プッチーニと三味線 | Cosmopolita

プッチーニと三味線


19世紀中頃以降、主にゴッホやモネなどフランスの美術界をはじめとしたヨーロッパで大流行したジャポニスム(イタリア語ではジャポニズモ)は、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニにも影響を与えています。彼の代表作の1つ、長崎を舞台にしたオペラ『蝶々夫人』は現在でも多くのオペラファンに愛される名曲です。


プッチーニは日本を訪れたことはありませんが、イタリア・トスカーナ地方のトッレ・デル・ラーゴの彼の家の近くに、当時の在イタリア日本公使大山氏の別荘があった縁で、三味線の心得があった公使夫人から日本の音楽を教わり、日本の伝統音楽や民謡を研究したと言われています。


1902年春、
ーロッパを巡業していた川上音二郎一座に会うためにミラノを訪れ、当時31歳頃の川上貞奴とも出会っています。『蝶々夫人』の作曲に取り掛かっていたプッチーニは日本音楽に関する資料を手に入れ、日本語の語感を味わったりしながら、三味線などの日本固有の音楽に惹かれていったと言われています。


このように日本音楽を研究していたプッチーニはオペラ『蝶々夫人』のなかにいくつも日本の音楽を取り入れています。「さくら」「君が代」「お江戸日本橋」などの他に、三味線の楽曲『越後獅子』も含まれています。


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