父と泣いた日 | びっくりするほど上手くなった!名古屋のバッティングスクール「Count23」

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名古屋にあるバッティングスクール「Count23」のブログです。
小学生・中学生などの少年野球選手がチームで活躍するための技術向上を目的とした野球スクールです。バッティング、ピッチング、キャッチボールなど多彩なコースでチームの中心選手に育てます。



コーチの玉川です。

工藤さんとの高校時代の思い出がひとまず終了し、
今日は私の父との思い出を書きます。



私の大先輩、工藤公康さんは名電を見事優勝に導き、
甲子園でも大活躍をして現在の名電の基盤を
作ってくれました。



工藤さんが引退し、私は新チームのキャプテンに
任命されました。



それまで名電は高校野球界では、ほぼ無名といって
いいほど注目されていませんでしたが、
工藤さんの活躍で、一気に全国に名が知られる
有名高となりました。



練習試合はもちろん、平日の練習でも
高校野球ファンが観戦に訪れたり、
マスコミの方が見えたりと
なかなか練習に集中できませんでした。



チーム全体が監督さんも含め、
変なプレッシャーを感じたりしたこともあり、
私達は初めて注目される事の苦しみを知りました。



そんな経験をしながらも
なんとかそれなりに力を付けて自信を持って
夏の大会に望みました。



ですが、残念ながら準決勝で後に
プロ野球からドラフト1位指名される事になる
野中投手ようする中京高校に敗れ、
甲子園の夢は終わります。



私は大会に入る前から自分に決めていた事がありました。



たとえ敗れても絶対に人前では泣かない、凛とした態度で
堂々と帰る。



泣くなら一人になってからにしようと思っていました。




試合が終わり、ベンチや控室でチームメイトが
泣き崩れても私は泣きませんでした。



そして肩を落として歩けないチームメイトの肩を抱き、
励ましながらみんな帰ろうと
叫びながら球場から出て行きました。



すると・・・



野球部のスクールバスの前で
私の親父が待っていました。



私の親父は身長が自称160センチで、
体重が80キロという、正に顔も身体も
ゴリラのような怖い親父でした。



その親父が少し目に涙を溜めながら
今まで見た事もないような優しい顔で


「よくやった・・・」

 そう言ってくれました。



私はそれまで張っていた糸が一気に切れてしまい。



膝から崩れるように親父の胸にすがり
大泣きをしてしまいました。


「駄目だった! 悔しい!」
そう叫んでいたと思います。



親父はこの翌年、私が19歳の時、
突然、胃ガンでこの世をさりました。



もうすぐ私は死んだ親父と同じ歳になります。



毎年、夏の大会が来ると思い出してしまいます。



私は中学を卒業して名電の合宿所に入り、
名電を卒業した後は、東京の社会人野球に進みました。



親父とは短い付き合いだった気はしますが、
あの時の普段は怖かった親父の優しい顔は一生忘れません。



あなたも燃え尽きた夏、思い出の夏を経験してください。



その思い出だけで、一生生きていけるかもしれません。





あなたも一緒に野球をしませんか!

バッティングスクール カウント23

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