利楽の10年間を語るうえでどうしても紹介したい人がいらっしゃいます。正確にはいらっしゃいました。

Hさんは良くも悪くも破天荒な人でした。会社を経営していたことがあり、バブルのころは相当イケイケだったと聞きました。その癖が残っていて、奥さんも少し持て余し気味だったのではないでしょうか。

 

利楽に通われ始めた頃は半身に麻痺があったことなどから少し苛立っておられました。プライドも邪魔をしてコミュニケーションが取りづらい方でした。

 

マンツーマンのリハビリテーションをご一緒に行っていくに連れ、運動障害もほとんど無くなり少しづつ打ち解ける事ができるようになりました。本来の世話焼きで人懐っこい性格が周りの雰囲気まで明るくして下さいました。

 

そして私の悩み事(デイサービスの経営)にも多くのアドバイスをいただきました。苦しい時ほど笑顔で人に接しろ、仕事は最後は信用だ、気持ちは必ず通じるから自信を持って話しなさい、人に与えたものは巡り巡って自分に返ってくる、等々数え切れません。

 

いつもHさんに相談するようになりました。季節の行事からスタッフの指導法などまで時には耳が痛い思いをしながらHさんと話をするのはとても楽しい時間でした。

 

でも、私や奥さんの忠告はちっとも聞いてくれなかったもんなぁ。とうとう糖尿病を悪化させて帰らぬ人になりました。

 

その頃の利楽には先進のリハビリテーション技術や介護システムは無かったけれど、ご利用者と共に歩んでいる実感がありました。サービスを提供する側と受ける側という図式ではなく対等の立場でお互いの居場所を支えあっていたと思います。権利とか義務とかいう前の人間として互いに認め合っていました。

 

だからデイサービスという場所は関わる全ての人のものでなければならないと思います。もっと言えば、地域の資源でありたいと強く感じます。

 

Hさんもきっと天国で応援してくれている気がします。

リハビリテーションケア デイサービス利楽   小森 晋吾
http://rihabirinoki.jp