「面倒くさい」と「やりきる」は別問題だよね | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。

リンク先の記事と同じく、

「面倒くさい」

という生徒(ロボット教室)が多い。

中には、

「遊んでくるからやっといて」

とか、

「一緒にやって」

とか。

自分ができないことを人に頼むのは大切なんだけれど、
                ↑
            (これ本当に大切)

やりもしないうちから、

「面倒そう」

というだけで、他人にやらせようという生徒がいる。

自分から

「ロボット教室に行きたい」

と言いだしたはずなのにね。

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「自分ができないことを人に頼むのは大切」

これは本当に大切で、
頼みごとができるようにもなってもらいたいから、
流れがわかるまで、分担してパーツ集めなどをする。

それを言えない生徒には、

「雰囲気でにおわすのではなく、
 言葉で言いなさい」

とも伝えている。

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また、面倒くさがって、
よけいに面倒なことをやっていることも多い。

例えば、
ロボットを作り始める前に、前回のロボットを分解するように言うが、
それを面倒くさがる。

ロボットのパーツを最初に集めるように言うのだけれど、
それを面倒くさがる。

写真だけを見て作るのじゃなく、文字も読むように言うが、
それを面倒くさがる。

テキストに書いてあるパーツを使うように言うが、
それを面倒くさがって、適当にそれっぽいパーツで済まそうとする。

テキストの順番に作っていくように言うが、
それを面倒くさがって、目に付いた写真だけを見て作ろうとしてうまくいかないと言う。

その結果、
パーツが足りない。
自分のパーツケースを探せばあるのに、「○○くんが取った」と言う。
完成間近になって間違いがわかって、ほとんど分解して作り直さなければならなくなる。
かんしゃくを起こす。
ロボットが完成しない。

ということが起こります。

リンク先の言葉じゃないけれど、

『面倒くさいって思いながらもやるっきゃないでしょ!』

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完成させる達成感を持ってもらいたいので、
というか、「完成しなかった感」を積み重ねてもらいたくないので、
最後はなんとしてでも手伝って、
完成したロボットで遊んでもらい、
家にも持ち返ってもらおうとしています。

そのうち、

「面倒くさいと言いつつも、
 やりたい、と言ったことの責任を自分で取る」

ようになってくれるといいなあ、と思っています。