11月19日、フジモリ大統領FAX辞任届け事件から15年 歴史は繰り返されるか? | PERU day by day改めKansai day by day

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17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

2000年11月19日、ペルーの大統領であったアルベルト・フジモリ氏が滞在中の日本からFAXで辞任届けを送った事件から15年。
(以下参考
フジモリ時代のペルー―救世主を求める人々、制度化しない政治

El Comercio紙付録雑誌Somos)


ブルネイで開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席するためにリマを発った当時のフジモリ大統領はブルネイからペルーに帰ることはなく、東京へ向かい、11月19日(村上勇介氏によると11月20日)に「FAXで辞表をペルーに送りつけた」。

しかし、実際にはFAXではなく、E-MAILで辞意を送ったということで、それを大統領府がFAXで国会の事務局に送ったのが事実らしい。
しかし、E-MAILには当然、署名はなかった。

その後、国会は「道徳的に不適格」としてフジモリ大統領を罷免し、11月22日に人民行動党のパニアグア氏を2001年の7月28日までの暫定大統領に選出した。

流れとしてはこうだ・・
1979年の憲法では大統領の再選は禁止されていたのだが、1993年にフジモリ政権下で改正された憲法で1995年に一回のみの再選を可能にしたフジモリ氏が2000年に三選できるかどうかに関して、憲法改正後の任期から数えることで、一回の再選として立候補。

しかし、裏には経済の停滞や第三選をめざすことへの反感があり、支持率が低下していたため、2000年に立候補したときには当選してもトゥダデラ副大統領に1年後に禅譲する計画だったらしい・・

しかし、当選して三期目が2ヶ月もたたない、9月14日に大統領顧問で国家諜報局のモンテシーノスが国会議員のアレックス・クーリに賄賂を贈るビデオが公開されてしまう。フジモリ氏は国家諜報局を解体し、2001年に新たに大統領選挙を行うことを発表。

その後、10月29日にモンテシーノス氏がエクアドルへ出国。同じ日、タクナのロクンバで軍中佐だったオジャンタ・ウマーラがフジモリ氏の辞任を要求して小規模な氾濫を起こす。

このあたりから、ペルー国民は、フジモリがいつ逃げるかと期待していたようだ・・。

11月13日、フジモリ氏がブルネイに出発後、フジモリ派の国会議長イルデブラント女史が投票により、罷免され、パニアグア氏が国会議長になる。

そして、22日、パニアグアは暫定大統領となった。

そして15年後の今、不正資金の流れを疑わせる妻ナディン・エレディアの手帳の流出や妻が友人のクレジットカードを使用していることが発覚し、支持率が低下するウマーラ大統領がいつ逃げるか・・なんて、巷ではうわさが流れ始めている・・。
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