日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.サクラソメイヨシノ)を贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まり。この話は、1981年改訂版の日本の中学生向け教科書『NEW PRINCE』中3版でもエピソード的に取り上げられた。

 

贈られたハナミズキは全部で60本で、うち白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本で、日比谷公園小石川植物園などに植えられた。 [3] 原木は第二次世界大戦中にほとんどが伐採されるなどして、戦後小石川植物園で切株が発見されて、その標本が憲政記念館に展示されており [4]、原木は現在東京都立園芸高等学校にしか残っていない[5]。なお、2012年にサクラの寄贈100周年を記念して、再びハナミズキを日本に送る計画が持ち上がっている。

 

よって、ハナミズキは芭蕉~一茶、子規もしらなかった。

 

↑の、花水木の由来は有名。汀子編「ホトトギス新歳時記」にも同じ解説が載っている。

「花水木の実」を詠った句があるだろうか。

 この時期が「盛り」である。

 

イエス・キリストが掛かった十字架にはハナミズキの木が使われて、そのため以前は大きかったこの木は小さくなり、花は4弁で十字架に似ていて、花弁にくぎを刺された傷跡があるという伝説がある。

 

花水木はアメリカ原産で、古代イスラエルには存在していなかったから、伝説はアメリカで発生したものであろう。

 

花水木は尼崎市の市の樹花 (市の花は夾竹桃だったが、190年代に冤罪がかけられ、市は、市花であることを免職せずに、

市の樹花と市の草花(ベゴニア)を新たに追加したので、それ以後市内でも花水木はよく植えられている。

しかし尼崎の公園では、樹木としては、樗、ラクウショウ、樟、欅、百合の木が目立つ。

 

これからはピラカンサの季節になる。早いものはもう真っ赤に色づいてきている。

↑尼崎リサーチコア付近の植え込み

 

稲妻に千の目を剥くピラカンサ 秋尾 敏
 

クルクマは10月になっても咲いている。

尼崎のここでしか見たことがない。

「クルクマの花」の画像検索結果

↑のような姿を一度みてみたい。

↑琴浦公園