(心配しましたが、熱も収まり、そのままリハビリ入院になりましたので、私は、子供達の所へ戻りました)



【発症後1年のメモが出てきた。
(私は、病室に寝泊りしていた頃)
熱が続いているが、朝には下がった。
顔の左半分に発汗。
体位交換と目薬で夜中に起こされると大声で怒る。
夜中、目が覚めて叫ぶ、「マーマー、おーきーてー」。
私が起きると何も無かったように静かに。
この繰り返し。
相変わらず、天井を見続けている】

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それから半年ほど、経過した頃だっただろうか、
男の子「ゲームは、おわり」


体を動けなくする薬でも使って、周りの皆で自分を病人に仕立て上げているとでも思ったのか?あかさたなスキャンで探し当てた言葉は
男の子「ゲームは、おわり」だった。


女の子「夢やゲームだったらどんなに良いだろうね、パパ、これは現実なんだよ。仕事中に倒れたんだよ。脳の血管が切れたの」そう説明したように思う。分かっていなかっただろうし、記憶に残ってもいないけれど・・・。



体には、自信が有ったし、他の人がそうなったとしても自分だけは、病気にはならないと思っていた人。【信じられない】のも無理は無かった。今もって、現実をしっかり受け入れる事は出来てはいない。変化を感じる度に
男の子「今年中に歩ける」と何度言った事でしょう。でもそれがリハビリの原動力になっているので、
女の子「頑張ってね」と言っている。
女の子「歩けるようになったら何がしたいの?」
男の子「カーテンを開ける」「電気をつける」トイレに行きたいとでも言ってくれるのかと思いきやガーン





先日、代理でいらしたリハビリの先生が、「以前は、パソコンをやっていたのですよね?瞳の動きで入力できるパソコンのデモが有るんですけど、試してみないですか?」と聞いてくださった。
男の子「興味が無いの、今は携帯。」シラー


パソコンは、自作で組み立てていた位だったので、今までも色々試してみました。「伝の心」のデモ機を使ってみたり、専用ソフト「オペレートナビ」を購入したり、手製のキーボードカバーを作ったり・・・。
タイミングよくスイッチを押せない、強く押しすぎてaaaaaaaaaaとなってしまう、等、上手く出来なかった。プライドが許さないのか、もっと指が動くようになったらやるということに成っていた。私やOTさんは、出来る事をやってみたら?と言ってもガンとして拒否。




総じて・・・
自分のプライドと闘っているのかな~?





男の子「ママは、なんでもじぶんちゅうしん」得意げ


・・・・何を言いたい??
私が決めなきゃ誰が決める?
私だって、頼れる人・相談できる人・決めてくれる人が居てくれたらどんなに楽か・・・・
まぁ、病人に何を言ってもしょうがない・・・・( ̄¬ ̄*)


泣く子と病人には勝てやせぬ


最後は、愚痴になっちゃったべーっだ!


御地は、雨雨、大丈夫ですか?  埼玉はとても蒸し暑いです。