「貸し剥がし」をしたって事実を忘れないで、銀行と付き合うんだよ(1) | どや顔社長 後藤 専(たかし)のブログ ・ Takashi Goto" the smug face"

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貸しビル・接骨院経営を頑張る東京の社長のブログ。世界のみんなをどや顔にします~!
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1998年から1999年くらいに、ボクはまだ三和銀行にいました。

ボクは当時、債券市場部門にいたんで、事情は知ってる。



山一証券、北海道拓殖銀行。

金融機関は、経営破たんなんてしないって神話が崩壊。

イッキに次はどこなんだって空気になっていく。


ドルの調達が困難になった。

そこで、円安(ドル高)になると、海外資産の簿価が膨らんで、資産が増える。

自己資本比率規制の8%ってのが維持できなくなるかもって危機感があったんだ。


都市銀行といわれる(海外に資産を持つ)銀行はみんな同じ状態になった。

そこでの意思決定は、国内資産を減らす。

国内の貸し出しを減らすってことになった。

なんせ、自分の会社の破たんの危機だから、そりゃもう大号令がかかったんだよね。


ボクの部署はちがうんだけど、現場の同期のやってることに驚愕した。

人間のやることじゃないって思った。

こんなことやって仮に生き残っても、当時の経営者は忘れないだろうと思った。

この職場に将来はないって感じた瞬間だった。


過去に支店が同じで、監査役になってた人に食ってかかったのを覚えてる。

これはひどくないですか?ってね。

なんで関係ないオマエがそこまでアツくなるんだ。

オマエの心配することじゃないと言われたんだ。


ボクはいろいろ頑張ったんだけど、結局、転職することにした。

このストーリー。

長くなるから明日も書くわ。

楽しみにしててね。