こんにちは
ぽかぽか陽気がスタートしましたね
各地では桜の開花宣言も連日あり、春に向かってまっしぐらです
そんな今日は、神戸名物のひとつでもある洋菓子について
洋菓子っていつ頃から日本に馴染んできたのでしょう??
遡ること150年程前、
日本の洋菓子史は、明治時代の幕開けと同時に、外国船の寄港する港町から始まりました。
神戸の港は慶応3年(1867)に開港。
伊藤博文が初代兵庫県知事となった明治元年(1868)には既に7ヶ国およそ500人の外国人が在留し、2軒のパン屋が外国人のために店を開き、居留地内のホテルでは洋菓子を提供していたそうです。
この居留地ホテルというのは、1870年(明治3年)79番地に創造された【オリエンタルホテル】で、現在居留地にある、神戸オリエンタルホテルです。
この時代洋菓子といえば、主にヨーロッパから船で運ばれてくるものばかりで、暑さの厳しいインド洋ではチョコレートが溶けだすなど、輸送は決して容易ではありませんでした。
日本で口にできる菓子の種類はごく限られたものだけで、神戸生まれの洋菓子が誕生するまでには、もう少しの歳月と職人の力を必要としていました。
明治7年(1874)、神戸・三宮で宇治茶の店「放香堂」でコーヒーが売られるようになり、明治15年には洋菓子を販売する「二宮盛神堂」という店が登場しましたが、居留地の外国人向けとして扉を開いていたにとどまり、庶民にとって洋菓子は、まだ縁遠い存在だったようです。
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ではこれから、日本に根付いていった洋菓子文化で特に当時活躍した3国を例にあげて、日本×ドイツ×ロシアの順に振り返ってみましょう
◆日本=風月堂(ゴーフルが有名)
明治30年(1897)、日本人の職人が手がけたシュークリーム、マロングラッセ、ワッフルなどが「風月堂」の店頭に並ぶと、ようやく街の通りに洋菓子の甘い香りが漂いだしました。 今では、ゴーフルが有名ですね
さらに、本場の味を知る外国の職人たちが神戸に移り住むようになると、洋菓子はより深く神戸の土地に根付いていきました。
◆ドイツ=ユーハイム(バウムクーヘン)
=フロインドリーブ(教会跡地で食べる焼き立てサンド)
大正12年(1923)、第一次世界大戦でドイツ人捕虜であったカール・ユーハイム。
横浜でドイツ式喫茶「E.ユーハイム」を営んでいたドイツ人夫婦が関東大震災に遭い、ドイツ大使館が手配した避難船で神戸へ来ました。
その後、三宮でカフェ付きのケーキショップ「ユーハイム」を開店。
看板商品の【バウムクーヘン】は、今でこそ誰もが知る人気の洋菓子ですが、実は、カール・ユーハイムが日本で初めて焼いたもの。その美味しさには、創業から80年を迎えた今でもユーハイム夫妻の愛情を感じさせられます。
ハインリッヒ・フロインドリーブもドイツ人捕虜でしたが、日本にとどまり、神戸市中山手でパン屋を開業、ドイツパンを売り出しました
◆ロシア=ゴンチャロフ(チョコレート)
=モロゾフ(チョコレート)
ロシア革命(1917)を逃れて移り住んで来た大勢のロシア人の中に、
ロマノフ王朝の菓子職人のひとり、マカロフ・ゴンチャロフ氏がいました。
彼は大正12年(1923)に中山手カトリック教会の東隣でチョコレートの製造を開始。
これが神戸のチョコレートショップの老舗「ゴンチャロフ製菓株式会社」の始まりでした。
またロシア革命の後、亡命により、中国、日本、アメリカを経由して再び日本にたどり着いたロシア人のフィヨルド・ドミトリー・モロゾフ氏は、大正15年(1926)神戸のトーアロードにチョコレート、キャンディショップを開業。
創業当時の工房には,
国際色豊かな職人達が揃い、フランス人、オランダ人、ロシア人、トルコ人、中国人、韓国人、日本人と、言葉や習慣を越えて美味しさ創りに励みました。
昭和6年(1931)、今日の「モロゾフ株式会社」の前身となった「神戸モロゾフ製菓株式会社」が設立されました。
時代の荒波に巻き込まれながらも、彼らは夢や希望をお菓子に託し、神戸の地に続々と名店を誕生させていきました。
そんな街の魅力が人々をたぐり寄せたのでしょうか、外国船の厨房で修行を積んだ日本人の職人たちも、神戸で洋菓子店を開店していきました。
また一方では、店舗を構えず“ミルクホール”と呼ばれた街中の喫茶店に直接ケーキを納める職人も相次いで増え、庶民の憩いの場だった“ミルクホール”でミルク入りコーヒー“ミーコー”の友として、洋菓子が神戸っ子の日常シーンに深く溶け込んだのです。
神戸は港町特有の舶来文化を背景に、ハイカラを味わえる街としての1歩を踏み出しました。
長くなりましたが、
私自身、神戸に来た際に驚いたことは、カフェやパン屋の多いこと!
しかも、どこもかしこも、美味しいのです
ぜひ神戸にお越しの際は、スイーツまで辿りついてください