年齢

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やっぱりね。

年をとってきたんだよね。

以前はたくさん書きたいことあったけど。

なかなか書けなくなってきた。


つーか、子どもが増えてそれどころじゃなくなったんだよね~

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聖書解釈と日本

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http://diamond.jp/articles/-/58188


「たとえば十字軍や異端審問や魔女狩りの時代、きっとイエスは天空で、おまえたちは何をやっているんだと地団太踏んでいたはずだ。聖書を手にしたブッシュが悪を討つと宣言しながらイラクへの武力侵攻を決めたとき、ちゃんと聖書を読めよと泣いていたかもしれない。悲しいけれど言葉は万能じゃない。

ニーチェは『事実などは存在しない。ただ解釈だけが存在する』と言った。赤という文字を目にしても、それによって思い浮かべるイメージは人によって違う。世界には人の数だけ赤がある。解釈によって意味はまったく変わる。

でもだからこそ考えねばならない。この言葉はどんな意味で記されたのか。どんな思いを込められたのか。」

聖書解釈の重要はまさにここ。自由に「霊的」解釈をしてはいけない。

「でもだからこそ考えねばならない。この言葉はどんな意味で記されたのか。どんな思いを込められたのか。」

何度もこれをかみしめて聖書を読み、時には語らなくてはならない。

キリスト者の中にも、勇ましい解釈をし、私たちの信仰とそれと異なる信仰を混ぜようとするものも出てくるだろうし、出てきている。「特に国を愛すること、指導者に従うこと」の解釈に、日本のそれを混ぜていくものがどんどんでてくるだろう。

「アジアのワンオブゼムになることを認めたくないとの気持ちが湧きあがる。やはり原発は必要だ。内心では中国や韓国の台頭も苦々しい。そんな思いが飽和しかけたときに領土問題が勃発し、自民党は『日本を、取り戻す』とのスローガンを打ち出した。

誰からいつの時点の日本を取り戻すのか。そう質問したいところだけど、再び現れた強いリーダーに国民は熱狂する。週刊誌やタブロイド紙の多くには『舐めるな』と街場の喧嘩のようなフレーズが踊り、書店には嫌韓や反中の本が平積みとなる。

多くの戦争は自衛の意識から始まる。しかも国家は兵器を持っている。互いに過剰防衛になりやすい。守るつもりが害してしまう。こうして多くの人々が傷つき、焼かれ、キャタピラで踏みにじられ、殺害されてきた。」

「その歴史を踏まえてこの国は、武器を持たないと宣言した。でもその解釈が、今変えられようとしている。多くの国民の賛同のもとに。一度変えたならもう戻らない。」

「でも自衛の手段を制限することはできる。この国は戦後、身をもって世界から戦争を除くための理念を掲げた。不可能に挑戦した。不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は何よりも誇りに思っていた。」

わたしも全くその通りだ。本当に同意できる。完全同意です。

*赤字は引用。


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巨人の肩の上から未来を語る。
という記事を読んだ。

まがいなりにも2~3ヶ月に1度くらいは、皆さんの前で聖書のお話をさせて頂く機会があるものととして、本んんんん当に肝に命じたいと思った事がたくさんあった。

本文はリンク先から読んでください。
赤字に変えて、私に適用しました。

 「そうはいっても、メッセージとしての聖書の研究を行うためには、井戸端会議のように、思いついたものをそのまま列挙していくわけにはいきません。なぜなら、聖書の研究の世界は、コンサルタントがするように、納得感があり、「MECE感」があり、関係者が良いと言うならば、どのような理論的枠組みもゼロから作れるような世界ではないからです。
メッセージの世界と、聖書の研究の世界が最も異なる点。つまり、聖書研究として認められる知見と、そうとは認められない知見との大きな差は、「社会科学の研究は『Standing on the shoulders of giants(巨人の肩の上に立つ)』である」ということだと思います。
 これは、Wikipedia(*1)の記事にもあるくらいは有名な言葉です。一文で意訳すると、「過去の発見の蓄積に立脚して、そして過去の発見よりも高みに存在する真理に向かう」という比喩を含めた表現になります。
つまり、なんでもかんでも自分の思ったことを主張すれば良いというわけではない、ということです
納得感があれば良いというものではなく、機能すれば良いというものでもなく、これまでの蓄積を尊重し、理解し、それを発展させて新たな境地を切り開くことが求められます
(中略)
 とくに聖書の研究では、これまでの偉大な先人たちが編みあげてきた「知の系譜」を自分なりに再編纂し、そこに新たな系譜、少なくとも新しい方向に向かう1本の糸を紡ぎ合わせなければなりません。
 そして、その新しい方向性に向かう1本の糸が、この世界に関する普遍的な神の計画の理解を深める可能性を示す必要があります。
(中略)
 少なくとも、これまでの学術研究を完全に無視して、「自分はこんなことを発見して、こう思った!」というようなことを書いても、たとえばオックスフォード大学では絶対に博士号は取れないはずです。


 もちろん、聖書は、博士号を持っていなくても、学術研究を専門にしていないものでも、十分に学べるし学ぶべきものです。
 でも、少なくても自分は、このようなルールがあるのだ、聖書の研究は偉大な先人達が編み上げてきた「知の系譜」があるのだ、自分はその系譜は知らないし勉強する能力もないけど、それを全否定するようなことをして「自分はこんな霊的発見をした」「こう思った。」ということだけはしたくないとおもった。

「過去の発見の蓄積に立脚して、そして過去の発見よりも高みに存在する真理(主)に向かう」
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突然やってくる?

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私の敬愛するある若い伝道者の方が、ある戦争体験者の年配のクリスチャンの方から最近いわれたそうだ。
「その日は突然やってきますよ」

小学校で御真影に最敬礼をするようになった時、その時最敬礼しなかった小学生が二人もいたそうだ。一人はご本人ともう一人はそのお兄さん。二人が最敬礼しなかったということで、クリスチャンのお父さんの医師免許が剥奪されたそうだ。

このご家族へのプレッシャーたるや、彼らがうけた試練たるや、またその信仰の篤さたるや、今の私の理解を超えるものです。本当、尊敬します。

ただ、一つどうしても「違うんじゃない?」ということがあるのです。
それは「突然やってくる」ということです。
その日が突然やってきたように思えたのは、御本人がまだ小学生で、日本でなにが起こっているのか、世界でなにが起こっているのか理解できなかったからではないでしょうか。

もし地の塩としての使命を理解して、文化命令を理解して日本社会を見ていた大人であったなら「突然」ではなかったはずで、「その日」が刻々と近づいて来ている事を、本当は当時も理解できたはずで、わかっていたはず。

お父様やその時代に大人であったクリスチャン達の勝利や敗北の歴史や物語が伝わっているのだろうか。そんな心配が起こってきます。
「突然」と言ってしまうと、その日がくるまで私たちは何もできなく、何も言えなく、何も告白しないものとなるのではないかなぁと思ってしまいます。だって、突然くるんだから、いつ、どんなふうにその日が来るのかわからないんだから。
歴史が積み重ねの物語ではなく、「突然」起こる突発的な事故の繰り返しになってしまわないでしょうか。そうなると、歴史を語り継ぐことができなくなる。それは即ち物語の喪失であり、神の歴史の物語の喪失になってしまうような気がするんです。

僕はクリスチャンが平和運動や革命運動に参加すべきだなどとは、もう言う事はありません。
でも失敗や敗北の歴史であっても、それを神の視点から紡いでいく使命はクリスチャンにはあるのではないかと思うんです。

特定秘密保護法案やら、日の丸に敬礼しなかったということで失業の危機にある先生の話やら、ネットを少しみれば、その日が刻々と近づいていることはわかるはず。

ちなみに僕は大学時代から、こんな時代がくるだろうなと思っていたし、言ってきたつもり。
ただまさか自分の時代になるとはおもっていなかったんです。まじこえーよ。
ただね、僕にはコミュ力ないので、誰にも伝わってないし、ウザがられただけであることは十分承知しているつもりです(涙)。

でもね、僕は「突然」なんてことはないと確信しているんだよ。

そろそろ

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新しい仕事も慣れてきたので、ぼちぼち再開しようかな。
フェイスブックもやっていたのだが、思索が深まらず、せっかく書いたり投稿したものも
あっという間に下にいっちゃっう。
言葉がどんどん軽く扱われていくようで、いやなので、こちらを中心に、ゆっくりゆっくり
思った事を書いていこうかと。

最近は書きたい事や思いがありすぎて困っているが。

どこを見させられているか

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センカクやら竹島やらで、忘れられようとしている福島。
棚上げにしていれば、そのままであった島の問題、決して解決しない問題に手をだして、棚上げにしてはならない問題、解決しなければならない問題から目をそらされた。

韓国や中国は危機ではない。事実、戦後は友好関係をまがいなりにも築いてきた。
本当の危機、棚上げにしてはならない危機、目を離してはならない危機は、福島である。

福島の危機に対応する為に、海外に危機を作ったりあおったりしていい状況ではないはず。福島原発の処理に全力を傾けるときに、危機でないものを危機だといい、処理は後回しでいい問題を処理しようとする。
こんな愚策は、自民党でさえしなかったのではないか。
自民公明は最悪だとおもっていたが、民主は超悪だ(従来からまったく期待していなかったが)。
国内が危機状態にあるときに、海外に危機をつくりだした民主野田政権。
稚拙もいいところ。この稚拙で愚作で蒙昧な政権は、歴史に名を残すであろう。

そしてそんな政権の手にまんまとのっかる私たち。

善悪の基準

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日本人も、クリスチャンの日本人も、何がいいか悪いかという善悪の基準は、結局「ニッポン」なんだよな。愛とか平和とか人権とか正義とか普遍的な価値と思われるもの(ここでは、それが聖書的かどうかはいっていない)が「善」なのではなく、どこまでいってもニッポンが善なのだ。
だから、ニッポンが正義に基づいているか、正しいかどうかという問いや議論は全くでてこない。いや、できない。その問い自体が「非国民」なのだ。出てくる議論はニッポンの基準に合っているかどうかであり、合わない=「悪」なんだよね。
どこまでもどこまでも井の中の蛙。世界には60億の人がいて、様々な民族と価値観と言語があって、ニッポンの基準や理屈なんて、60億分の1.2億しかないんだよね。
クリスチャンでさえ、そんな事に気付かないこのトホホな現状。

今回の騒動について

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 内政が行き詰まると、批判を避ける為に、外に問題をつくりだしたり、あおったりするのは、よくあることだと思っているのだが、今回の中国や韓国との騒動はまさにそんな気がする。
 野田、石原、前原といったアジア蔑視に凝り固まった残念な老人達が持っている価値観と、原発やら消費税やらの内政の失態に対する批判を避けたいという思いと、アメリカのアジアシフト(米政府関係者の累次にわたる「日米安保の尖閣への適用」発言)に気をよくして、「いったれ!」となんの覚悟もなくやったことに思えてしかたがない。
 今回の反日デモや被害の責任は、海外にいる邦人の安全や、私でさえこうなることは容易に想像できることなのに、それを想像せずにやらかした野田を中心とした民主党政権にあると思う(石原は完全に確信犯)。念のためにいっておきますが、略奪していいと言っているのではないです。

 でも、日本がアメリカのコマに過ぎず、なんらビジョンもない行き当たりばったりの自立していない幼稚な国であることを完全に見透かされていると思う。

尖閣「国有化」後の中国の対日観(4)
「日米軍事同盟は脆くて堅固ではなく、見かけ倒しである」「日本人民の願いに反して、日本の極右勢力に依拠して無理矢理駐留する軍隊は戦闘力を持っていない。日米軍事同盟は真の敵もなく、現実的な軍事脅威もないのであって、アジアの人民の中に根を張ることもできず、あたかも空中楼閣の如きもので、…実戦に対処しようがない」
「アメリカは、日米軍事同盟を強化し、日本の軍事システムを扶植し、アジア諸国間の海洋領土紛争に手を突っ込み、アジア人同士を戦わせ、アジアをかき乱そうとしているが、それは漁夫の利を収めることができないのみならず、逆に我が身に飛び火して自らの利益を損なうだけだ」
 「…日本が周辺諸国とりわけ中国に対して強硬であるのは、中日間のいかなる衝突においても、アメリカは日本の側に立つという彼らの認識と大きな関係がある。…しかし、中国の戦略家たちは、アメリカは他国の利益のために戦争することはあり得ず、ましてや釣魚島の主権が誰に属するかについて今に至るも何も言えない中で、アメリカが日本のために戦争することはなおさらあり得ないと認識している。…。」

 全くその通りでアメリカが日本の為に戦うはずなんてありえんと思います。後ろから刺されるだけ。

 「日本は所詮アメリカのおもちゃに過ぎず、しかも安物であって、戦略的意味からすると、日本が中国と領土争いをすることのアメリカにとっての価値は、フィリピンと大差ない。」
 「アメリカそして中国の手の中にある。日本の戦略的位置は間違いなくますます小さくなっており、ロシアですら手を伸ばせば日本を弄ぶことができる。
 「中米があるとき戦略的に対決するというときには、日本は両国が遊び慣れた道具であり、この対決においては、まずお互いにとってのこのおもちゃを先につぶすという可能性がもっとも大きいだろう。このプロセスにおいては、日本は西太平洋の火薬庫となることを意味し、まっとうな終わり方をする確率は非常に低い。…」

 ねぇ・・・完全に見透かされているし、相手にされていない。
 老人達の時代はとっくの昔におわっているんです。若い世代が思考を停止し、老人たちの思い出につきあっていたら、老人達と一緒に滅びるだけです・・・
 もはや、回帰不能点を超えたのでしょうか・・・

 ここまでやってしまった民主党とそれを選んだ日本国民、民主党を選んでしまうほどに日本を駄目にした自民党とそれを選んできた日本国民は、いやでも大きな代価を払うことになるのでしょうか。

 このような時代の中で、その時代に揺るがされる事無く、固くたって主とともに歩みたいと思いますし、その事を子どもに伝えていきたいと思います。そしてもしかしたら数十年後にくるかもしれない真の日中のよい関係の為に、今、目の前にいる青年達を育てていきたいと思います。
気がついたら、ブログを1ヶ月以上も放置していた。
この1ヶ月は、大きな変化の一ヶ月でブログを書く暇がなかった。

ついに会社を辞めて、以前から考え模索していた職に就くことができました。
その職は日中関係に非常に大きく影響を受ける職種です。
で、働き始めた途端、センカクやら、デモやらで大打撃をこれから受けるであろう事は容易に想像できています。

私は、この人の情報、論理展開、結論を基本的に信じています。
浅井基文

私は彼の分析は正しいと思っています。ネトウヨ及び日本のマスコミの情報や報道は当然信じていません。なぜなら単純化しすぎで、その事象の背景や要因など、ほとんど説明していないと思うからです。
彼の論述は精緻に根拠を示し、論理を展開していくので、某掲示板を初めとするネットやテレビからの単純化矮小化された情報になれている人からしたら難しくて読む気も起きないのだろうなぁと思います。
結局、事実かどうかより、耳障りがいいかどうか。自分の都合や価値観、偏見にそっているかどうかで情報を取捨選択するのだろうと思います。

ところで、私は民主党にはもともと全く期待もしていなかったし、支持もしていませんでしたが、ここまで酷いとは思ってもいませんでした。あちこちに喧嘩を売り、自民党がやりたくてもやれなかった事をやりたい放題やっている民主党ですから、ネトウヨや保守派、日本神道を信じている人たちからは、支持されているのかと思っていたのですが、そうでもないようですね。不思議なんだよなぁ~。


領土問題を考える視点

私(浅井)が日中外交実務に携わっていた1980年代前半にももちろん尖閣(釣魚島)問題はあった。~(中略)~
 しかし、2010年のいわゆる中国漁船衝突事件を直接の引き金にして、民主党政権が「領土問題は存在しない」(当時の前原外相発言)と言い放ち、「棚上げ」という日中間の了解を無視・否定して中国側の神経を逆なでし、尖閣問題は再び紛争化させられた。石原都知事の購入発言及び野田首相の国有化発言はその延長線上にあり、中国官民の激怒を招き、事態はさらに深刻化した。しかも、米政府関係者の累次にわたる「日米安保の尖閣への適用」発言及び(明らかにこれに力を得た)野田首相の自衛隊出動発言を受けて、中国側メディアでは軍事衝突という不測かつ最悪の事態への言及がなされるまでになっている。こうなると私としては、もはや「関心がない」傍観者を決め込むわけにはいかない。日本の「領土問題」を考える視点を提供することは、外交問題を生業としてきた私のささやかな責任だと考える。



いわゆる「棚上げ」という大人の論理で国交をかわしてきたのに、それを棚からおろしたのは民主党という稚拙な子ども政権であり、石原ボケ老人であり、虎の尾を踏み、寝た子を起した責はこちらにあると思っています。
たぶんクリスチャンも含めアジア蔑視から抜けでていない人たちは「中国なんぞ虎ではない」というでしょうが、それこそ井の中の蛙であります。


 日本がアメリカに占領されてからの振る舞い及びロシアに対する振る舞いからはっきりすることは、日本は弱いものいじめをして強いものにはペコペコする国家だということだ。米ロは戦場において日本を打ち破ったことがあり、威力の名残がなお存在する。中国はもはや米ロの対日の歴史を繰り返すことはできないが、なんらかの形で日本に対してトータルな教訓を与え、明治維新以来の中国蔑視を徹底的に改めさせなければならない。
 中国は急速に発展しており、我々はその力を十分に蓄え、なんらかの衝突の際に日本に対して思いきり見せつけ、日本をして中国の力に対する畏敬を新たにさせる必要がある。そうしてのみ、日本は中国と交際するやり方を真剣に改めることになり、その時にはじめて中日友好が改めて開始することになるかもしれない。
 この過程が順調に進むとして恐らく30年前後が必要だろう・・・



日本は一体中日関係を何処へ引っ張っていくつもりなのか。日本は、その悪辣な行動にて代価を引き受ける準備をしたのか。
 国家の命運と人民の福祉を点棒にして冒険的なばくちをしたために、日本は大損をしたことがあるのだ。日本は理性を回復しなければならない。


 日本では、代価を引き受ける覚悟や準備をして何かの行動を起す指導者、責任者は、どこの世界にもほとんどいません。大損を受けるのは基本的には理性のある責任者じゃない人たちです。
 これほど日中関係が悪くなって被害を受けるのは、間違いなく日本であり、私たちの子孫です。私は少しでもこの隣国との関係をよく保ち、日本の発展に少しでも寄与したいと願い中国語を学びましたが、そのささやかな思いは愚かな政治家たちとボケ老人、またそれらを支持する民衆によって砕かれました。
 しかし、もしかしたらこの大変な時代を通して次の世代には、少しはよくなっているかもしれません。いや、子ども達の為によくしたいと思います。
 30年後の為に、今の仕事をなんとかものにし、学んだ中国語を更に深めようという思い、そして日本においても、韓国においても、中国においてもキリストの福音こそが平和の礎でなければならないという思いを新たにしました。