先日、45歳を迎えた。
巳年の蠍座生まれというと、人は一瞬、一歩身をのけぞる。爬虫類揃いで、怖いものにでも出くわしたかのように・・・・![さそり座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/219.gif)
ワタシもその反応を楽しんでいるのだが・・・![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
毎年、年をとることについて、特に感傷的になることはないのだが、四捨五入すると50になるので、やはり人並にちょっと悲しくなってみようかとも思う。
が、Facebookで、同僚や後輩、友人からのバースデーメッセージに若い!などとあると、お世辞でも素直に嬉しく、気を良くして、
Happy go lucky
No Stress, No Aging...
などと、返信した。
なにはともあれ、こんな機会でもないと、自分を見つめるということもないのは確かだ。
![砂時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/293.gif)
![砂時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/293.gif)
![砂時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/293.gif)
ワタシの母は、45歳を過ぎた頃ぐらいから、身体全体の筋肉が痛み、倦怠感が襲い、うつ状態になっていた。
あらゆる医師を訪れては、あらゆる検査をされ、されど、数時間待ちの数分診察では、彼女を納得させる診断はなされなかった。
それどころか、いわゆる痛みや倦怠感などの不定愁訴は、個人により状態もさまざまであるし、母の年齢が故に、いつも更年期障害と扱われ、ホルモン剤や抗鬱剤を処方される。
母の左手の人差し指が中指側に曲がっており、第一関節は膨れて硬くなっている。それ故、リウマチと診断されたケースも多かった。
が、どれも、ある一つの状態に焦点しての病状で、総体的な病状を表す決定的な病ではない。
リウマチにしたって身体全体の筋肉痛はあてはまるかもしれないが、左人差し指関節の硬化と湾曲についてはイマイチた。
当時、ワタシたちが調べたところによると、リウマチの症状は、身体に対象的に現れるのだという。つまり、右人差し指の第一関節も中指側に曲がっていて、骨のように硬くなっていなければならない。
もちろん、病名は人間がつけたものであるし、分類したのも人間だ。便宜上のことだから、すべての症例が充てはまることはないわけで、必ず、その病気擬きの『例外』はあり、その範疇は広い。
だから、その一つの病気という範囲の大きな輪たちが重なりあった部分、いわゆる白と黒の輪が重なるグレーゾーンに属するものは多くあるはずだ。
されど、どんな医者を頼っても行き着く先は同じであった。
医者は、なぜか白黒をつけたがる。しかも、自分の専門分野の中で・・・。
総体的にみることが、出来ないのだ。
まるで、競走馬のようにニンジンしか見ていない。
母は、背中全体が痛くて1人では床から起き上がれず、ようやく上半身を起こすと背中全体をさすってあげ、気持ちがいいからと湿布を貼ってあげる。
消沈しながらも、とりあえずの対処療法で痛みには、痛み止めを、うつ状態には、抗鬱剤、リウマチ擬きの症状にはステロイドと消炎剤を摂りながらもかろうじてその日一日を過ごしていた。今思うと頭が下がる思いだ。と、いうより、薬と湿布を毎日服用していたことが恐ろしいが・・・。
が、母は彼女なりに納得出来るのを諦めてはいなかった。発症から二年程経ったあるとき、「膠原病」という、さらに大きな『輪』たどり着く。
今ほどインターネットで手軽に調べられた訳ではなく、図書館や健康雑誌などで、症例を探っていた。
そして、某大学病院のリウマチ・膠原病科を訪れた。
病名 『SLE 全身性エリテマトーデスおよび多発性硬化症』
いずれも自己免疫疾患の一つで、日本では難病指定にされている。
検査結果の数値が唐突して著しくはなかったが為に、見過ごされてきたらしい。
これこそ、グレーゾーン。
どうして母が、その疾患を患うようになったのかはいまだにわからない。
それまで大病はしたこともなく、ワタシを含め3人の子供も自然分娩で、『軽い』お産だったのが自慢だ。
難病であるので、治療法も確立していない。対処療法とストレスを軽減して免疫力をつけることが課題となった。しかし、とにかく、病名が判ると、母の症状は少しずつだが、良くなっていった。
母が確信していた病名にヒットして納得できて安心するのはこのことか・・・とも思う。
その後の母の症状の緩和ぶりには、目を見張るものがあった。
筋肉痛が緩んでくると、以前通っていたスイミングスクールに復帰し、気功の教室にも通い出した。
そして、その膠原病科へは3ヶ月に一度の割合で診察に通うだけになり、ステロイドも痛みがひどい時だけで良くなったのだ。そして、現在は年に一度の通院で済んでいる。
素晴らしい。![クラッカー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif)
母の口癖「病は気から・・・」を身をもって示してみせた。
そんな母を観ながら、喜びながらも冷静に、ワタシもその体質を受け継いでいるのだ、と心構えをするジブンがいた。
そしてその母が発症した時と同じ年齢になった。
しかし、もう既に前から、免疫力が弱いのは自覚していた。
ワタシの指の爪は、年々脆くなり横に溝がでこぼことしていて、剥がれたり割れたりとして、短くて醜くなっている。
腎臓に『気』がいかない・・・と、いつも自然療法士の友人に言われる。
だから、子宮にある筋腫が悪性だと診断された時も、やっぱり・・・と思ったし、たまたま子宮だったけど、他にもガンが成長しているはずだ・・・とも感じていた。
今は、自然消滅しているかもしれないが、ガン細胞は日々作り出され、NK細胞が日々、そのガン細胞の成長を抑えてくれている。
生命の細胞たちは眠らない。
いつガン細胞たちが優勢になるかは、自分の免疫力にかかっている。
確かに、以前は、構えて肩を張っていたところはあったし、ガンを身近に見つめたことで、食生活や習慣をガラリと変えた。
が、
ワタシは、今あるままのジブンを受け入れて、出来ることをしているだけでいい・・・と、思っている。
病名だって、特に知りたいとも思わない。
そうすることで、、気を揉むこともない・・・と、信じている。
そう、
No Stress
・・・でね。
巳年の蠍座生まれというと、人は一瞬、一歩身をのけぞる。爬虫類揃いで、怖いものにでも出くわしたかのように・・・・
![さそり座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/219.gif)
ワタシもその反応を楽しんでいるのだが・・・
![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
毎年、年をとることについて、特に感傷的になることはないのだが、四捨五入すると50になるので、やはり人並にちょっと悲しくなってみようかとも思う。
が、Facebookで、同僚や後輩、友人からのバースデーメッセージに若い!などとあると、お世辞でも素直に嬉しく、気を良くして、
Happy go lucky
No Stress, No Aging...
などと、返信した。
なにはともあれ、こんな機会でもないと、自分を見つめるということもないのは確かだ。
![砂時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/293.gif)
![砂時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/293.gif)
![砂時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/293.gif)
ワタシの母は、45歳を過ぎた頃ぐらいから、身体全体の筋肉が痛み、倦怠感が襲い、うつ状態になっていた。
あらゆる医師を訪れては、あらゆる検査をされ、されど、数時間待ちの数分診察では、彼女を納得させる診断はなされなかった。
それどころか、いわゆる痛みや倦怠感などの不定愁訴は、個人により状態もさまざまであるし、母の年齢が故に、いつも更年期障害と扱われ、ホルモン剤や抗鬱剤を処方される。
母の左手の人差し指が中指側に曲がっており、第一関節は膨れて硬くなっている。それ故、リウマチと診断されたケースも多かった。
が、どれも、ある一つの状態に焦点しての病状で、総体的な病状を表す決定的な病ではない。
リウマチにしたって身体全体の筋肉痛はあてはまるかもしれないが、左人差し指関節の硬化と湾曲についてはイマイチた。
当時、ワタシたちが調べたところによると、リウマチの症状は、身体に対象的に現れるのだという。つまり、右人差し指の第一関節も中指側に曲がっていて、骨のように硬くなっていなければならない。
もちろん、病名は人間がつけたものであるし、分類したのも人間だ。便宜上のことだから、すべての症例が充てはまることはないわけで、必ず、その病気擬きの『例外』はあり、その範疇は広い。
だから、その一つの病気という範囲の大きな輪たちが重なりあった部分、いわゆる白と黒の輪が重なるグレーゾーンに属するものは多くあるはずだ。
されど、どんな医者を頼っても行き着く先は同じであった。
医者は、なぜか白黒をつけたがる。しかも、自分の専門分野の中で・・・。
総体的にみることが、出来ないのだ。
まるで、競走馬のようにニンジンしか見ていない。
母は、背中全体が痛くて1人では床から起き上がれず、ようやく上半身を起こすと背中全体をさすってあげ、気持ちがいいからと湿布を貼ってあげる。
消沈しながらも、とりあえずの対処療法で痛みには、痛み止めを、うつ状態には、抗鬱剤、リウマチ擬きの症状にはステロイドと消炎剤を摂りながらもかろうじてその日一日を過ごしていた。今思うと頭が下がる思いだ。と、いうより、薬と湿布を毎日服用していたことが恐ろしいが・・・。
が、母は彼女なりに納得出来るのを諦めてはいなかった。発症から二年程経ったあるとき、「膠原病」という、さらに大きな『輪』たどり着く。
今ほどインターネットで手軽に調べられた訳ではなく、図書館や健康雑誌などで、症例を探っていた。
そして、某大学病院のリウマチ・膠原病科を訪れた。
病名 『SLE 全身性エリテマトーデスおよび多発性硬化症』
いずれも自己免疫疾患の一つで、日本では難病指定にされている。
検査結果の数値が唐突して著しくはなかったが為に、見過ごされてきたらしい。
これこそ、グレーゾーン。
どうして母が、その疾患を患うようになったのかはいまだにわからない。
それまで大病はしたこともなく、ワタシを含め3人の子供も自然分娩で、『軽い』お産だったのが自慢だ。
難病であるので、治療法も確立していない。対処療法とストレスを軽減して免疫力をつけることが課題となった。しかし、とにかく、病名が判ると、母の症状は少しずつだが、良くなっていった。
母が確信していた病名にヒットして納得できて安心するのはこのことか・・・とも思う。
その後の母の症状の緩和ぶりには、目を見張るものがあった。
筋肉痛が緩んでくると、以前通っていたスイミングスクールに復帰し、気功の教室にも通い出した。
そして、その膠原病科へは3ヶ月に一度の割合で診察に通うだけになり、ステロイドも痛みがひどい時だけで良くなったのだ。そして、現在は年に一度の通院で済んでいる。
素晴らしい。
![クラッカー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif)
母の口癖「病は気から・・・」を身をもって示してみせた。
そんな母を観ながら、喜びながらも冷静に、ワタシもその体質を受け継いでいるのだ、と心構えをするジブンがいた。
そしてその母が発症した時と同じ年齢になった。
しかし、もう既に前から、免疫力が弱いのは自覚していた。
ワタシの指の爪は、年々脆くなり横に溝がでこぼことしていて、剥がれたり割れたりとして、短くて醜くなっている。
腎臓に『気』がいかない・・・と、いつも自然療法士の友人に言われる。
だから、子宮にある筋腫が悪性だと診断された時も、やっぱり・・・と思ったし、たまたま子宮だったけど、他にもガンが成長しているはずだ・・・とも感じていた。
今は、自然消滅しているかもしれないが、ガン細胞は日々作り出され、NK細胞が日々、そのガン細胞の成長を抑えてくれている。
生命の細胞たちは眠らない。
いつガン細胞たちが優勢になるかは、自分の免疫力にかかっている。
確かに、以前は、構えて肩を張っていたところはあったし、ガンを身近に見つめたことで、食生活や習慣をガラリと変えた。
が、
ワタシは、今あるままのジブンを受け入れて、出来ることをしているだけでいい・・・と、思っている。
病名だって、特に知りたいとも思わない。
そうすることで、、気を揉むこともない・・・と、信じている。
そう、
No Stress
・・・でね。