隠居生活

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日記・blog

オンラインゲームリネージュで生活していたカラプトWIZがリアルに飛び出してきた日記

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それぞれの時代には、

 

それぞれの時代に合った考え方がある。

 

人はそれを常識と呼び、

 

日常の行動や思考の基準とする。

 

 

未来永劫その基準が変わらないのであれば、

 

それが一番なのかもしれない。

 

 

しかし、現実は変化し続けている。

 

科学技術の発展は留まるところを知らず、

 

今までの不可能を可能にしていく。

 

 

火は加工技術の可能性を広げ、

 

食文化を育て、鋳鉄や鍛造技術を発明し、

 

建築、機械、造船産業とその恩恵を生み出した。

 

 

航空機は、新たな海を渡る手段となり、

 

携帯電話の普及は、移動距離や時間の節約を実現。

 

さらに電子機器は小型化が進み続け、

 

それらと相乗効果を発揮しながら、

 

あらゆる情報を蓄積分散可能なインターネット社会が構築された。

 

人体機能を補助する視える義眼や、パワードスーツ、

 

とうとう人工筋肉まで創り出してしまった。

 

遺伝子や脳の仕組みは徐々に解析されつつある。

 

 

どれもこれも人間の歴史のほんの少しの間に

 

起こった出来事であることを忘れないで欲しい。

 

 

互いが互いに影響し合って新たな発見を呼び起こし、

 

累積算的に情報が蓄積されることで、

 

膨大な実現性の根拠となり、各分野の常識として定着していく。

 

 

自然であることが一番とされる事は多いが、

 

いつの日か自然の仕組みをも内包するような、

 

膨大なデータ整備が進んだ時代だと、

 

一体何を基準に世界は回るのか。

 

 

 

 

どんな時代が来ても驚きはしないが、

 

自然はありのままに在るだけだろう。

 

結局は、人がそれをどう捉え、

 

どう解釈するかだけなのだから。

 

 

仮想現実世界が、現実世界よりも有用性が高く、

 

居心地のいいモノになるのなら、

 

人の活動範囲は劇的に変化するはずだ。

 

 

一般的な時間的制約を受けているものであれば、

 

通勤通学、出張、会議、帰省、行列、平日休日、

 

当たり前だと思うものが実は不要だったなんて、よくある話だ。

 

 

現実に居るよりも現実となる新たな世界は、

 

静かに近づきつつあるように感じる。

 

そして、新しいと思っていたものさえもまた、

 

いつかは古いものとして歴史に刻まれるのだろう。