天の中川河川公園を歩いた私は、すぐ南にある天の中川橋にやってきました。


 平成21年11月竣工とあります。真新しい。


 この橋も周辺整備の一環として架けられたものでしょうか?

 
くーる上伊那-橋  くーる上伊那-橋名
 

 ふと河川敷に目をやると、石積みが組まれています。

 
くーる上伊那-石積み
 

 案内板によると、ここには、江戸時代に築かれた「理兵衛堤防」(りへえていぼう)があったのだそうです。 (地図
 
くーる上伊那-案内板
 ※ クリックし拡大してご覧下さい

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(案内板から)

 理兵衛堤防は、江戸時代後期寛延3年(1750)から文化5年(1808)にかけて松村理兵衛忠欣(ただよし)・常邑(つねむら)・忠良(ただよし)三代にわたって築かれたものです。


 明治以降の度重なる洪水により大半が埋没してしまいましたが、昭和58年災害で天の中川橋右岸下流の旧堤防前面にその一部が現れ、平成18年7月豪雨災害では、旧堤防の上流側のコンクリート護岸が洗掘されて決壊し、理兵衛堤防上流側が姿を現しました。


 中川村遺跡調査会では、国土交通省による平成19年度田島護岸災害復旧工事に先立ち、確認調査を実施しました。


 その結果、理兵衛堤防の石積みの上流部が80m余にわたって確認されるとともに、堤防河川側中段に沿って71mにわたる灌漑用水路が発見されました。


 理兵衛堤防が天竜川の治水史上非常に貴重な歴史遺産であることから、工事終了後は現状復旧して埋戻し保存するとともに、用水路の木樋の一部を中川村歴史民俗資料館に転じ保存することとしました。


 平成20年3月 中川村教育委員会
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 坂戸橋の成り立ちが災害との戦いであったことはすでにご説明しましたが、あちらは洪水により橋が流されてしまいました。


 こちらは広大な平地ゆえ、水があふれてしまったんですね。


 それにしても、三代にわたって築いたということは、いかに治水が重要であったかということを思い知らされます。


 そして、せっかく築いた堤防は、洪水により埋没し、さらに豪雨災害により再度姿を現した!!


 実に興味深い話ではありませんか。


 案内板によると、理兵衛堤防は埋め戻してしまったそうなので、現在の石積みが一部でも当時のものなのか、単なる石積みなのかはわかりませんが、この石積みを見ながら、治水事業の歴史に理解を深めるという意味では、非常に興味深く、意義深い案内だと思います。


 超近代的な橋と素朴な石積みの組合せ、ギャップがあるようでいて、結構バランスがいいなと思いながら、先人の苦労に思いを馳せてみるのでした。 (momo)

 
くーる上伊那-橋と石積み