ファルコンとともに どこまでもたかく

ファルコンとともに どこまでもたかく

フィギュアスケートの羽生結弦選手を応援しています。
音楽を奏でるような滑りと、流れの中の美しいジャンプやスピンに心を奪われています。

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暗闇の底から眩ゆい光が立ち昇り、救い主が現れた、そんな羽生結弦選手の全日本での復活でした。
四大陸選手権の優勝、栄光のスーパースラム達成を最後に、クランプリシリーズを欠場して長い長い沈黙。
日本にいるのかカナダにいるのか、練習はできているのか健康でいるのか、何も分からない中で、想いも現実離れして行き、きっと彼は別の惑星に帰って穏やかに暮らしていて、もしかしたらもう戻って来ないのかも知れない、なんて妄想まで膨らんで来ました。
だから、全日本にエントリーした時も、シードだから名前が載っただけ、欠場となっても、彼の安全のために良かったと受け入れよう、という心の準備ばかりしていました。

それが、本当に羽生さんは戻って来てくれたのです。後で聞けば苦悩の日々が続きスケートを辞めようかとまで思ったというのに、羽生選手が長野ビッグハットの会場に明るい表情で軽やかに現れたときには、まるで平昌オリンピックの再現を見るようでした。
さらに驚いたことには、SP、FSともに新プログラムを用意して、しかもそれを完璧に披露して見せたのです。
羽生さんはこれまでも、幾度となく大きな苦難に見舞われ、その都度、何度も何度も蘇って私たちを驚かせて来ましたが、今回は特別です。
何故なら、日本が、世界中が、新型コロナウィルスという疫病に襲われて人々が不安と恐れとで萎縮している時にあのような演技を見せてくれたのですから。
「あしたまでもたなくていい」どころか、1ヶ月以上経ってもあの高ぶりは鎮まりません。

 

SPは「Let Me Entertain You(みんな楽しんで)」。こんな時期にこの曲を持って来るとは、羽生さんらしい選曲ですね。
なんときびきびした生命力に溢れた演技だったでしょう。
手招きしたり手を打って煽ったり、キュートな微笑みを投げかけたり・・・
「みんな、大丈夫だよ。未来は明るいよ。さあ、一緒に楽しもう!」
と呼びかけられているようなプログラムでした。
カッコいい、ロックなポーズを繰り出す中に、懐かしいステップを見ました。羽生選手のキャリアの初期の頃に取り入れていた、シットの姿勢でのツイズルやランジ。
ソチオリンピックでプルシェンコがキャリア最後の曲と位置付けて演じるはずだったフリーのプログラム「ベスト・オブ・プルシェンコ」ではないけれど、羽生選手の中に、もしやこの曲をスケート人生最後のプログラムと考えてこれら若手の頃の要素を自ら組み入れたのではないか・・・と、ふと思ってしまったのです。

 

ところで、ゼロ点になった足替えのシットスピン。
なぜあれがゼロ点なのか、解説の人も、見ていたファンの人達も、明確に理由を言える人はいませんでした。まさか、直前のツイズルからシットスピンだと思ったなんてことは、いくらなんでもないよねー、と私は思ってしまいましたよ。
フリーが終わった後でのジャッジの方の説明では、足替えのあと2回転以内にシットの姿勢にならなかった、ということでしたね。確かに足替えのときに少し高く伸びあがりすぎたかな、という感じはしましたが、2回転以内に正しい姿勢になっていたように見えました。録画をスロー再生して何度も見直したけれど、悪く見ても1回転半以内には戻っていました。
ゼロ点になった理由が分からなかった解説者の人も、その後疑問をはっきり口にすることはありませんでした。
何年か前のGPSカナダ大会で、宮原知子選手のステップがゼロ点になったことがあったけど、これも疑問の残る判定で、コーチの濱田先生が「あれは意地悪です」と言うくらいだったのに表立って抗議することはありませんでした。
ジャッジの判定は、そこまで絶対なのでしょうか。
羽生選手自身は「気持ち良くやりすぎたってところがあったと思う」と明るく受け止め、フリーの後のインタビューでは、スピンについて聞かれてないのに自分から「とりあえずスピンはていねいに回れたんで良かったと思います」ハハハ、と、あっけらかんとしたものでした。
羽生さんの懐の深さを感じます。

 

フリーのプログラムは上杉謙信をモデルにした「天と地と」。
すごい! 圧倒的!
感動が深過ぎて、演技直後、テレビの前で夢中で拍手しながらとっさに出て来た言葉はこんなありきたりの言葉でした。言葉が追い付きません。
フジテレビの西岡アナウンサーは
「全日本の長い歴史に刻み込まれた演技です。すさまじい。そんな演技です。すべてを超越してみせました」という名実況を残してくれました。
本当にあの演技は、全日本の歴史に燦然と輝く名演技になったことは間違いないけれど、それと同時に、羽生選手自身のスケート人生の歴史にも刻み込まれた演技になったのではないでしょうか。
息もつかせず繰り出すステップやジャンプ、スピンのエレメンツ、複雑なトランディション。最初から最後まで貫かれた強い意志が圧倒的な迫力を生み出します。
見るたびに新しい。見るたびに進化している。どんどん高みに向かっているのです。
これが、外出も、氷に乗ることもままならない時期を経て10ヶ月ぶりに競技に戻って来た人の演技でしょうか。
驚きしかありません。

プログラムの完成度も素晴らしい。
冒頭、両手の形は鎧に身を固めた様子でしょうか、そのまま片足だけで漕ぐストロークで前進する姿は、戦う武将の勇ましさと勇気を感じさせます。
自身で編曲したという音楽は、盛り上がりと静寂の起伏が豊かな素晴らしい曲で、構成の組み立ても見事です。ジャンプが着氷した所で音が鳴る。オーケストラがうねるように盛り上がって行くクライマックスで連続ジャンプを跳ぶ。最後に音楽の激しい上昇に押されるように特大のトリプルアクセルを跳ぶ。
ため息が出ますね。
最後の3Aをコンビネーションにするか迷ったと言っていましたが、ここは3A一発の方が絶対にインパクトがあります。

 

そしてやはり、最も私の胸を打ったのは、羽生選手の天才的な音に対する感性です。
「音と一体になる」「音楽との融合」ということを常日頃口にする羽生選手。今度のプログラムでは、もっとすごい、神がかり的な音感の鋭さを見せてくれました。
後半の演技に入る前にふっと動きが止まって、静寂のあと、琴の糸がポン、とはじかれた瞬間に腕が上がる。
音楽の流れに合わせることより、この、ピンポイントの音と同時に動くことがどんなに難しいか。そんな振り付けがいくつかありました。
フィナーレの鼓のポンッと同時に両手を上げる所もそうです。その前に1、2、3とリズムを刻む音はありません。どこで鼓が鳴るか分からないフェルマータ(自由に音を伸ばす)のあと、しかもターンしてからの、ポンッ、ですよ?
フリー当日の公開練習で羽生選手は、振り付けを全部はやらず最後の箇所で指で123と数えてサッと手を動かすような動作をしていましたね。
ああやって、音楽を身体に沁み込ませているのか、と思いました。
ところで、演技の一番最初に、きっ、と顔を上げる所。どんな合図でやっていると思いますか?今回は自分の息の音は入れていないようです。
よく見ると、出だし、ホルンが半音階で短い装飾音の後バン、と拍の音を演奏します。その装飾音に羽生選手は敏感に反応して、バン、の時に決然と顔を上げるのです。
正に神技です。
「音に合ってますねぇ」ぐらいの解説では、全然足りませんよ、本田さん!

 

最後に、いつも羽生選手を絶賛しているタチアナ・タラソワさんが、彼の音楽性について語って下さった言葉を引用したいと思います。共感して急いでメモした物で、いつの発言か、また、どなたが訳して下さったか不明ですが、感謝します。

「完璧に音楽を感じていて、体の中にまで浸透しています。
彼が技術的なミスをすることが今後あるかもしれませんが、音楽の表現力で負けることは決してありません。
私たちは彼を通じて音楽を聴くことができるのです。」