どうしても難しい文章になってしまうので、考えずに書いてみます!
きっと脇田さんがわかりやすくきれいな言葉に治して三行くらいにして
くれると思います(笑)
私は表現者を名乗って舞台に立つことがしばしばです。
表現する…というと、音楽や美術や文学や、そういう芸っぽい人のことを想像されがちでありますし、もちろんそのような側面があることは大いなる事実です。
けれど、表現者はみな、表現がしたくてこの道に入ったわけではありません。
大好きなことや、自分にたまたま向いていたことにとことん向き合っているうちに、たまたま辿りついた先が、表現者、という道だったんです。
その芸術媒体を通して、自分が表したいこと、伝えたいことが形にできることを知り、その芸術媒体を使って、自分の何らかの伝えたいことを伝えていく道を見つけた。結果が「表現者」なのです。
表現、という言葉だけを見たとき、その意味は「明らかにすること」にとどまりますが
表現者というと、何かを伝える人。
表現力というと、伝える力。と読み解くことができ、伝えるための媒体は、芸術などに代表される特別なものである必要は全くないのです。
一つの例をあげてみましょう。
お腹がすいた。
この一言も、冷静に、なんの表情の変化もなく、なんの姿勢の変化もなく、業務のついでに言われるのと
訴えるような目で、時計に目をやったり、お腹に手をおいたり、作業の手を止めて言われるのと
あなたならどちらの人物にチョコレートを差し出すでしょう。
例外はあります。
前者をよく知っていて、クールな人物が思わず漏らした言葉であるなら「お、これはただ事ではないな?」と思うかもしれません。
けれど通常ならば、後者には無言でもチョコレートを差し出してあげませんか?
こどもに置き換えるとなおさらです。
大げさなくらい「お腹すいたぁー!!!」と言ってくれたら、急いでご飯を用意してあげたくなりますよね。
充分な表現力です。
人は人生を通して自分の思いを明らかにし、表に出し(表現)、人に伝える力(表現力)を手に入れるために学び続けているのではないでしょうか。
それならば、若者の表現力が乏しいと言われる昨今、まずは現実から離れた虚構の世界を作り出せる、アート環境で、自分のできることに気付き、表す方法を知り、現してみるという段取りを覚えることは、有効な教育であるとは、考えられないでしょうか?
表現力を育てることで、未来のこども達に、どんな環境でも生きていける力を手に入れてほしいと思っています。