• 23Apr
    • 野田の藤

      大阪再発見というHPの文 大阪市福島区野田および玉川辺りはその昔は「吉野の桜、野田の藤、高雄の紅葉」と並び称された藤の名所だったといわれるが、現在のこの地のたたずまいからは往時の華やかな状況は想像も出来ない。  大坂の名所を紹介する『摂津名所図会』や『浪華の賑ひ』など名所図会の類には多く登場するが、現在では当時を偲ばせるものは残っていない。  1364年(貞治3年)2代将軍足利義詮が住吉詣での帰途に来遊し、「いにしへの ゆかりを今も紫の ふじなみかかる野田の玉川*」と詠み、1570年(文禄3年)豊臣秀吉も曽呂利新左衛門らを伴い訪れたと伝わる。   江戸時代には野田村の「藤之宮」と呼ばれた現在の春日神社のある玉川2丁目周辺は、日本独自の藤の原種とされる「ノダフジ」の発祥の地とされ、その名の由来は、明治時代植物学者牧野富太郎博士により「ノダフジ」と命名されたことによる。一般のヤマフジは「つる」が左巻きなのに対し「ノダフジ」は右巻きなのが特徴である。  戦国時代、1533年(天文2年)本願寺10世証如が野田で佐々木(六角)定頼の兵に襲われたとき、ノダフジは焼かれてしまったが、焼け跡からよみがえり、江戸時代は名所として大いに賑わった。明治以降は土地の開発の波にのまれて、かっての賑わいは昔語りとなり、わずかに残された藤棚も先の第2次世界大戦の空襲で殆んど焼失し、1950年(昭和25年)のジェーン台風が大阪を直撃した際に消滅したとされる。   近年は藤家の当主や地域の人たちのノダフジ復活への努力が実を結び、福島区内各所でノダフジの藤棚が見られるようになって来たのは心強い限りである。 *(注)義詮の紀行という『住吉詣』には「野田の玉河と云所あり、このほとりに藤の花咲き乱れたり」と記し「紫の雲とやいはむ藤の花 野にも山にもはいそかゝれる」とある。 [参考資料] 『現地説明板』          『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 吉野の桜、高尾の紅葉は知っていたが、それと並んで三大名所に数えられた「野田の藤」があることは昨日まで知らなかった。すぐ近くに住みながら野田の藤などというフレーズは昨日まで耳にしたことがなかった。毎年決まったように近場の季節の風物を知らせる新聞報道でも目にした記憶、まったくなし。 他のもの同様、例年より咲きが早いので「まつり」まではもたないかもと思いでかけた。↑「大開」は、神戸を知っている私などは、「だいかい」と読んでしまう。おおひらき と読むよう。大阪市福島区の区の花である。JR野田駅のステーションフラワー(初めて聞く名称)でもある。野田駅の駅前阪神駅前以外にも区内各所に藤が植えられているが、今日の段階で見応えのあるのは駅前の藤棚だけという情報により、阪神電車を利用。阪神尼崎駅からは急行で1駅。大開公園は、どうやらパナソニック(松下電器)発祥の地のようである。裏面↓松下電器、パナソニック、あるいはよく知らないながら松下幸之助には好感をもっている。大枚叩いて家の照明をLEDに替えた時もパナソニックを選んだ。そのLEDの1球が1か月どころか10日ほどで切れてしまった。インドネシア工場産であった。すぐに消費者係へ☎。切れた方の電球を送る前に、代替品が届いた。「野田」で検索。野田姓の人の句ばかり。1句のみ野田村に蜆あへけり藤の頃 上島鬼貫福島区のどこかに句碑があってもおかしく無い句である。ただし私は「あへけり」の意味が分からない。和えるの意味だろうか。蜆を何と和えるのか?

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  • 22Apr
    • 牡丹

      昨年は何時、農業公園へボタンを見に行ったのか?昨年のブログ検索画像で見ると、5月3日に出かけている。こういう点は、日付入力onは便利。今年は、5月3,4,5日は行事があって行楽は不可能。昨年は手作り弁当持参。この時期に開業していたテント店が、営業不信ではなく、高齢化のために営業をやめたので。今日はコンビニ弁当持ってお出掛け。案の定、もう終末期。尼崎の農業公園は、園田地区、弥生遺跡で有名な田能という地区にある。猪名川の土手が東の境界をなしているが、土手上の遊歩道から自由に中へ入れる。猪名川の東岸は伊丹市であるが、田能遺跡は伊丹市の公道に面しているが、尼崎市である。遺跡の東は大阪府である。しかしその向こうにある空港は伊丹空港という名称である。土地の半分は豊中市だが空港ビルのある所は伊丹市なのであろう。地図で見ると伊丹空港のロビーの中央部分を県境(府境)ラインが通っている。↓酔顔↓公園で健康体操公園西側は生産農地であったが最近建てこみ始めた多分その生産農家の一軒。↑畑の中に神社がある。田能春日神社。「門札」は田能恵比寿神社となっている。畦道が舗装された。その付近に家が建ったからである。高齢者用介護付マンションが建ったのが始まりであったように思う。公園入口付近北は伊丹市に接していて浄水場になっている。浄水場は猪名川と藻川の分岐点に位置する。公園の西側は花水木並木である。盛は過ぎているが。公園前の駐車場は満車で、空き待ちの車や、道が広く、取り締まりも少ないので、昼前後、車内昼食組みや昼寝休みの車も多い。我が車も、2台の駐車待ちの後ろに一旦は止まったものの、あきらめて、浄水場前に青空駐車。↑背後は介護付きマンションここでもう一枚画像登録クリック。2回押すも画像現れない。編集画面では現れなくとも、ブログ画面には2枚現れるかもしれないの、3度目を押すのは回避。園内に残る八重桜  多くは葉桜になっている。猪名川の土手のすいば。こんな風情を示すものはぎしぎしと思ったがどうもスイバのよう。↑黄色の花はかたばみへらおおばこ、マツバウンラン、ワスレナグサなど枯れ葦↑  ↓イタドリワスレナグサ 前面ぼやけているのは白詰草田能春日神社 新訪問社ではない。3度以上ここへきている。狛犬の奉納年は読めなかったが、玉石の一つの延享3年の文字が読めた。八代将軍吉宗の時代である。1746年

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  • 21Apr
    • タンポポ

      一株がかなり大株で、背が高い。茎が長い。普段見る西洋タンポポとはかなり様相が違う。県道82号線沿いの道路際総苞は反っていないように見える。ならばセイヨウタンポポではない。歩道の両脇に群生している。関東タンポポのような気がするが・・。タンポポの花に留まっていてカメラを構えると飛び立ったので、あきらめて前へ進み、同じ道を引き返すと、神戸市北区。西宮北インターを降りて、すぐ西宮から神戸市に。藤原台という新地名。いつもは、県道82号線まっすぐ西へ走る。吉尾という地点で82号線は終わりそこで左折西南へ。38号線を行く。深谷という交差点を越えて38号線を西へ行くと、弓の木という交差点で、県道506号線へ。淡河町神田という地区に入る。このあたり地図で見るとため池だらけである。その弓の木の交差点のところに神戸市の浄水場がある。山に藤道路沿いは畑になっている。その畑周りにびっしりとナヨクサフジ。5月半ばが満開だが、今年は早くも花が咲き始めている。昨日車で来た時には、ちらほらであったが今日はかなり花数が増えている。花が咲ききらない段階では、カラスノエンドウみたいに見える。あるいは紫華鬘のようにも。ただし葉は間違いなくマメ科。ナヨクサフジ(学名:Vicia villosa)は、ヨーロッパや西アジアに自生する植物である。飼料作物として栽培されるマメ科植物である。Wikipediaの画像山に藤野には草藤猫眠るその近くの排水路に蔓延る草。去年も出会ったが、名前は分からない何方か教えて下され

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  • 20Apr
    • 八重桜

      今年は桜の開花が早かった。4月8日では美作の桜も平地では散っていた。↑は山の上の桜。愛の村パークの下の大駐車場付近。4月11日 美作から戻ってから我が町の桜通りへ江戸彼岸は葉桜に葉桜になっているものも多いが、普賢象、関山、松月、楊貴妃などは最盛期か少しそれを越えた程度フケンゾウヨウキヒ楊貴妃と松月はよく似ている。松月の方がやや白っぽいか。フケンゾウ↓関山は葉が赤い。艶っぽいのは松月まあこの程度の知識で、11日から始まった通り抜け、翌12日は雨の予報だったので、13日に天満へ。造幣局には関山66本、楊貴妃3本、松月10本、普賢象12本など計134種、約200本上記のものが盛りで、他には北海道で見つかったものが咲き残っていた。紅笠須磨浦普賢象関山 1品種としてはダントツに多い。↑↓関山が咲き残ってくれていたので、何とか体裁が保てた。例年ならば盛りの頃を見られるものの多くは葉桜に。糸括普賢象普賢象桜の下の帚売 橋本榮治 逆旅選者吟紅時雨山に出て山に入る日や八重桜成瀬櫻桃子八重桜ひとひらに散る八重に散る 山田弘子奈良七重七堂伽藍八重桜芭 蕉重たげに風の中なる八重桜白石 時子大皿のなまぐさくあり八重桜波多野爽波 『骰子』八重桜飲食に昏れ若水忌(夫、若水の忌) 殿村菟絲子 『菟絲』八重桜思ふところに亡夫置き 殿村菟絲子 『晩緑』門番の退屈な昼八重桜寺岡捷子八重桜ちぎつて落す風に逢ふ 山口青邨満ち足らふことは美し八重桜富安風生八重桜地上に画く大伽藍 村上鬼城おし昇りくる満月の八重桜林 翔山に出て山に没る日や八重桜成瀬桜桃子日と空といづれか溶くる八重桜渡辺水巴夜がくれば夜の冷えおくる八重桜能村登四郎健脚の島人に蹤く八重桜新井みちを武蔵野はどこもふるさと八重桜松原地蔵尊山に出て山に入る日や八重桜成瀬櫻桃子八重桜逢ふ魔が刻を歩みけり 柴田白葉女満ち足らふことは美し八重桜富安風生八重桜湯へ行く人の既に潔し 中村草田男八重桜ちぎつて落す風に逢ふ 山口青邨奈良七重七堂伽藍八重桜芭蕉いにしへは奈良酒で見ん八重桜重 頭八重桜水中の水暮れ急ぐ 草津平八重桜湯へ行く人の既に潔し 中村草田男八重桜太陽汗を流し居り 佐野青陽人満ち足らふことは美し八重桜富安風生八重桜ちぎつて落す風に逢ふ 山口青邨ひとひらの雲ゆき散れり八重桜鷹女日と空といづれか溶くる八重桜水巴鳰流れゆき八重桜流れゆき 岸本尚毅 鶏頭八重桜日輪すこしあつきかな 山口誓子翔つための助走の数歩八重桜対馬康子 愛国馬入るゝ塀のくづれや八重桜柳川春葉 ひこはえ人ごゑの奈良八重桜日和にて 梶原美邦やわらかき罪重ねいる八重桜松本恭子八重桜地上に画く大伽藍 村上鬼城リス跳ねて雨の重さの八重桜吉野義子結界の外に佇つわれと八重桜吉野義子100句から広江八重桜さんの句を省いたものを上掲

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  • 19Apr
    • トキワマンサク

      常盤満作(トキワマンサク)スリーシーズン咲いているものには「ときわ」という形容詞が付される。マンサクとトキワマンサクの関係は?ウィキペディア中部以南から九州、台湾、中国南部、インド東北部に分布する。但し、日本での自生は極めて限定的で、静岡県湖西市・三重県伊勢神宮・熊本県荒尾市のみ知られる。常緑小高木。花期は5月頃で細長い4枚の花弁の花を咲かせる。花の色は、基本種はごく薄い黄色であるが、紅色の変種であるベニバナトキワマンサクLoropetalum chinensevar.rubrum(中国原産で葉も赤みを帯びる)がよく栽培されている。トキワマンサク属にはこのほかに中国南部などに分布する2種の高木、L. lanceumおよびL. subcordatumがある。ベニバナトキワマンサクは、マンサクの園芸種かと思ったがそうではないようだ。ベニバナマンサクは中国原産。白花の方は、日本、中国、インドに自生しているとか。トキワハゼ常盤爆も路傍でよく見かける。常盤露草は、庄下川でもよくみかける。南アメリカ原産[1]。日本には昭和初期に観賞用として持ち込まれ、帰化植物として野生化しており、外来生物法により要注意外来生物に指定されている[2][1]。北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアにも定着している[1]。他にもトキワイカリソウ、トキワサンザシ、トキワヒメハギ、などがあるよう。大学の常盤木の冬ひき緊り 森 澄雄常盤津会はねし銀座のしぐれけり 田原幹一郎掃き集め常盤木落葉ばかりなる 高浜年尾沈丁の葉も常盤木の落葉かな 野村喜舟常盤木の落葉踏みうき別かな 高浜虚子山蛙常盤木落葉時しらず 臼田亜浪常盤木の冴返りたる面会日 石田波郷常盤木の堅木を頼め鬼打木 中村泰山常盤なる松もめつらし門の春 宗因黒きもの又常盤なり初がらす 蓼太苧殻焚いてもとの暗さに草匂ふ常盤けい樹常盤木の落葉ばかりの隈もあり 野村泊月常盤木の槇の黝さや寒了る 石田波郷たんぽぽや石垣のこる常盤橋 龍岡晋花やこれ君が常盤の筆のあと 幸田露伴常盤木の老いて枯れぬは淋しやな 後藤綾子常盤木のちるや母さへその子さへ 服部嵐雪長けれど帯は常盤のころもがへ 野澤凡兆

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  • 18Apr
    • ストロベリーキャンドル

      ベニバナツメクサ ベニバナツメクサ(英:Strawberry candle, 学名:Trifolium incarnatumL.)は、マメ科の多年草。日本では暑さに弱く夏に枯れるため、一年生植物として扱われる。ストロベリーキャンドル、ストロベリートーチ、ベニバナツメグサ、クリムソンクローバー(crimson clover)、オランダレンゲなどの別名を持つ[4]。 家からもっとも近い富松川の岸辺の公共空き地 なにかが植えられているのは知っていたが何か分からなかった。 クローバーには見えなかったが はっきりとクローバーの葉が育っている。 花が新鮮 どうやら紅花ツメクサらしい。 こんな名のクローバーが存在するのを知らなかった。 かたわらには、植えられたものではないナガミヒナゲシとともにニワセキショウが咲き始めている。 白詰草咥えて世阿彌のひびきあり 中北綾子 白詰草飯盛ることののどかなり 新間絢子 逃亡や白詰草に膝を折り 柿本多映 白詰草たどれば渡来人の裔 柿本多映 詰め草で検索、アカツメクサの例句もなかった。 2007年の新俳句検索 1句 赤詰草白詰草に勝る丘 高澤良一 寒暑 苜蓿(うまごやし)とクローバーとは同一のものではないが、どちらも牧草で江戸時代に日本に帰化している。 俳句の世界に導入したのは子規か虚子であろう。 「苜蓿 虚子」、「苜蓿 子規」では例句登場しない。 汀子歳時記では、「苜蓿」の項で、一般にはクローバー(白詰草)をも指すとして、 虚子のクローバーの句を紹介している。 西洋十二単も ●アジアの温帯地域からヨーロッパに分布しています。 平地から亜高山帯までの草原や林内に生え、高さは15~20センチになります。匍匐枝をだして広がり、葉は楕円形で縁には波状の鋸歯があります。 4月から5月ごろ、茎頂に穂状花序をだし、青色の唇形花を咲かせます。園芸品種も多く、ピンク色や白色の花色もあります。 別名で「せいようきらんそう(西洋金瘡小草)」とも呼ばれます。 ●シソ科キランソウ属の常緑多年草で、学名はAjuga reptans。英名はBugle,Ajuga。 シ そういえば、キランソウもあちらこちらで咲いているのを見かけた。美作でも。 町角のヴォランティア園芸の花も勢いがいい 我が家のサクランボ うまく写っていないが実がいっぱい。少し色づき始めている。 ヒラドツツジ 公園の葉桜 ここにもニワゼキショウがいっぱい咲くが今はまだ。最近草刈りがなされたようであるから 一番花は刈られてしまったかも。 テレビ画面には藤の便りも

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  • 17Apr
    • 造幣局通り抜け

      大阪の造幣局の通り抜けは、今年は今日が最後。ある年ピーターを造幣局の通り抜けへ連れて行った。屋台で焼きそばを注文。800円要求されたので、怒鳴りつけた。以来、屋台で何か注文した記憶はない。今年も多数の屋台が出ていた。妙に思ったことは、外国人(インド人やトルコ人など)の経営する店を全く見なかったこと。川べりの屋台の規模が多数の桟敷を用意して大きいこと。10年くらい前に今宮戎へ出かけて驚いた。ケバブなどを扱う屋台が、何軒も出店していた。脂浮くケバブの切り口初詣これは今年の西宮戎へ、15歳児と2人で散歩に出かけた時の句。トルコ人のアイスクリーム屋は1月でも出店している。私が怒鳴った効果か、それ以来つづくデフレのせいか、今年は屋台の値札を覗く限り焼きそば800円の店はなかった。500円の店も多かった。立ち食い(take out)ではなくイス席を利用すると席料が追加されるようにも見えなかった。住吉大社へは出かけたことがない。桜時の上野公園、円山公園は覗いたことがある。今宮戎、西宮戎も確かに屋台の数は多いが、私は今でも大阪十三の花火大会の折の屋台の数が一番多かったという印象である。JR塚本駅から阪急十三駅更には京都線の南方駅までのかなりの距離の河原に、川に並行した通りに、さらにそれより離れた商店街沿いに屋台が並ぶ。ネットで見る限り、十三花火大会時の屋台が日本一ですと記したサイトはないが。今年は雨の合間を狙って13日の金曜日にでかけた。欧米人も少なくないが、何といっても中国(台湾 香港)からの人が多い。入り口付近場内案内は、4か国語だが、立札案内(桜の品種名)も多言語案内が必要だと思う。出口(いくつかの方向がある)以降↑の値段を見なかった。これなら1000円でも許せる。 蜻蛉の通り抜けたる大広間 岡安仁義 登山径いで湯の土間を通り抜け原 柯城 春日傘お初天神通り抜け前内木耳 すぐ通り抜けてしまひし苗木市 堀川 炭舟 簗の客厨を通り抜けにけり 中村雅樹 夏萩やすいすい夕日通り抜け大野林火 初蝶や通り抜けられさうな径 本橋美和 丸窓に色なき風の通り抜け田中康委子 草の絮朝市通り抜けて海 水原春郎 梅雨の犬座敷を通り抜けにけり 相島虚吼 通り抜けきし雛市の赤に酔ひ 嶋田摩耶子 二つづつ乳房牡丹を通り抜け宇佐美魚目 山彦の通り抜けたる涼気かな 神尾久美子 通り抜けゆくだけに足り花の道 茂里正治 人に蹤く外なし花の通り抜け茂里正治 初山へ小学校を通り抜け山本洋子 他人の家を通り抜けして秋の耕 中拓夫 梅雨傘をさげて丸ビル通り抜け 通り抜け自由にさせぬ種物屋 森田峠 三角屋根 菜の花を通り抜ければ城下かな 夏目漱石 明治二十九年 造幣局の通り抜けを詠ったものは1句のみ。↑ 大蔵省造幣局長雪装束 田中裕明 先生から手紙 造幣局を詠ったもの1句

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  • 16Apr
    • 春の草

      新聞の俳句欄を覗いていたら、「綿を蒔く」という句が目についた。新聞に登場する俳句は、数週間前に投稿されたものなので、季節的には過去になっているものが普通。エ~、と驚いて、綿の種探し。美作へでかける前の日など種まき日和であったが、時間がなく、帰宅後、センニチコウの種を蒔いた。かつてほど念入りな準備なしに。↑2014年栽培のものプランターの土を入れ替えようにも、古い土の管理場所がない。よって、プランターを洗うことができない。石灰は撒いているが、とっくに効能が消えている(ハズ)。種も殻がついたままともかく大量にあるし、欲しいのは最終的には10株位なので古い用土のまま、適当に土をならして植え付け。3つのプランターに。やっと綿の種を見つけ念のためにネット検索。やはり種まきの適期は朝顔並み。まだ1,2週間早いようなので蒔くのはやめ。また念のために、「綿を蒔く」の句の作者の居住地を確認。大分県であった。現在の日本に綿作の専業農家など存在するのであろうか。(ネットで学習。綿作は桓武天皇の時期に日本に入ってきた(三河に漂着したインド人によって)が定着せず、改めて戦国時代以後全国に普及。その頃は、私が今住む地域(武庫郡・川辺郡)が全国屈指の栽培地であったようだ。(参照 末尾のapediaの解説)左  末尾、崑崙人 綿種 の文字が読める。母の実家の母屋の前は広場的な空き地面であった。と同時にそこは里山になっている山(その山には村のほとんどの家の墓地があった)への村人の通路でもあった。里山は父祖の墓山茸山今は門扉で囲われているが複数の車をめることもできるよう、出入り口は広げることができる。この場所の、思い出は、秋には、木製の縄編み機が鎮座する場所、秋の終わりには供出用の米俵を積み込む荷車の駐車場早春には、煙草の幼苗育成フレームが建つ場所夏休み時期には、牛の越冬用干し草製作場同じ時期だと思うが村祭りで、若者が紐を5,6人で持ち、結わえた大石(というほどは大きくなかったと思うが)を地面に打ち付けちいさな窪みをつくる行事の実行場所。何という行事か。ここまで書いて、Mr.Kにスマホ。「亥の子」というらしい。その地では今も多くの部落でやっているらしい。Mr.Kの住むところでは担当適齢者不足で中断中とか。Mr.Kも中学2年までやっていたらしい。若者というよりは少年の重要な小遣い稼ぎだったらっしい。「若者」と見えたのは、その行事を見た時の私の年齢が4,5歳であったためかも。(なんか、同じことをこのブログないし他のところで書いた記憶がよみがえってきた。と同時にその時もMr.Kに問い合わせた記憶も)。ウィキペディア:亥の子(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。歴史的には、古代中国で旧暦10月亥の日亥の刻に穀類を混ぜ込んだ餅を食べる風習から、それが日本の宮中行事に取り入れられたという説[1]や、景行天皇が九州の土蜘蛛族を滅ぼした際に、椿の槌で地面を打ったことに由来するという説もある。この行事は次第に貴族や武士にも広がり、やがて民間の行事としても定着した。農村では丁度刈入れが終わった時期であり、収穫を祝う意味でも行われる。また、地面を搗くのは、田の神を天(あるいは山)に返すためと伝える地方もある。猪の多産にあやかるという面もあり、この日に炬燵開きをすると、火災を逃れるともされた。九州から中国地方を中心として殊に知られる行事である。その子供が唄う歌も電話口(スマホ口)で聞かせてもらった。「景行天皇」の名も☎で聞いた。亥の子石の解説もついでに紹介旧暦10月の亥の日の夕方から翌朝早朝にかけて、地区の子供たち(男子のみの場合もある)が集まり一軒一軒を巡って、歌を歌いながら平たく丸いもしくは球形の石に繋いだ縄を引き、石を上下させて地面を搗く。石の重さも1kg~10kg程度と地方により異なる。地方によって歌の内容は異なるが、亥の子のための歌が使用される。歌詞は縁起をかつぐ内容が多いが例外もある。子供たちが石を搗くとその家では、餅や菓子、小遣いなどを振舞う。振る舞いの無い家では悪態をつく内容の歌を歌われることもある。石のほか藁鉄砲(藁束を硬く縛ったもの)を使う地方もある。藁鉄砲を使う事例により、東日本における旧暦10月10日に行われる同様の行事、十日夜(とおかんや)との類似性が指摘できる。身近な春の草昔からではない。ここ数年で身近になった。マツバウンラン。野草であるが、引き抜かれることは稀である。マツバウンランの花期は長い。 マツバウンラン ↑の画像のような花数の多い群生はみたことがない。 分類(APG III) 界 : 植物界Plantae 階級なし : 被子植物Angiosperms 階級なし : 真正双子葉類Eudicots 目 : シソ目Lamiales 科 : オオバコ科Plantaginaceae 連 : キンギョソウ連Antirrhineae 属 : マツバウンラン属Nuttallanthus 種 : マツバウンランN. canadensis 学名 Nuttallanthus canadensis (L.)D.A.Sutton[1] シノニム Linaria canadensis(L.)Dum.Cours. 英名 Canada toadflax, oldfield toadflax このすみれ。それ自体は数年前でも見かけることはあったが、去年から今年にかけて猛烈な勢いでテリトリー拡張中。家と家との間の隙間。日はほとんどささない。去年までは常盤露草が蔓延っていた。今年は替って、ポリゴナム(編集画面ではポリゴナムの画像は一枚だけなんだが・・・ 編集機能で削除したいが、編集画面では一枚しか出てこない)すぐちかくの角地の家の周りの溝で繁茂しているものが飛び火したよう。アカシア通り。みるみる若葉が茂ってきたが、その株元ナガミヒナゲシ 花はまだ咲いていないが、オイロイバナの新芽もでてきている。ちかくにはタビラコ、オニタビラコである。日当りの良いところでは、カタバミも観賞価値ありオオキバナカタバミではない。野草化した立葵の大株2年草として扱われているが、大株のものはロゼットで冬越しする。↑ハコベラだが、普通に見るものとは明らかに様相が違う葉が小さい花弁が5弁に見える普通のハコベラは、湿気を好むので、上のような舗道の隙間からは育たない。よく見かけるハコベの場合10弁に見える。花弁が2つに分かれているので。人里や低地、草地に出現する種ウシハコベ ウシハコベStellaria aquatica(L.) Scop. 雌しべの先端が5つに分かれることで他種と見分けがつく(このため、ウシハコベ属に分類する場合もある)。 イトハコベStellaria filicaulisMakino エゾハコベStellaria humifusaRottb. ナガバツメクサStellaria longifoliaMuhl. exWilld. コハコベStellaria media(L.)Villars 一般的に春の七草とされるのはこの種である。 ミドリハコベStellaria neglectaWeihe 全体に柔らかい草。成長した際の高さは15~50cmくらいとなる。葉は卵型となり、短い柄をつけ、対生する。春~夏に径6-7mmの白い五弁の花をつける。花びらは小さく目立たないが、よく見ると細い花びらが10枚あるように見える。これは、5枚の花びらがそれぞれ2つに深く裂けているためである。雌しべの先端は3つに分かれる。 おしべの本数がミドリハコベでは8から10本、コハコベでは3から5本であること、花弁ががく片にくらべて短い(コハコベはほぼ同長)であることなどで区別する。 エゾオオヤマハコベStellaria radiansL. ノミノフスマStellaria uliginosaMurray var.undulata(Thunb.) Fenzl ハコベの名を持たないがハコベ属。葉は他のハコベと違って細い楕円形でハート形にならない。シノニム:Stellaria alsineGrimm var.undulata(Thunb.) イトハコベには牧野さんの名が付いているが、↑の画像のものはイトハコベではなさそう。 雛罌粟の日を恋ひ海を恋ふ赤さ 鷹羽狩行 雛罌粟や地の果に馬車消ゆるまで 奥野桐花 雛罌粟や笑みを浮かべて昼寝の子 金堂豊子 雛罌粟の咲かまく首をかしげたる 岸 風三楼 野に咲けば雛罌粟は野に似合ふ花 稲畑汀子 陽に倦みて雛罌粟いよよくれなゐに 木下夕爾 雛罌粟や翅音のアリアたちのぼる 吉原文音 咲きやんで雛罌粟雨に打たれ居り 前田普羅 雛罌粟咲く ロワール河畔の赤ん坊泣く 伊丹公子江戸時代、米に次いで最も重要な換金作物であった綿は、17世紀末には西日本各地で栽培されていたが、そのなかでも畿内(特に摂津・河内・和泉)は最大の綿作地で、さらにそのなかでも摂津の武庫・川辺両郡は最良質の阪上綿の産地として知られていた。この地方では17世紀前半から綿作が行なわれていたと推定できるが、確実な記録では1707年(宝永4)の川辺郡万多羅寺村で田畑21町7反余のうち6町5反余に綿の作付けが行なわれていたのが市域で最も古い。その後全国的な需要の増加によって綿価は騰貴し、米価に比して有利となったので、綿作は17・18世紀を通じて市域全域に普及し、特に現在の阪急神戸線以北の高燥の地のなかでも武庫地区と、武庫川下流の新田地帯では全耕地の30~40%の綿作が出現した。綿作農家は稲作と菜種作とを組み合わせた経営で多収益をあげた。たとえば武庫郡西昆陽村氏田家は1792年(寛政4)総自作経営地約2町8反のうち30%が綿作で、雇人は数人抱え干鰯など金肥を多量に投入して収穫物の50%を商品化し、年貢納入後に銀2貫600匁以上の余剰を残した。このような富裕な農家は綿作地帯の農村には広く形成され、また綿花を商う在村商人も活躍し、農村全体が繁栄した。しかし幕末になると他の地方の綿作が拡大し、競争激化の結果綿価は下落し有利性を失ったので、市域の綿作は衰退方向に向かった。明治維新後武庫郡では発展を維持したが川辺郡では衰退し、やがて1890年代に機械紡績業が発展しはじめると、国内産綿花が技術的に不適合なため輸入綿花に圧倒され、綿作は最終的に消滅した。執筆者:山崎隆三

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  • 15Apr
    • 7親等

      西粟倉村岩倉寺からの眺め。4月8日。桜がまだ鑑賞可能。これが最新の建物。本堂というのかどうか。寺の裏山の中を智頭鉄道のトンネルが通っている。庫裡番さん(住職の姉)は、午後3時頃から雨戸閉めたり、鍵かけたりに、急な坂道を登り下り。↑みたいな廊下だと、狸も鹿も走り回るんではないか。確かに、障子ドアは減っている。右手の土手山の上に講堂がある。そのまた上に奥の院がある。奥の院まで行くときは、住職運転の車に命懸けで乗る。母方祖母と前の住職が従姉弟 4親等の関係。 私と現住職(とその姉)は7親等現住職は、結婚して家を出ていた我が家の後に住み込んで京都の真言系佛教大学に通っていたので、親等が遠い割に親しい。ちなみに私とMrs Kの配偶者とは5親等。寺と向こう山とのあいだに集落が展開。向うの山の麓を鳥取道が通る。今回初めて西粟倉ICから乗って、帰宅。佐用までは無料区間。ポインセチア荷台に揺れて高速路 林 康子高速路交叉して街朝焼す 村田 脩迷ひ犬歩く二日の高速路 船坂ちか子高速路初富士滑り来たりけり 岡田貞峰高速の雲のパノラマ初景色 水野佐暉代高速電車降りて開港の雲を得ぬ 藤木清子カーブして薔薇園またぐ高速路 大島民郎高速路良夜の運河わたりけり 大島民郎高速道路を、「高速路」で詠う句も出始めている。

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  • 14Apr
    • 辛夷

      辛夷 多分この字は、中国での書法をそのまま日本へ導入した結果であるから、「辛」が「こぶ」で、「夷」が「し」と発音するなどと考えない方がいいと思う。ウィキペディアの解説を読むと、上の記述は、信ぴょう性にとぼしい。削除すべきだが、日ごろそう思っていたので、のこしておく。一見すると桜に見える。最近知ったことの一つ:楠は、日本語で、樟が中国語表記であること。↑↓三椏を背後にしたこぶし九州、本州、北海道および済州島に分布。「コブシ」がそのまま英名・学名になっている。日本では「辛夷」という漢字を当てて「コブシ」と読むが、中国ではこの言葉は木蓮を指す。この記述からして、四国には自生していないし、この木は中国原産ではなく、日本独自のもののよう。本草専門家(江戸時代)が中国語では木蓮を意味する「辛夷」(シンイと読めそう)を日本のシデコブシを指す言葉として、誤って紹介(ハクレンとシデコブシの違いに疎かった他の人がそれを踏襲、それが俳句の世界に明治になって利用されるようになった?「犯人」を具体的に指摘しない限り、この説は説得力に欠ける・・・・。↓のような記述もある。コブシモドキ(学名:Magnolia pseudokobus)はモクレン科の落葉高木。コブシの近縁種とされる。1948年に阿部近一、赤澤時之の二人により徳島県相生町で発見された。発見された当時、株から出た枝が地面を這って、土に接した部分から根が出ていたことから、「ハイコブシ」の別名もつけられた。4月中旬に直径12-15cmの花を多く咲かせ、コブシよりやや開花が遅いことなどが特徴。また、葉の大きさもコブシより若干大きめである。その後も何度か再調査が行われたが、発見された一株以外は見つかっておらず、またこれは三倍体であることから種子も出来ないこと、四国にそもそもコブシが自生していないことなどから謎の多い植物として現在も語り継がれている。野生種は既に存在しないと考えられているが、徳島県の相生森林美術館をはじめとした数箇所で当時の株から挿し木などで増やされたものが栽培されている。環境省のレッドデータブックでは野生絶滅(EW)、徳島県のレッドデータブックでは絶滅と評価されている。↑愛の村パークの下に見事なこぶしがあったが、一本は刈られていた。「こぶしの里」は、「合歓の郷」同様、全国に散在していると思ったがそうでもないよう。この名前の老人介護施設はかなりあるようだ。575筆まか勢さんのブログ の辛夷の句 補遺の部分あたりには誰も居らざる辛夷仰ぐ 波多野爽波 鋪道の花あの家の辛夷が咲いてわれは鬱 岸田稚魚 紅葉山いつぺんに辛夷の空となりにけり 岸田稚魚 紅葉山いづこへか辛夷の谷の朝鳥よ 佐藤鬼房いづみ千年湛ふ白きは姫辛夷 及川貞 夕焼おのがじし辛夷の花の雨あがる 長谷川素逝 暦日おもしろき世の入口の辛夷の芽 能村登四郎かゝりゐし雲なくなりぬ辛夷の芽 清崎敏郎きみ恋ふや風に辛夷の揺られ坂 渡邊白泉けふの日も辛夷の花に照り曇り 山口青邨けものみち辛夷咲く見て戻りけり 石川桂郎 四温この雹の辛夷摶ちをらむ天上忌 石田波郷しづまるを待てる辛夷の蕾かな 阿波野青畝すぐ晴れん空疑はぬ辛夷かな 阿波野青畝どちらでもよしひめ辛夷しで辛夷 後藤比奈夫どつちへも流れぬどぶなんで辛夷花さいた 中川一碧樓なかぞらに辛夷冷えゆく嶺のうら 鷲谷七菜子 銃身ながらへてをれば辛夷の高蕾 石田勝彦 百千なつかしき掌のふくいくと花辛夷 原裕 葦牙なんとなく鹿ゐて睦む姫辛夷 飴山實 句集外によき~と花になじまぬ辛夷哉 鳳朗のぼり来て辛夷散華のなかに逢ふ 角川源義はつはつと白きは辛夷ここは信濃 安住敦はつはつと礫せしかに山辛夷 上田五千石『琥珀』補遺ひえびえと魂さまよへる花辛夷 飯田龍太ひかりつつ辛夷は満てり朝の彌撒 弟子 星野麥丘人ひとつづつひらく辛夷となりにけり 石田勝彦 秋興ひとびとの喪服の空の花辛夷 飯田龍太ひよどりの巣喰つてゐたり辛夷咲く 細見綾子まぎれざる辛夷をもつて夕ベとす 岡本眸みな去りし辛夷の下に立つて見る 山口青邨みな指になり風つかむ花辛夷 林翔もの思ひつつ見て遠き花辛夷 飯田龍太もみくちやに辛夷は吹かれ心吹かれ 三橋鷹女もろごゑのきこえずこぞり花辛夷 森澄雄わが山河まだ見尽さず花辛夷 相馬遷子 山河わさび田に散りてゐるらむかの辛夷 細見綾子一天の深さ木の辛夷つぼみたり 中川一碧樓一山に一樹のみある夕辛夷 能村登四郎一瓣のはらりと解けし辛夷かな 富安風生一辯の疵つき開く辛夷かな 高野素十丘の辛夷の火葬を了る 三橋鷹女中年の辛夷を愛づる限りなく 三橋鷹女丹の宮の丹生川上社辛夷咲く 能村登四郎乳房のごと辛夷盛りあぐ画家羨し 楠本憲吉 孤客亜隆隆ほどの朝魔羅遠辛夷 佐藤鬼房人日の日雀がとほる辛夷の木 岡井省二 鹿野人間は昨日やめたり花辛夷 平井照敏 天上大風伊勢みちの霞の空の辛夷かな 岡井省二 明野信玄の棒道の花大辛夷 百合山羽公 樂土修羅落す谺が残り幣辛夷 鷲谷七菜子 游影初花の辛夷月夜を漂へり 林翔 和紙北空に刻みの深き花辛夷 鷹羽狩行千木の立つ家見えそめし辛夷かな 阿波野青畝及ばざる手をのべもして花辛夷 石田勝彦 秋興以後友の死を仰いでゐたる夜の辛夷 森澄雄口笛のみ日の矢ほぐれている辛夷 古沢太穂 火雲古宮の名代の辛夷咲きにけり 政岡子規 辛夷合掌部落百花を抽きて一辛夷 岸田稚魚 筍流し向うから桜や辛夷新庄なり 金子兜太咲きたらふ辛夷に牛の二十頭 石田勝彦 秋興咲き出でて妻の俤花辛夷 森澄雄咲き満てる辛夷の風をいたみけり 西島麦南 人音咲くからに縺れてをりし辛夷かな 飯島晴子唐人の辛夷を画く座興哉 政岡子規 辛夷喬木の辛夷あたりを払ひけり 阿波野青畝土塀朽ち骨の瓦よ辛夷の芽 細見綾子夕されば誰も居らざる辛夷かな 山口青邨夕ベ門に立つ人遠し辛夷咲く 大野林火 白幡南町 昭和三十二年夕影の展けしところ幣辛夷 赤尾兜子 玄玄夕空の青みわたれる辛夷かな 石田勝彦 秋興以後夢の世と思ひてゐしが辛夷咲く 能村登四郎大寺の合掌造り辛夷咲く 能村登四郎大揺れの葉叢に隣り花辛夷 飯田龍太大空に莟を張りし辛夷かな 松本たかし大藁家辛夷がくれになき如し 富安風生天にさへ漂ふ翳り辛夷咲く 鷲谷七菜子 銃身天にのび白い哄笑辛夷咲く 有馬朗人 母国天白く辛夷の花のこぞり消ゆ 山口青邨太陽も目潰しに会ふ花辛夷 鷹羽狩行妻の木を辛夷ときめし冬芽かな 石田勝彦 百千尼過ぎて辛夷のどこか揺らぎだす 伊藤白潮尾根越しの風に匂ふは花辛夷 福田蓼汀 秋風挽歌居りよいか辛夷へ鷽のかへし来る 寥松山に辛夷田打ちはじまる北陸路 細見綾子山の辛夷は鬱たるみどり夏蚕飼ふ 森澄雄山よろこべと満開の花辛夷 飯田龍太山刀伐や*ぶなの中なる幣辛夷 岡井省二 前後山垣の雲ひらきつつ辛夷かな 飴山實 次の花山垣の雲ひらきつゝ辛夷かな 飴山實山水のひゞかふ町は辛夷どき 飴山實 次の花山越の鴉こゑなし花辛夷 石田波郷山越ゆる夢のなかなる花辛夷 飯田龍太山辛夷ぱらりと咲いて田ごしらへ 飴山實 辛酉小雪山辛夷枝先に花一つづつ 右城暮石 散歩圏山近く辛夷も咲きぬ種を蒔く 山口青邨山陽の軸に配する辛夷かな 政岡子規 辛夷山鳥はまだ冬で来る辛夷哉 鈴木道彦幻の辛夷かがやく枯木中 角川源義待たれゐる如しも辛夷咲きたけて 三橋鷹女律院の松亭々と辛夷かな 河東碧梧桐忘れゐし空を仰げば花辛夷 鷹羽狩行忘恩やあまりに近く辛夷咲き 伊藤白潮息白く辛夷のもとの夜の別れ 大野林火 雪華 昭和三十九年揺るるより影こもごもに花辛夷 鷲谷七菜子 銃身故里に発つべかりしを辛夷散る 中村汀女数ならぬ身の愉しさに花辛夷 飯田龍太旅の身に七星うるむ花辛夷 鷲谷七菜子 黄炎旧山廬訪へば大破や辛夷咲く 飯田蛇笏 山廬集春しくれて辛夷ちるのみ笹塘 鈴木道彦春風や野にほや~と辛夷咲 尚白昼も夜も風をよろこび花辛夷 飯田龍太昼月のまぎれて高き辛夷かな 山田みづえ 木語暮るゝまでこころ高貴や花辛夷 藤田湘子曇りぐせいつよりつきし辛夷かな 安住敦曇天へまづ白点や辛夷蕾む 香西照雄 素心月明の闇忘れたる花辛夷 岡井省二 夏炉朝ざくら見むと辛夷の幹に倚る 岡本眸朝風の辛夷のひかり吹きめくれ 長谷川素逝 暦日木末踏みちに辛夷の白き哉 白雄未開拓辛夷の原も丘もあり 阿波野青畝本を見て作る料理や花辛夷 細見綾子 存問杉襖二本競ひて花辛夷 松崎鉄之介林中の花や辛夷はひとりの木 石田勝彦 秋興林中や辛夷花びら反りて散る 松村蒼石 雪桃花村また李咲き辛夷咲く 相馬遷子 山河桜狩遠山辛夷うかれ来ぬ 嵐蘭梅辛夷三月月も太りゆく 森澄雄歩み入る水源保安林辛夷散り 大野林火 白幡南町 昭和三十一年死後づつとその窓開かず辛夷咲き 能村登四郎残雪の少し汚るゝ辛夷の芽 清崎敏郎水に手を浸けては見上ぐ花辛夷 飴山實 辛酉小雪沖天の水煙かがやくは花辛夷 山口青邨湖をふたたび見せし辛夷かな 阿波野青畝湖曇る出雲に来しよ花辛夷 藤田湘子 途上満月に目をみひらいて花こぶし 飯田龍太満開の切なさ辛夷蒼味帯ぶ 三橋鷹女満開の風の辛夷やいつもはるか 岸田稚魚烈風の山の辛夷の錆びにけり 臼田亜浪 旅人 抄烈風の日の粒たまる花辛夷 大野林火 白幡南町 昭和三十一年生死もとよりなきごとし辛夷咲きたり 中川一碧樓病室に見えずて匂ふ花辛夷 斎藤玄 狩眼病院の影出て遊ぶ花辛夷 飯田龍太白き小鳥千羽の舞か辛夷咲く 林翔白き空白焔とのみ辛夷咲く 山口青邨白といふふしぎな色の花辛夷 能村登四郎白雲のつどふところに花辛夷 上田五千石『風景』補遺白雲のわかれ去りゆく辛夷かな 山口青邨目をあぐるたびに石見の花辛夷 飴山實 辛酉小雪真田道辛夷の白をつづりけり 松崎鉄之介真白に行手うづめて山辛夷 高野素十瞼つめた辛夷初花いつ濡れしか 大野林火 潺潺集 昭和四十二年石燈籠の位置定まらぬ辛夷かな 政岡子規 辛夷神山の木綿四手として辛夷咲く 能村登四郎神風の伊勢の辛夷の真白にぞ 日野草城種叺浸しあり辛夷うつりをり 大野林火 方円集 昭和五十三年稽古矢のそれて飛たる辛夷哉 政岡子規 辛夷稽古矢の高くそれたる辛夷哉 政岡子規 辛夷空冷えて来し夕風の辛夷かな 草間時彦 櫻山空厩戸越しに見えて遠辛夷 能村登四郎空谷の辛夷は蝦夷の春を呼ぶ 阿波野青畝窓開けて湖は見えねど夜の辛夷 相馬遷子 山国美濃に入り山城処々に花辛夷 松崎鉄之介老教師酔へるを送る夜の辛夷 能村登四郎聴き耳の旅はじまれり辛夷咲き 岡井省二 明野能舞台裏の京壁花辛夷 松崎鉄之介腹へつてくれば辛夷の昼となる 波多野爽波 鋪道の花花こぶし嬬恋村の定期便 角川源義花こぶし山河やすしと起居せよ 角川源義花こぶし風をとりこにして騒ぐ 鷹羽狩行花一ツ竿でくづせし辛夷哉 政岡子規 辛夷花咲て見れば此木が辛夷よの 寥松花籠に皆蕾なる辛夷かな 政岡子規 辛夷花辛夷いつか見慣れてゐる山路 稲畑汀子花辛夷人なつかしく咲きにけり 松本たかし花辛夷仰ぎてこころ刃のごとし 飯田龍太花辛夷吹くや看護婦同色に 斎藤玄 狩眼花辛夷土塀めぐらす外厠 松崎鉄之介花辛夷散り滝水にただよへる 清崎敏郎花辛夷晝月もまた花のごと 飯田龍太花辛夷晩婚夫妻翳もなし 藤田湘子 途上花辛夷月また花のごとくあり 飯田龍太花辛夷牛飼の指うるみけり 藤田湘子花辛夷白の浄土を崖下に 松崎鉄之介芽吹き山残る辛夷を簪す 森澄雄若き日の八ちまたおもへ夜の辛夷 森澄雄茶畑の傾斜どまりに花辛夷 能村登四郎落日の金打ちのべし花辛夷 野見山朱鳥 愁絶落石の的ともなりし辛夷かな 阿波野青畝葛屋奥あり針木林むら辛夷 尚白見てここに立てば昔の花辛夷 山口青邨谿あれば弱き夕光・夕辛夷 能村登四郎豆まきを待つ間見つけし辛夷の芽(深大寺六句) 細見綾子辛夷さく下道照りて通りしか 細見綾子辛夷つばらに子の誕生日いつなりしや 安住敦辛夷に立ち冥き湖にも心牽かれ 橋本多佳子辛夷のキャンドル・サービス 礼拝開門に 伊丹三樹彦辛夷の空光りの鈍き日の通る 能村登四郎辛夷の芽風たたぬ日の光かな 古沢太穂 古沢太穂句集辛夷ひらけて爪冷る山路なし 寥松辛夷ふくらむ雪の北地が詩の母郷 松崎鉄之介辛夷ふるはす屋根しづり落つ雪の音 松崎鉄之介辛夷を吾が好むと云へば人も云へり 三橋鷹女辛夷一つこれはといふべかり 加藤秋邨辛夷一樹ありて遍路も山添ひに 能村登四郎辛夷一樹花すくなきはまことなり 松村蒼石 雪辛夷冷えはくれんぐもりつづくらむ 上田五千石『天路』補遺辛夷咲いて我の生まるるまへの母 森澄雄辛夷咲ききらゝひそめし曇り空 能村登四郎辛夷咲きをとめらはピンカールなせる 三橋鷹女辛夷咲きサイ口も辛夷がくれかな 清崎敏郎辛夷咲き万蕾いまだ空の塵 林翔 和紙辛夷咲き人ら相寄る水邊かな 岡井省二 前後辛夷咲き善福寺川縷の如し 水原秋櫻子 玄魚辛夷咲き夕ベ湯気濃き硫黄泉 大野林火 白幡南町 昭和三十一年辛夷咲き川沿ひに町はじまれり 大野林火 雪華 昭和三十六年辛夷咲き日暮のこころ永くせり 細見綾子辛夷咲き浅間嶺雪を梳る 相馬遷子 雪嶺辛夷咲き琺瑯の空ゆらぎをり 森澄雄辛夷咲き畦の卍も青みたり 水原秋櫻子 帰心辛夷咲き畳のうへに死者生者 岡井省二 明野辛夷咲き胸もと緩(ゆる)し人妻は 中村苑子辛夷咲くひかりを空へ投げ上げて 平井照敏辛夷咲く中やキリンの顔懸る 松崎鉄之介辛夷咲く咲くところにはかたまつて 右城暮石 天水辛夷咲く垣根もありて家まばら 政岡子規 辛夷辛夷咲く死の明るさもこれ位 能村登四郎辛夷咲く空へ嬰児の掌を開く 有馬朗人 母国辛夷咲く遥かな丘ゆ啄木来る 村山故郷辛夷咲く黒雲の風青空へ 飯田龍太辛夷揉む風乙女子を叫ばしぬ 大野林火 雪華 昭和三十六年辛夷散りしあとの林の風を聞く 細見綾子辛夷散り十日の沼の萌黄なす 能村登四郎辛夷散り白の狼藉尽しけり 能村登四郎辛夷散るうごくものなき水の上 野澤節子 八朶集以後辛夷散る烈風ベートーヴエン忌なり 野見山朱鳥 荊冠辛夷散る百の白磁を打ち砕き 後藤比奈夫辛夷活け山鳩鳴けば鄙めきぬ 山口青邨辛夷白し雨脚もその高さより 大野林火 方円集 昭和四十九年辛夷見て夕日諏訪湖に落つるなり 細見綾子追分の辛夷の山となりにけり 星野麥丘人 2002年酔眼に発矢発矢と夜の辛夷 伊丹三樹彦野の池を十目見ざりき咲く辛夷 水原秋櫻子 古鏡鈴鳴らしゆく旅もがな辛夷咲き 能村登四郎長かりし辛夷の空の終ひの頃 岸田稚魚 紅葉山開山忌辛夷の白の蝶結び 石田勝彦 百千降りしきる雪をとどめず辛夷かな 渡邊水巴 白日陶工の見てをる辛夷空の藍 森澄雄隠沼の面ととのはず辛夷咲く 山口青邨雨ふふむ辛夷をくれし美男僧 能村登四郎雨足りて山田息づく花辛夷 相馬遷子 山河雪前雪後今年の辛夷暗かりき 加藤秋邨雪敷くや深山辛夷のやつれ咲き 上田五千石『琥珀』補遺雪片の過ぐ花辛夷うすみどり 大野林火 飛花集 昭和四十五年雲湧きてよりの旅愁や花辛夷 鈴木真砂女 夏帯雲表に雪の嶺のぞく辛夷かな 阿波野青畝霞みつゝ辛夷の花けなほも白く 山口青邨青さすや辛夷にどこか月ありて 加藤秋邨青天と辛夷とそして真紅な嘘 三橋鷹女青天の辛夷や墓のにほひする 森澄雄青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ 大野林火 青水輪 昭和二十七年題目の碑がある寺の辛夷かな 政岡子規 辛夷風あたりいたみよごれし辛夷かな 高野素十風あふれ辛夷樹上の花の舞 林翔 和紙風のなき日々の辛夷の照り疲れ 岸田稚魚 紅葉山風の出て来し揺れざまの姫辛夷 清崎敏郎風摶つや辛夷もろとも雑木山 石田波郷風花や日あたる辛夷昃る沙羅 石田波郷風落つるさまなき夕日照る辛夷 臼田亜郎 定本亜浪句集風邪の神月の輪を出て花こぶし 飯田龍太飛び翔たんばかりに白し山辛夷 右城暮石 虻峠馬や牛ども糞落す辛夷かな 阿波野青畝高く咲く辛夷の花のごとくあれ 山口青邨高嶺星今宵はうるむ辛夷かな 阿波野青畝鮠の上こぶしの花を流しけり 飴山實 辛酉小雪鱒池のほとりに咲くは幣辛夷 細見綾子鴉来て踏落したる辛夷哉 政岡子規 辛夷鵯の喧嘩辛夷の花を散らしたり 細見綾子鵯ひとつ過ぎしそよぎの花辛夷 鷹羽狩行鶏鳴く青梅ひそけく辛夷咲く 角川源義鶏鳴や風まださむき辛夷の木 百合山羽公 故園曲亭馬琴の『俳諧歳時記』には、「又、白花のものもある」などという記述がある。幣こぶしが一般的ではなかったよう。↑は、東粟倉のこぶし群生地のなかでも、道沿いに茂っているもので、かつその前に駐車スペースがある(林家への道標がある角地)ので、毎年車を停めて一休みし、余裕があれば河川公園も一巡り。↓は桜↑の近くの溝の中でキケマンを見つけた。↓ミヤマキケマンかどうかは判別不能『栞草』には、「咲く枝を折る手もにぎりこぶしかな」の1句が例句に上がっている。改造社版『俳諧歳時記』(1934)の春の部(編者 高濱虚子)には、『栞草』の解説を引用。例句は、唐人の辛夷を画く座興かな 子規などの10句。昭和初期までこぶしはそれほどありふれた樹ではなかったよう。木曜日 神戸句会 出句4句辻ごとの枝垂れ桜の父の郷だあれかさんと誰かさんが花の下隠すもの何かありそう連翹の黄花は葉にキラリと湖畔のガラス片

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  • 13Apr
    • ホテル

      6日からの3日間の美作行の画像400枚、以後9日から今日までの画像370枚。ということは今回の3日間の美作ではシャッターチャンスが少なかったということ。6日の午後は午後から大雨で、ホテルに閉じこもり。6日湯原温泉泊ホテルの前に車を停めて午後2時にチェックインホテルの駐車場周辺の景色。雨の中桜が残っている。夕刻翌朝大馬酔木↑朝9時 外気温6℃7日は作東バレンタイン ホテル1995年に初めて宿泊。以後20年以上の間に数えてみると100泊以上している。最近は年に3泊か4泊。最近は満室で断られることが増えた。今回も6日は英田のF1レース関係での1年前予約で断られ、7日も洋室はなしということで、一度予約できなかったが、津山周辺も含めてすべてF1関係が押さえていて、やむなく、1室だけしかない和室予約。洋室仕立ての設計で、和室需要を見越しての和室仕様なので、なにかと使い勝手がわるかった。入り口付近にある洗面所や風呂へはスリッパ。そのスリッパを脱いで畳の部屋へ。窓側は、和式旅館なら今では一般的な板の間になっているので、またスリッパが欲しい。特に外のベランダへ出る際にはスリッパが欲しい。8日の朝は晴いつもは8時に朝食会場へ行くのだが、満室ということなので、7時に出かけた。それでもすでにかなりの人が席を占めていた。朝食は指定席制ではない。あっという間に小さな宴席を兼ねる個室まで開放。マーガリンが苦手で、かつ最近6か月の間にオリーブオイル派に転向したが、そのオリーブオイルもなく、バターもオイルもなしで、パン食。ちなみに6か月間バターなしの朝食を摂っているが、体脂肪率や総コレステロールの数値に目立った変化なし。その間、1,2度パンケーキの朝食時には堪らずバター摂取。ここで結婚式を挙げた人がメモリアルリーフを加えてゆく幸せの木すでに新しいリーフを結ぶ余裕がなくなっている。枝先のホールには、2組のリーフが重なって結わえられているところもある。2本目の「木」を植える場所がありそうななさそうな・・。「メモリアル」では例句なし手毬咲き山村憲法記念の日 水原秋櫻子自由ありけふは憲法記念の日 原山 英士菜の花や三十五回の婚記念菊地美智子なまはげと旅の記念の写真とる 安斉君子雉子畦に出て鳴き憲法記念の日 辻村勅代修正ペン滲む憲法記念の日 大森理恵日出づる山河憲法記念の日 堀 政尋枡に入らぬわが字よ憲法記念の日 渡邊千枝子大仏を仰ぐ憲法記念の日 藤井寿江子真白なる卓布や憲法記念の日 斉木永久パン食に倦みて憲法記念の日 市ヶ谷洋子支ふべし夏空のまた砕けなば(平和記念像) 橋本榮治 逆旅木を植ゑるならひ憲法記念の日 崎田一志虚子記念文字館に帰省かな 稲畑廣太郎法学徒たりて憲法記念の日 坂井建獨立の大記念塔炎天下 保田白帆子海を見をり建国記念の日の雪に 篠田悌二郎この国は何処行く憲法記念の日 稲畑廣太郎戦傷の記念教会風薫る 関森勝夫記念植樹白樺新樹五十本 高濱年尾メモリアル・リーフに加筆春疾風ホテルの下に母の里。当主である従兄は老人養護施設に入所。奥方の方も大腿骨骨折で入院加療中。訪れた日の午後に退院ということで、大阪住まいの、従兄の跡継ぎが家の整理のため作業中であった。庭や鉢物の管理をする者が不在で荒れ放題。不在の家の連絡係をしていただいている近接の家へ挨拶。その家も2年前に主が逝去。寡婦さんは、私が小学生の頃、その家に嫁いで来られた。夕刻になると、家から、従兄の父の父、ー私の祖父ーの家の井戸に水を汲みに来られていた。最近昔話をしていると、その家にも風呂用に利用する水が湧く井戸があるのだが、料理用の上質の水は、本家の井戸を利用させてもらっていたとのこと。10リットルくらい入る桶を前後に天秤を担いで、傾斜のある山裾の道を往復しておられた女性が最近その作業を引き継いだ新妻さんだったことを50年後に知った。その家の家号は「大前」。「小前」という家号の家もあって、その家の娘さん(私より10歳くらい年上だったと思う)と私とで、従兄の父親である伯父の再婚の式の三三九度の御神酒の運搬役を務めたことを記憶している。それより前に、近在の農家は煙草の葉を栽培していて、この家の裏の畑の隅に、乾燥小屋が声がかかって、「ショウちゃん、おおきゅうなったら大将になるか」と問われた私が、「たいしょうにゃならん。くうばえする」と答えたそうである。大前や小前の当主(みんな故人になったが)からは私が成人後も、この話を何度も聞かされた。母が生まれた家の家号は「表(おもて)」である。「おもて」という家号の由来は、16世紀か17世紀のはじめまでに生まれたようである。飢饉や災害などがあった折に、差別されて貧しかった人々が強訴ないし不満爆発の為に村を襲ったりした場合でもこの家には危害が及ばなかった。よって他の家が雨戸を閉めて閉じこもった場合でもこの家だけは表を開けていたために、そう呼ばれるようになったということである。けっこう建てこんでいるようにみえるが、江戸・明治・大正、昭和、平成を通じて総戸数には変化なく、総戸数30戸ほどの集落。地名は明治以降は藤生村。やがて江見町字藤生。作東町藤生を経て、現在は美作市藤生。徒歩でも10分あれば村中を巡って歩けるほどの狭隘の地区である。藤生氏という豪族が拓いた村である。藤生氏はやがて道信と名を替えて、今でもこの地に数家存続している。

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  • 12Apr
    • かたくり

      カタクリ園への訪問時間が午後4時を回ったせいか、他の条件が重なったためか花弁を閉じたかかたくりにしか出会えなかった。 カタクリ (ウィキペディアの解説) カタクリ 分類 界 : 植物界Plantae 階級なし : 被子植物Angiosperms 階級なし : 単子葉類Monocots 目 : ユリ目Liliales 科 : ユリ科Liliaceae 属 : カタクリ属Erythronium 種 : カタクリE. japonicum 学名 Erythronium japonicumDecne. 和名 カタクリ 英名 Katakuri(Dogtooth violet) カタクリ(片栗、学名:Erythronium japonicumDecne.)は、ユリ科カタクリ属に属する多年草。古語では「堅香子(かたかご)」と呼ばれていた[1]。少しは閉じるのが遅れてる花を写してみたが豪華さには欠ける。あと少し書き加えたいがとりあえずup2018年2月号までが掲載対象になっている。俳句のサロン かたくり(片栗)    157句 うとうととしてかたくりの花ふえて  石田勝彦  秋興 かたくり  かたかご  堅香子 作品 作者 掲載誌 掲載年月 前書その他 片栗の花を見に行こ君の里 平井奇散人 船団 199903 かたくりの花ひとつづつ群れゐたり 山尾玉藻 火星 199905 娘の車にてかたくりの花を見に 森高武 風土 199906 かたくりや雲淡々と関所越ゆ 屋代弧月 遠嶺 199907 かたくりや音こまやかな山の水 屋代弧月 遠嶺 199907 群生の花片栗をこはごは踏む 渡辺美知子 濱 199907 片栗の花のま中の山の神 武井美代子 風土 199908 片栗の花の出会ひとなる駐車 稲畑汀子 ホトトギス 200002 片栗の花に届かぬ木洩日も 稲畑汀子 ホトトギス 200002 片栗の花の山肌日を抱く 稲畑汀子 ホトトギス 200002 片栗の花の群落一花より 稲畑汀子 ホトトギス 200002 片栗の花に魅せられ散策に 篠田三七子 いろり 200004 木洩日のどれにもゆれて花片栗 村井久美子 濱 200006 スタートを待つ片栗の花一列 野中亮介 馬醉木 200007 かたくりの花と見つめる夢の澱み 榎本祐子 海程 200007 片栗の花守黙し去りにけり 桑久保奈美子 酸漿 200007 かたくりの花を囲めり合羽着て 下島千代子 春耕 200007 かたくりの花に埋もれし父の墓 宮倉浅子 遠嶺 200105 かたくりの花のささめく風の中 梶田敬子 狩 200106 かたくりの群生間近に慈しむ 桑原敏枝 いろり 200106 片栗の花敷きつめて風の彩 玉川悠 遠嶺 200107 かたくりの花腹這いのカメラマン 植山美代子 苑 200108 片栗の花に陶狸の顔和む 駒井でる太 苑 200109 かたくりは片顔のはな朝のミサ 奥田筆子 京鹿子 200109 日を置きて来て片栗の芽が赤し 阿部ひろし 酸漿 200204 片栗の咲くよとゆるむ山の色 海輪久子 円虹 200205 かたくりの花がふえしと妻が呼ぶ 海上俊臣 酸漿 200205 片栗へ近づきすぎて踏鞴踏む 椙山正彦 濱 200206 片栗の花の見詰むる秘密の穴 木戸渥子 京鹿子 200302 俯きてより片栗の花らしく 稲畑廣太郎 ホトトギス 200302 片栗の花の木陰となりにけり 稲畑廣太郎 ホトトギス 200302 片栗の花の群落光りけり 稲畑汀子 ホトトギス 200302 片栗の花あかりして檜山 斉藤静枝 あを 200303 花を待つ片栗の葉の雨しづく 阿部ひろし 酸漿 200304 かたくりの芽の深々と雪の中 阿部文子 酸漿 200305 かたくりや昔をとめは俯向きし 林翔 沖 200306 水の音ききてかたくり覚めるなり 村上一葉子 濱 200306 かたくりを覗きし顔の大きかり 沖増修治 百鳥 200306 片栗の花の終りは知らざりし 河野美奇 ホトトギス 200307 花かたくり群れねば消えてしまひさう 直江裕子 京鹿子 200307   かたくりの花弁跳ね上ぐ地の息吹 隅田恵子 雨月 200307 仙境もかくや片栗群咲ける 隅田恵子 雨月 200307 片栗の行き来の人に反り返る 永田二三子 酸漿 200307 かたくりの風分かちあふ筑波嶺 柴田久子 風土 200307 下むいて咲く片栗や想ひ人 鎌倉喜久恵 あを 200307 かたくりの斜面谿へと続きけり 松木清川 ぐろっけ 200307 片栗は万葉の色無音界 島村絹美 苑 200308 かたくりや責務重たき頭垂る 田中時子 八千草 200310 喉佛けふ片栗の花の上 岡井省二 岡井省二全句集 200312 かたくりの群をはなれし花一つ 阿部ひろし 酸漿 200404 片栗の一番花は咲き迷ふ 浅野恵美子 酸漿 200406 片栗のそよ吹く風にゆれ止まず 設楽唱子 酸漿 200406 山神の径かたくりの花に消ゆ 武井美代子 万象 200407 花了へし片栗の実に觸れてゐる 三関浩舟 栴檀 200407 陽を浴びて片栗の花囁きぬ 上原口チヱ ぐろっけ 200407 片栗の花は山気に紛れざる 稲畑廣太郎 ホトトギス 200504 雪解を待たず片栗芽を伸す 阿部文子 酸漿 200505 かたくりの揺れて小さき風生まれ 釜井瞳子 対岸 200506 片栗の葉に包まるる蕾かな 小林幸子 酸漿 200506 片栗や薄日さす地に揺らぐもの 桑久保奈美子 酸漿 200507 地の声に聞耳立ててかたくりは 隅田恵子 雨月 200507 かたくり咲く唯静謐の濃むらさき 乗光雅子 雨月 200507 かたくりの花のなぞへも古戦場 村上沙央 狩 200508 片栗の花を漢等とり圍み 北中みやこ ぐろっけ 200508 片栗の風怺へゐる薄茜 田所節子 涼しき嵩 200511 バス止めて路辺の片栗花を見す 河井富美子 ぐろっけ 200601 片栗が咲き木漏日のごとくなり 島谷征良 風土 200602 片栗や女はつねに無可無不可 小澤克己 遠嶺 200604 かたくりの咲けば林の透かす嶺々 豊田都峰 京鹿子 200605 花片栗鳥に囃されひらきけり 大島翠木 槐 200606 西行の出家の寺に片栗咲く 松崎鉄之介 濱 200606 遍路杖花かたくりに囲まれて 飯塚ゑ子 火星 200606 片栗の一つ離れて道の端 福澤乙 酸漿 200606 片栗の花微風にゆらぎけり 町田政子 酸漿 200606 野も山も花片栗に満ちあふれ 佐々木とく子 濱 200607 片栗咲く野姫岐阜蝶に逢ひたかり 佐々木とく子 濱 200607 片栗と名札のありて姿なし 渡辺暁 酸漿 200607 前うしろ左右かたくり極楽図 松村多美 四葩 200607 片栗の花咲く町に棲み古りし 小堀寛 京鹿子 200608 片栗の花の一つに跪く 鈴木石花 風土 200705 かたくりに屈み万葉言葉かな 天野みゆき 風土 200705 遠く来てかたくりの花篤と見る 堀すみ恵 濱 200706 かたくりにはいつくばりてカメラマン 岩木眞澄 ぐろっけ 200707 峯々に星生れ片栗の花昏れぬ 藤岡紫水 京鹿子 200804 かたくりは寂しらの花うつむける 定梶じょう あを 200804 片栗のこぞれる蕾朝日待つ 阿部ひろし 酸漿 200805 片栗の花を窄めて山の雨 三輪温子 雨月 200807 かたくりの花に届けし母の風 直江裕子 京鹿子 200808 片栗の咲けば消えゆく山河かな 稲畑廣太郎 ホトトギス 200902 片栗の花の愁ひに佇みぬ 稲畑汀子 ホトトギス 200902 逆立ちの花かたくりの盆の窪 高崎武義 狩 200902 片栗の芽がまづ覗く庭の隅 阿部ひろし 酸漿 200903 にひばりの道のかたくり花ひらく 定梶じょう あを 200905 かたくりの花に近づく声なりし 戸栗末廣 火星 200905 かたくりの驚くさまに群れゐたり 垣岡暎子 火星 200905 別るるや片栗の花ただに揺れ 竹内慶子 春燈 200906 風紡ぐやうに片栗あまた揺れ 布川直幸 峰 200906 鳥声にかたくりの花反りかへる 隅田恵子 雨月 200906 片栗の莟を抱き芽吹きけり 隅田恵子 雨月 200906 片栗の咲くと手をあげ呼びくるる 園多佳女 雨月 200906 草の中咲く片栗の初々し 永見博子 酸漿 200906 かたくりの花吹く風のひかりかな 久保田嘉郎 酸漿 200906 片栗の咲くてふ山を遠望に 荒尾茂子 京鹿子 200907 かたくりを覗き明日より三年生 西山美枝子 酸漿 200907 かたくりの花と吹かれて妻近し 淺場英彦 万象 200910 かがみ見ること片栗の花を見る 稲畑汀子 ホトトギス 201002 片栗の花に日の射し日の翳り 稲畑汀子 ホトトギス 201002 常識といふ片栗の花の向き 稲畑汀子 ホトトギス 201002 風に舞ふ片栗の花鳥となり 山本節子 璦 201005 片栗の花を揺らして霊枢車 竪山道助 風土 201005 地に伏して片栗の花写す時 須賀敏子 あを 201005 かたくりの鬣風を解き放ち 中島あきら 沖 201006 石垣の上にかたくり花一つ 土屋光男 春燈 201006 里山にかたくりの咲く頃となる 家塚洋子 酸漿 201006 花片栗あれば流れの遠からず 高橋道子 鴫 201007 片栗のこれほどにまで花の反り 定梶じょう あを 201007 見付けたる真紅片栗の芽の一つ 阿部ひろし 酸漿 201103 片栗のうながしつ咲く花二つ 阿部ひろし 酸漿 201104 ひしめきて咲く片栗や地震の後 阿部文子 酸漿 201105 片栗の芽吹き待つ日々大切に 石川元子 酸漿 201105 片栗のギフチョウを待つ息づかひ 大西よしき ろんど 201106 師は天にかたくりの花ひとり見る 小倉正穂 末黒野 201107 片栗の一群に日の留まりぬ 橋本順子 槐 201107 片栗の花のこれより坂がかる 定梶じょう あを 201107 片栗の花騎馬武者の駆けし道 稲畑廣太郎 ホトトギス 201202 片栗の花まだ閑かなる吉野 稲畑廣太郎 ホトトギス 201202 片栗の花の斜面を転がる日 稻畑汀子 ホトトギス 201202 片栗の花を見しより旅心 稻畑汀子 ホトトギス 201202 椿山越え片栗の花を見に 金森教子 雨月 201207 山の風山を出るまで片栗に 古川忠利 ろんど 201208 満開のかたくり三毳山閑か 内田郁代 万象 201208 風やみてかたくりの花うなづきぬ 内田郁代 万象 201208 みひらいて花かたくりは蕊のばす 岡部玄治 沖 201305 かたくりの花や風呼ぶ奥武蔵 小山繁子 春燈 201306 雨催片栗の花うつむいて 須賀敏子 あを 201306 片栗の花の香ほどの吐息かな 山田佳乃 ホトトギス 201307 カタクリや野仏もまた半日陰 石坂比呂子 ろんど 201208 かたくりの花は消えしや草若葉 瀧春一 花石榴 201312 先達のごとく片栗続きをり 坂根宏子 野山の道 201404 かたくりの花ひと日矢に開演す 豊田都峰 京鹿子 201404 片栗の花の仕種や風受けて 黒住康晴 璦 201405 片栗の花おきざりにきし自愛 井上菜摘子 京鹿子 201405 かたくりの花や測量助手踏むな 定梶じょう あを 201406 気高くもかたくりの花うつむきぬ 赤塚篤子 末黒野 201407 かたくりや花の決めたるリーゼント 和田紀夫 鴫 201407 片栗の花に山風ころがり来 岡野ひろ子 峰 201405 うなだるる姿とも片栗の花 稲畑汀子 ホトトギス 201502 ちかぢかと覗きかたくりはづかしめ 布川直幸 峰 201502 かたくりの花ごと無人販売所 工藤ミネ子 風土 201506 片栗の花のささやき雑木山 上野進 春燈 201506 林間の淡き日差や花片栗 梅村すみを 沖 201506 かたくりの花にかがめば雪匂ふ 小林輝子 風土 201507 ひらがなの形に咲いてかたくりは 溝呂木信子 沖 201508 片栗の花の群生こぞり反る 塩見英子 雨月 201605 花の色見せて片栗芽吹き有り 加藤北天 雨月 201605 片栗や鴨飛び去りし沼の色 田中素直 空 201606 片栗の花に沢風容赦なし 稲垣佳子 末黒野 201606 片栗の花に揺れゐる薄日かな 住田千代子 六花 201608 片栗の花紫に暮れゆける 稲畑廣太郎 ホトトギス 201702 片栗の花シリウスの一ト雫 稲畑廣太郎 ホトトギス 201702 片栗の花飛びたくて飛びたくて 内藤静 風土 201705 かたくりの花に重たき今日の雨 是松三雄 末黒野 201707 片栗の花紫に暮れ初むる 稲畑廣太郎 ホトトギス 201802 片栗の花謙遜といふ向きに 稲畑廣太郎 ホトトギス 201802 かつてはこの鱗茎から抽出したデンプンを片栗粉として調理に用いていた。精製量がごくわずかであるため、近年は片栗粉にはジャガイモやサツマイモから抽出したデンプン粉が用いられている[16]。若葉を茹でて、山菜として食されることがある[17]。花時期に合わせて「カタクリ祭り」などが開催されている[18]。同じ場所に、カタクリより少し遅れてイチリンソウが咲く多肉質でところどころ紡錘状にふくらむ。匍匐枝をだし、しばしば群生する。茎につく葉は鞘状に広がった柄を持って3枚が輪生する。小葉は3出複葉で、羽状に深く裂ける。花期は4-5月、花茎の高さは20-30cmになり、直径4cmの花弁状の萼片を持つ花を1個、花茎の先端につける。萼片は白色でふつう5-6枚、裏面は紅色を帯びる場合がある。花弁はない。根出葉は1-2回3出複葉で、小葉は羽状に深く裂ける。花茎の先に花を一輪咲かせることから、イチリンソウ(一輪草)という[2]。キツネノカミソリも咲いているのをみたことはない。↓彼岸花も今は↑のような状態である。明るい林床や林縁などに自生する。早春のまだ他の草が生えていないうちに、狭長の葉を球根から直接出して球根を太らせ、多くの草が生い茂る夏頃には一旦葉を落とす。盆(8月なかば)前後になると花茎を 30〜50cmほど伸ばし、先端で枝分かれした先にいくつかの花を咲かせる。雌雄同花で花弁は橙色が6枚。本種には、結実するものと、しないもの(三倍体、2n=32)がある。葉の形や花と葉を別々に出すところ、有毒植物である点ではヒガンバナと共通するが、花の形および葉と花を出す時季は異なる。

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  • 11Apr
    • 枝垂れ桜

      枝垂枝のけふの雪嵩測るなし 中原道夫枝垂桜垂れて疎水の水にまで 山口誓子大いなる枝垂桜の影の中 山田 静雄頭頂の花芽を待てる枝垂桜かな 原裕 『王城句帖』草いきれ枝垂桜へ抜けにけり 波多野爽波 『一筆』けぶる日につつまれ枝垂櫻濃し(上州新里村阿角櫻) 上村占魚 『石の犬』枝垂桜地に触るる枝は舞ふごとし 古賀まり子一本の枝垂桜に墓のかず 飯田龍太しばらくは枝垂ざくらのふところに 相馬沙緻夜の枝垂桜方里をつめたくす 瀧澤和治まさをなる空より枝垂桜かな 富安風生一本の枝垂桜に墓のかず 飯田龍太能舞台閉して枝垂桜かな 小寺冬至枝垂桜風やむときに紅きざす 堀古蝶紅枝垂桜の紅の静寂かな 粟津松彩子雪解のゆら~として枝垂梅 阿波野青畝まさをなる空より枝垂櫻かな 富安風生日がさして影添ふ枝垂桜かな 西村和子 かりそめならず隠れゐて枝垂桜に雀啼く 和田耕三郎人喰らふ枝垂桜と思ふなり 柴田奈美帯ほどく如くに枝垂櫻かな 石嶌岳春の雪枝垂櫻にしたしかり 田中裕明 櫻姫譚御霊屋に枝垂梅あり君知るや 高浜虚子走りゆく芝火の彼方枝垂梅 松本たかし雪解のゆらゆらとして枝垂梅 阿波野青畝枝垂桜わたくしの居る方が正面 池田澄子まさをなる空より枝垂桜かな 富安風生枝垂桜ありて直せぬ設計図 毛塚静枝胸白き鳥来て枝垂梅こぼす 町田しげき紅枝垂大き入日を容れて揺る 茂里正治枝垂桜月光は灯に入りゆけぬ 川村紫陽葉櫻の枝垂櫻にかくれんぼ 八木林之介 青霞集しだれたる枝垂ざくらのうちにあり 八木林之介 青霞集枝垂桜わたくしの居る方が正面 池田澄子紅枝垂桜を君が墓標とす 下村梅子紅枝垂枝を握れば脈に触る 品川鈴子枝垂桜わたくしの居る方が正面 池田澄子見るほどに枝垂桜の老いて艶 深見けん二寒雨降りそゝげる中の枝垂梅冬麗ら花は無けれど枝垂梅杉間より流るる枝垂桜かな 沢木欣一 往還見るほどに枝垂桜の老いて艶 深見けん二紅枝垂雨にまかせて紅流す 鍵和田釉子背後はつつじである。ファーマーズ・マーケット ノースビレッジ 8日朝。みな寒そうである。おかげで枝垂れ桜は散りどまり。日曜日で、学校もまだ始まっていないが、出足不調。シダレザクラ(枝垂桜、学名:Cerasus itosakura(Sieb.) Masam. & Suzuki f.itosakura(シノニム:Prunus itosakuraSieb.;Prunus pendulaMaxim.;Cerasus spachianaLav. ex Otto)は、バラ科サクラ属の植物の一種で、エドヒガンの枝垂れ品種。枝がやわらかく枝垂れる桜の総称としても使われる。エドヒガンの系統が多く、品種もさまざまである。ヤエベニシダレやベニシダレなどが有名。キヨスミシダレのような品種もある。開花時期は3月下旬~4月にかけてである(ソメイヨシノより1週間程度早い)。枝が長くその名の通りにしだれている。時より晴れ間も覗くがすぐ雨あっという間に雨雲が現れる。 レンギョウ属 レンギョウ (愛媛県鬼北町、2005年4月3日) 分類(APG III) 界 : 植物界Plantae 階級なし : 被子植物Angiosperms 階級なし : 真正双子葉類Eudicots 階級なし : コア真正双子葉類Core eudicots 階級なし : キク類Asterids 階級なし : 真正キク類IEuasterids I 目 : シソ目Lamiales 科 : モクセイ科Oleaceae 連 : Forsythieae 属 : レンギョウ属Forsythia 学名 Forsythia Vahl タイプ種 レンギョウForsythia suspensa 和名 レンギョウ属(連翹属) 種 レンギョウF. suspensa(中国原産) シナレンギョウF. viridissima(中国原産) チョウセンレンギョウF. ovata(F. koreana)(朝鮮原産) ヤマトレンギョウF. japonica(日本原産) ショウドシマレンギョウF. togashii(日本原産) セイヨウレンギョウF. europaea(バルカン半島原産) レンギョウ(連翹)とは、広義にはモクセイ科レンギョウ属(学名:Forsythia)の総称(それらから品種改良で作られた園芸品種をも含める)。狭義には、レンギョウ属の種の一つ、学名Forsythia suspensaの和名を指す。一般には広義の意味で称されることが多い。属名のForsythiaは、19世紀初頭にイギリスの王立植物園の監督官を務めた園芸家ウィリアム・フォーサイス(William A. Forsyth、1737年 - 1804年)に因む。尼崎との比較で、美作の連翹は綺麗、鮮やか↑曽井川沿いの連翹 ↓初恋橋こういった自然の環境が尼崎にはない尼崎の公園ないし河川周辺では、連翹だけにこれだけの空間を提供できない。隠すもの何かありそう連翹の黄連翹や囘囘青(コバルト)の空うとましき 中原道夫連翹や蛭ケ小島は石ばかり 林 徹連翹や雨の堅田の蓮如みち 星野麥丘人連翹の何も語らず黄より葉へ 渡辺桂子連翹や真間の里びと垣を結はず 水原秋櫻子連翹の枝伸び伸びて絡みけり 竹田 ひろし連翹の黄の明るさを通りぬけ 川原 道程連翹や昨日は雨に*えり挿して 藤田湘子連翹の枝さしかはす別れかな 川崎展宏連翹のどこか投げ槍なる黄色 櫂 未知子雨の中連翹の黄の流れだす 長谷川 櫂暗し青年連翹の黄に顔しかむ 田川飛旅子 『植樹祭』連翹やこけし飾らむ他人の家 小林康治 『四季貧窮』連翹の一枝走る松の中 阿部みどり女 『笹鳴』連翹の一枝づつの花ざかり 星野立子連翹を括りて終る庭仕事 滝田英子行過ぎて尚連翹の花明り 中村汀女連翹の縄をほどけば八方に 山口青邨連翹や真間の里びと垣を結はず 水原秋桜子また一人はなれて立ちて連翹黄 後藤夜半連翹やかくれ住むとにあらねども 久保田万太郎連翹に見えて居るなり隠れんぼ 高浜虚子連翹の角を曲がれと案内図 小野富美子連翹の影なき真昼会者定離 田口美喜江連翹を明るすぎると思ひをり 森泉悠子連翹の暗みにしまうこころかな 政野すず子連翹の黄色一心不乱なり 谷口千枝子連翹や嬰児はじめて雲に会ふ 神尾季羊連翹や田水を叩く海の雨 斉藤美規連翹や軒ふかぶかと留守ばかり 豊田都峰別れ来て連翹はなほ明る過ぎ 銀林晴生連翹の一枝づつの花ざかり 星野立子連翹に巨鯨の影の月日かな 金子兜太連翹に月のほのめく籬かな 日野草城また一人はなれて立ちて連翹黄 後藤夜半雨風の連翹闇の中となる 橋本多佳子行き過ぎて尚連翹の花明り 中村汀女連翹やかくれ住むとにあらねども 久保田万太郎連翹に見えて居るなり隠れんぼ 高濱虚子連翹や朝のひかりのまつしぐら 福永 耕二みどり児の日々連翹も日々に濃し 百合山羽公連翹やみどりごは尿高くあげ 朝倉 和江連翹の猖獗ぶりや黄みどろに 百合山羽公連翹や真間の里びと垣を結はず 水原秋櫻子連翹の黄が沸騰す風の中 加藤岳雄連翹や蝶の舞ふかに活け上げて 吉田 麗子連翹に届きて暮れぬ塔の影 花崎英湖連翹の枝結ひてあり田螺鳴く 殿村莵絲子連翹の黄に染まりゐし天下人 仙田洋子 橋のあなたに連翹満開このあかるさはただならず 五味洒蝶連翹に大空の日の漲れり 原田浜人連翹や歳月我にうつつなし 角川源義行き過ぎて尚連翹の花明り 中村汀女連翹やかくれ住むとにあらねども 久保田万太郎連翹や真間の里びと垣を結はず 水原秋桜子連翹の一枝円を描きたり 高浜虚子連翹に月のほのめく籬かな 日野草城シヤガールといふ人連翹に倒れけり 岸本尚毅 舜連翹や大きな鹿がいつの間に 岸本尚毅 舜シヤガールといふ人連翹に倒れけり 岸本尚毅 選集「氷」連翹や北につめたきおほくま座 小川軽舟行き過ぎて尚連翹の花明り 中村汀女連翹の花にとどろくむなぞこに浄く不断のわが泉あり 山田あき連翹のさざなみ手暗がりに曳く 川田由美子水郷の色連翹に出でにけり 小杉余子連翹のどこかなげやりなる黄色 櫂未知子 貴族連翹や溢れかへりて女の声 中田剛 珠樹以後連翹へつぎつぎ馬の胸せりだす 中田剛 珠樹寝しづみしひとの黒髪連翹忌 飯田蛇笏連翹や権力と嘘ポケツトに 檜山火山行き過ぎて尚連翹の花明り 中村汀女連翹の一枝円を描きたり 高浜虚子連翹や真間の里びと垣を結はず 水原秋桜子連翹の凋落はやし学園スト 寺井谷子水郷の色連翹に出でにけり 小杉余子神将の口や連翹の風さわぐ 桂樟蹊子連翹に挨拶ほどの軽き風 遠藤梧逸連翹や箒たのしむ人の老 遠藤梧逸連翹や唐子頭の愛らしく 遠藤梧逸連翹をたわめたわめて疾風過ぐ 岸風三樓連翹の雨にいちまい戸をあけて 長谷川素逝(1907-46)連翹や昨日は雨に(えり)挿して 藤田湘子(1926-)連翹やかくれ住むとにあらねども 久保田万太郎(1889-1963)連翹や真間の里びと垣を結はず 水原秋桜子(1892-1981)連翹に一閑張の机かな 正岡子規連翹や垣のうしろに残る闇 寺田寅彦連翹山吹門に春慶庵と題す 尾崎紅葉連翹の花に夕のまだ寒く 田中冬二 俳句拾遺連翹のひかりに遠く喪服干す 鷲谷七菜子連翹の凋落はやし学園スト 寺井谷子鳥過ぎて連翹は西方の花 金子皆子きはまりて連翹の黄は緑さす 松村蒼石 雁連翹のあかり差し込む納戸神 朝倉和江連翹やみどりごは尿高くあげ 朝倉和江いかるがの暮色連翹のみ昏れず 和田悟朗黄昏の黄の連翹に鉄の柵 和田悟朗童画展連翹の黄がここに撥ね 福永耕二雪解風連翹黄を発しけり 久保田万太郎 流寓抄以後連翹のうす黄のさそふなみだかな 久保田万太郎 草の丈連翹や黄母衣の衆の屋敷町 炭 太祇 太祇句選

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  • 10Apr
    • ミツマタ

      3月末から4月初めに美作へ来たら三椏!重要な観光資源としての扱いを受け始めている気配。と書いてから美作観光案内を繰ってみたが、どこにも三椏や五倍子に触れる記事なし。特に、↑の東粟倉の山裾が一番の見どころ。↓遠景愛の村パークへ登ってゆく途中あいにくこの景色はいつも雨の中で見ている。昨年も、その前も。ともかくすべて三椏。ミツマタ(三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)は、冬になれば葉を落とす落葉性の低木であり、ジンチョウゲ科のミツマタ属に属する。中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる。3月から4月ごろにかけて、三つ叉(また)に分かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。そのため、「ミツマタの花」は日本においては仲春(啓蟄〔3月6日ごろ〕から清明の前日〔4月4日ごろ〕まで)の季語とされている[1]。皮は和紙の原料として用いられる[2]。この地はまた「辛夷の里」とも呼ばれている。ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分かれる持ち前があるために「ミツマタ」と名付けられた。三枝、三又とも書く。中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。古代には「サキクサの」という言葉が「三(み)つ」という言端(ことば)に係る枕詞とされており(例:「三枝〔サキクサ〕の三つば四つばの中に殿づくりせりや」〔催馬楽・この殿は〕)、枝が三つに分かれるミツマタは昔は「サキクサ」と呼ばれていたと考えられている。そう名付けられた訳(わけ)としては、ミツマタはあたかも春を告げるかのごとく一足先に淡い黄色の花を一斉に開(ひ)らくため、その故(ゆえ)をもって「先草=サキクサ」と呼ばれたのだとの考えがある。但(ただ)し他にも、ミツマタが縁起の良い吉兆の草とされていたため「幸草(サキクサ)」と呼ばれたのだとも言われる。最も古い用例である万葉歌人・柿本人麻呂の和歌(ヤマトうた)では、●春されば まず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあれば 後にも逢む な恋ひそ吾妹(『万葉集』10巻-1895)(春になればまず先に咲く「サキ」クサのように「幸〔さき〕」く〔つつが無く〕あることが出来たならば、のちにまた会いましょう。恋しがらないでください、わが愛しい人よ)とあり、三枝(さきくさ)という言端(ことば)の元が「先草(サキクサ)」とも「幸草(サキクサ)」とも とれる表現となっている。(いずれにせよ、この「サキクサ」が三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされる)。愛の村から西粟倉へ下ってゆく途中には、立ち入って、枝を手折れる場所もある。今年も数枝鋏を使って採集。これはワイフ担当。こういう時には、突然膝関節が自由に動くようである。俳句のsalon最近号の結社誌に掲載の句を読むことができる。 三椏の花     141句 春されば 先づ三枝さきくさの 幸さきくあらば 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹わぎも   万葉集 作品 作者 掲載誌 掲載年月 前書その他 三椏の咲くや古雪に又降りつむ 水原秋櫻子 馬醉木 194600 三椏の花に暈見て衰ふ眼 宮津昭彦 濱 199905 三椏の花や日当る水の神 北吉裕子 俳句通信 199905 三椏の咲く山裏の馬の墓 羽田岳水 馬醉木 199906 三椏咲く病む者に多いまも長し 金子兜太 海程 199906 まはしつつたたむ雨傘三椏咲く 小島花枝 海程 199906 三椏の山家の門戸開かれをり 千明武 遠嶺 199907 三椏の花やときをり空に音 福井啓子 槐 199907 三椏の花や魚板の音乾く 小田悦子 雲の峰 200003 三椏の花まだ蒼し土佐も奥 武政礼子 雨月 200004 三椏の花に寡黙を通しけり 杉浦典子 火星 200005 三椏の蕾大きく紙の里 梅田秀子 酸漿 200006 三椏の添うて灯点す破れ漉屋 狭間馨 遠嶺 200006 三椏の花や狭さは祖谷の天 大西一騎 狩 200007 三椏の花咲き自己を主張せず 木村杏子 雨月 200008 三椏やひそかに期することのあり 能村研三 沖 200104 月下なるものに三椏咲きにけり 山尾玉藻 火星 200105 三椏の花に差す日のすぐ翳る 斉藤美穂子 槐 200105 三椏の花の眠たくなる黄色 大橋敦子 雨月 200105 三椏やむかひあはせに一里塚 春田淳子 俳句通信 200106 箱根 三椏の咲いて明るき行者道 春田淳子 俳句通信 200106 箱根 三椏咲き一樽の味噌食べ終わる 小池弘子 海程 200106 大歩危の花三椏の頃を旅 岡西恵美子 円虹 200107 花三椏思いつきあっと黄ばむなり 篠田悦子 海程 200112 しかるべき雨に三椏咲き急ぐ 辻のぶ子 雲の峰 200204 三椏の花や和紙の名いろいろと 伊藤重美 雲の峰 200204 三椏や峡に二軒の温泉郷 野口香葉 遠嶺 200205 山中の寺のあちこち花三椏 松崎鉄之介 濱 200205 三椏の淡さ遠嶺にかざしみて 野口香葉 遠嶺 200206 雨けぶる寺三椏の花明かり 阿部悦子 酸漿 200206 三椏や少女うつむくうすまぶた 祐森彌香 遠嶺 200207 三椏の花の傍へに鳴る水音 岡淑子 雨月 200207 咲き終りても三椏の花なりし 稲畑汀子 ホトトギス 200304 三椏のうすみどり揺れ我もゆれ 須佐薫子 帆船 200304 紙漉きの村の入口三椏咲く 布施まさ子 風土 200305 御朱印を掲ぐ無住寺三椏咲く 佐々木孝子 濱 200306 三椏や母のゆづりの結城着て 野口香葉 遠嶺 200307 三椏やちぎり絵の和紙とりどりに 野村智恵子 八千草 200309 三椏の花じやんけんを繰り返す 大串章 百鳥 200404 三椏の咲く池の辺のうすあかり 山田天 雨月 200405 三椏や人間国宝認定書 飯塚ゑ子 火星 200405 三椏の花石臼の乾きゐる 杉浦典子 火星 200405 三椏にホース伸びゆく山の晴 小林成子 火星 200405 三椏の銀座の雨に濡れてをり 金川眞里子 百鳥 200406 三椏の雨降りながら花ざかり 山尾玉藻 火星 200503 三椏は師縁の花の盛りかな 橋爪隆 春燈 200503 一年で伸びて三椏花持てり 松崎鉄之介 濱 200504 三椏の花暮れ残る墓域かな 工藤ミネ子 風土 200504 三椏の開きそめたるあをさかな 浅田光代 風土 200505 三椏の花ふんはりと夢違へ 関根義行 対岸 200506 花三椏庭にあひるの飼はれをり 河合大拙 百鳥 200506 三椏の律儀な花の咲きはじむ 阿部ひろし 酸漿 200506 三椏や廃れしものに藁半紙 太田寛郎 狩 200507 にこにこと保険勧誘花三椏 桑原泰子 八千草 200509 三椏の万の花房雨滴こらふ 神蔵器 風土 200605 西国第十五番霊場三椏咲く 林いづみ 風土 200605 三椏や宿に機転の利く娘 赤座典子 あを 200605 冬陽浴び三椏の蕾夢心地 飯田泰子 八千草 200606 住持より享くる三椏たわわなる 加藤廣子 火星 200606 三椏の花や手抜きの掃除して 斉藤小夜 風土 200606 三椏の咲きて静かな和紙の里 渡辺玄子 酸漿 200606 三椏の花のほとりでお手玉す 山口庸子 ぐろっけ 200607 三椏に定型のあり三行詩 物江晴子 八千草 200609 三椏の咲きて丹沢遥かにす 井上幸子 酸漿 200704 切られても花三椏の賑へり 松崎鉄之介 濱 200705 金堂や花三椏に雨こぼる 大西裕 酸漿 200705 歩の先に三椏の花うすみどり 伊藤早苗 鴫 200706 九十九折の坂道飾る花三椏 小林草人 濱 200706 馬方の三椏の花背に挿し来 浜口高子 火星 200706 三椏と言へる公約数の咲く 後藤立夫 ホトトギス 200708 花三椏沈思黙考の羅漢像 牧悦子 濱 200804 嘗て川の流れ居し路地花三椏 松崎鉄之介 濱 200805 三椏の花や晴のち曇の日 芝尚子 あを 200805 花三椏ダム放流の水飛沫 宇和川喬子 濱 200806 三椏の鳥居の奥の花明り 阿部悦子 酸漿 200806 三椏咲き牛首紬の織屋かな 新井徳子 万象 200807 三椏の花に眠たき水車音 三輪温子 雨月 200807 三椏のぽんぽんぽんと咲きにけり 杉村礼子 狩 200808 三椏の花へ筧のし吹きけり 大城戸みさ子 火星 200905 三椏の花たづさへて夫の友 井関祥子 酸漿 200906 三椏の花愛らしく自己主張 富田ヒナ江 璦 200907 三椏や花と花との佳き間合ひ 戸辺信重 春燈 200907 三椏の花芽ふくらむ山路かな 難波篤直 璦 201005 三椏や五重塔の暮るる色 渡邉孝彦 やぶれ傘 201005 三椏の咲きしあたりの明るさよ 渡辺暁 酸漿 201005 三椏の満開に傘さしかけぬ 山本耀子 火星 201006 三椏の花紅の雫せり 檀原さち子 酸漿 201006 庭陰に咲く三椏の花明り 西尾京子 酸漿 201006 三椏や荒れぐせの風海へ去り 松本三千夫 末黒野 201007 三椏の花や眼下に鳶の笛 清海信子 末黒野 201007 三椏の花の眠たき午前なり 坂口夫佐子 火星 201007 爪ほどに蕾む三椏沖日射 田中貞雄 ろんど 201103 三椏の蕾に血の気鬱とは老い 鳥居おさむ ろんど 201103 身の丈の三椏の花日照雨 松本三千夫 末黒野 201105 三椏の花影散らす鞍馬石 清海信子 末黒野 201106 ぬた場にも三椏明り降るほどに 有本南陵 ろんど 201106 すぐ止みにけり三椏の花の雨 杉浦典子 火星 201107 三椏の花咲き満ちて人集む 田島昭久 かさね 201205 三椏の花の法悦増上寺 松本周二 かさね 201206 三椏の花や夕づく湖畔亭 安立公彦 春燈 201206 三椏や石橋くぐる水の音 渡邉孝彦 やぶれ傘 201206 花三椏寺苑に甘き香を放ち 安斎久英 末黒野 201207 三椏の花房赤し古刹門 園田惠子 末黒野 201207 枝分れして三椏の花の位置 稲畑汀子 ホトトギス 201304 三椏の黄色は遠く見ゆる花 稲畑汀子 ホトトギス 201304 三椏の花を曲れば紙の町 稲畑汀子 ホトトギス 201304 三椏の花咲く道や風柔し 田島昭久 かさね 201305 にぎり福のやう三椏の花蕾 中島讃良 ろんど 201305 三椏を咲かせ哲学の道閑か 田嶋洋子 七線譜 201306 三椏の花びら莟しづかなり 吉弘恭子 あを 201306 三椏や滝へと続く石畳 石川かおり 福袋 201404 三椏の花の多さや奥の院 須賀敏子 あを 201406 三椏の花に趣変はる庭 佐藤健伍 峰 201405 三椏や往時を見せる民家園 鈴木セツ 峰 201504 三椏やおしやべり尽きぬ女どち 矢口笑子 春燈 201505 方丈の庭に三椏咲きにけり 有賀昌子 やぶれ傘 201506 三椏咲く囲み記事には汀子の句 有賀昌子 やぶれ傘 201506 三椏の花とおぼしき白かげり 上野進 春燈 201506 三椏や一人息子に孫二人 松本三千夫 末黒野 201506 三椏の花や炉煙舎解かるると 岡田史女 末黒野 201506 三椏に花の遅速のありにけり 中根美保 風土 201507 色褪すも三椏の花溢れけり 廣畑育子 六花 201507 ジャンケンの三椏どれもチョキを出し 八木健 八木健俳句集 201509 幾何学が好きで三椏やつてます 八木健 八木健俳句集 201509 三椏の万の花房雨滴こらふ 神蔵器 風土 201603 三椏の花の仔細は問はずとも 稲畑汀子 ホトトギス 201604 三椏の花を信じて曲がりをり 能村研三 沖 201604 咲き揃ひても三椏の影増やす 安居正浩 沖 201605 晴れ間見えゐて三椏の花に雨 大崎紀夫 やぶれ傘 201605 黄色とも白きとも三椏の花 藤井美晴 やぶれ傘 201605 三椏や梲連ぬる和紙の町 佐藤貞子 雨月 201605 三椏や睡たき色の花盛り 吉田順子 槐 201606 三椏の三つの定めを守り咲く 大橋晄 雨月 201606 三椏や大人にもある人見知り 小林陽子 沖 201607 三椏やケーブルカーか五千歩か 小野弘正 末黒野 201607 花三椏地にまん丸の影揺らし 安斎久英 末黒野 201608 三椏の三つの定めを守り咲く 大橋晄 ホトトギス 201609 三椏や大人にもある人見知り 小林陽子 沖 201701 三椏の花淑やかな三姉妹 及川照子 末黒野 201706 三椏の律儀やまろき影を地に 安斎久英 末黒野 201708 三椏の花にそれぞれ午後の雨 和田華凛 ホトトギス 201710 東粟倉ないし西粟倉で紙漉きをやっているのかどうか。「美作紙」、あまり聞かない。

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  • 09Apr
    • 風の庭

      今回の美作行の成果 1.Cafe 風の庭 訪問2.キケマンを初めて実見  東粟倉 河川公園の入り口付近で3.初めて湯原温泉に宿泊4.愛の村パークでの昼食バイキング5.辛夷にもいろいろ種類があることを確認・・・まずは「風の庭」訪問記 実は自力で〈風の庭〉を訪問すべく、ナビで「飯岡」を登録しょうと事前に運転席に座り込む。「岡山県」→「美咲町」までは検索可能なれど、肝心の「いいおか」が「あ行」で出てこない。「はんおか」「めしおか」と、は行、ま行あたりを繰ってみるけれど登場しない。 ネットで見ると、食べログなどに、「美作の風」を見て行ってきたなどという紹介記事が沢山あるが、「飯岡」にルビを振っているものには出会わず。 そんなことを話したわけではないが、私より熱心に「美作の風」を毎日チェックしているワイフがイナカッフェで話題に。Mr.Kの運転で出かけることに。「難読地名に関するHPより。帰宅後確認。 美咲町に飯岡という地名があります。 イイオカ…?と思いきや、実はユウカと読む難読地名です。 飯岡という地名は文字通り、飯を持ったように見える丘がある事に由来します。 この丘は何なのか?というと、実は正確には丘ではなく、古代のお墓である古墳です。 大平山山頂にある月の輪古墳という円墳で、外から見ると飯を持ったような形に見えるのです。 「外から見る」? 「飯を持ったような形」? 飯を盛ったような形(の円墳)なら分かるが。なにより「飯(めし)」を「ゆ(う)」と読む常識がない。「飯」の部首・画数・読み方・意味など 部首 食 飠 (しょく・しょくへん) 画数 12画 音読み 【小】ハン[1] [2] 訓読み 【小】めし 【△】いい 【△】くら(う) 【△】まま 意味 [1] めし。いい。まま。ごはん。 [2] くらう。くらわす。めしを食べる。また、めしを食べさせる。 漢字検定 7級 学年 小学校4年生 種別 教育漢字 常用漢字 JIS水準 JIS第1水準 Unicode U+98EF ともかく、強風寒風下の風の庭 その様子はすでに「美作の風」で7日に紹介済み。まず最初に目についた花は↓これからどんどんは蔓延ってゆくらしい。ヒデンス。サントリーが開発した(よってかなり高価な)蜂のダンスという品種。世界的な園芸見本市で最優秀賞獲得とか。普通のペチュニアなら3.5センチビニールポット苗、80円だが、サフニィアと名を変えると、昨年の園芸店舗での売価は、300円越え。並のペチュニアの4倍の価格を再販価格として指定している。このヒデンスもそれと同等ないしそれ以上の値を付けていると思う。私は基本的に種蒔き派。普通のヒデンスは黄色が主流だが、この種は赤い。引っ付き虫であるアメリカセンダングサもヒデンス属のよう。祠の元で弁当食べて、イナカッフェでカップケーキとゼリーを完食した後なのでコーヒセットを注文。リ―フ・パイや抹茶ポッキーや苺(追加あり)、柿ピーなども(ケーキは売り切れ)完食・完飲 薪ストーブの小屋から出る気が起こらない寒さ。窓から複数の薪小屋が見える。すべて使い尽くして、今見えるのはこの春に積み増したものとか。私なら↑の量を確保するのに1年かかりそう。庭のあちらこちらに手造りの小屋。薪ストーブの傍でコーヒいただいた小屋もまた手作りとか。先客さんが2名いて、やはり、「美作の風」でここを知ったとか。ブログ作成者が目の前にいると知って、涙ながしていたかどうか不明。作成者の方は、「こちらがショウちゃんさん」と紹介していたが、Mrs Kのブログレフトサイドには無数のブログが紹介されているので、多分(ほとんど確実に)、その方は、ショウちゃんなんて初耳だったと思う。庭の中にもいくつもベンチ・イス・テーブルあり。トキワハゼアメリカフウロの大株も多数。風の庭の主さんもこの名前をご存じなかったよう。やや得意顔の私。アメリカフウロやマツバウンラン、ヒメツルソバは言うまでもなく、美作でもありふれた野草になっている。20年ほどで全国制覇か。

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  • 08Apr
    • やまつつじ

       6~8日、認知症検査、運転講習を経て更新した免許証もって、また速度違反で捕まらないよう注意して父の故郷美作へ。 冬に逆戻りで雨がちの中、3日で画像400枚。↑今朝7時半 我が愛車のリア・グラス。霜ではない。雪である。7日若宮さん(先祖祭)同姓さんが10数人、大正期に再建された祠の前に集まって小宴。寒い、寒いがあいさつ代わり。地の人はダウンジャケットを着て歩いていた。当方はそこまでの準備なく、凍え震える3日。帰宅後もそうそうに暖房on。横浜にメールするとぽかぽか陽気だとか。1時間ほどで宴を閉じ、Mrs K経営のイナカッフェへ。すべて自家製、手作り但し器は湖水地方製。これは持ち帰り品これも手作り。備前製ただしイギリス人の技術指導付き。川辺のつつじ Mrs K宅より徒歩3分植栽によるものではないとか。作東バレンタイン ホテルのつつじ 7日8日桜は散っていたがつつじは盛りホテルのある丘陵地帯には寺があったよう。無住寺になっていたのかも。昭和20年、農地解放の対象となり、開墾の手が入り、上手くいかなかったのか?江見町が合併で作東町となったおりに、新庁舎建設を中心にして、再開発が行われたのかも。竹下さんの3000億のばらまきの恩恵を受け、ホテルを作り、周辺町村(平成の大合併で6町村合併、美作市へ。その折の市への昇格基準(人口5万)の緩和によって。今では岡山県内最小市。市域面積は多分倉敷市よりは広いはず。 倉敷市 面積 355.63km2 総人口 477,181人  美作市 面積 429.29km2 総人口 26,993人  津山市 面積 506.33km2 総人口 102,028人  尼崎市 面積 50.72km2 総人口 451,000人 岡山市 面積 789.95km2 総人口 721,294人 今日のテーマはつつじ 軌道修正森林の中の日の当たる部分につつじが群生特に植栽したようには見えないファーマーズマーケット ノース・ヴィレッジわがワイフ。持参したものをすべて着込み、被り、巻いている。まさにつつじ山から疲れて戻る消防士状態染井吉野が散って、八重桜が咲きだす前。山桜よりも遅れている。例年通りかどうかは分からない。「575筆まか勢」が紹介している躑躅の例句(これには補遺もあり。↑インク文字をクリック)あちこちで脳が詰まっている躑躅 細井啓司いづくにも埃の躑躅いさかひ事 中村草田男うつうつと大嶽の昼躑躅さく 飯田蛇笏 春蘭うつとりと躑躅明りに子供かな 岸本尚毅 舜うつ~と躑躅の瀞は雨の景 高橋淡路女 淡路女百句うらゝかや躑躅に落つる鶴の糞 日野草城ぎらぎらと鴉の背ある躑躅かな 岸本尚毅 鶏頭こまがりに刈り残されて山つつじ 正岡子規しんかんと火の島燃ゆる山躑躅 水原 春郎つつじ原湧く雲に雷なづみそむ 寒々つつじ咲く母の暮しに加はりし 中村汀女つつじ多き田舎の寺や花御堂 正岡子規つつじ密磊塊過ぎる造り岩 香西照雄 素心つつじ山とつとと下りて汗ばみぬ 上村占魚 球磨つつじ桜南朝の跡見にいらむ 鬼 貫つつじ燃え伊豆の近か富士親しうす 河野南畦 『元禄の夢』つつじ燃え遠く泊つ身の芯熱し 柴田白葉女 牡 丹つつじ燃ゆ海の夕日の惜しみなく 枡田国市つつじ燃ゆ詩碑に手をおき躬をささふ 石原八束 空の渚つつじ生て其陰に干鱈裂く女 芭蕉つつじ白くて長いしべの五月をよしとす 荻原井泉水つつじ見の客七卿の間にも在り 後藤夜半なほ咲いてうつる躑躅や金魚池 大橋櫻坡子 雨月ままごとふと躑躅の底へきえてゆきぬ 澁谷道シエイクスピア劇にあふれてゐる躑躅 大石雄鬼メーデーの行くさきざきの赤躑躅 山田みづえ 木語一言で癌と告げられ躑躅燃ゆ・・・父 高澤良一 ねずみのこまくら七月の躑躅が燃ゆる霧の中 大島民郎二の丸をいま攻めのぼる火の躑躅 伊藤 孝一人のしりへに躑躅の木々を巡りけり 青峰集 島田青峰仏性の火炎となりし白つつじ 椎橋清翠仔の牛の躑躅がくれに垂乳追ふ(赤城山四句) 石橋辰之助偕老の歩幅をゆるせ山つつじ 斎藤梅子先づ躑躅見て空仰ぎ雲迅し 京極杞陽 くくたち上巻兵の墓将軍の墓つつじ咲く 大久保 明内庭を見せかけにけり白つつじ 嵐竹 芭蕉庵小文庫冷水をしたたか浴びせ躑躅活け 杉田久女分け行けば躑躅の花粉袖にあり 高浜虚子十人は居る寺男白つつじ 岡田日郎君つつじ手にして山は若葉の父の墓へ道(三井村) 荻原井泉水吹き降りの中なる躑躅明りかな 岸本尚毅 舜吾子の瞳に緋躑躅宿るむらさきに 草田男咲きしづむ躑躅に翔ける岩燕 飯田蛇笏 椿花集咲きのこる躑躅の花に雷雨かな 岸本尚毅 鶏頭噴煙に圧され手をつく鬼つつじ 長谷川かな女 牡 丹噴煙の或る時瑠璃に大つつじ 長谷川かな女 牡 丹坐りたる座敷の前の躑躅かな 比叡 野村泊月垣に横りて天の川といふ躑躅 尾崎紅葉堆く茶所の仏に躑躅かな 比叡 野村泊月塔見えて躑躅燃えたつ山路かな 阿波野青畝壷に挿す山つつじ山を思うらし 北原志満子夏めきし真昼の雲や躑躅山 雉子郎句集 石島雉子郎夜のま冷えし岩に日あたる躑躅かな 碧雲居句集 大谷碧雲居大岩に挿したるごとく岩つつじ 鈴木貞雄大巌の襞裂けたるに山躑躅 水原秋櫻子大躑躅より現れて今何時 岡田史乃天風につめたく燃ゆる山つつじ 太田鴻村 穂国子のない家内のうらやまれ躑躅の小鉢 梅林句屑 喜谷六花少年の抱く手負ひ鷺山躑躅 石田あき子 見舞籠尼寺や卯月八日の白躑躅 飯田蛇笏 山廬集山つつじ海に見よとや夕日影 智月 俳諧撰集玉藻集山つつじ照る只中に田を墾く 飯田龍太山つつじ燃えて渓谷深うせり 高井去私山ひとつ青みも見えい躑躅かな 文鳥 俳諧撰集「有磯海」山潰えの土とゞめ咲く躑躅かな 大橋櫻坡子 雨月山躑躅そこを明るく道ありぬ 稲畑汀子岡持が干され都心の夕つつじ 木村蕪城 寒泉岩つつじ打折るひびき掌にありぬ 阿部みどり女岩躑躅染むる涙やほととぎ朱 松尾芭蕉工場の躑躅粘液出して煤とらう 田川飛旅子 花文字庭のそここゝ咲きつぐ躑躅祭くる 金尾梅の門 古志の歌庭芝に小みちまはりぬ花つつじ 芥川龍之介 蕩々帖〔その二〕御幸うはさ躑躅の里の路普請 四明句集 中川四明思ひ二郎いはねばこそあれ岩つつじ 露言 選集「板東太郎」急ぎの旅擦過模様に崖つつじ 八木三日女 落葉期急患くる躑躅の底のないかたまり 渋谷道惑星の去りて躑躅の燃え盛る 和田耕三郎拳銃の影硝子戸に庭つつじ 宮武寒々 朱卓文学に執す額澄み白つつじ 柴田白葉女 遠い橋新築の庭にこけたる躑躅かな 尾崎紅葉日の昏れてこの家の躑躅いやあな色 三橋鷹女旧道は今も砂利道山つつじ 加藤武夫春の別れは藤つつじ人の別れはただ涙 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄春愁のかぎりを躑躅燃えにけり 秋櫻子昼深く東司の窓の白躑躅 瀧 春一晴れ曇りおほよそ曇りつつじ燃ゆ 篠田悌二郎月前や四月八日の白つつじ 飯田蛇笏 椿花集本丸の跡は墓なり岩躑躅 中村史邦杣の子に遅れ躑躅と夏ひばり 飯田蛇笏 霊芝松や竹みどりの中に木瓜(ぼけ)つつじ 上島鬼貫松伐りし山のひろさや躑躅咲く 飯田蛇笏 霊芝梅雨の躑躅よ人が死にかけてゐる 北原白秋植松やそのやどり木の山つつじ 野澤凡兆横浜駅西口つつじ明りせり 高澤良一 素抱次から次虻来てつつじ旺んにす 高澤良一 寒暑死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり 臼田亞浪 定本亜浪句集母病むや闇に真紅の躑躅燃え 相馬遷子 雪嶺毛野はいま遠霞みつつ山つつじ 野澤節子水色の少女飛び出す大躑躅 岡田史乃泪なほ其のままそこな躑躅花 広瀬惟然浅間こごし鬼の名熔岩にも躑躅にも 西本一都深山つつじ朝々霧のおろしけむ 臼田亜浪温泉山みち凝る雲みえて躑躅咲く 飯田蛇笏 霊芝湖を象り燃ゆる山躑躅 堀北久子満庭の躑躅盛や照亙り 河野静雲 閻魔瀧に景は尽きたれど躑躅奥ありて 河東碧梧桐火の山の夜明けて白し磯つつじ 石原八束 空の渚牡丹の朱躑躅の朱ヶを寄せつけず 稲垣きくの 牡 丹牧牛の真昼ちらばり山躑躅 石橋辰之助 山暦犇きて花が花覆ふつつじ山 今泉貞鳳独り尼藁屋すげなし白躑躅 松尾芭蕉王女迎ふ躑躅紅紫の蘭館址 下村ひろし 西陲集男体山の雨となりたる躑躅かな 皆川盤水癈城の膓見えて躑躅かな 余子句集 小杉余子、松根東洋城選登り窯つつじ明りの火入れかな 高田里江白つつじ奏者それぞれ試し吹く 友岡子郷白つつじ小さきはたごに夕べ来ぬ 阿部みどり女白つつじ挿して大山崎の庵 後藤夜半 底紅白つつじ純情にさへ個性無し 香西照雄 対話白河の関の躑躅に熊ん蜂 岸本尚毅 選集「氷」白躑躅日に透くあたり来世見ゆ 都筑智子白躑躅遅れて雨に花盛り 鈴木花蓑 鈴木花蓑句集盛りなる花曼陀羅の躑躅かな 高浜虚子監察官マラリヤ癒えて躑躅さく 宮武寒々 朱卓真つ白き船の浮める躑躅かな 中村汀女石橋をつゝみて燃ゆる躑躅かな 野村喜舟 小石川砂金や流れとどまる赤躑躅 車庸 俳諧撰集「藤の実」碑を溢る愛と祈りの躑躅園 下村ひろし 西陲集筑紫路の白き真昼をつつじ燃ゆ 原田 逸子紅つつじ咲ききはまれる庭泉 柴田白葉女 『夕浪』紅つつじ花満ちて葉はかくれけり 日野草城紫の映山紅(つつじ)となりぬ夕月夜 鏡花絶ゆるなき躑躅みし眼を富士に冷ます 渡邊水巴 富士緋の躑躅ここにかしこに人乾き 清水径子自動車の銀のひかりが躑躅ごし 京極杞陽 くくたち上巻花びらのうすしと思ふ白つつじ 高野素十花一つつけて躑躅の若葉かな 比叡 野村泊月苗代や端山の躑躅復た赤く 尾崎迷堂 孤輪茶柱やあるじの鉢に藤つつじ 石川桂郎 含羞蝶の影大きく飛んで白つつじ 深見けん二行かれうか佐渡へ躑躅の咲く処 尾崎紅葉襟にさす躑躅哲学の徒にあらず 長谷川かな女 花 季見上げたる位置が正面躑躅山 渡辺倫子躑躅くづるる赤土の谷 史邦 芭蕉庵小文庫躑躅さく谷やさくらのちり所 横井也有 蘿葉集躑躅さける夏の木曾山君帰る 正岡子規躑躅ちり巨杉鷹をとどむなし 宮武寒々 朱卓躑躅の葉のこまかい梅雨になつた 北原白秋躑躅みなまろく刈られてまだ咲かず 大橋櫻坡子 雨月躑躅わけ親仔の馬が牧に来る 秋櫻子躑躅一つ狂へるあれど高らけし 横光利一躑躅咲いて画室人なき日多し 久野朝子躑躅咲くうしろや闇き石燈籠 桃隣躑躅咲くまじなひ程の名所かな 柑子句集 籾山柑子躑躅咲く奥もつつじや仁田峠 増田 富子躑躅山その明るさに深手負ふ 中尾壽美子躑躅散る己が火花を敷きつめて 椎橋清翠躑躅濃しひとかたまりの女子高生 佐野左右也躑躅濃し雲の高さを下り来れば 野見山朱鳥躑躅照る中雪白のザビエル碑 下村ひろし 西陲集躑躅燃ゆや降るとしもなき花明り 鈴木花蓑 鈴木花蓑句集躑躅生けてその陰に干鱈割く女 芭蕉躑躅発火寸前八百八町かな 後藤 章躑躅見や道の狭さに子を連れて 島村元句集躑躅赫し愛より強き言葉欲し 清水芳堂躑躅野や躑躅抜きたる穴一つ 野村喜舟 小石川近道へ出てうれし野の躑躅かな 與謝蕪村返り咲くつつじ小さく跨ぎけり 内藤吐天 鳴海抄這ひ渡る蟻に躑躅は花ばかり 中村汀女遊船に崖かぶさりし躑躅かな 雑草 長谷川零餘子針金でくゝれる岩や庭躑躅 内田百間銅器をがらがら洗う躑躅山 永末恵子 発色長き蕊残して躑躅地に落ちぬ 中屋敷 晴子開かんとして躑躅たち真くれなゐ 中川宋淵 命篇闇見つめ見つめて躑躅現れぬ 八木林之介 青霞集陶の里山をそびらに躑躅咲く 渡辺一枝雌蕋長う残して躑躅雨と去りぬ 横光利一雨雲に又燃え立ちぬ山躑躅 長谷川かな女雪解富士蓮華躑躅に濡れにけり 渡邊水巴 富士雲の中春雷響き躑躅燃え 相生垣瓜人 微茫集風明るく蛭に波ある躑躅かな 渡辺水巴 白日駒止めは男のにほひ山つつじ 白井 爽風鬼つつじ霧は塊なして飛ぶ 藤岡筑邨鮎汲みや桶に挿める岩つつじ 松瀬青々黒犬の腹這うてゐる躑躅かな 野村泊月つつじに虻図体あづけ蜜吸へり( 武山 三浦富士 ) 高澤良一 随笑うたた寝すつつじの上の瑠璃蜥蜴 高澤良一 寒暑大味な彩のつつじに飽き飽きす 高澤良一 素抱雨の赤つつじぴんぼけ眼鏡の度 高澤良一 素抱東京のつつじといへば根津権現 高澤良一 石鏡つつじは晩春の季語らしい。私が昨日、今日みたヤマツツジは、早春の季語である。俳句で単に「つつじ」というとどうも、皐月つつじを指しているよう。

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  • 07Apr
    • 楊貴妃

      平戸つつじが咲き始めた。モッコウバラも咲き始めアカバナ トキワマンサクもアカシア通りのアカシアにも新芽が株元には、アスファルトの割れ目からナガミヒナゲシおにたびらこナガミヒナゲシが咲き終わるとオシロイバナが茂り始める。有明桜の「有明」を詠った句はない。有明山初松風をおろしけり 上田五千石有明の海青すぎる厄日前 遠藤若狭男有明や浅間の零が膳をはふ 小林一茶大干潟秋の日傘を端に置く(有明) 岸田稚魚 『萩供養』有明も三十日に近し餅の音 芭 蕉有明も三十日に近し餅の音 芭蕉有明や虫も寝あきて茶を立てる 一茶有明や浅間の雰(きり)が膳をはふ 一茶掌に重く有明色の春の鮒 加藤楸邨畦塗つて有明月に手を合はす 市原あつし有明の月に出でゆく鰆船 森藤千鶴有明の消ゆる早さよ初氷 上甲平谷雲脱ぐは有明山か柿赤し 水原秋桜子掌に重く有明色の春の鮒 加藤楸邨有明と気のつく雪の明さかな 浪化消もせん有明月の浜ちどり 樗良有明にふりむきがたき寒さかな 去来有明や露にまぶれしちくま川 一茶有明や浅間の霧が膳をはふ 一茶掌に重く有明いろの春の鮒 楸邨有明のはつ~に咲く遅ざくら 史邦有明や喜寿も仮の世桃の影 松根東洋城服のまま泳ぎ着く有明の月 五島高資有明の影なかりけり紅の花 安保柳汀掌に重く有明色の春の鮒 加藤楸邨有明やをしの浮寝のあからさま 内藤鳴雪うすきうすき有明月に鵙高音 川端茅舎有明や浅間の霧が膳をはふ 一茶有明や不二へふじへと蚤のとぶ 一茶有明の水すみわたる鵜川かな 赤木格堂朝鷹の眼に有明のうつりかな 正岡子規有明や浅間の霧が膳をはふ 小林一茶 (1763-1827)有明の月照しけり竹婦人 尾崎紅葉衣更へて有明拝むたうとさよ 尾崎紅葉有明や流離の窓の夢の影 中勘助有明の身の辺にあるは包下のみ 宇多喜代子有明に残る桜の一二片・・・松本長の「関寺小町」を聞く有明のすてつぺんからほとゝぎす 一茶 ■文政四年辛巳(五十九歳)有明や露にまぶれしちくま川 一茶 ■文化九年壬甲(五十歳)有明や浅間の雰が膳をはふ 一茶 ■文化九年壬甲(五十歳)有明の雁になりたや行雁に 一茶 ■文化九年壬甲(五十歳)断礎一片有明桜ちりかかる 夏目漱石 明治二十九年断礎一片有明桜ちりかかる 夏目漱石 明治二十九年有明やすすきの中の畑づくり 臼田亞浪 定本亜浪句集有明に成りてたびたび時雨かな 許六 俳諧撰集「藤の実」有明や出立ちに居(す)わる男泣き 里東 俳諧撰集「藤の実」聾うや有明しらぬ郭公 西調 選集「板東太郎」有明の月吹き落せ餅の臼 中村史邦有明の雫や落ちて白牡丹 中村史邦有明のはつはつに咲く遅ざくら 中村史邦有明も残るか柿の霜かづき 浜田酒堂有明も蕣の威に気おされぬ 山口素堂ほとゝぎす扨は池でぞ有明の 井原西鶴有明の面おこすやほとゝぎす 榎本其角有明も三十日に近し餅の音 松尾芭蕉返照らす有明の月や小便所 高井几董はっきりと有明残る桜かな 荷兮有明のはつはつに咲く遅ざくら 史邦有明や光をさまる桃のはな 立花北枝有明も過ぎば喰ふべしもづく汁 広瀬惟然有明にふりむきがたき寒さかな 向井去来有明も三十日に近し餅の音 松尾芭蕉有明や浅間の霧が膳をはふ 小林一茶鬱金には例句あり須彌山に散らして鬱金ざくらかな 中原道夫日向ぼこ鬱金の刻のありにけり 本宮鼎三薬園の鬱金の花の夜も匂ふ 寺田木公かち割りて冬至南瓜の鬱金かな 小林京子鬱金黄葉田の一枚を埋めつくす 後藤真理子虫干のひとつに鬱金木綿かな 鬼塚昭子野の道は曲りつ鬱金の花ざかり 中田ゆき薬園の鬱金の花の夜も匂ふ 寺田木公茅花かげ螢鬱金の灯をともす 和田渓日向ぼこ鬱金の刻のありにけり 本宮鼎三花野来しばかりに鬱金の月夜かな 齋藤愼爾花下にして鬱金桜の衣ずれを 西村和子 かりそめならず僧もまた鬱金に淡し夏の寺 依光陽子坐し見るは鬱金の蝶の彼方かな 荻原久美子鬱金桜父が誕れし夜がおそろし 塚本邦雄鬱金櫻父が誕(うま)れし夜がおそろし 塚本邦雄夏籠りや鬱金に染むる御誂へ 筑紫磐井 婆伽梵はんざきの水に鬱金の月夜かな 飯田龍太山墓に薄暑の花の鬱金かな 飯田蛇笏遅月の鬱金にかざす戎笹 木村蕪城鬱金櫻父が誕れし夜がおそろし 塚本邦雄 甘露ふた本の鬱金櫻の冷えにをり 石田勝彦 秋興朝露や鬱金畠の秋の風 凡兆鬱金月水車は水をめぐりたる 高澤晶子別の秋へ遺す未生の鬱金桜 池田澄子雑草忌やくざ菖蒲や鬱金に咲く 橋本夢道 無類の妻山椒魚の水に鬱金の月夜かな 飯田龍太寒梅にあはれ鬱金の陽射かな 富澤赤黄男菜の花は莖ながらなる鬱金かな 松瀬青々あさ露や鬱金(うこん)畠の秋の風 野澤凡兆楊貴妃は一本の楊貴妃桜遠出して 中西舗土むれおちて楊貴妃桜尚あせず 杉田久女さう君は楊貴妃桜なのだから 櫂未知子 蒙古斑風に落つ楊貴妃桜房のまま 杉田久女(1890-1946)蕾まだ固き楊貴妃桜かな 辻桃子

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  • 06Apr
    • ウコン

      「桜通り」でウコンが咲き始めた。紅梅や額田王の恋心片恋はこひの至極や西行忌啓蟄や一つ外して胸ボタン少女まだ生成の色のさくらんぼ私の句ではない。「俳句界」に号によっては、「恋に関する句」といったテーマ設定投句欄があるのか?俳句界は時折覗いているが、気付かなかった。そこへ投句。選者に没とされた句のよう。1句目、「ぬかたのきみ」の恋心 なかなかいい調べである。紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)この妹は、異母弟の娘、額田王とされている。君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く(万葉集 巻4・488) さてこの君は誰か。義理の伯父(後の天智天皇)ではないだろう。ともかく額田王の恋心は、どの小説を読んだかに依存し、淡いものか濃厚なものかは分からない。紅梅は、淡さを暗示するが、額田王の実像がまったく不明であるために、一読、読者(選者)に訴える力が弱い。紅梅と淡い恋の連想が余りにも通俗的であるために。代案、修正案 なし2句以下はレトリック上は修正案を提案可能。「片恋」「こひ」と表現に工夫があるが、「恋」という言葉が2度遣いされているのがくどい。片恋を至極となさん西行忌藁灰の掌にほこほこと西行忌福嶋 勲ふくみたる水の切れ味西行忌神蔵 器水の上を逃げ行く水や西行忌清水基吉一夜泊りの大磯通ひ西行忌村山古郷きさらぎの歌のあはれや西行忌池谷 陶魚西行忌心に今日の高曇り 赤羽 岳王欲しきもの雪の笠被て西行忌殿村菟絲子 『晩緑』花かげのこころ惜しむは西行忌(大磯西行祭) 河野南畦 『広場』西行忌憂しと見し世となりにけり 石原八束 『雁の目隠し』竹の根のごつんごつんと西行忌大木あまり 火球高階に花びらとどく西行忌坂本登美子口で紐解けば日暮や西行忌藤田湘子一人ゐて軒端の雨や西行忌山口青邨西行忌我に出家のこころなし 松本たかし栞して山家集あり西行忌高浜虚子とまり木に隠れごころや西行忌石田波郷雪山に野を界られて西行忌楠木多佳子人々の座におく笠や西行忌飯田蛇笏山住の友尋ねけり西行忌成 美ゆきずりの雲に名をつけ西行忌柳澤一生歌よみにあらねど我ら西行忌平谷破葉西行忌吾に離俗の詩はなし 磯 直道捨てがたき軍帽一つ西行忌本杉桃林雲を出てうすき雲行く西行忌矢島渚男すぐそこに行くにも杖や西行忌村越化石月いでて櫟を照らす西行忌榎本冬一郎空覚えの一句を正す西行忌細田伸子一人ゐて軒端の雨や西行忌山口青邨草の門ひらかれあるは西行忌水原秋櫻子そらんじて教科書かなし西行忌林 翔とまり木に隠れごころや西行忌石田 波郷ほしいまま旅したまひき西行忌石田 波郷花いまだにて西行忌月夜なり 有働 亨西行忌形のこりて軍靴あり 佐野まもる打出づる道一本や西行忌西川織子山畑にひとり鍬振る西行忌長谷川史郊もてなしの榾火たやさず西行忌白岩 三郎雀らも霞の空へ西行忌橋本榮治みよしのゝ葛溶き籠る西行忌塩谷はつ枝旅好きも父に似し子や西行忌福永みち子降る雪の谷に雉子鳴く西行忌南光 翠峰咲く花に散る花に雨の西行忌相馬黄枝花を待つ桜や歌碑や西行忌田中珠生口で紐解けば日暮や西行忌藤田湘子はるかより鴎の女ごゑ西行忌森澄雄草の門ひらかれあるは西行忌水原秋桜子西行忌我に出家の意(こころ)なし 松本たかし栞して山家集あり西行忌高浜虚子ひとりゐて軒端の雨や西行忌山口青邨檜山出る屈強の月西行忌あきら口で紐解けば日暮や西行忌湘子夜通しの雨が雪消す西行忌甲子雄西行忌なりけり昼の酒すこし 杞陽文机は経机かな西行忌迷堂花の下は花の風吹き西行忌古郷西行忌きのふの雪のなかりけり 岳陽はるかより鴎の女ごゑ西行忌澄雄とまり木に隠れごころや西行忌波郷 (某酒場にて)一人ゐて軒端の雨や西行忌青邨きさらぎの雲は白しや西行忌五十崎古郷西行忌われに出家の意なし たかし草の門ひらかれあるは西行忌秋櫻子かわ~と松に鴉や西行忌青畝雪山に野を界られて西行忌多佳子人々の座におく笠や西行忌蛇笏栞して山家集あり西行忌虚子西行忌その望の日を花ぐもり 鳥酔山住の友尋ねけり西行忌成美あはうみはしろがねのべぬ西行忌大石悦子崇徳院しづもる讃岐西行忌上崎暮潮西行忌眠りも旅のつづきにて 渡辺大円花の下は花の風吹き西行忌村山古郷ほしいまま旅したまひき西行忌石田波郷山河の河は亡びて西行忌鷹羽狩行月負うて雲も旅する西行忌林 翔山にはばまれ村を出ず西行忌檜紀代白梅を影と見てをり西行忌佐藤麻績行く水に花のまぼろし西行忌角川春樹山腹に灯りがひとつ西行忌木内怜子山みちはみな山へ消え西行忌鷹羽狩行とまり木に隠れごころや西行忌石田波郷身の中を日暮が通る西行忌黛 執月出でて櫟を照らす西行忌榎本冬一郎坂東は梅の盛りの西行忌岸本尚毅空のみを詠む詩人ゐて西行忌皆吉司夢の中で燃えてゐるチェロ西行忌皆吉司蛇を煮る父にして画家西行忌皆吉司雲中に鳥のゐるらし西行忌石嶌岳西行忌あふはねむたきひとばかり 田中裕明 櫻姫譚風葬に瞳を託す西行忌櫂未知子 蒙古斑人々の座に置く笠や西行忌飯田蛇笏草の門ひらかれあるは西行忌水原秋桜子一日を吉野にひとり西行忌江川悟郎西行忌秋は月見による柱 秋刀魚ひとりゐて軒端の雨や西行忌山口青邨杖突いて畳を歩く西行忌遠藤梧逸西行忌酒に呑まれて酒を飲む 亀山幽石はるかより鴎の女ごゑ西行忌森澄雄漂泊の人、花の本での死、出家をネタにする句が圧倒的。出家前の恋、片恋慕を詠う句なし。この句はその点では異色、新鮮。しかし選者は何千句も読ませられるので、「無難に」パスしたのでしょう。 子季語 円位忌 関連季語   解説 花を愛した歌人、西行法師の忌日。建久元年(一一九〇年)二月十六日。七十三歳。 来歴 『新季寄』(享和2年、1802年)に所出。 文学での言及   実証的見解 西行法師は、鳥羽上皇に仕えた北面の武士で俗名は佐藤義清(のりきよ)。二十三歳で出 家する。「ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃」と詠んで、かねて から釈迦入滅の日に死ぬことを望んでいた。そのため、忌日は実際の忌日よりも一日早い 旧暦の二月十五日とする。歌集に『山家集』がある。 参考文献    片恋に憧れている西行忌 ショウちゃん啓蟄の句 例句も多いと思う。啓蟄の箪笥長持ち箱へ入れ三樹彦選の句会に出したら、「箪笥や長持ち、どうやって箱に入れるんや」と問われた。黙っていたら、近くに座っていた人が、雛段のたんすながもちですよと助言していた。自動改札機が普及し始めた頃は、「啓蟄や切符飛び出す改札機」などといった句が大流行だったが、今やsuica,icocaの普及で意味不明句になりつつある。脱衣籠からズボンはみ出す啓蟄も平成っ子には分からないかも。掲出の「啓蟄や」や季語と7.5がつきすぎかも。「きなりのいろ」の句。少女とさくらんぼは付きすぎ。実となったサクランボは、きなりいろではく、濃緑色だし。作者は、「生成り」という言葉に惚れたようだが。冬桜・ソメイヨシノが散り始めても咲き続けている同じく寒桜色合いは関山に似ている。関山の葉は少し赤みがあるが。関山 典型的な八重桜

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  • 05Apr
    • ナガミヒナゲシ

      JR尼崎駅周辺ホッピンというホテル名が、ここがビール・メーカーの工場であったことを伝えている。温泉も湧いたので、右手の高層マンションには温泉プールがある。母は母娘は娘のバレンタインの日 山田弘子現れて千振引きの母娘らし 笹原 耕春黒人の母娘も善女仏生会 久本 千代喜つれだって稽古初めの母娘かな 石川 梨代八朔の温泉によそものゝ母娘かな(疎開者として) 『定本石橋秀野句文集』藻の花や母娘か乗りし沼渡舟 高浜虚子休日の母娘でつくる桜餅 野畑節子婚通知持ちて母娘の年始客 谷 和子地芝居の見せ場は安寿母娘の場 太田英友機始母娘の梭のそろひけり 田村萱山母娘住み窓の外には浮寐鳥 伊藤柏翠梅雨晴間母娘の買物時かけて 関森勝夫花野に二人母娘となりてゐたりけり 村越化石湯鏡にうつる夜長の母娘かな 石原舟月枇杷の花母娘と住みてなまめしき 室生犀星 犀星発句集氷菓舐む母娘を過ぎし男達 高澤晶子稲掛の遠き母娘を見て母と 深見けん二母娘喧嘩よやまれ母もお前も楽にはなれぬ世 橋本夢道 無礼なる妻民主革命まだ遠し古里の母娘不和の鶏をむしる 橋本夢道 無礼なる妻夕べ不和の母娘も罵り飽きて腹一杯に食う飯 橋本夢道 無礼なる妻蚊柱や豊作の山川暮れて故郷の母娘不和の家 橋本夢道 無礼なる妻摘草やよそにも見ゆる母娘炭 太祇 太祇句選八朔の温泉によそものゝ母娘かな 石橋秀野稲掛の遠き母娘を見て母と 深見けん二橋本夢道の句は、俳句であって短歌ではない。10時半を回っているのに、10時8分発の新快速が表示されている。乗りたい新幹線は11時50分発故なんとか間に合ったよう。尼崎市北部にある八重桜通り。満開の八重桜の木(玉丘史跡公園)八重桜(やえざくら)は八重咲きになるサクラの総称[1]。ヤマザクラやサトザクラより変化したものでボタン桜とも呼ばれる[2]。八重桜は一つのサクラの品種ではなく、八重咲きに花を付けるサクラの総称である。多くの品種があり、日本でとりわけ多くみられる品種としてはカンザン(関山)やイチヨウ(一葉)、フゲンゾウ(普賢象)、ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)などがある[1]。花弁の枚数は300枚近くに達する例もあり、花弁が非常に多く細い菊咲きの場合には特にキクザクラという名称で呼ばれることもある。多くはヤマザクラやソメイヨシノに比べて開花期が1~2週間ほど遅く、ちょうどソメイヨシノが散るのと同じ時期に開花を始める。関東や関西での見頃は4月中旬以降であり、開花から散り始めまでの期間が比較的長いのも特徴になっている。花はやや大きめで丸くふんわりとした形になり、一輪から非常に豪華に花ビラを重ねるものまで多彩である[3]。多くの園芸品種が作出されており、フゲンゾウは室町時代から存在していた事が知られており、今日では強健さと鑑賞性の高さを特徴とするカンザンとイチヨウが多く植樹されている[4][5]。関東では新宿御苑が、関西では「桜の通り抜け」として知られる大阪の造幣局がヤエザクラの名所として有名である。ここにもロ―ソンがある。家から徒歩10分圏内に4軒のローソン。JR尼崎駅へ娘と孫を送り、帰りに八重咲き桜鑑賞。家の前のナガミヒナゲシ ナガミヒナゲシ 分類 界 : 植物界Plantae 階級なし : 被子植物Angiosperm 階級なし : 真正双子葉類Eudicots 目 : キンポウゲ目Ranunculales 科 : ケシ科Papaveraceae 属 : ケシ属Papaver 種 : ナガミヒナゲシP. dubium 学名 Papaver dubiumL. 和名 ナガミヒナゲシ 地中海沿岸の原産でヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、オセアニア、南北アメリカ、日本に分布する[1]。1982年、鉄道で、イギリス国内を巡っていたら、沿線の草地に密集して咲いていた。日本では(関西地区では)、1995年の震災以降、更地で俄かに目立ち始めた。今では、ひなげしよりも目立つのがツルニチニチソウ。この季節には、オオキバナかたばみも。↑はかたばみ。かたばみの花は黄色。でかい花を咲かせるので、大黄花片喰。↓4月4日の夜は元の二人の夕餉。鯖の塩焼きに、なめこ汁、納豆。4月5日 鯵南蛮漬け なめこ汁、納豆4月6日は、また外食予定 湯原温泉

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  • 04Apr
    • 八重さくら

      ↑尼崎緑化公園協会が紹介している尼崎市内の花のある公園一覧である。ここには私の家から最も近い椀田公園という名の近隣公園は示されていない。近隣公園より「格上」の地区公園の名もない。近隣公園より「格下」の、どの家からも徒歩5分程度で到達できるように配置されている街区公園は市内に多数ある。我が家からは徒歩2,3分で近隣公園、最も近い街区公園には徒歩7,8分。その街区公園では、ヤエザクラも咲き始めた。家からすぐの近隣公園には八重桜は植わっていない。葉桜へ変わりつつあるが、まだ花を楽しめる「巨大な」シートが敷かれている。敷き手は誰かと確認に「ワンダフルヘルスクラブ」と読める。この公園の名は椀田公園故、この公園で活動するクラブであろう。囲いの無い広場ではグランドゴルフさてはこの集団がワンダフルクラブかとカメラ第1打を構えている人にピント合わせていたら、その人が顔を挙げて「あら ショウちゃんさん」と声をかけられた。数軒先にお住いの人であった。近隣公園→街区公園経由で富松神社参道へ神社の神木のクスノキ100均で買い物して、ディッパーダンでアイスという約束故に、そこからまた駅前へ路傍のツルニチニチソウの花数も増えている。ツルニチニチソウは今では、極めてありふれた路傍の草花であるが、n例句を見たことがない。所属誌に「ツルキキョウ」を詠った句が掲載されていたが、多分、このツルニチニチソウのことだと思う。ニチニチソウよりも色合いなどから桔梗に見えるから、ツルキキョウという呼び方が定着しているところもあるかも。根つめて歳月逝かず日日草大牧 広日日草窓一枚の蜑の家 池上樵人日日草旅のネクタイ二本持ち 池田秀水健康といふ宝物日日草高橋妙子日日草なほざりにせし病日記 角川源義紅さしてはぢらふ花の日日草渡辺桂子根つめて歳月逝かす日日草大牧 広花の名の日日草の凋みけり 後藤夜半根つめて歳月逝かず日日草大牧 広日輪を隠す日光日日草池田澄子出勤の靴結ふ日ざし日日草鶴間まさし些事多し日日草の咲けるさへ 増島野花嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草白川京子日日草バタ屋はバタ屋どち睦び 小池一覚紅さしてはぢらふ花の日日草渡辺桂子日日草なほざりにせし病日記 角川源義母子年金受く日日草の中を来て 紀芳子日輪を隠す日光日日草池田澄子ニチニチソウはニチニチソウ属 ツルニチニチソウは、キョウチクトウ属のよう。夜は9歳児を迎えに来た次女を含めて、6人で駅前で夕食終活中の伊丹三樹彦さんから、またまた人を介して、私が写っている画像が届いた。今回は額縁入りである。初めからそうなっていたのか、多数ある額縁も終活処分対象であったのかは不明毎年開催されていた所属結社の全国大会は、隔年で地元(大阪か尼崎か神戸)で開催されていた。総合司会役などを引き受けていた。受賞者として登壇したことは余りない。三樹彦白寿の宴の世話係も引き受けているが、月曜日に「開会の辞」を仰せつかった。司会進行は、現在三樹彦が顧問となって、作品を発表している結社から出すように強く主張したのでその役と、会計業務からは逃れることが出来た。参加予定者は90名を越えるよう。

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ショウちゃん

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趣味は俳句・孫接待・旅行・園芸・料理・昼寝・囲碁・将棋・読書などなど。デジカメも少々。  

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