自分の中で「整理」する必要があった。
どっちの「言い分」も分かる。
野宿者からしてみれば、「なぜ、生活の場所を奪うのか」
大阪市の行政からしてみれば、「見た目が悪い。怖い」
未だに、答えは出ていない。
8割支援する。 残りの2割で「いいのだろうか」という思い。
おっちゃんたちには定職につき、堅い屋根のある場所で暮らしてほしいと願う。
明るくなってから、
横断幕を設置した。
野宿者のおっちゃんが作った精一杯の家。二軒。
この家のおっちゃんたち(二人とも)は、「自分の家を壊される瞬間を見たくない」と、その場にはいなかった。
テントはいずれも、こんな風に囲い込みがされていた。
「区別」している、とでもいうのだろうか。
金網の裏にはこんな張り紙。
たとえば、わたしの家にこんな張り紙がしてあっても絶対「ご連絡」致さないだろう。
大阪城公園の行政代執行対象のテントは「5つ」である。「その5つのテント」のために、これだけの公務員と警備員を配置されている。
また、「混乱がおきたとき」のために、公安警察や制服警官が多数「待機」していた。
この場所で、さっきまでコーヒーをもらっていた。たき火をしていた。
そう思うと、涙があふれて止まらなかった。
「なぜ?」
なぜ、野宿者「自ら」がテントをたたんでシェルターに入るようにもっていかないのか。
なぜ、ここまで「弱い者」を痛めつけるのだろうか。
野宿者のおっちゃんたちはテントをとられたら、どこに行けというのだろうか。
こんなに、整列せんでもええがなと思った。
3つめのテントが壊されていく。
4つ目のテントで、「特ダネ」を撮るために待っていたマスコミに、行政側の人間が近寄り、
「ここで撮影をするな」
と。
「報道協定・・・うんちゃら・・・」
と。
ニュースの情報はこうやって「操作」されているものなのかもしれない。
行政側、警備員、支援者。
もみあいになった。
教育塔という場所にあったテント。
このテントは結局、行政はたたむことすらせず、トラックにそのまま詰め込んだ。
テントの中には寒さをしのぐためのふとんが入っている。
一番最初の画像と比べてほしい。
これが、「強制代執行」後の状態だ。
1月30日のニュースを各社ほとんど見た。
しかし、靱公園のニュースがほとんどで、大阪城公園のほうはほとんどニュースとして取り上げられていなかった。
この「代執行」で、撤去対象となった野宿者は行政に「撤去費用」として10万円払わなければならないらしい。
こんな、体験をしたが、
わたしの中で、どうしたらいいのか、対応に困っている。