幼い頃(といっても小学校高学年くらい)にやった
盲目の人の気持ちを知ろうみたいな実験が大嫌いだった。
単純に、ただ目隠しして、歩くあれ。
目の前が真っ暗な状態で町を歩くのは
それはそれは怖くて厳しいものだったけど
だからなんだよって感じだ。
目隠しして歩く自分は目隠しして歩いているってだけで
盲目の人の気持ちなんて1ミリも感じられてなかったんじゃないか。
目隠しを取ったら風景を確実に捉えることが出来る
幸いにもバッチリ機能している目が自分にはあるわけで
それがある時点で目隠しなんて意味がないはずだ。
怖いのは目隠しをしているその瞬間だけなんだから。
目隠しさえ取れば全てが見えるという絶対的安心感や
それまでの人生の中で既に見てしまった物質の情報を
捨てることなんて到底不可能。
辻井伸行 - ラ・カンパネッラ
こんなことをウダウダと考えているのは
最近ちょっと話題になった全盲のピアニスト
辻井伸行のこの演奏にとんでもなく感動してしまったからなのです。
クラシックのこともピアノのこともそこまで詳しくないから
全盲の人だからとか話題だから、とかそういうつまんない理由で
感動しちゃってるのかなー、そうだったら嫌だなー、と思って
色んなサイトにある名演を含めた全てのラ・カンパネッラに耳を通したけど
つまんない理由抜きで彼のこの演奏が圧倒的だなあと感じた。
なんかもう全然違うの。知識が無いからつっこんだこと言えないけど、全然違う。
決して完璧な演奏じゃないんだよなあ。ずれてたり不安定だったり。
でもとにかく一般的な名演とやらが霞んで消えてしまうくらい圧倒的に心に響く。
彼は生まれながらの全盲だそうだ。
つまり目が見える自分達が当たり前に捉える
他人の顔や空の色、建物の形、そういった全ての情報が
彼の中には存在していないことになる。
うん、やっぱり目の見える自分が完璧な理解を持つのは不可能な世界だ。
目隠しなんかで理解出来るもんならしばらくつけっぱなしで生活してみたいくらい。
自分が視覚的に捕らえるピアノという楽器と音楽を
彼はどのように捉えているのだろうか。
きっとそこには自分とは全く違う世界があって
だからこそ演奏にも差が生まれる・・・のかなあ。
全ては解らない。
とにかく感動したってことです、はい。
盲目の人の気持ちを知ろうみたいな実験が大嫌いだった。
単純に、ただ目隠しして、歩くあれ。
目の前が真っ暗な状態で町を歩くのは
それはそれは怖くて厳しいものだったけど
だからなんだよって感じだ。
目隠しして歩く自分は目隠しして歩いているってだけで
盲目の人の気持ちなんて1ミリも感じられてなかったんじゃないか。
目隠しを取ったら風景を確実に捉えることが出来る
幸いにもバッチリ機能している目が自分にはあるわけで
それがある時点で目隠しなんて意味がないはずだ。
怖いのは目隠しをしているその瞬間だけなんだから。
目隠しさえ取れば全てが見えるという絶対的安心感や
それまでの人生の中で既に見てしまった物質の情報を
捨てることなんて到底不可能。
辻井伸行 - ラ・カンパネッラ
こんなことをウダウダと考えているのは
最近ちょっと話題になった全盲のピアニスト
辻井伸行のこの演奏にとんでもなく感動してしまったからなのです。
クラシックのこともピアノのこともそこまで詳しくないから
全盲の人だからとか話題だから、とかそういうつまんない理由で
感動しちゃってるのかなー、そうだったら嫌だなー、と思って
色んなサイトにある名演を含めた全てのラ・カンパネッラに耳を通したけど
つまんない理由抜きで彼のこの演奏が圧倒的だなあと感じた。
なんかもう全然違うの。知識が無いからつっこんだこと言えないけど、全然違う。
決して完璧な演奏じゃないんだよなあ。ずれてたり不安定だったり。
でもとにかく一般的な名演とやらが霞んで消えてしまうくらい圧倒的に心に響く。
彼は生まれながらの全盲だそうだ。
つまり目が見える自分達が当たり前に捉える
他人の顔や空の色、建物の形、そういった全ての情報が
彼の中には存在していないことになる。
うん、やっぱり目の見える自分が完璧な理解を持つのは不可能な世界だ。
目隠しなんかで理解出来るもんならしばらくつけっぱなしで生活してみたいくらい。
自分が視覚的に捕らえるピアノという楽器と音楽を
彼はどのように捉えているのだろうか。
きっとそこには自分とは全く違う世界があって
だからこそ演奏にも差が生まれる・・・のかなあ。
全ては解らない。
とにかく感動したってことです、はい。