ドクター今川の『インド旅行記』 | ヨコ美クリニック院長今川の学会報告/旅行記

ヨコ美クリニック院長今川の学会報告/旅行記

25年以上の実績を持つ植毛・自毛植毛専門のヨコ美クリニックの今川院長が、海外の学会報告や旅行記を紹介していきます



 数年前中国の新疆ウイグル自治区のウルムチで初めてチャイナコースの講師として招待されてからしばらくぶりに、2月25日から28日までインドのアグラで開催された『国際美容形成外科学会』(ISAPS)アグラコースに招待され、2日間に渡って植毛についての発表、講演をしてきました。
 ISAPSのことは以前にも説明しましたが、形成外科の認定を受けた世界95ヶ国、約2700名の専門医で構成されている国際的な学術団体で、日本人の会員は80名程。今回も講演の依頼を受けての招待なので、現地の滞在費、交通費などはすべて学会に負担していただきました。開催地のアグラは世界的にも最も有名な世界遺産タージマハールの街で、6年ほど前にもいちど訪れたことがあります。その時には、ニューデリーから200キロ程の高速道路が事故のために使えず、迂回して何か所も小さな村々を巡って、畑や道端には豚、鶏、クジャクなどがいっぱいいてなんだか動物園状態だったこと、4月の初めだというのに45、6℃とこの世のものとも思えない灼熱地獄だったこと、ハージマハールの門前町みたいな所で小さな物売りの子供達がまとわりついて、とても困ったことを思い出しました。

 当初は25日の昼頃に成田を発ち、バンコク経由(3時間のトランジット)で深夜11 時過ぎにニューデリーに着き、車で5時間ぐらいかけてアグラに入る予定でした。ただ、夜遅くにアグラに直行するのはちょっとキツいなと思っていたところ・・・直前になって、インドの若手の植毛医でアジア毛髪学会の理事でもあるKから、“ニューデリーの自分のクリニックに来て、オペを見ていただいてから一緒にアグラにどうですか?”という連絡が入ったのです。
 KはISAPSのメンバーではありませんが、植毛のパネルでFUEについてスピーチをするパネリストの1人。私もそのメンバーの1人として、ヒゲの植毛についてしゃべり、さらに翌日(28日)にも「アジア人の植毛についての経験」の講演があります。
 彼からの突然の打診ではありましたが、深夜にアグラにというのはかなりハードなので、渡りに船とばかり「お願いします。」と、返事をしました。
 正直言って、インドの植毛医がどれほどの技術を持っているのか興味もありましたしね(笑)。
25日(木曜日)

今回はインドの学会のことをメインにお話を進めることにしましょう。 飛行機は定刻どおりインディラ・ガンディー国際空港に到着。
 空港ターミナルは2010年に訪れたときより、ずっと近代的になっていました。前回には出入り口付近にずらっと並んでいた客待ちのオート・リクシャー(三輪タクシー)の姿もほとんど見られず、メーターの付いた普通のタクシーばかり。これも経済成長著しいインドの一端といったところでしょうか。以前はスーツケースを運ぶ普通のタクシーをつかまえるのがむつかしいので、事前に日本から迎えのタクシーを予約する必要がありましたが、今はそれもないようです。

 空港から迎えのISAPS の車でKが手配してくれたホテルへ。
 場所は市の中心部より南側に位置する南デリーと呼ばれる地域。その辺りは近年のデリー発展の中心で、治安もまずまず。男なら夜1人で歩いても大丈夫といったところですね。   
 Kはパンジャブ州の故郷の街、ニューデリー、バンガロールにクリニックを持っていて、その3カ所を行ったり来たりしているそうです。そのホテルは彼の定宿だそう。
 ホテルに到着したときは、すでに深夜の1時を回っていたので、ササッとシャワー浴び、ベッドにもぐり込みました。以前ニューデリーの最高級のホテルでも熱いお湯が出なかったので少し心配でしたがこれも大丈夫、5分間待ったらお湯になりました。あのころしょっちゅうあった停電も一度もないのにびっくりです。



◆4時間で2400株、FUEの手際の良さにびっくり!

26日(金曜日)

 翌朝、部屋に迎えに来たKと2、3分ほど歩いて彼のクリニックへ。とてもきれいなクリニックです。その日のオペは、カナダから里帰りしているというインド人の男性のFUEをルーマニアから勉強に来たという皮膚科の先生と2人で見学させもらいました。
 FUEはかなり繊細かつ正確な技術を要求される作業ですが、彼は4時間ほどで2400株をくり抜き、その手際の良さに驚かされました。
 Kには親友のD・Pと共同で進めている英文の医学書で、FUEのことを書いてもらおうと思っています。
 夕食はKと一緒にイギリスのパブのようなお店で、ふたりでビールを飲みながらタンドリーチキン等のインド料理を食べました。ホテルに戻る途中、Kは「もう一軒、連れて行きたいお店がある。」と言って、車を「KARIM」(カリム)と書かれたファミレスのようなお店の前に停めました。「ここのカレーはインドで一二を争うおいしさです。」とK。私はたくさんのメニューの中から彼のおすすめのチキンカレーを注文。彼の言うとおり、文句なくおいしいカレーでした。それもそのはず、このお店は、ロンリープラネット(旅行ガイド)にも紹介されている超有名なカレーレストランらしいのです。ちなみにそのメニューのなかで一番高いのが11000ルピー(2万円ぐらい)のもので、前日までの予約と料金の50%の前払いが必要とのこと、興味津々でKになんのカレーかと尋ねたら、答えは子羊一頭とのこと。たしかに安いと思います。



27日(土曜日)

 早朝彼の車でアグラへ。
 高速道路が格段に整備されていたのには驚きました。以前は自転車に乗った人が進入してきたり、牛が寝ていたり、逆走する車なんかもあったのですが、そういう光景は見られません。ただ、追い越すときにクラクションを鳴らせというローカルルールはあいも変わらずで、うるさくて居眠りはできません(笑)。
 昼過ぎにアグラに到着。本番の前に植毛のスピーチをする4人のインド人と私の計5人で軽く打ち合わせ。本番ではKがFUE、他のジャイプール、カルカタ、ニューデリーなどからの3人はFUT、植毛の歴史、メガセッションについて、私はヒゲの植毛について、ひとり15分の持ち時間で発表。
 じつは主催者から眉毛、ヒゲ、傷跡の植毛についてスピーチしてくれないかと言われたのですが、さすがに15分でそれは無理。ヒゲの植毛だけになりました。

 ちなみに今回の学会に参加した日本人は、私を誘ってくださった今年度のISAPS会長T先生御夫妻と私の3人。もう一人の先生は都合で急きょ出席をとりやめたそうです。T先生とは本当に懇意にさせていただいていますが、じつは1年間暮らした予備校の寮に、T先生もいたということを最近知りました。もちろん、当時はお互いの受験勉強に一生懸命で、彼の存在には気づいていませんが。今こうやって親しくさせていただいていることに、何かの縁のようなものを感じます。
 T先生は昨年、ISAPSの会長になられ、年に10回ほど学会に出席するので、今月の診療は月に5日ぐらいしかできない、と苦笑されていました。私も再来年、アジア毛髪外科学会の会長に任命されているので、その点がちょっと気がかりです(笑)。

◆タージマハールを堪能!

 話しは戻りますが、その日の日程終了後に学会のはからいで、パネリスト一行をタージマハールに連れて行っていただくことに。タージマハールは本当に素晴らしいところなので、私も再び参加することに。特に夕暮れの景色は印象的でした!皆さんもご存知のとおり、タージマハールはムガル帝国時代のシャー・ジャハーンという皇帝が、亡くなった愛妻ムムターズ・マハルの死を悼んで建てたお墓。大理石でできた外壁の美しさ、その大きさには圧倒されます。
 帰りは渋滞につかまり、ホテルに着いたときはヘトヘト。そんなこともありレーザーショウはキャンセルして、夜は外出せずT 先生ご夫妻とインド料理とインドワインを堪能しました。




◆植毛医としての30年の経験と研究の成果について・・・

28日(日曜日)

 学会最終日は、私の植毛医としての30年の経験と研究の成果について講演。その内容についてはいつか紹介したいと思います。
 私の話しに熱心に耳を傾けてくれた参加者の皆さんに感謝、感謝です。

 学会終了後、T夫妻と一緒に車でニューデリーの空港へ。途中、今までに見たことのないような光景を目にしました。見渡す限りの平原に何十本もの煙突が並び、真っ黒な煙が真横にモクモクと筋のようにたなびいています。全ての煙突から、まったく同じように煙が出ている光景は、なんとも不気味でした。
 冬場のニューデリーは北京以上に空気汚染がひどいと聞いています。途中のトイレ休憩のときにマスクをして外に出たぐらいです。
 アグアを出発して5時間後にようやくインディラ・ガンディー国際空港に到着。
 定刻に飛び立ったタイ航空機は一路、次の目的地のバンコクへ。
 すぐに日本に帰国しなかったのは、D・Pのところに寄って、医学書の打ち合わせをする約束をしていたからです。

29日(月曜日)

 朝早くバンコクに到着。空港からタクシーでD・Pが予約を入れてくれたCホテルへ。
 受付で「グレードアップしました」と言われ、案内された部屋に入ってびっくり。ベッドルーム、バスルームが2つ、それに30畳ぐらいのリビング。31階でロケーションも抜群でしたが、私ひとりなので、なんか落ち着きません。
 午前中は部屋でくつろぎ、午後、高架電車に乗ってD・Pのクリニックへ。バンコク市内の交通渋滞は世界でも有名。高架電車を使って移動した方が早いし楽なのです。D・Pのところでオペを見学した後、出版予定の英文医学書の打ち合わせをしました。
20年来の親友と過ごす時間はほんとうに楽しいものです。

3月1日(火曜日)

早朝ホテルのチェックアウトを済ませた後、さすがに大きなスーツケースがあるのでタクシーでD・Pのクリニックへ。この日も彼のオペを見学。
素晴らしい手術を見るというのは、とても刺激になるし、頑張ろうという気持ちになります。
 夕方、D・Pとタイ料理を楽しんで、そのまま空港へ。
 羽田に着いたのは日付が変わった2日の早朝。そのまま横浜の自分の病院に戻って仕事をしました。

◆インドの植毛事情

2009年だったと記憶していますが、アーメダバードという西部の町のVから第一回のインド毛髪会議(Haircon )への招待を受けました。初めてのインドということもあり、少々びびってことわってしまいましたが、内心はインドのことは興味津々でした。試しに観光を、と先にのべたニューデリー、アグラ、ジャイプールの有名なゴールデントライアングルへ団体旅行ででかけたわけです。インドへの評価は“二度と行くものか派”と“インド大好き派”の二つに極端に分かれると聞きますが、私はどちらかといえば 後者のようです。次の年にまた招待をうけて、今度はラジャスタン州のマウントアブ( Mount Abu)という砂漠地帯の真ん中の山の頂上のリゾートで開催された2回目のHaircon に参加した次第です。そのときには外国人がめったに行かないアブ山の観光を楽しみましたが、雨季の最中の辺鄙な場所に数百名の医師が参加し、さすが人口が世界二番の大国だと感心しました。学会の発表も盛んで、アジア有数の植毛大国になるには時間の問題だと感じたものです。学会のあと飛行場のあるウダイプールという由緒のある古都の、その町の広い湖の中に浮かぶLake Palaceというマハラジャのパレスホテルで一泊しましたが、それはそれはすばらしいの一言です。007のオクトパシーという映画の舞台となったホテルですが、そのとき象、ラクダ、マハラジャのクラシックカーのいずれかをご自由に利用くださいと提案され、生まれて初めてラクダに乗って町中観光しました。
2013年に参加したバンガロールでの第三回のHairconでもインドは植毛大国の感を強く持ちましたが、技術のレベルが実際はどの程度かはわかりませんでした。多くのインド人は自己主張が強く、実際以上に見せたいという面が強いからです。インド人と日本人を足して二で割ると丁度良いといわれるほどです。例えば “I am a genius”というような言い方を日本人は絶対にしません。そういうこともあって、今でも日本在住のインドでも里帰りしてインドで植毛を受けることに躊躇する方はけっこう多いようです。その意味で今回の旅行で実際にK の手術に立ち会えたのは大きな収穫でした。

PS 
次回は5月28、29日に韓国で行われる毛髪外科学会で、講演を頼まれているので、それに出席予定。また、来年、インド毛髪学会で会長になるKからもまた来てくれと誘われています。