もしかしたら世間はかなり前から気付いていたのかもしれないけど、
オレはオレとして、つい数分前に気付いた新事実。
「伯方の塩」と「坂田利夫」は似ている。
さて。今日は急きょ知人から招集が掛かり、さきほどまで八王子で安く呑んでて
帰ってきたんで、あまりアタマがさえないが昨日更新していないから軽く書いておこう。
継続が大事だ。
例によって居酒屋でいろいろと語ってきたワケ。
最近呑むと、ずっと持論をマシンガントークにてぶっ放してヒート気味になってるから
そのヘンはちょい反省して、今日は紳士に語ることにした(笑)
だいたい話したいことや近況報告は出来たんだが、オレという男はずっと前から何故か
言いたい事を文章に書くと、多少は正確に書いて伝えることが出来るのだが、
なにより「しゃべるのがヘタ」なのが悩みである。
たとえば内容が真剣なことにせよ、どーでもいい世間話にせよ、
「よく噛む」「早口」「言いたい言葉を間違えてるのに自分で気づいていない」
「同じことを何度も言う」「主語がないまま話続けて、相手が何の話かわかっていない」
「肝心なところだけ言い忘れている」 などなど。
うぬぬ。もう宿痾。
今日もある意見を聞こうと思って友人に問いかけたんだが、肝心なところを言い忘れていて
「それは違う」と言われたあとに、オレが「ああ、言い忘れてたけど」と補足することになった。
よくある風景。昔から相手問わずよくやるからして、なんか後付けで言い訳してるみたいに
なる。
また、倒置法で、最後のほうに主語を言って説明を演出しようとしたら、説明途中で
「主語をいえよ」と言われることもあった。仕事関連で。
このヘンはまあ、自分の技術不足だと認める。
こんな悩みをずっとおんぶして人生を歩んできたんだけど、いろんな本とか読んでて
それも、実は悪くないのかという意見が多いことに気づいて嬉しかった。
これはオレと同じように「しゃべり」や「スピーチ」「プレゼン」が苦手な人にはぜひ報告したい。
別に、たくさんの人が言ってるから正しいとかなんて思っちゃいないが、でも、そう感じてる人が
こんだけいるってこたぁ、事実だと思うと救われる。
作家で、おじいちゃん詩人の谷川俊太郎は、しゃべり、もっと詳しく言うと「どもり」に関して
「ビジネスの会話の世界ではハンデになるかもしれないが、人と人の気持ちの交流の場では
かえって有利に働く」 と著書の中で書いている。
そういえば、芥川賞作家の諏訪さんの「アサッテの人」も「どもり」を持つ主人公でモデルは
作者だという。選考委員の票は割れたようだが、女性作家選考委員からの評判は良かった
ようだ。
また、先日紹介した金田一先生も本の中で
「話しベタな方が好感をもたれる」と書いている。夏目漱石の坊ちゃんなんか、話しベタの
代表格だと。
会議でベラベラ流暢にしゃべる人間は好かれないと。
これとは別に、つい最近、朝日新聞だったか他の新聞だったか忘れたがコラムでも
どっかの学者が全くおなじ意見をコラムで書いていて、感動した覚えがある。
オレはメンドくさい言い回しは書きたくないので、自惚れでも謙遜でもなんでもなく
事実としてよく言われることは
「オマエはイイもの(素材)をもってるんだけど、伝え方がヘタなんだよなぁ」
と、いう意見。
先日、ふかわりょうも全く同じことを言われると言っていた。タイプ似てるのかな(笑)
仲の良い良い先輩から言われたのは、発想力や着眼点は他より抜けてるんだけど
それを上手く組み立てて、伝えて笑わすのがヘタ。だと。
誰よりも、すごく貴重で美味しい食材を持っているのに、料理するのがヘタ。とゆーこと。
新ドラマにおいて、企画やキャスティングするプロデュ―サーは敏腕なんだけど、現場で
それらを仕切るディレクターの指導がヘタなテレビ局。みたいな。
言われて納得。うんそうか。探検ボクの街 ←たぶんネタ古くて誰もわからない。
でもねえ、ヘタにも限度っていうのはあって、あまりにひどかったり伝わらなさすぎるのは
ある程度直さんとイカンかもしれんが、多少なら今のままのほうが実はいいのいかなって。
さっき書いた、金田一センセの
「会議でベラベラ喋る人間は嫌われる」ってのも実はいろんな人が書いてるのよ。
作家さんや学者さんとかが。
アホで気取った経営成功者とかは、ビジネス書で全く「逆」のことをノタまってるけどね。
確かに会議とかの流れを思い出してみても、プレゼンや意見言う時に、大声でハキハキと
喋って、抑揚があって一度も噛まずに喋る人間って、言われてみるとなんかハナにつく(ーー;)
いいたいことは伝わる。わかりやすい。聞き取りやすい。
でもハナにはつく。イヤミっぽい。「オレは出来る男(女)だ臭」がぷんぷん出てる。
そうなんだよな。
イイ悪いとかじゃないけど、
「わかりやすい」というのは必ずしも「感じ良い」ではないのだよ。
「わかりやすいけど、印象良くない」と言うケースは多い。
落ち着いて淡々と全く噛まずに焦らずに大人っぽく喋る人って、まあ全部が全部じゃあないが
なんとなく「言う事」に血が通っていないように見える。カタチだけというか。
逆に、焦ったり、噛んだりする人ってのはあまり恰好よくなかったり伝わりにくかったりするが
なんとなく人間味と必死さが伝わってきて、言ってる事に信頼出来そうな気がする。
さっき、「伝えるのがヘタ」な人のこと書いたけど、それも逆に
全く中身も深さも無いのに、なんとなくの雰囲気というか口調や落ちつきだけで
いかにも技術があるように誤魔化すイカサマ師も多いと思うけど、今、生き残れるのは
哀しいかな、そういうイカサマ師のほうなんだろうね。
今回ひとつ勉強になったのは
「スピーチやプレゼンが上手い」のと「人から好かれる」というのは一致することが少ない
ということ。
会議のプレゼン後、得意げになってドヤ顏してるアナタ!言いたいことは伝わったかもしれない
けど、代償として嫌われたかもしれないよ(笑)
例によってところどころ極論も挿入したけど、要は、ある能力があるからって、それがすべてに
プラスに作用するほど、人間の感情は上手く出来ていないという哲学。
才能に欠けてる人でも、そのぶんそれがプラスに働くところがあるようにというバランスが
とれているという救いでもあるかもね。
書店行っても「会話力」とか「伝達力」とか「コミュニケーション」とかそういう能力に欠ける
人を脅迫するような本ばかり出てるから、数人くらいはこういう方向からのテーマを書いて
みてもいいのではと思い、今日は執筆したまで。
でわ、さらばじゃ。