閑院宮

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九条家 ウィキペディア

 

藤原北家嫡流藤原忠通の三男である九条兼実を祖とする。藤原基経創建といわれる京都九条にあった九条殿に住んだ事が家名の由来。また、兼実の同母弟兼房の子孫も「九条家」に含める事もあるが、こちらは早い段階で断絶している。

兼実の孫にあたる道家の子、教実良実実経が摂関となり、それぞれ、九条家、二条家一条家を立てて、五摂家が成立した。

兼実は異母姉である藤原聖子の皇嘉門院領を伝領し、九条家領の基礎となった。平氏政権後白河法皇には批判的で、源頼朝の推挙で摂政、次いで関白となり、以後摂関職は近衛流と九条流から出る。兼実の孫・道家は、子の頼経とその息子頼嗣が相次いで鎌倉幕府摂家将軍となった事により、朝廷内で権勢を振るった。

中世に九条家領は広がり、江戸時代には家禄2044石を領し、のち3052石(松殿家の所領含む)に加増され、明治に至った。

明治維新後、九条道孝が公爵に叙せられ、その四女・節子は大正天皇皇后となった(貞明皇后)。

 

当主は1933年生まれだから、その子、その孫へと九条姓は続くのであろう。

当主は、現天皇と又いとこの関係にあるが、生前退位を相談したかどうか。

茶室的離れは残っている 拾翠亭

 

句会会場としても利用可能。所属結社の吟行会で利用したことがある。

この5年以内ならこのブログで紹介しているはず。

6年前であったかも。

池の前の庭から見た拾翠亭

裏木戸

池にかかる橋から見た拾翠亭

春の夜や連哥満たる九条殿 高井几董

 

これはこの場所を詠ったものかどうか? 多分違うよう。

 

閑院宮邸

正門の上

脇門(たぶん)

屋敷

閑院宮(かんいんのみや)は、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に東山天皇の皇子、直仁親王が創設した宮家

閑院宮の宮号平安時代清和天皇の皇子である貞元親王が閑院を号したことに由来するといわれているが、明確ではない。2代直仁親王の王子祐宮後桃園天皇崩御に伴い践祚して以来、閑院宮系の血統が現在の皇統となっている。

 

江戸期のものの復元であろう。

 

閑院宮邸の池面を狙っている。

 

 

 

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