25th Birthday | .              .

25th Birthday

2012年7月。

無事、25歳のお誕生日を迎えられました。

私が生まれてめでたい日、ではない気がする。

25年前、両親が父と母になった日。
25年前、祖父母がおばあちゃんとおじいちゃんになった日。

そして、25年間、支え続けられてきた証の今日。

お父さん、お母さん、妹弟、いとこ、友達、少しでも関わった人たち。
25年間、ありがとう。

一人では、歩めなかった25年でした。


父は、幼いころからずっとずっと言い続けてきました。
「苦労は買ってでもしろ」、と。
この言葉のおかげで、多少のしんどいことは乗り越えてこられました。

母には、私が進路を決める時に、
「あなたの人生はあなただけのものじゃないの。周りを巻き込んで生きてくんだから。
将来自分が産む子供のことまで考えて進路を決めなさい。」と一喝されました。
母の言葉で、もう少し深く考えて生きていけるようになりました。

大好きな両親。
いつか返せるように、私は何をすればいいの?

25年、少しは自分を創れていったのかな。
なりたい自分に、近づけてる?
近づいてる気になってるだけなんじゃないかな、って不安がいっぱい。


虚勢をはるのは私の特技。
本当は、全然自信がない。

何もできない自分。
何一つ、満足にこなせない。

もっともっと、自分に足りないものをつめこまないと、って、
気がつけば毎日、焦りと不安でいっぱいで、
色んなことに手を出しては、その中途半端さに愕然とする。

一体、いつになったらこの焦燥感から抜け出せるんだろう。

完璧になんかなれるわけがないのに、私が追い続けてるのは、何なんだろう。



私はまだまだ、自分を赦せない。

今年、延ばしていた大きな決断をした。
少しだけ、進めた気がした。

でも、まだまだ足踏みしてる。

私が立つ地盤は、まだまだ緩くて不安定。
こんなんじゃ、全然だめ。

足りないものを補いきれない。
もどかしさと、焦燥感、不安と、少しの希望。


それでも、心の声に、きちんと耳を傾けてたい。
私以外に、自分の声を聞く人なんていないんだから。

私らしさは絶対失いたくない。
そんな風に生きる私は、見たくない。

一度しかない人生を、愛せるようになりたい。
そしていつか、自分自身を愛せるように、赦せるようになりたい。


私の生涯の目標は、明日死んでも後悔しない生き方をすること。

明日生きてる保障はないから、全力で今日にぶつかる。


25年目の目標は、 私を、離さないこと。

私は私として存在していたい。
嫌なところも全部含めて、受け止められるようになりたい。
それがありのままなら、それでいい。

私は、私。

自分を認めてあげられるように、走り続けないと。
私はまだまだ空っぽで、小さい。