• 25 Sep
    • 彼岸花

      ブログテーマは判で押したように「俳句」としていたが、過去に登録済の他のテーマを選択する方針に変更。 2泊三日、本年4回目の美作行の記録 例年より少し遅い気がするが、曼珠沙華の盛り、美作は。手折る人の指美しき曼珠沙華曼珠沙華供花持つ人と擦れ違う↓目高田を守るあぜ道彼岸花メダカの越冬地も確保されている。収穫された米で自家製の焼酎も作っているとか。酒税法の規定にはしたがっておられるのであろう。早やヒツジ田となる傍の畦の花↑果てたるも蕾も数多曼珠沙華曼珠沙華路傍駐車のままならず 昭和20年8月の思い出曼珠沙華その日は祖父の葬儀の日だった。外に出されて遊んだ仲間は従兄だったかどうか正確には思い出せない。川の名が変わるあたりの彼岸花いくつもの流れを統合してゆく吉野川は周匝(すさい)辺りで吉井川となり瀬戸内海へ南下してゆくが、湯郷温泉辺りの諸施設にはすでに吉井川の名称が使われている。↑ゆ~らぎ橋(鷺湯橋の名称も橋には残っている)の下↓土曜日に宿泊する場合は作東バレンタインと決めていたが、今回は、予約できず、ポピースプリングス泊。やはり5割増し位の支払いであった。自然減社会減熄まぬ曼珠沙華

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  • 24 Sep
    • 駅裏

      十三(十三)駅西口の火事跡が整備され、10月1日開業予定と新聞に報じられていた。ただし記者はこの地区に詳しく内容で、掲載すべき画像を間違っていたように思う。↓すでに整備が終わって営業している店が並ぶ通りの奥の店を写していた撮影日は22日。祝日とて休業している店が多い。↑西口改札口を出てすぐ横の、神戸線のホームに並行しているこの通りは、ず~と閉鎖されていてのぞき見もできなかった。↓カラー歩道になっている。横幅2メートルしかなかった道が4メートルになった。雨が激しくなってきたので、踏み込めなかった。10月1日一斉開店は無理な感じ。 俳句作家は上品なのか、「安酒」「呑み屋」では例句発見できず。象を呑む蛇の話や冬籠 高野ムツオ 蟲の王  鳩が呑むみ手洗あふれ初観音 神尾嘉津子  飴湯呑む城主の館冬もみぢ 秋山花笠  白湯を呑む十月吉野杉匂い 中島斌雄  話す事逢へば少なく古茶を呑む 甲斐 とくえ  麦湯呑むガラスコップを頬に当て 戸田 利枝  ビール呑む男の持てる喉ぼとけ 佐藤 都  ストローの泡をそのまま猟夫呑む 大石雄鬼  きさらぎに片手動かぬ男と呑むよ 夏石番矢  声呑むや廃墟夕焼剰すなし 小林康治 『玄霜』  ニユース館冷厦の間に人を呑む 河野南畦 『花と流氷』  暑気払ひ皆呑む家族楽しき時 高浜虚子  突き上げて仔鹿乳呑む緑の森 西東三鬼  遠蛙酒の器の水を呑む 石川桂郎  社会鍋人彼人を呑む銀座 指澤紀子  小春日やピエロ酒呑む鼻を取る 長村道子  野生馬に水呑む序列葛の花 早川利浩  人降ろし馬が水呑む花アカシア 横山房子  次の子に帽子あづけて泉呑む 江本英一  浜人ら豪胆に呑む花見酒 今 鴎昇  遠蛙酒の器の水を呑む 石川桂郎  唐辛子焼いて肴にちびちび呑む 滝春一  どびろくは片口を以て呑むべかり 纐纈寒郎  ひら~と猫が乳呑む厄日かな 秋元不死男  暑気払ひ皆呑む家族楽しき時 高浜虚子  遠蛙酒の器の水を呑む 石川桂郎  妻など知らず二の午の酒立ち呑むは 西谷義雄  賀状完配井戸から生きた水を呑む 碧蹄館  虫なくや我れと湯を呑む影法師 普羅  蟲鳴くや吾と湯を呑む影法師 前田普羅  冬三日月更に呑むため別れゆく 寺井谷子  ストローの泡をそのまま猟夫呑む 大石雄鬼  百日紅ごくごく水を呑むばかり 石田波郷  呑むといひ刃をくわへ花李 中田剛 珠樹以後  迷惑をかけまいと呑む風邪ぐすり 岡本眸  虫なくや我れと湯を呑む影法師 前田普羅  枇杷葉湯呑むや涼みの行すがり 秦洋  突き上げて仔鹿乳呑む緑の森 西東三鬼  河が呑む小石どぷんと蚊喰鳥 中村汀女  梅酒飲む波郷を思ひ更に呑む 相馬遷子  遠蛙酒の器の水を呑む 石川桂郎(1909-75)  出刃を呑むぞと鮟鱇は笑ひけり 阿波野青畝(1899-1992)  その男恋はあらじ甘酒を呑むこと七碗 尾崎紅葉  素魚呑むまたしても人疑いて 宇多喜代子 象  飛ぶ鳥に魂を呑む池ひとつ 沼尻巳津子  九月一日ごくと冷めたる渋茶呑む 中拓夫  紫陽花や水呑む固き喉ぼとけ 中拓夫  寒月を呑む鶴すこし亀もすこし 攝津幸彦  春ゆうべ蛇口が水呑むあおむいて 坪内稔典  椰子汁呑む 遠祖を海の民と定め 伊丹三樹彦 写俳集  明月や無筆なれども酒は呑む 夏目漱石 明治三十年  日の出でや鶉水呑む窓あかり 琶扣 俳諧撰集「藤の実」  貝で呑む人をあふぐや年忘 黒柳召波 春泥句集  突き上げて仔鹿乳呑む緑の森 西東三鬼  白湯を呑む十月吉野杉匂い 中島斌雄  火呑む欅硫酸車ゆき過ぎて戻る 赤尾兜子  虫なくや我れと湯を呑む影法師 前田普羅  唐辛子焼いて肴にちびちび呑む 瀧春一  百日紅ごくごく水を呑むばかり 石田波郷  出刃を呑むぞと鮟鱇は笑ひけり 阿波野青畝  遠蛙酒の器の水を呑む 石川桂郎。     

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  • 23 Sep
    • 源流

      ある川の源流を探る場合、二つ(あるいは3つ以上)の流れが合流する地点では、流量を比較して多い方を本流とする。ナイルでもアマゾンでも、長江でもこの方法で、源流を探して遡ってゆく。人跡未踏の地を行くのであるから、二つないし三っつの流れの年間流量を比較しているわけではないから、間違う可能性はある。何十年もたつと環境の変化などもあって源流が変わる可能性は多いと思う。 私の住む地区のケーブテレビでも武庫川の源流を求める「旅」を繰り返し放映している。毎回見ているわけではないが、田田の傍を流れる小流れになると、兵庫県内で完結している2級河川でも「公認」の源流は分かっていないのではないかとおもう。 尼崎市内で完結している蓬川も、浜田川でない方の源流は分かっていないようだ。 四万十川源流つつつつと黄鶺鴒 篠崎圭介  月山を源流となし水澄めり 山崎雅葉  源流に歩を向け荻の声をきく 加古宗也  源流はもとより一縷木五倍子咲く 大岳水一路  源流の水音高し植樹祭 宮田富昭  源流に腰かけて居る翁かな 永田耕衣  源流の村木枯もうすみどり 石川雷児  源流に色なき風の生れけり 笹本カホル  源流のささやきに覚め水芭蕉 田中晄人  あめんぼになりたき両手源流に 山内 愛  幣立てて源流といふ岩清水 甘田正翠  源流の目覚めうながす初音とも 中野陽路  最上源流音なく白し枯木中 千手和子  石楠花や賀茂源流の岩梯子 原 柯城  四国三郎源流近し岩魚小屋 石原義輝  最上源流螢の夜を更けしめず 佐藤 国夫  源流へ一歩踏み出す夏帽子 中江はるみ  蕗のたう源流いまし呱々のこゑ 及川 澄  利根源流秘めたる雲やななかまど 武井耕天  源流にゐて夏シャツの筋目たつ 大石雄鬼  源流に雷鴫の羽音かな 福田甲子雄  返り梅雨源流といふしたたかさ 大西津根夫  源流は虎とぶように雪解水 宇多喜代子  雪渓を源流とせり青胡桃 冨田みのる  紀・有田源流わけて花の散る 杉本寛  源流に落す若水過疎部落 北野民夫  荒川の源流にしてトマト食ふ 八木林之介 青霞集  源流に腰かけて居る翁かな 永田耕衣(1900-97)  七草や源流近く日はのぼり 大峯あきら  源流やさざなみだてる二輪草 野沢節子 八朶集以後  源流を夢みてねむる蛍の夜 飯田龍太  美しく老い源流にさからわず 沢幡尺水 「オール川柳」平成九年十二月号  源流の梅きびきびと歩き出す 古舘曹人  源流に腰かけて居る翁かな 永田耕衣 ↑富松川が南進して阪急電車の線路の下を潜り、さらにまた直角に近い屈折で、西進してX橋での、他の2川との合流を果たし庄下川に至る、南進開始場所。ここで東側への流れが始まっていた痕跡が残っている。それがなくなったことによる空き地に、近所の人がコスモスを植えた(蒔いた)ようである。その流れは埋められ、半分が植栽に、半分が歩道になっている。 公園のキバナコスモス   

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  • 22 Sep
    • 蓬川

      蓬川(よもがわ)は、兵庫県尼崎市を流れる河川。二級水系の本流である。尼崎市内のみを流れる。同じく尼崎市を流れる藻川(もがわ)と字面及び読みが似ているが、藻川は猪名川の分流で、園田地区など市北東部を流れる。 ウィキペデイアにも登場。 尼崎市中部に発し、大庄地区を南流して大阪湾(尼崎港)に注ぐ。上流部が不明瞭で、かつては大庄地区の浜田付近で海に注いでいたと言われる。現在は難波樋門(西難波町2丁目)から尼崎港までを蓬川と規定しており、樋門より上流部は浜田排水路、または浜田川と呼ぶ。河口付近は阪神工業地帯の一角を成す臨海工業地域。 ↓阪神電車出屋敷駅の西側の高架を潜って南へ向かう蓬川これより南は工業地帯である。樋門で見る限り、そこより北部の浜田川から多くの水を受け入れているがこの浜田川は、武庫川の水を灌漑用に分流させたものであるから、2級河川武庫川水系ということになる。しかしそれを含めて尼崎市内で完結しているのは事実。それを除く、樋門の場所へ東側から流れてくる水は、どれが本流なのか分からない流れの集まりであるのも事実。蓬川と浜田川との関係は、庄下川と東富松川との関係に似ている。 しかし国道2号線をくぐるあたりからは堂々たる流れになる。国道2号方面↓その川沿いは緑地になっている。近隣公園なみの公園も併設されて球技場などもある。  apediaの解説尼崎デルタを形成した武庫川の旧分流の一つ、現在の河口より浜田付近までは明確な流路が認められるが、それより上流は不鮮明である。恐らく古代の蓬川は浜田付近で海に注いでいたものであろう。古い陸地に最も近い、長洲・難波・大島などの旧砂州列の間を南北に流れていたので、古代より武庫郡・河辺郡の郡界となってきた。江戸時代になると河口で蜆漁が盛んであった。現在は西難波町2丁目の難波樋門から尼崎港まで3,124mを蓬川と呼んでおり、1965年(昭和40)9月に2級河川に指定された。樋門より上流は浜田排水路(浜田川)と呼称している。 緑地を歩いた時には、障がい者施設の大人が落葉掃除などをやっていた。↓作業を終えて帰園するマイクロバス障害の息子へさしだす双肩 須崎美穂子  障害に挑む白馬や青嵐 村田近子  

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  • 21 Sep
    • クサネム

      クサネムという名前を知っていれば、見た瞬間にこれがクサネムだとわかる姿をしている。 近くの廃医院(らしい)家の前の溝に群生していた。他に、以前にもどこかで見たような気もするが、群生しているのを見るのは初めて。 水田にも生えるらしいが、水田の辺りでは見たことがない。 風雨去り溝のクサネム背伸びする秋まきの種子用に、ホームセンターへ行って土を買った。ついでに最近はやりの草花を見て廻った。エリカに似ている  

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  • 20 Sep
    • ただ、「川」だけなら例句いくつみつかるか? 1200と予想して検索。5000かも。 「3347」と出た。作者名の中の「川」も含むからもっとあってもいいかと思う。 富松川 家から100メートル。これが排水溝ではなく川であり、「とまつ川」という名を持ち、 しかも一級河川であることを知ったのは2年目である。私は、3年前に書いたエッセイで、この川を名もなき川と表現している。 今日の富松川 ↑ほぼ直角に曲がって南下する。 そういえばここにも堰があった。この地点より東の地区に水を送るために。 しかしここから東の方角には田んぼはなっくなった。その後の颱風で、この地点で水が溢れて 洪水となったことがある。 ↑直角に曲がる前の、西から東へ流れてくる富松川。平凡な町川である。 ↓西から東への流れは短かく、直ぐに北から南へ流れる川になる。 湾曲がつづくということがこの平凡な川の危険な点である。 .北から南へ流れ、近隣公園の西の境界となっている。↑は公園へ入る橋の上から北を向いて撮影。 昨日写したもの↓と比べると、水量が増えているのがわかる。 暁は澄み町川去年の燈をとどむ 山本古瓢 新海苔や夜は町川を埋めて舟 皆吉爽雨 町川に鴨のふえたり障子貼る 石黒哲夫 新海苔や夜は町川を埋めて舟 皆吉爽雨 町川に朝日の腐る西東忌 平畑静塔 町川や真昼真顔の花見船 久保田和子 町川に玄能を磨ぐ冬名残 宮武寒々 木歩忌の町川を飛ぶあきつかな 阿部光 町川のめざめ翡翆われを呼ぶ 木村孝子 町川に町の燈しづむ梅雨入かな 木下夕爾 町川の鯉金に照り鴎外忌 皆吉爽雨 web版尼崎郷土史事典「apedia」で、富松川を検索したら、 庄下川の解説が登場。   大物川が古くから東西方向に流れていたのに対し、庄下川は常に南北方向をとってきた。これは尼崎デルタを形成してきた武庫川の一分流であることを物語る。弥生時代の遺跡が、当時の河口と思われる庄下川中流地域にあり、古墳時代への移行も考えられる。また奈良時代の条里遺構も部分的に残っており、古代における武庫郡と河辺郡の郡界も、部分的には庄下川の流路に沿っている。中世には生島荘が上流に位置しており、庄下川の名称も同荘の下流であったことに由来するという説がある。近世尼崎城と城下町は河口両岸に位置しており、城の外堀の役割も果たした。近代には、大正期の大阪板紙の悪水問題などを端緒に水質が極度に悪化した。このため、1988年(昭和63)には建設省による「ふるさとの川モデル河川」の指定を受け、整備工事を進めるなか水質の改善を見た。  現在は富松川・東富松川・西富松排水路の合流する南塚口町8丁目から左門殿川に合流する松島ポンプ場まで5,954mを庄下川と呼び、2級河川であったが、1972年4月に1級河川となった。執筆者: 渡辺久雄  1995年4月には1級河川の指定を変更、東富松川を含んで伊丹市との市境まで上流端を移動し、7,296mとなった。  2000年、建設省(現国土交通省)等による「近代水道制度100年記念行事」の一環として庄下川が「甦る水100選」の一つに選ばれた。 富松川そのものの説明はわずか。 「富松川」で他のHPを探ったが、私の過去ブロが出てくるほどで いい情報はない。 武庫川が2級河川で、なんでこの川が一級河川なんだと文句言っているブログもあった。まったく同感だが、国務大臣が決めることであり、 第1級の河川とつながりがあること、県境を画し、整備に国費を投入する必要があるなどが判定基準になると思っている。 ついでに、川べりの、すでに買い手が決まったと思っていた家。 医院(件住居)跡。新聞の折り込み広告で知ったが、まだ売れていないよう。もう2年くらい経っている。 ものすごく部屋数がある。目下の価格は1億4千万。 このあたりバブルの頃は、坪300万を超えていた。この家は200坪近くある。 遅れて今日届いた。

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  • 19 Sep
    • 敬老の日

      なんかいろいろ。 ピンクのタオルは町会から クーラーにピンクのリボン モンロー忌 沙羅冬笛 子の踵ピンクに染めて初稽古 上窪則子 コスモスのピンクが与党他は野党 林 直入 灯を寄せしカーネーシヨンのピンクかな 中村汀女 芥子坊主阿片のピンク液を秘む 粟津松彩子 錠剤の一つはピンク秋深む 矢村三生 灯を寄せしカーネーションのピンクかな 中村汀女 片想い今はピンクの椿が好き 大高翔↓これも半分食べてからの撮影暴風雨報道つづく敬老の日 敬老日の腰紐しかと結びけり 鈴木真砂女 理髪椅子神父をのせて敬老日 朝倉和江 敬老の日の菓子屋町抜けにけり 池田秀水 流木に敬老の日の父母憩ふ 関森勝夫 隣より祝電の来し敬老の日 佐藤 重子 敬老の日の焼津焼もやひ船 渡辺 照子 敬老の日の砂浜に足とらる 伊藤白潮 敬老の日やしづかなる酸性雨 鈴木伸一 よろこびに脆き母なり敬老日 古賀まり子 敬老日猫の土足を拭いてゐし 鳥居おさむ おのが名に振り仮名つけて敬老日 長谷川双魚 『ひとつとや』 敬老といふ日の海を見にゆけり 長谷川双魚 『ひとつとや』 敬老の日の給食の鮪鮨 角川源義 『西行の日』 落雁の鶴亀並ぶ敬老日 種市清子 売れ残る敬老の日の祝菓子 七田千代子 すべり止め靴下を買ふ敬老日 乙武佳子 死線越えし話もありて敬老日 川村甚七 髭剃つて敬老の日の顔を緊む 名取思郷 和菓子屋の賑ひ続く敬老日 松尾千代子 耳遠き母への便り敬老日 鈴木幸子 敬老の日のコーヒーのアメリカン 村本畔秀 着膨れて敬老の日の俄寒 水原秋桜子 よろこびに脆き母なり敬老日 古賀まり子 敬老日長寿の象が愛でらるる 塩路五郎 健やかさ確め合ふも敬老日 波多野惇子 敬老の日のどの席に座らうか 吉田松籟 戦経て生きる達人敬老日 佐藤正一 どしやぶりの牧の真中や敬老日 折井眞琴 敬老日つねは忘れてゐし齢 長屋せい子 敬老の日や句敵はみな鬼籍 小路紫峡 敬老の日とはせんなき日なりけり 手塚深志城 敬老の日のこともなく暮れにけり 太田蔵之助 敬老の一と日ざはざはして居たり 広谷春彦 運動会敬老席に居眠れる 清水文江 神妙に敬老の日も過ごさばや 相生垣瓜人 敬老の日や青柿は熟れゆくのみ 瀧 春一 敬老の日にも動ぜずなりにけり 相生垣瓜人 敬老の日の眉長き師にまみゆ 福永耕二 患者より医者いたはられ敬老日 築城百々平 敬老日祝ぎ役にして祝がれ役 築城百々平 牛くさき腕のこの脈敬老日 三嶋隆英 同じこと言ふに耳かす敬老日 黒坂紫陽子 敬老日鯛の眼肉掬ひけり 黒田櫻の園 敬老日とは煮小豆をことことと 及川 貞 理髪椅子神父をのせて敬老日 朝倉和江 守りし子に守られ出づる敬老日 遠藤 はつ 新栗に甘味やゝ添ふ敬老日 遠藤 はつ 敬老日つねは忘れてゐし齢 長屋せい子 朱の椀にみづからを祝ぐ敬老日 松本 美簾 たどたどしき文字の文来る敬老日 堀田千鶴子 盲導犬共に祝がるる敬老日 小坂かしを 父に向く家族の膝や敬老日 中山良章 似顔絵の大き眼鏡や敬老日 上田春日 野の花をつば先に差し敬老日 岩波千代美 子は来ても多く語らず敬老日 田中蘇水 敬老の日といふまこと淋しき日 中村春逸 父の忌や敬老の日の母囲む 山田閏子 着膨れて敬老の日の俄寒 水原秋櫻子 敬老の日や老樫に暗む家 瀧春一 新蕎麦も敬老会も奥会津 山口青邨 敬老の日なり徽章を附けにけり 相生垣瓜人 敬老の日の母の灯を二階かな 宮津昭彦 ジヤズを聴く指はづみをり敬老日 杉本寛 敬老日とは煮小豆をことことと 及川貞 敬老の日なり徽章を附けにけり 相生垣瓜人 おろおろと敬老会へ運ばるる 行方克巳 敬老の日の近づくに耳掃除 村越化石 敬老の日の給食の鮪鮨 角川源義 敬老日水流れゆく大蛾あり 飯田龍太 敬老の日とて何祝ぐこともなし 石塚友二 敬老日とは煮小豆をことことと 及川貞 敬老の日といふまこと淋しき日 中村春逸 鯛だけだと400句以上。「祝鯛」で検索すると、0. 「祝 & 鯛」で検索。1句。 麦鯛に蚕豆飯を祝ひけり 広江八重桜 尾かしらつきの鯛は元旦以来の出会い。 敬老日制裁強化というけれど

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  • 18 Sep
    • オオイタビ

      フィカスプミラにオオイタビという和名があることを知ったのはごく最近である。 班入りの園芸種ではなく、おびただしく蔓延っているプミラは、 ↑こんなかたちであった。病気治療中で休業していた寿司屋の店の前 房総半島以南から東南アジアにかけての幅広い地域に分布する常緑性の低木です。茎は立ち上がらずに這うように伸びていったり、茎の途中から出る気根を壁や他の木の幹ににくっつけて上によじ登っていきます。よじ登る力は強く、気根はコンクリートの壁や石垣などにもしっかり張り付きますので壁面緑化などにも利用されます。一般に栽培されているものは幼木で、年数を経た古株は葉が大きくなり幼木とは別の植物かと思わせる姿になります。プミラの名前はラテン語で「ちっちゃい」「低い」という意味です。野生の品種は緑色の葉をしていますが、観葉植物として鉢植えなどで出回っているものは白や黄色の斑のはいる園芸品種が大半を占めます。性質は強健でさし木で簡単にふやすことができるのでハイドロカルチャーやミニ観葉植物として人気があります。 wキさんにはこの項目がない。 ↑はヤサシイエンゲイからの引用。 画像は野生種である。今日園芸店で見たら、鉢植えの班入りのものには「プーミラ」という名札が挿してあった。 それと古株は同じ木とは思えないという解説も納得。 実を鈴なりにつけたものと、↑のものが同じものとは思えなかった。 家から100メートル駅に向かって歩くと、阪急電車の高架をくぐる道がある。高架を潜って阪急神戸線の南側に出るとオオイタビが目に入る。寿司屋の看板は残っているが、もう数年前にオーナーが逝去。 何年かは週に1,2度寄って呑んでいた。(肝臓の数値が上昇したので酒を控えるようになり、この店への出入りを止めた)。 隣の店の壁を覆うようになったので、一度かなり取り除かれたが今や再び店の前全体を覆っている。 日本も原産国なのだが、オオイタビという和名はあまり知られていないようである。 市の文芸誌に 市営バスの営業譲渡大伊太比 という句を、この店のプミラから発想を得て出句したら、 事務局から「何と読むのか」という問合せがあった。 事務局の判断ではなく、俳句部門からも編集者が出ている会議で、 問合せろということになったのであろう。 「俳諧歳時記」の索引にあたったが、「いたび」「おおいたび」「ぷみら」「フィカス・プミラ」 いずれでも見つけ出せなかった。 園芸店に出回っているプミラの画像を、楽天から借りてきた。↑

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  • 17 Sep
    • 紅葉

      紅葉のシーズンとはいえないが。 フーの木 昆陽池公園で↑ 廊わたる尼袖あはせ若楓 飯田蛇笏 憂き顔の一休像や若楓 柊 愁生 弟子達の弓の稽古や若楓 中村吉右衛門 由良谷へ水はしり落つ若楓 羽田岳水 上に座す薬師如来や若楓 小田部 杏邨 若楓ひととき憩ふ寺の縁 林 瑠美 身のうちのストレス抜ける若楓 塙 きく 葉を重ね重ねて暮るる若楓 日野草城 若楓枝を平に打重ね 富安風生 苔青し更に影置く若楓 水原秋桜子 雨ふふむ葉の重みして若楓 原 石鼎 筝の前に人ゐずなりぬ若楓 高浜虚子 子を生みに子が来てゐるや若楓 安住 敦 若楓寺の普請の大足場 浅見まき子 四阿に日の影動く若楓 正岡子規 動くものみなやわらかし若楓 内藤雅子 膝の上京菓子となる若楓 中嶋秀子 差しのべし手に染むばかり若楓 小川濤美子 杉の間に一きはしるき若楓 臺 きくえ 叔母逝いてかるき悼みや若楓 飯田蛇笏 苔あをし更に影置く若楓 水原秋櫻子 若楓下枝夕づく蝶を垂る 木津柳芽 母の忌の雨うつくしき若楓 田中 美彦 木洩日を更にちらしぬ若楓 下村ひろし 若楓一茶の墓は背の高し 中山康子 若楓祖父と硯を並べけり 及川隆夫 多摩と甲斐分つ吊橋若楓 玉置石松子 子を産みに子が来てゐるや若楓 安住敦 生れてすぐ歩く鹿の子や若楓 吉田冬葉 若楓交み雀を滾しけり 石塚友二 若楓うつる岩越すまでの水 川本臥風 若楓枝を平らにうち重ね 富安風生 若楓影さす硯あらひけり 水原秋桜子 伯母逝いてかるき悼みや若楓 飯田蛇笏 腹に背に灸あと痒し若楓 悌二郎 葉を襲ね~て暮るゝ若楓 草城 若楓京に在ること二日かな 展宏 大原の昼くもりくる若楓 舟月 苔あをし更に影置く若楓 秋櫻子 雨ふゝむ葉の重みして若楓 石鼎 伯母逝いてかるき悼みや若楓 蛇笏 らんぎりのうてる間まつや若楓 万太郎 弟子達の弓の稽古や若楓 吉右衛門 筝の前に人ゐずなりぬ若楓 虚子 若楓石の凹みに水たまる 泗竹 四阿に日の影動く若楓 子規 若楓茶いろになるも一さかり 曲翠 弟子達の弓の稽古や若楓 中村吉右衛門 若楓囮の黐の雨ざらし 憂々 伯母逝いてかるき悼みや若楓 飯田蛇笏 公達の手習の間や若楓 涼菟 大原の昼くもりくる若楓 石原舟月 盤台に松魚生きたり若楓 正岡子規 若楓径をおほひて明るけれ 高浜年尾 箒目にあやまつ足や若楓 蕪村 御所車出してありけり若楓 野村泊月 若楓枝を平らにうち重ね 富安風生 尾長きていよゝたわゝの若楓 川端茅舎 若楓縁の障子を外しけり 佐藤紅緑 苔青し更に影置く若楓 水原秋桜子 まるき目の巣籠鳩や若楓 八木林之介 青霞集 松高し下に揺れ澄む若楓 久米正雄 返り花 神宜が子の鶏抱いて若楓 樗堂 日の力猶若楓かざすべし 尾崎紅葉 若楓水もしたたるあそびせむ 栗林千津 らんぎりのうてる間まつや若楓 久保田万太郎 草の丈 若楓昔の人はよき字書き 後藤比奈夫 初心 日蓮の歌にもみへず若楓 史邦 芭蕉庵小文庫 もの喰ひに茶莚借るや若楓 嵐竹 芭蕉庵小文庫 爪はづれ華奢に育つや若楓 遊女-好女 俳諧撰集玉藻集 馬にのる顔をりをりや若楓 卓袋 俳諧撰集「有磯海」 日蓮の哥にもみえず若楓 中村史邦 からびたる秋なりけるを若楓 服部嵐雪 伯母逝いてかるき悼みや若楓 飯田蛇笏 身を平ら梅雨とどめんと若楓 中村汀女 僧正の青きひとへや若楓 榎本其角 箒目にあやまつ足や若楓 蕪村遺稿 夏 三井寺や日は午にせまる若楓 蕪村 夏之部 ■ 圓位上人の所願にもそむきたる身のいとかなしきさま也 若楓煽られしどろもどろかな さざなみやつこ からびたる秋なりけるを若楓 服部嵐雪 三井寺や日は午(ご)にせまる若楓 與謝蕪村 「靑楓」という語で検索したら、「楓」に変換されて多数の例句が登場。 「若楓」に変えて検索。 今日の新聞広告 数日前から各テレビニュースも取り上げていたが、今日がピーク 夕のテレビ画面 美作市海田とあったので、急いで撮影。 黒米レストランらしい 海田にこんなに人家があったかな? 昆陽池公園で

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  • 16 Sep
    • ルコウソウ

      今が盛りなのか、ご近所の家の塀でルコウソウが花盛り。 ご近所と言えど、月に1,2度しか通らない道 近縁な種として、マルバルコウ(Quamoclit coccinea (L.) Moench)や、ルコウソウとマルバルコウの交配種に当たるハゴロモルコウソウ(Quamoclit x sloteri House.)などがある。ルコウソウと異なる点は花の色がオレンジ色に近いことと、葉の形状である。また葉は、同属のマルバアサガオに似る。 上の解説(ウィキペディア)からすると、画像はマルバルコウかも。 「マルバルコウ」の画像を検索したら、 葉が本当に丸葉である。 ハゴロモルコウを検索 私が見た上3枚の画像は、ハゴロモルコウソウのようである。 刈草のそこだけ覚めし縷紅草 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺 軽みとは哀しみのこと縷紅草 瀧 春一 かくれ蓑にものりうつり縷紅草 佐々 波二 紅涙をしぼりし恋や縷紅草 大井恒行 玉体の帰属観念縷紅草 田中信克 手に触れてくだける恋や縷紅草 牧 冬流 男言葉の少女らも良し縷紅草 水野真由美 縷紅草母訪えば我潤され 鈴木俊一 縷紅草和田芳恵亡き坂の家 石原八束 『藍微塵』 病人の汗は流れず縷紅草 石田波郷 数学の教師が咲かす縷紅草 町田敏子 羚羊のごとき少女や縷紅草 古賀まり子 子規墓に蒔かばやと思ふ縷紅草 高浜虚子 縷紅草垣にはづれて吹かれ居り 津田清子 縷紅草訪ひきし母の声の満つ 八木林之助 軽みとは哀しみのこと縷紅草 瀧 春一 縷紅草垣にはづれて吹かれ居り 津田清子 縷紅草訪ひきし母の声の満つ 八木林之助 縷紅草のくれなゐともる昼の闇 小金井欽二 縷紅草はられし糸にのぼりけり 中山従子 縷紅草のびては過去にこだはらず 中村秋一 明るさの静けさにある縷紅草 平柳青旦子 縷紅草垣にはづれて吹かれ居り 津田清子 相語る風雨のあとや縷紅草 久保ゐの吉 縷紅草石垣に垂れ小学校 古川芋蔓 縷紅草訪ひきし母の声の満つ 八木林之助 縷紅草垣にはづれて吹かれ居り 津田清子 死に神のかの指遺い縷紅草 増田まさみ 縷紅草和田芳恵亡き坂の家 石原八束 藍微塵 意外に多くの例句あり。 昨日 ワイフが月見団子を作った。 (公開後画像をチェックしたワイフから載せるなら食べる前のものを載せろと言われたが 3個ほど減った画像しか利用できなかった) 夜になってから公園へ行ったがススキが見つからなかったと たしか1箇所にススキが育っていると思い、急いで、公園へ しかし↑は萱で芒ではないという。 萱とススキは違うのか? 極めて基礎的なことが分かっていない。 ネット検索するも、上のような穂のものはススキと呼ばないのかどうか よく分からない。確かに庄下川沿岸でも時々迷っているのは事実。 午後、伊丹へ、昆陽池 昆陽池の白鳥10態 数えたら30羽ほどが視野の中にいた。 いじめられた経験がないようで、近づいても逃げない。

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  • 15 Sep
    • 建設

      9月5日 9月12日 関電の工事は、建設と無縁かも↑↓ 9月13日 盛り砂に残る切麻赤のまま さすがに幣の切れ端はもう残っていない。 白く見えるものが周囲にあるが、プラゴミである。 9月14日 あれ、また起工式かなんかやるのか? 記念写真撮る人はほかにも どうやら建築主は、亡き夫婦の長男のお嫁さんらしい。 学年が同じであった今は亡き友人は、名古屋で聖堂を新築する時、毎日作業現場を撮影していたらしい。それからしばらくして柱穴などにタバコの吸い殻をなげこむだけでなく、空き缶なども捨てていたために生じた事故が報じられたが、同じようなことを目撃していた。 その話を聞いてもあまり気にしなかったが、事故の報道の後、毎日作業現場を見守ることのメリットを考えるようになった。 9月15日(今日) 毛氈のもとでセレモニーやったのかどうか不明。↑朝9時半。 打ち合わせやったのか?建設子会社と下請け業者とが。 かな~や緋の毛氈に茶をたまふ(九月廿日陽明文庫に折口信夫先生をむかへて) 『定本石橋秀野句文集』 毛氈の上に置かれて春火鉢 岩本栄子 山雀や舞台は敷きし緋毛氈 野村喜舟 氷水きて緋毛氈の端濡らす 石川桂郎 水仙や試筆のあとの緋毛氈 より入 緋毛氈に菜の花こぼししは誰 岡田史乃 水仙の国の海ゆく緋毛氈 兵頭幸久 涅槃会の僧を待ちゐる緋毛氈 吉野義子 毛氈の赤き座敷に種痘する 田中冬二 俳句拾遺 緋毛氈に菜の花こぼししは誰 岡田史乃 散り初めし花に毛氈濃かりけり 永井龍男 毛氈の褪せを親しく梅に居り 永井龍男 毛氈の緋のはなやぎや年忘 久保田万太郎 流寓抄 兵頭幸久さんとは、伊丹の句会で何回かお目にかかった。 やがて桂信子さんが独立、一誌を起こされ、編集者の仕事を引き受けていたと思うが、その後、その仕事を宇多喜代子さんが引き継がれたのであろうか、詳しいことは知らない。 幸久さんの句 来る妹もアレグロ稲の花盛り は名句だと思う。 縄張り(というより紐張り)の確認、作業手順の確認か? アレグロで検索 ピアノ曲雪はアレグロより速し 辻田克巳 1句のみ。幸久さんは句集を残されなかったか?午後 午後にはテント等は片づけられていた。 なにしろ、玄関開けたら目の前が作業現場。 目が合うたびに挨拶される。 午後には公式挨拶もあった。 囲いの中で働く人のためのガイド・指針のよう。↑ ここでまた1週間ほど現場作業は無くなるよう。

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  • 14 Sep
    • オクラ

      1株だけ育てたオクラ。茄子が実を付けなくなっても着実に花を付け、 毎週1個実をつける。 実を切り取った後が白く残るので、何本収穫したか数えることが出来る。 15個以上痕跡が残っている。 陸蓮根を今や蒔かなん母と子に 陸蓮根では例句なし。 オクラでも例句はないのではと思ったが、意外。 口中に粘るオクラは灯より受く 内野 修 オクラに糸すこし絡らまりまた口に 河野南畦 きりのない紛争またもオクラ噛む 柴田美代子 即身仏オクラの花の黄なるかな 小島千架子 厨楽しオクラきざめば青き星 大平芳江 口楽しオクラの種を噛むことも 中村文平 オクラ刻む音を弾ませみごもりし 根岸たけを 世を拗ねしごとくに曲るオクラかな 森野経子 オクラきざみゐてふりむけば億光年 熊谷愛子

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  • 13 Sep
    • 中国街道

      中国街道の出発地(起点)は大阪高麗橋 大阪方面へいけば、蓬川(よもがわ) 神戸方面へ行けば琴浦神社がすぐである。 この銘鈑の背後は小学校 緑うっそうとした小学校である。 明治の創設かと思ったが、昭和28年だった。 旧の大庄村の地区である。 秋祭があるよう 家康の世よりの庄屋菖蒲園 澤村 啓子 濃山吹籬回らす大庄屋 高橋利雄 一面の嫁菜庄屋の屋敷跡 五十嵐みい 頑に庄屋の筆や毛見の帳 長谷川零余子 染飯の庄屋弁当菖蒲園 田中英子 初午や神宜に化けたる庄屋殿 也有 唐黍や庄屋が蔵の白い壁 寺田寅彦 歳饉ゑて庄屋が門の菊悲し 寺田寅彦 煙立つ庄屋も薬屋も雑煮かな 尾崎紅葉 近けば庄屋殿なり霧のあさ 夏目漱石 明治三十四年 時ぞ早苗庄屋の息子泥をふむ 露言 選集「板東太郎」 琴浦神社 潮汲み伝説; 私の「計算」では不可能。 毎日数石の塩水を京へ運ぶなんて。 神社の境内の端に 水準点とは? 水準点がその地域において行われる高さの測量の基準となるよう。 それは東京湾の水面の高さに合わせている。 この水準点がある境内の外の道路沿いにあるバス停には海抜-1.0メートルの表示あり。 水準点のある場所が、1m高いのか?そういえば境内をでる時、階段を数段降りたような気もする。 琴浦神社の東側 ↑小学校とは思えない木立がみえる ↓その北側 尼崎市内だけで4か所位こんな天然温泉施設がある。 もっとあるかも。JR尼崎駅の南西にひとつ、東側大阪府との境に一つ、築地地区に公衆浴場施設として一つ。 南側には競艇場がある。 ボート小屋ボートとともに塗りかへぬ 加藤三七子 恋のボート父子のボート漕ぎかはし 富安風生 あひ触れしボートの舳先木下闇 行方克己 無言劇 秋めくや一つ出てゐる貸ボート 高橋悦男 ボート漕ぐをんなは艫の錘りとす 丸山海道 何に急く赤牛ボートより見えて 原 裕 ボート漕ぐ少年吾子の櫂かるし 清水基吉 凪ぐ風を起してボート潔し 栗田 直美 ボート今波新しくいでゆきし 長田 八重 死に体だぜ君らのボート秋潮に 夜基津吐虫 君ら漕ぐボートすべてが青の中 高桑弘夫 ボート・レース雲と谺と繋がりて 大島邦子 近景に私信の壜詰ボート・レース 森本青三呂 ボート・レース軍帽にみる五十年 五島エミ 直線の恋は水玉ボート・レース 杉浦はるか 何に急く赤牛ボートより見えて 原裕 『葦牙』 鴨泳ぐ家鴨ボートのあとさきを 高橋達子 秋晴の湖に漕ぎ出す貸ボート 川口 洋 夏果ての湖に一列空ボート 白鳥順子 貸ボート旗赤ければ空青く 竹下しづの女 貸ボートやうやくしげく出で初むる 中村汀女 恋ボートならぬに岩のかげに入る 山口波津女 ボート裏返す最後の一滴まで 山口誓子 岸草にボート鼻突き休みをり 高浜虚子 春水に浮べるボートおよそ百 宮下翠舟 葉桜や誰もゐぬ日の貸ボート 大森理恵 貸しボート草ひきずりて湖に出す 高道 章 ボートからボートヘ移るやうな恋 小林貴子 ボート漕ぐ恋のさ揺れをくり近し 飯田綾子 紺碧を切り裂いて行くボートかな 清水静子 繋留のボート逃げ出す春の星 清水緑子 貸ボート皆出払ひしみどりの日 富岡掬池路 ボートより手浸す青春永からむ 今村俊三 ボートにて細き靴脱ぎ愉しさ増す 蒲田陵塢 ボート漕ぐ男の顔に女の唄 谷野予志 灯のボート働き終へし恋ならむ 雨宮昌吉 ボート裏返す最後の一滴まで 山口誓子 恋ボートならぬに岩のかげに入る 山口波津女 ボートより菓子の袋を漂はす 横山白虹 貸ボートやうやくしげく出で初むる 中村汀女 貸ボート旗赤ければ空青く 竹下しづの女 ボート裏返す最後の一滴まで 山口誓子 ボート漕ぐ二人ふたりを疑はず 西村和子 かりそめならず ボート漕ぎ出して非番のボーイらし 西村和子 夏帽子 死の灰や恋のボートの尻沈み 西東三鬼 ボート漕ぐ明き紅葉のもとが好き 高浜年尾 上汐や短き櫂の貸ボート 中村汀女 江上の燕は緩くボート迅し 高浜虚子 愛犬と文庫数冊ボートの荷 野路斉子 ボートに錠かけ夕桜とはなりぬ 澤村秀子 ゴールして流すボートや花の雨 河野真 ボート漕ぐ日本去る子へ母の日傘 羽部洞然 鐘鳴ればボート漕ぐ手をとめて祈る 田村了咲 夜の湖の静けさに漕ぐボートあり 藤松遊子 朝寒の疏水を下るボート哉 寺田寅彦 貸馬のひだるくゆくをボートより 辻桃子 ボート漕ぐ二人ふたりを疑はず 西村和子 陸にある秋のボートに乗つてみし 正木ゆう子 あひ触れしボートの舳先木下闇 行方克巳 木下闇離れて行きしボートかな 行方克巳 いつかうに足漕ぎボート進まざる 辻桃子 貸馬のひだるく行くをボートより 辻桃子 春しぐれまもなくやみしボート群れ 久保田万太郎 草の丈 避暑の娘に馬よボートよピンポンよ 稲畑汀子 汀子句集 ボートの腹真赤に塗るは愉快ならむ 西東三鬼 花合歓の下は漕がないでゐるボート 加倉井秋を ボートより菓子の袋を漂はす 横山白虹 何句かは、ボートレースを詠っている。

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  • 12 Sep
    • キンミズヒキ

      水引草撥ね違ひたり揺れ違ひ 行方克己 知音 さかりとて寂かに照や水引草 渡辺水巴 姉の恋ならず水引草こぼる 峯 信恵 水引草二筋三筋風のまゝ 安藤 寿胡 子ひとりおねがいほんのり水引草 山中葛子 尼来るを百も承知の水引草 齋藤玄 『無畔』 水引草や矢倉音なき片明り 小林康治 『存念』 水引草一糸の軽ろさ風に在り(山形、慈恩寺付近) 河野南畦 『硝子の船』 水引草の炎めきひとすぢ胸にひく 石原八束 『仮幻』 水引草を口にくはへて牛を引く 石原八束 『高野谿』 水引草風ひやひやと藤に来る 阿部みどり女 『微風』 濡れしまま水引草を活けてあり 大木あまり 火球 水引草皇女の墓へ磴細し 松本澄江 近道の昔のままに水引草 小谷久子 かひなしや水引草の花ざかり 正岡子規 ふれあひて水引草も世も淡し 中嶋秀子 水引草ひとつがゆれるほどの風 藤村礼子 小暗きに一穂の艶水引草 赤井淳子 川の音金水引草に触れてをり 藤田美代子 さかりとて寂かに照るや水引草 渡辺水巴 零餘子飯水引草を添へられて 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨 鉦鳴つて水引草のあるあたり 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨 水引草空の蒼さの水掬ふ 石田あき子 今年また水引草の咲くところ 原田浜人 水引草目が合ひて猫立停る 石田波郷 水引草畳のつやにうつりけり 室生犀星 日の中の水引草は透けりけり 室生犀星 木もれ日は移りやすけれ水引草 渡辺水巴 日も月も淡き世なりし水引草 大館史子 水引草なりに燃ゆるといふこころ 山田弘子 木洩日のさすくさむらはひそかにて水引草の紅ながし 佐藤志満 戦しごき残る友どち水引草 香西照雄 水引草髪より痩せてゆく思ひ 伊藤美沙子 水引草空の蒼さの水掬ふ 石田あき子 水引草まなぢり切らるおもひかな 坂巻純子 ふれあひて水引草も世も淡し 中嶋秀子 信玄が六女の寺の水引草 藤田あけ烏 赤松 壷にさす水引草つかねあまりけり 飯田蛇笏 戦しごき残る友どち水引草 香西照雄 瀬音にも揺れて水引草の花 森田かずを 水引草に月光詰ぶ十三夜 遠藤梧逸 峠路や水引草は妻のもの 岸田稚魚 日の中の水引草は透(すけ)りけり 室生犀星(1889-1962) 日の中の水引草は透りけり 室生犀星 犀星発句集 水引草はびこり母をよろこばす 山田みづえ 水引草ほどの感情の猫と暮れる 北原志満子 ふれあひて水引草も世も淡し 中嶋秀子 水引草すつと引きたる母の糸 中嶋秀子 水引草撥ね違ひたり揺れ違ひ 行方克巳 みづうみのはたと日暮るる水引草 関戸靖子 死よりしづかに水引草が濡れてゐる 栗林千津 水引草還暦までも生かされて 朝倉和江 その家へ水引草を手折りつつ 山本洋子 盆の燈の青水引草にこぼれけり 斉藤夏風 水引草はびこり母をよろこばす 山田みづえ 手甲 水引草を口にくはへて牛をひく 石原八束 高野谿 秋海棠水引草の露けしや 臼田亞浪 定本亜浪句集 日の中の水引草は透りけり 室生犀星 つんと出て水引草や徑岐れ 星野麥丘人 日の中の水引草は透(すけ)りけり 室生犀星 「水引草」で検索。60個と表示。それを間引かず再現↑ 水引草還暦までも生かされて 朝倉和江 という句がある。朝倉和江さんは多分江戸時代の人であろう。 昨日敬老の日のお祝いとしてタオルを貰ったことを紹介したが、 今日の朝刊には、各自治体で敬老の日の祝い金を廃止していることが報じられていた。 一方では卸売市場を移転するだけで5000億以上を「浪費」している自治体もある。 適当にネット上で心当たりを検索。キンミズヒキのようである。 そういえば、そう教えてもらった記憶があるようなないような。 ハゼランが群れている空溝があった。 実になっているもの、実も落ちて枯穂になっているものを日常的にみかけるが、ここでは花も残っている。 実が赤いと、線香花火が爆ぜているように見える。 この夏は、アカバナユウゲショウをあまり見なかったように思う。 近隣公園の一角がさびしいほどにすっきりしていた 2箇所に袋が積み上げられていた。 公園の、運動グランドや砂場を除く部分の5分の1を草刈り落葉集めしただけでかなりの量になる。 公園のグリーンの部分の草刈りは明日以降の仕事となるのであろう。 厳格に観察しているわけではないが、ここの主役はメヒシバである。 例年だとヘラオオバコが目立つが、今年は、春先からヘラオオバコは脇役であった。 オオアレチノギクもメヒシバに日照権ないし根張り地を奪われたか、ノボロギクともどもあまり多くの株数はみられない。

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  • 11 Sep
    • アキノタムラソウ

      アキノタムラソウと思っているが、よく見ると、 花の形がいろいろ。違う花が混じっているか。 ウィキペディア: アキノタムラソウ (Salvia japonica) は、野原に普通な多年草。細長い穂を伸ばして、薄紫色の花を付ける。 草丈は20cmから80cmにもなる[1]。茎は角張って四角形、まっすぐに立ち上がる[2]。根元で分枝して、数本の束を作る事もある。葉は対生で、その形は単葉のものから複葉に分かれるもの、それも三出複葉から一-二回羽状複葉にまでなるが、とにかく変異が多い。葉の長さは葉柄を合わせて3-15cmと変異の幅が大きい。葉身はおおよそ卵形、深緑で表面はつやがなくて草質、まばらに毛がでることもあるが、無毛のこともある。縁には粗くて丸い鋸歯が出る。花期は7月から11月にわたる。茎の先端が分枝し、長く伸びて穂状に花を着け、花序の長さは10-25cmにもなる。花は長さ10-13mm、青紫色で唇形、やや斜め上を向いて咲き、花冠の内側の基部近くに毛環がある。雄蘂ははじめ花冠の上唇に沿って上に伸びて前方に突き出すが、葯が開いてしまうと下向きに曲がる[3]。和名は秋の田村草だろうが、意味は不明とのこと[4]。なお、タムラソウの名は、キク科にそれを標準和名に持つ種 Serratula coronata ssp.insularis(タムラソウ属)がある。こちらもその由来は不明[5]。漢名は紫参で、鼠尾草は誤りであると、牧野は記している[6]。 焼きそば大会の合間に観察。 今日も暑い日だった。焼きそばはいつ頃から国民食になったのか? ウィキペディア: 焼きそば(やきそば)は、麺を豚肉等の肉類、キャベツ、人参、玉ねぎ、もやし等の野菜、イカ等の魚介類などと共に炒め(具を入れない場合もある)、調味して作る麺料理。ウスターソースを使用したソース焼きそばが、日本では普及している。焼きそばは、日本では、一般的な軽食として良く知られ、縁日、売店やスナックコーナーなど(デパートの屋上や競技場・催し物場のメニュー等)で売られている。鉄板を使ったバーベキューメニューとしても多く作られている。また、地域おこしのためのご当地グルメとして、独自の調理法や材料を使用した焼きそばをPRしている地域も多い(「#ご当地焼きそば」参照)。1955年(昭和30年)頃は、駄菓子屋で焼きそばが提供されていた。その当時は子供のおやつとして評判を呼んでいたが、時代を経るにつれ次第に家庭でも食べられるようになっていった[1]。『にっぽん洋食物語大全』には「ソース焼きそばを浅草焼きそばと呼ぶ人もいる」と書かれており、昭和10年代には浅草で焼きそばがメニューとなっていた事から、戦前には焼きそばが存在していた。1963年(昭和38年)にはインスタント麺が発売されてヒット商品となり、広く広がった。主としてお好み焼き屋や屋台、大衆食堂などで供される。調理が簡単である事から、学園祭の模擬店や町おこしのB級グルメとして各地で利用されている。 焼きそばの歴史については、 ウィキペディアの解説も利用している荒川製麺のHPが詳しい。 全文引用しようかと思ったが長いので、↑をクリックできるようにリンクしておいた。 山裾の日陰で開いていた黄色い花。 名前を思い出せない。 ・

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  • 10 Sep
    • 川鵜

      朝、町会の地区長さんから。3丁目から6丁目までが一つの町会になっている。よっていくつかの分会に分かれているのであろう。 仕組みと制度を全く知らない。 昨年は確か、1000円札が一枚だった。 町会費は値上になっていない。対象者は増加の一途。 夜になっても封を開いていないが、タオル一枚であることは確か。 昨日は吟行会 行先は西宮市甲子園浜。 甲子園球場が目の前の位置からタクシーに分乗。 タクシー代は会の会計から。 鳥の来訪シーズンではないので、かなり遠くでアジサシが数羽舞うのがみられる程度。 こんな日もあるよう。 伊丹の昆陽池を本拠地とする川鵜 (ということは庄下川で見られる鵜も伊丹から飛んできているのか) この鵜とて貴重な見学対象。 夏果ての潟の流木礁の鵜 鯖雲や川鵜右向き左向き などの句が出ていた。 句会場は↓ 会場費が無料だったので、句会費も無料 句稿のコピー代と茶菓は吟行会会計から支出。 浜独特の植物探しをしたがみつからず。 強いてあげれば海紅豆 ↑うまく写っていない。中央にちょっと赤いものが見える。 海紅豆である。(長く伸びた枝先に咲いている。花は萎んでいる) で、 集団を二つに分ける海紅豆 という句を得た。ちょうど、この木と栴檀の木を境に、 当日吟行会参加者は二手に分かれていたからである。 特選にとってくれた人がいて、 沖縄の基地闘争を連想させるとえらく深読みしていただいた。 ↑ジニア 木槿の向うに見えるのは帆船型滑り台。 残暑きびしく、学校も始まっているので人影なし 甲子園浜からは六甲山の山頂が見える。甲山は見えない。 一番よく見えるのは海を渡る高速道路 秋の潮下り混み合う高速道 湾岸道路背にあじさしの秋うらら 当日最高点句は 男運よくて水母の一人旅 私も特選にいただいた。 吟行会幹事で当日司会者は、川柳ぽいと否定的であった。 私は「一人旅」の語を生かすためには、 「男運よかった」は、男運が悪かったことの自虐的表現と読むべきだと いう解釈を披露。

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  • 09 Sep
    • オナモミ

      10時に阪神電車甲子園駅に到着。 10時20分には に到着。最初に見たのが、今話題のアリゲーターガー 水槽の間尺に合わぬアリゲーターガー 海紅豆をみた。 集団を二つに分ける海紅豆 浮き雲を割って浜辺の赤蜻蛉 甲子園浜は埋め立てによってできた内湾である。 阪神高速湾岸線が走っている。 オナモミかどうか、株が小さいので同定できない。 サフランモドキにしては首が長いか? .

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  • 08 Sep
    • 尼崎藩

      尼崎藩(あまがさきはん)は、摂津国川辺郡・武庫郡・菟原郡・八部郡(現在の兵庫県尼崎市・宝塚市・西宮市・芦屋市・神戸市南部・伊丹市の一部・川西市・猪名川町)を領した藩。藩庁は尼崎城。 尼崎藩の存在はもちろん知っているが、その領域がかなり広範囲で、しかも虫食いだらけであったのを知ったのはそんなに古くはない。 神戸の湊川神社になぜかくも歴代藩主の献灯が多いのかと考えて、 そうか現在の神戸市には江戸時代の城郭はなく、尼崎藩領であったのだと思いいたったのは、即座ではなかった。 JRの神戸三ノ宮駅の南にある、中央区役所に隣接した会館(図書館や青少年会館などを兼ねて施設)で開催の神戸句会に参加。 主任選者はじめ、句会の幹事クラスの人が所属結社を脱退したので、所属結社名をはずして単に「神戸俳句会」と名乗り始めた。 鉄材の危ういバランス鰯雲 私の作品が(きわめて珍しく)最高点句になった。 他にも 夏果てのマグマを抜けて安倍マリオ ・ という句を行きの電車の中でまとめていたが、会場に着いた時には忘れていて投句できなかった。 盛り砂に残る切麻重陽や ↑テントを撤去後も鍬入れの儀式に用いた盛り砂が残り、 白いものも。塩かと思ったが、切幣のようである。 切麻散米の儀の場合は、切幣ではなく切麻と表記するのをネットで確認してこの用語を利用したが、やはり下5がいまいち。 根切り虫 この鶏頭は、実はアスファルトの隙間から伸びている。 プランターに植えたものは、根切り虫にやられて枯れたので、抜いてしまった。 ここも1プランターのものを、根切り虫被害のために抜いたので、隙間が目立ち始めた。 そろそろ全体を整理する時期になっている。 ↓が最盛期のもの(8月半ば) 残念ながら画像が大きすぎて全体をUPできない。 ・

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  • 07 Sep
    • 小字

      昨日、イヌタデの別名「赤のまま」「赤まんま」で例句を探した。 アカノマンマが「正式の」別名・通称だが、6音になるから例句はみつからないだろうと おもったからである。 しかし中7に配置する手があった。 手にしたる赤のまんまを手向草 富安風生 検索したら、1句だけだが「赤のまんま」の例句を見つけた。 小字についてのウィキペディアの解説 小字(こあざ)とは市区町村内の区画である字(あざ)のうち、大字を除くものにあたり、一筆耕地が集合したものを指す[1]。単に字(あざ、あざな)ともいう。これはヨーロッパにおける耕区(ドイツ語: Gewann)にあたる。近世からの村(藩政村)が明治の市町村合併によって大字となり、これと旧来からの字を区別して「小字」と呼ぶようになった[1][2]。 私が今住んでいる小字名は、野合であった。 文字通り何も人工物はなかったのだろうか? 小字はごく狭い地区を指したのであろう。 今、この地区名が野合であった痕跡は何も残っていない(と思う)。 家からすぐ北側の地は、椀田(わんだ)。田の形がお椀型だったのか?ならば律令制以来の由緒ある名となる。 椀田という小字名は↑↓公園の名として残っている。 古事記、日本書紀に登場する地名には、田の形状を示すものが多いらしい。 狭田(さなだ)、安田、平田、依田などは、日本に文字が導入される以前からの呼び名を 大化の改新以後文字化したものだとか。 尼崎市内の大字名では、富田、額田、高田、浜田 三反田の他、○○新田というのが10位が残っている。 小字名だと、他にも、大田、深田、角田、入江田など・・・ 椀田公園の北に 高校がある。 その裏の地域は、松ガ本という小字であるが、 それも公園の名として残っている。 椀田公園の西側の地区は梅の木という小字である。 これはいい名前なので、町会名としても残っている。 地区には古墳もあったようだ。↑ ↓橋の名としても残っている。 小字梅の木の南側に、現在の阪急電車神戸線にかけて 柳縁(やなぎべり)という小字があった。これも橋の名として残っている。 ↑阪急電車の線路を背景にして、東富松川の上流を見ている。 北に見える橋が梅の木橋である。 ところで、椀田、梅の木、松が本、柳縁などの小字を含む大字(明治以前の旧村)は 東富松であって、塚口(村)ではない。野合が塚口村の西の端であったのは確かだが、 しかしそのまた西に池之尻という小字があった。多分椀田公園(椀田池)の南側の地区であろう。 津門の中道は、この塚口村と東富松村の境目を北上、西進して武庫川越えの船着き場へ向かったのだと思う。 桐の実や小字に残る足入れ婚 高橋悦男 どの角も親しき小字秋ざくら 梓沢あづさ 螢火や小字をむすぶ橋かゝり 甲賀 山村 遠くより屏風の大字躍る見ゆ 門額の大字に点す蝸牛かな

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  • 06 Sep
    • イヌタデ

      イヌタデ(犬蓼、学名: Persicaria longiseta)は、タデ科イヌタデ属の一年草。道端に普通に見られる雑草である。和名はヤナギタデに対し、葉に辛味がなくて役に立たないという意味で「イヌタデ」と名付けられた[2]。赤い小さな花や果実を赤飯に見立て、別名アカノマンマともよばれる[3]。庄下川で今繁茂しているのは、イヌタデ まだ色づきは悪い。 赤まんま空地に捨ててある枕 秋元不死男 子をもたず母を送りて赤まんま 関口桂史 赤まんま墓累々と焼けのこり 三橋鷹女 赤まんま留守番の子の指しやぶり 島 汀子 山の田は作らず売らず赤まんま 影島智子 水子らがゆすり搖れるよ赤まんま 坪内稔典 「赤まんま」の例句意外に少ない。 あらためて「赤のまま」で検索。 輿入の日やぐつたりと赤のまま 中原道夫 積み捨てし水禍の畳赤のまま 渡辺文雄 ローカルの切符は硬し赤のまま 白内慶太 夜べの雨未だ降り止まぬ赤のまま 青柳薫也 幸ひなるかなくるすが下の赤のまま 山本健吉 ゴム長を穿きてふるさと赤のまま 右城暮石 酒倉に親しきものや赤のまま 石 寒太 つれづれの旅にもありぬ赤のまま 森 澄雄 赤のまま錆びたるものにむらがれる 清崎敏郎 五右衛風呂の蓋はたつぷり赤のまま 大木あまり 火のいろに われ黙り人はなしかく赤のまま 星野立子 郵便夫バイクを停める赤のまま 町田一雄 赤のまま摘めるうまごに随へり 臼田亜浪 赤のまま寝溜の旅も終りけり 鷹羽狩行 種牛は小屋で留守番赤のまま 石田勝彦 母にある幼な友達赤のまま 大橋敦子 長雨のふるだけ降るや赤のまま 中村汀女 此の辺の道はよく知り赤のまま 高浜虚子 赤のまま遊ぶ手の中暮れている 武田涓滴 あるがままただそのままに赤のまま 和田俊夫 赤のまま地玉子売りの来る日暮 松浦 釉 人なぜか生国を聞く赤のまま 大牧 広 影踏みの影の伸び来し赤のまま 大上 充子 犬連れの馴染みの顔や赤のまま 山本 保子 出土土器散らばり乾き赤のまま 水田三嬢 ここになほ昔のこれり赤のまま 桜木俊晃 赤のまま此処を墳墓の地とせむか 吉田週歩 山羊の貌朝日うけをり赤のまま 坪野文子 縄汽車のぶつかり歩く赤のまま 奥田可児 勝ち誇る子をみな逃げぬ赤のまま 中村草田男 日ねもすの埃のままの赤のまま 高浜虚子 赤のまま天平雲は天のもの 青畝 赤のまま摘めるうまごに随へり 亜浪 瀬にあれば酔のさめゆく赤のまま 田中裕明 櫻姫譚 赤のまま語らねば愛深くなる 大島六花 仔馬らの四肢太くなり赤のまま 椙山昭三 夭折の弟があり赤のまま 太田土男 赤のまま馬に触れたき少女をり 太田土男 針千本飲ます算段赤のまま 櫛原希伊子 板塀に継あててある赤のまま 遠藤梧逸 人なぜか生国を聞く赤のまま 大牧広(1931-) 赤のまま天平雲は天のもの 阿波野青畝(1899-1992) 此辺の道はよく知り赤のまま 高濱虚子 長雨の降るだけ降るや赤のまま 中村汀女 流水の風の筋目に赤のまま 伊藤敬子 つれづれの旅にもありぬ赤のまま 森澄雄 空艪 赤のまま摘めるうまごに随へり 臼田亞浪 定本亜浪句集 赤のまま双手ほうしろポケットに 横山白虹 わが心やさしくなりぬ赤のまま 山口青邨 赤のまま天平雲は天のもの 阿波野青畝 庄下川上流ではジュズタマも。 ゼフィランサスの群生地もある。 ピンク位色のものは見かけない。ピンクのものは、サフランモドキ、白はタマスダレ その周囲には、ミゾソバ、それを覆うようにヒルガオが繁茂しているが、花は見られない。 ・

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ショウちゃん

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趣味は俳句・旅行・園芸・料理・昼寝・囲碁・将棋・読書などなど。デジカメも少々。

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