記事挙げて一年半、毎日、必ず『アイルランド人がイギリス嫌いな理由』 にアクセスがあります。
記事を上げた時は、字数が多くなるし、えげつないと思ったので、ざっくり書きましたが、アイルランドの歴史を語る上で避けて通れない、本日のお題。
また、今年はイースターライジング100周年で、アイルランド人自身が自国の歴史を振り返る年なので、これも何かのご縁と思い、「ジャガイモ飢饉(The Great Famine)」を、詳しく述べたいと思います。
「Horrible Histories Ireland」より一部を引用しながら紹介します。
1800年初頭、アイルランド島の人口は450万人ほど。それがジャガイモが普及して、自宅の庭で栽培・収穫できるようになり、食料事情が良くなったので、1845年までに人口は800万人へと増えました。
しかし、1845年8月、ジャガイモを収穫してみると、ジャガイモ疫病に侵されていて、とても食べられるものではありませんでした。熱を通しても食べられる状態ではなく、家畜にさえ与えらなかったそうです。
アイルランド人の人口の多くが貧農、小作人で、飢えと病は瞬く間に貧しいアイリッシュを襲いました。
当時、貧しい人たちに聖書を配るために来愛した、アメリカ人女性は次のように述べています。
「ある小屋(家)に父親と母親、二人の子供が横たわっていました。父親の遺体は腐乱しており、恐らく一番最後に息を引き取ったと思われる母親が、ドアを閉めたようで、彼らの死体は周りの目に触れることはありませんでした。このような状況はありふれていました。その小屋は、遺体を残したまま取り壊され、その家族のお墓になりました。」
なお、このジャガイモ飢饉の間(1845~1852)、チフスなどの伝染病も流行り、それらで死亡した家族は、家ごと燃やされてたそうです。
田舎では動物の姿が消えました。
飢えた人たちは、まず、犬を食べ、それからロバ、馬、キツネ、アナグマ、ハリネズミ、そしてカエルまで食べたそうです。
イラクサやタンポポ、どんぐり、野イチゴ、食べられそうなものが取りつくされました。
海辺に住む人は貝をとって食べたそうですが、毒を持つ貝も多く、中毒死した人は少ないようです。ただし、飢えと病でゆっくり死ぬより、毒に当たってひと思いに死ぬ方が良いと考える人もいたようです。
翌年の1846年も、ジャガイモ疫病は収まらず、生き残るために盗みを働く人も多くなりました。
当時、盗みを働いたものは、オーストラリアに島流しなる場合もありましたが、飢餓で苦しむより、捕まって食べ物の心配をせずにすむ方がマシだと言う者もいたようです。
ある貧しい女性は、食べ物を盗み、警察に捕まりましたが、警官がその女性宅にあった鍋をみると、腐ったジャガイモと犬が入っていたとか。
1847年、政府はスープなどの配給を始めます。
約2年料理をしない、できない状況だと、料理を忘れる母親たちがいたようですし、お金を渡すと、タバコや酒を買ってしまう父親たちがいたようです。(あぁ、アイリッシュ・・・)
そして、地代を徴収できない地主たちは、地代を納められないテナントたちに、北米や英国本島への船賃を渡して立ち退かせ始めました。中には立退料も、事前の通知もなく、突然1万ものテナントを追い出し、プロテスタントのスコットランド人を入植させた地主もいます。
さて、英国や北米に移民したアイルランド人は150万人~200万人ほどいたようですが、すべて無事に海を渡れたわけではありません。
北米への船60隻は大西洋で沈没していますし、中には航路を間違えたとかで、8週間ほどかかって到着した船もあります。船にはトイレもなく、食料も十分に積み込んでいない場合もあり、船内で亡くなる人も多かったため、「棺桶船」と呼ばれました。
さらに、移民は北米についても苦労の連続で、公職につけなかったり、アイルランド人であることで課税されたり、ローマ法王を侮辱するように誓約させた州もあるとか。
さて、この飢饉の時、大英帝国政府は、何をしていたのか?
仕事を与えるために、所謂“公共事業”を行いました。誰が使うのか分からない道路を、女や子供も動員して作らせました。1846年と翌年47年の冬の寒さは厳しく、弱った体で石を砕き、道に石を敷き・・・。それで風邪などをこじらせ亡くなる人が続出したそうです。
なお、当時の英政府首相はアイルランド救済を訴えましたが、英国会は拒否しました。なかには内閣の者でさえ、「神がアイルランドに、この罰をお与えになったのだ。何故なら彼らは恩知らずで、反抗的な人種だから。」と言ってのけたとか。
炊き出しサービスを前述しましたが、プロテスタント系のグループの炊き出しでは、聖書(もちろんプロテスタント系の聖書)の勉強会をさせて、食べ物を配給したり、カトリック教徒は金曜日は肉が食べられないと知っていて、肉料理を提供したり嫌がらせのようなことをしている団体もあったようです。
以前のブログにも記述しましたが、このジャガイモ飢饉で約100万人が餓死または病死し、約200万人が英国本島や北米へ移民しました。飢饉が終わっても人口は減り続け、1911年までに人口は400万人へ半減しました。
その結果、アイルランド語話者が減り、また政策や、生活上の便宜から、英語が優位になり、英語圏の国になりました。
さてさて、ネットで「アイルランド人」関連コメントをみると、コリアンと同じような扱いのものがあって、悲しくなります。
確かに、かつて隣国に支配され、併合を経て、その後独立したけど、南北に分かれているので、状況は似ていますが、メンタリティーは全然違います。
反英感情はいまだに強いですが、「謝罪と賠償を」なんて言いませんし、ユニオンジャックや聖ジョージ(イングランド国旗)を燃やしてデモしません。
「英国に虐げられた」といつまでも被害者づらして、それをビジネスにするアイリッシュなどいません。アホなことですし、なんの得にもならないからです。
独立も自らの血を流し勝ち取りました。棚ぼた式ではありません。
南北に分かれていますが、行き来は自由で、パスポートコントロールもありません。
対英感情は良くなくても、それはそれ、これはこれと割り切っています。
コリアンに比べたら、はるかに“大人”です。
もし、アイリッシュとコリアンを同類項でとらえている方で、何かの機会でこのブログに辿り着かれた方。このブログで誤解を解いていただきたい。
もがきながらもアイルランド人は実直に生きている民族です。