児童虐待レクイM | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

「あなたは今でも知らないはずだけど、

僕は金属バットを持って

あなたの枕元に立ったことがあるのです」


-『日本一醜い親への手紙』より-


昭和80年代クロニクル-日本一醜い


つい最近も千葉県で2歳の男児が両親の身体的虐待にて餓死するという

やるせない事件があった。


次から次へとマスコミが大好物の残虐事件が続出するので、少し前のことは

既に風化されつつあるが関西でも幼い兄弟2人を部屋に閉じ込めガムテ貼り

ホストクラブへ通った風俗嬢の事件もあった。


殴る蹴るの暴力じゃなくても我が子に対する虐待や放置はなくならない。

今は8月。

もうすぐ日本の夏の3大風物詩

「蝉の声」

「自転車で日本縦断の小学生」

に続き、
「子供車内放置パチンコ母親」も登場すると思う。


大学の時、飲み屋でNという友人が

「夫婦は他人だが親は血縁だから絶対縁は切っちゃいけない」

とアツく語っていた。


オレもそん時はその意見に賛成だった。ある程度の衝突やイザコザは

あっても親子は親子だと。


だが、

オレは大きな勘違いをしてたかもしれない。


かつて記事に書いたおれの好きな作家でもありマイノリティ派哲学者でもある

中島義道氏がよく言っている

「たまたま自分が成功したからって周りにもやれば出来るという人はエゴ」

という考え。オレもこれには激しく同意。


しかし、オレの親子の関する考え方はこれのエゴに近かったかもしれん。

ウチの家庭は別に親に問題がなく良く育ててくれた。

だから、親が酷い家庭のことをあまり考えず、フツ―の家庭である自分の家や

周りの友人の家を基準に考えてしまってたかもしれない。

これは大きい反省点。


世の中には想像を絶する状況の親子関係も存在する。

終身雇用制と同じで、もう「全家庭円満」という神話は崩壊してるのだ。


日常的に我が子をいたぶる親が存在する。餓死させる親がいる。

死なせてしまったあと後悔するならまだわずかな救いがあるかも

しれんが、今回の千葉の事件のようにその様子も見せない親がいる。


殺されなくても、辛くて自殺を考えてしまう状況。

子供にしてはまさに地獄である。


上で紹介した「日本一醜い親への手紙」

虐待や恥辱を受けながらも今日まで生きた人達(9歳~81歳)が

親へ対する怒り、恨みを手紙で綴っている。


手紙を書いた人達はみな、想像を絶することを親からされている。

暴力、性的虐待、毎日の暴言・・・などなど。


本の中から1例を抜粋する。


神奈川県の39歳(当時)のOLは躾を装って

母親から傷害に値する暴力を受けていた。

母親に向けてのこういう手紙を出版社に投稿した。

「お母さん、あなたは上手だったわ。躾という隠れミノを被ってストレスを解消

していた。・・・だったら私は‘老人介護’という隠れミノを被ってストレス解消

させてもらうから。楽しみにしていてね」


これだけ見るとコワい。

だが逆にいえば実の親に対してそこまで言うほど酷いことをされてたんだろう。


他の例では20本に1本くらいそれは甘えだろうという例もあるが

大体が酷い親の登場である。


当人たちや、今こうしている間にも虐待を受けている子供のことを考えると

当り前のように容易に「親子の愛」とか言うのも憚られる。


叫ぶ詩人の会のドリアン助川こと明川哲也も昔、悩み相談で言っていたが

一緒にいたら命の危険に関わったり、また別れて将来が明るくなるなら、

実の親でも縁を切ったほうがいいだろうと。


世の中てホントにきれいな言葉や理論だけじゃうまくいかないのが

改めて身に滲みる。


教科書や歌では「親子愛」が多く扱われてるが、いろんな世界を知るために

こういう本も中学か高校くらいから資料として使うべきではなかろうか。


また、虐待で死んでいった子や自殺した子はいろんな思いを

発信したかっただろう。


こういう本が出て、虐待の世界の現実が世間に広がることが

せめてもの鎮魂歌になればいいと思う。




かなり重い話になっちゃいましたね・・・。

テーマ重い時、レス弱いんだよなぁ・・・。