DS、ゲームが手放せない、やめられない子ども達。 やめさせたい時やめさせるにはどうしたらいい? | 大切な人と本当の関係を築く 週一回のLove Philosophy
こんにちは。
吉良真伊です。
今週も
『大切な人と本当の関係を築く週一回のLove Philosophy』
にお越しいただきありがとうございます。
毎週、人間関係、恋愛・夫婦関係を
より良くすることを目的に、記事をお届けしています。
一人一人がより深い人間に成長すること、
そして
人間関係を様々な角度からとらえられるようになること
を願って、毎回の記事が書かれています。

連日ソチオリンピックで盛り上がっていますね。
私も楽しんでいます。感動して勇気をいただいています。
普段はなかなか見るチャンスのない競技もたくさんあって、
観る側も4年に1回の貴重な体験ですね。

さて、今週は、子どもとの関係に関する記事です。

『DS、ゲームが手放せない、
やめられない子ども達。
やめさせたい時やめさせるにはどうしたらいい?』



今の時代、どこに行っても子どもたちがゲームをしています。
公園に行っても、DSをしている、
家族でレストランに行っても、
待ち時間にDSをしている、
友達の家で遊ぶときもゲームをしている、
地下鉄や電車に乗っているときも、
ゲームをしている、
移動中の車の中でもゲームをしている、
そして、家で一人で遊ぶときもゲームをしている・・・

先週の土曜日、家族でスポーツ観戦に行きましたが、
信じられないことに、試合中のアリーナには、
試合を観戦するかわりに、手元のDSに夢中になっている子どもたちが、あちこちにいました。
ちょっと試合をのぞいては、また自分のゲームに戻る、
それの繰り返しです。

遊びの範囲を超えて、
中毒的に、子ども達がゲームをやめられない、
ゲームが手放せない場面に多く遭遇します。
これがちっぽけなゲームという遊びだから、
じっとしてやっていることだから、
まわりの大人は黙っているようですが、
もしも、これが「おにごっこ」だったらどうだったでしょう?
スポーツ観戦中にも「おにごっこ」がやめられない、
レストランでの待ち時間にも「おにごっこ」がやめられない、
電車に乗っているときにも「おにごっこ」がやめられない・・・
そんな子どもがいたら、たちまちその子は
相当な問題児扱いです。

「おにごっこ自体は悪い遊びじゃない。
だけど、けじめというものが、あるでしょう!」
おそらく、大人は問題児にむかって、こう言うでしょう。
しかしながら、ゲームの場合は、だらだらとさせてしまいます。
どうしてゲームには他の遊びのときのような「けじめ」がないのでしょう。
どうしてゲームでは、「手放せない」「やめられない」ことが、
ここまで普通なのでしょう。

お断りしておきますが、
私はゲームそのものの存在を否定、批判する気はありません。
『ネットがやめられない』
の記事のときも同じように書きましたが
子どもが自分の遊びを、自分でコントロールできる分には良いと思います。そこには、何の問題もありません。
問題が生まれるのは、逆に、遊び自体に子ども自身がコントロールされるときです。
幼いうちは、物事を自分の力でコントロールすることを学ぶときです。
幼いうちに学ばなければ、大きくなるにつれ、
それを学ぶことがだんだんと難しくなります。

物事のすべては、良くも悪くもなり得ます。
薬だって、適量ならば命を救うし
過量ならば命を奪います。
適切な分、楽しく遊べるのなら、何が対象だって同じでしょう。
子どもの遊びに悪いものなんてありません。
しかし、ここまで中毒的に
「ゲームばっかり」
「他のことに興味がない」
「いつでもどこでも」
の状態で、ゲーム遊びをしている子どもたちを目の当たりにすると、これは明らかに問題ではないのかと、私は思います。

私のような意見の母親は
(私はプライベートでは「ママ」でもあります)
一見少数派のように見えますが、
実は他のお母さん方とお話をすると、
多くのお母さん方が
「こども」と「ゲーム」の課題で
本当は困っていたり、悩んでいたりすることがわかります。

「ゲームばっかりしていて困るけど
みんなやっているし」
最終的にいきつくところが、そこです。
「本当はやってほしくないけど」
と言いながらも買い与え、
「いい加減にしなさい」
「もう寝る時間だからやめなさい」
と、その後は子どもにゲームをやめさせる側にまわらなければならない、という、大変な立場です。

もうそろそろ「みんな」に
主導権を与えるのをやめる頃かもしれません。
子どもの親は、他でもない、
お父さんとお母さん。
もっと、子どもの選択に主体性を持っても
良いのではないでしょうか。

こういうときには、欧米等、他の国の家庭の在り方を
お手本にするのも良いと思います。
父親も母親も「我が家の考え」をはっきりとさせ、
他の「みんな」がどう考えようと、
納得いくまで、自分たちの家庭のことを
自分たちの家庭で話し合う、という態度です。
ここで、家族のコミュニケーションの問題があると、
うまく前に進むことができませんが、
逆に考えれば、これは、家族のコミュニケーションを生む、
良いチャンスでもあります。

それぞれの家庭の違いがあるからこそ、
子どもたちは、他人が自分と違うことを
理解できるようになります。
自分とは違う他人の考えを尊重できるようになります。
「みんなが」「みんなが」と、いうのは、
チームワークの場ではとても大切なことですが、
個人個人の生き方を選択するときには、
そこまで必要のないことです。

それでは、
子どもたちにゲームをやめさせたい、
というときはどうしたら良いでしょう?

「やめさせる」のではいけません。
「やめなさい」と言ってはいけません。

何をしているときであれ、
楽しんでやっていることを、無理矢理やめさせられるほど
不快なことはありません。


それならば、どうすればよいかというと、
ゲームを「やめさせる」のではなく、
ゲーム以外のことを「選択させる」ことです。
ゲーム以外の選択肢を与え、そして、自分から、他のことも
選択できるような環境をつくりだしてあげるのです。

そのためには、親自身が、世の中にあふれている
楽しいことをキャッチする力を持たなくてはいけません。
子どもたちにそれを伝え、
子どもたちが、もっと幅広い目線で色々なことを見て、選んで、
チャレンジして、楽しめるように、
力を貸してあげるのです。
一緒に何かをする、ということも効果的です。

他に楽しいことを沢山知っていて、
ゲームが100の選択肢の中のひとつなら、
それは素敵なことです。
しかし、選択肢もなく、楽しいことが、ゲームしかないからゲームばかりやっているというのでは、非常に残念なことです。
それはゲームに限らず、他の何に置き換えても同じです。

そしてもうひとつ大切なことは、
「退屈」を弱点にしないことです。


子どもが退屈すると焦る父母がいます。
「退屈!」
と子どもに言われることに、過剰に反応する親です。
退屈がいけないことだとか、
退屈することが可哀想だと思うのは、
親自身が退屈を弱点としているからです。

子どもが退屈なのは良いことです。
退屈なときにこそ、普段やらないことをやり始めます。
退屈しのぎに色々面白いことを考えたりします。
退屈な時、人は人に話しかけます。

退屈がなければ、同じことばかり繰り返して
マンネリ化し、ますます退屈を感じる人間になってしまいます。
退屈は良いことなのです。
「退屈って思うときは、新しいことをはじめる
チャンスなんだよ」
と子どもたちに教えてあげてください。
子どもたちは、そのことばを割と素直に受け取るものです。


まずは、ゲームをやめさせられるかどうか、よりも、
未来の子どもたちが、より広い視野で物事を
見ることができるように、と、大人が
力を貸してあげることが大切です。
そのような方向性でいけば、必ず、子どもたちは
時間はかかるかもしれませんが、
自分から、自分にとってより価値のあるものを
選択するようになるでしょう。

























C)吉良真伊
Copyright © 2014 Mai Kira All Rights Reserved.





カップルケアのホームページ

〜恋愛・夫婦仲を良くしたいと思っているすべての年代の方へ〜

長年の年月をかけ、多くの人の協力のもとにできました。
子どもの「結婚って何?」という質問の答えにも答えています。
仲良しご夫婦へのインタビューなど、仲良しのヒント満載です♪



著者の紹介も、よろしければ^^


>最近の記事を見る(記事一覧)


もしこの記事が役に立ったときは・・・
(あるいは他の誰かのためになると思っていただけたときは☆)


ありがとうございます♡
シェアボタンはこの記事、右下↓