孫家拳道

孫家拳道

八極拳にあこがれてましたが、縁あって孫家拳に入門し、世界のみんなと仲良くなるための拳法を極めたいと思ってます。

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囲碁を始めました。

中国で書道、絵画、音楽、囲碁(または象棋=中国の将棋)は文人が嗜むべき4芸とされていましたが、文人だけにとどまらず、中国の武侠ドラマや映画では、大きな筆で戦う道士とか、琴を弾いたら敵が頭を抱えて動けなくなる不思議な音楽家とか、囲碁で内功を削り合う対局とか、結構すごい人がいっぱい登場します。

武侠ドラマのなかでは場合によっては、囲碁の一手で空間が揺れて衝撃波が敵を襲ったりしますが、ドラゴンボールのかめはめ波と同類ですから真剣に考えてはいけません。ただ、魂を込めた一手というものは相手の心を両断するような力を持っているのではないかというロマンを感じたりすることはあります。

小さいころ、実家には脚付きの碁盤があったし、母方の里に帰っても脚付きの碁盤があり、テレビゲームもないころ五目並べくらいなら子供でも楽しめるゲームでしたが、囲碁となると親戚のおじさん達に習うものの挫折していました。いつかちゃんと覚えたいなぁと思いながら入門書一冊読むのもなかなかハードルが高いところ、最近はスマフォやタブレットで棋譜を並べたり、練習問題や詰碁をスキマ時間にできるアプリがいっぱいあります。温故知新、いい時代になりました。

囲碁のトップレベルの世界では日本が中国や韓国に負けていますが、日常みかける範囲においては、人口が減っているという日本よりも中国はさらにあわれな状態に見えます。競技人口が日本の10倍いると言われても、街中に碁会所もなく、トランプや麻雀のように公園や路地裏で打っている人もないなかで実感がありません。

太極拳も囲碁も中国発祥の文化ですが、中国の若者はどれほど自国の文化を愛しているのか、文化を愛さずに国を愛することができるのか、寂しい気がする今日このごろ、私はたぶんそういう意味で、日本よりも中国の文化を愛している要素が高く、もしかしたら下手な噴青よりもずっと中国を愛していると言ってもいいんじゃないかと思ったりします。

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そろそろ孫式太極拳を習い始めて2年になります。

ただ、師匠に言わせると週に2回で月8回、休まずに通ったとしても200回に足りないのだから、正確に言えば半年ちょっとしか練習してないってことらしいです。

師匠が若いころっていえば毎日師匠のもとに通って、師匠が対して教えてくれるわけでもなくても目が届くところでひたすら練習していたのだから、私達が週末の通い練習なんてしているのはずいぶん甘っちょろく見えるのかもしれません。

師匠の口癖は、「私は1日でいくつも出し惜しみせずに教えている、私の師匠とかは半年も一生懸命そばから離れずにお世話して、たった1つ何かを教わったら狂喜したのですよ。」ってことで、たしかに昔の武術の師弟関係ってのは簡単ではなかったのだろうと思います。

私の幸運は師匠が今どきの感覚や、日本人の感覚というのもある程度太っ腹に受け止めてくれるところで、弟子入りしたら師匠は親と同然というならば、私はかなりの親不孝者だって気がしています。古きよき時代なら、私が弟子入りしたら、私の家内や息子だって一緒に身内になったようなもんでしょうけど、今どきはそうはいかず、週末に1人で練習に出かけるのだってそれなりに苦労があるわけです。

もちろん、週末だけ練習して身につくような武術なんてないわけで、私も毎日練習はしていますけど、外でやると帰りが遅いとおこられ、家でやると汗をまきちらせて汚いとぐちられ、なかなか居心地がよくありません。

師匠にそんな話をすると、「あなたは武術をやりたいのだから、奥さんの言うことにいちいち正面から対応していたらだめだよ。女性ってのは正面から反論したり、反省したりするのではなくて斜めから搦めてあやすのが良くて、男性はまわりくどいことをせずに肴と酒を目の前にまっすぐ差し出すのがいいって相場が決まっている。まっすぐ来たら横に、まわりこんできたら真っ直ぐ返すのは教えたでしょう?」ってことでした。

まだまだ修行がたりませんな。

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程秉钧先生の22年前の演武ですが、屋内での八卦掌、屋外での八卦掌、太極拳、形意拳の五行連環拳、八式、雑式錘、十二形拳、刀剣槍など、孫家門の套路がほぼ網羅されている貴重な映像です。

程先生は開祖孫禄堂の直弟子だった(以下敬称略)孫振川(第2代)の弟子である張玉書(第3代)の弟子で、系譜からいうと第4代伝承者にあたられます。中国武術は継承において自己理解の入る余地が多いような気がしていて、同じ流派でも系統によってずいぶん違いがでますが、私の師匠は本流としてはこちらに近いところにおられるので、見ても違和感があまりありません。

以前見つけた時、師匠から習う前の套路をこの動画から予習しようという欲をかいたことがありましたが、こういうマスタークラスの動きを見て真似出来るような実力があればそもそも師につく必要もないもんだというのは最近悟ったことです。

快出慢落ってのは形意拳で散々指摘されていたことですが、それをわかるには自分が100回に1回でもそれが出来るようになってその感触があって初めて言葉を理解できて、動画を見てそこから感じるものが出てくるのだというのを、いま見返してみて感じているところです。

動画に撮るということは、見せることを意識しているのは当然ですが、現在Youtubeなどで見る多くの動画や、あるいは競技会の動画と一線を画しているのは、それでも全てを見せるわけではないよと、勁の流れを内面に潜らせているところがある点で、ましてや競技会のように同門武術を知らない人がみてカッコイイってものとはかけ離れていることだろうと思います。

見る人が見れば、ここからも盗めるものがあるからこそ、かつてそれを「偷拳(拳法泥棒)」なんて言ったわけですが、いまはネットで見られるようになり、逆に言えばこれを見たからなにを得られるというような次元の人は以前に比べて劇的に減ってしまったのだろうとも思います。

動画の終盤で、推手をする多くの若者の姿がありますが、おそらくは毎日8時間でも10時間でも練習していたような時代だったのではないかと想像すると、ちょっとうらやましくもなります。

家族には絶対に理解されないでしょうけどね。
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