かつて私が赴任していた木曽の山間地では、その急峻な地形から、多くの滝が流れ、湧水が湧き出ていました。
水が大変きれいな上伊那のこと、きっと水の名所がたくさんあるに違いない、と思ってやってきた私ですが、意外に少なくてがっかり。
やはり、河岸段丘という地形のせいなのでしょうか。
しかし、半年ほど生活する中で、有名な水場をいくつか知ることができました。
そこで、「上伊那水紀行」と題し、上伊那の水の名所をシリーズで紹介していきたいと思います。
今日はその第1回。辰野町の 「徳本水」(とくほんすい)(地図 )です。
徳本水は、国道153号の旧道敷沿いにあり、その入り口には、このような看板が立てられています。
直線化された道の旧道敷ですから、この看板がなければ、地元の人しかわからないですね。
多くのお客さんが汲みに来るのでしょう。駐車場もちゃんと用意されています。
そして、こちらが徳本水です。
岩肌からちょろちょろと流れ出ており、流量はそれほど多くありません。
飲んでみましょう。
基本的に無味無臭ですので、軟水かと思われますが、やはり岩肌から染み出る水ですので、ほんのかすか、遠くに渋みを感じます。特に気になるほどではありません。
岩肌から出ていて流量が少ないわけですから、これは仕方ないです。
「うわーっ」
同行した部下が突然叫びました。
ヘビです!
これは神の遣いか? 大げさな…
いや、この水には信仰の伝説があるようです。
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「 徳 本 水 」 と 今 村 の 信 仰 遺 跡
町史跡 指定 平成八年三月二十六日
横川川の急流に削られたこの地は、古来、伊那谷南北交通の要衝で、除け端(よけばな)と呼ばれた難所であった。かの東山道(とうざんどう)もこの地を通り、旅人が休息する水場でもあった。
岩間より滾々(こんこん)と湧き出る清水は「徳本水」(とくほんすい)と呼ばれ、この霊水で人々の病を治したという徳本の話を伝えている。ここでは江戸初期の名医永田徳本(ながたとくほん)と江戸中期の名僧徳本上人(とくほんしょうにん)が混同され、信仰の対象にもなって、徳本上人の座像や「南無阿弥陀仏」の名号碑(みょうごうひ)など関連の石造物も多い。
小屋場(こやば)と呼ばれる崖上の平は、徳本が草庵(そうあん)を結んだ所と伝え、戦国時代にはこの山に築かれた龍ヶ崎城(りゅうがさきじょう)の水の手が想定されている。
今村の村境にもあたるこの地は、村人の信仰を伝える辻遺跡でもあり、水場脇の一、二番の観音像に始まり尾根や村中を巡って西国三十三札所観音を巡拝することのできる石仏群をはじめ、善光寺・妙義山・戸隠山永代年参塔や大神宮月参供養塔、庚申塔、馬頭観音像、常夜灯など、多くの石造物が集まる。戦前には、「湯を結ぶ誓いも同じ石清水」の芭蕉句碑や小屋場に公園も整備された。
「徳本水」は、湧水の名のみにとどまらず、このあたり一帯を示す名称として村人に親しまれ、近世村落の信仰を今に伝える史跡として貴重である。
平成十六年三月
辰野町教育委員会
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信仰は後世に生まれたものかも知れませんが、江戸初期から、人々の病を治した霊水であった、という伝説には異論がないでしょう。
さて、水場については、私独自の視点で評価をしたいと思います。
<くーる上伊那の視点>
1 水のうまさ かすかに渋みがあるが無味無臭 (good!)
2 流 量 やや少なめ
3 水質検査の有無 なし
4 交通の利便性 国道153号の旧道であり駐車場もある (good!)
5 伝 説 人々の病を治したとされる霊水 (good!)
6 説明書き ちゃんとした案内板が設置されている (good!)
利用される方が一番気になるところは、衛生面でしょうが、たとえ水質検査をばっちりやっている水場であっても、菌が繁殖する可能性をゼロにすることはできません。
自宅に持ち帰って飲用する場合は、煮沸(しゃふつ)してから利用する、というのが最低限のルールだということを申し上げておきましょう。
そういう意味では、水質検査の有無は絶対条件ではありません。
むしろ、古から人々に愛され、伝説が残っていることの方が、私には重要です。
皆さんも、昔ながらの風景が残るこの場所で、ぜひ、旅人が休息していた当時に思いを馳せてみてください。 (momo)