えた高校生の人たち。
 今となってはあり得ないですが、当時、僕がひとりで、あるいは同級生の友達と高校の中で遊んでいても、世の中が割と寛容というか、別に追い出されもせず、高校生のお兄さんお姉さんが一緒に鉄棒で遊んでくれたり、よく話をしてくれたりしたのでした。
 実はその頃、母親がその高校の学食で働いていたので、ひとしきり遊んだ後は、校舎とは別に建てられたかなり広い学食に行くと、いつも母親がカレーとかうどんとかを出してくれて、高校生と一緒にテーブルに座っておやつ代わりにそれらを食べていたのでした。
 
 いちばん楽しかったのは、毎年秋に開催された学園祭のときです。
 当時のその高校は、高校というより大学のキャンパスに近いものだった気がします。
 校舎や庭のつくりもしかり、運動部だけじゃなく高校なのに文化部がものすごく活発に活動をしていて、漫画研究会とか、映研とか演劇部とか、今振り返ってみても、すごくレベルが高い感じで、学園祭ではそういったものをたくさん見せてもらえて憧れたし、銀杏の葉が敷き詰めれて、どこからか金木犀の匂いが漂ってくる中庭は、お祭りの活気に包まれて、ますます素敵な雰囲気だったのです。
 
 あの広い木造校舎も本当に素敵だったなあと今改めて、そう思います。
 古いからところどころ鬱蒼とした蔦の葉に覆われていて、長い通路を歩くと無造作に美術部の油絵や演劇部の背景のベニヤ板などが置かれていたり、特に雨の日などは木の校舎も通路も中庭も噴水も全てが雨に濡れて、なんとも言いようのない雰囲気が広がっているのを子供心にも感じて心から愛おしく思っていました。
 大島弓子先生の初期の学園漫画を読むと、あの漫画の中に登場するキャンパスは、まさにあの当時、僕が高校生でもないのに毎日居させてもらったあの高校のような場所だったに違いない、とそう感じます。
 
 けれど、あの素敵な学園の風景は、僕が中学に上がった頃になくなってしまいました。
 老朽化のために全て、丸ごと校舎を建て替えてしまったのです。
 アメリカやヨーロッパのようだったあの美しい中庭も、木造校舎も、母親が働いていた学食も壊されてしまいました。
 
 数年後、大好きだったその高校に僕が入学したときには、もちろん昔の風景はこれっぽっちも残されておらず、校舎も冷たい、つまらないコンクリの建物になり、中庭自体がなくされてしまっていました。
 ただ、子供のころ、頭をなでたりしてくれたおじさんの先生だけが、まだいらして、何故だか、校門を入ったすぐの場所に犬小屋を建て、犬を飼ってらした。
 朝、校門をくぐると犬がいるので、みんなが犬の名前を呼び、犬にもあいさつし、休み時間や放課後には校庭や校舎と校舎をつなぐ通路にそのワンちゃんがいつもうろうろしているので普通に撫でたり、話しかけたり、つまりおじさん先生が代表して直接面倒を見てはいたものの、その学校自体がみんなで一匹のワンちゃんを飼っていたのでした。
 そして、おじさん先生は園芸部の顧問だったので、真新しい、植物もまだ少なかったそのコンクリだらけの校内のあちこちに、花壇を作り、毎日コツコツ植物の世話をしていたのでした。
 なんだか、その風景もまた、いま振り返ってみると、大島弓子先生の漫画の中みたいだなあとそう思います。
 
 
 もしも時間旅行ができるなら、真っ先にあの当時のあの学園の中庭に行ってみたい。
そして、あの大好きだったベンチに腰掛けて、あの時の高校生たちにもう一度会ってみたい。小学生の子供が高校の庭で遊んでいても何も言われなかったあの時代のあの素敵な場所で、もう一度、金木犀の匂いのする風を思い切り吸い込んでみたいなあと思うのです。