これから書くのは、まったくのフィフィの主観

何処にも情報源があるのではなく

ごくごく狭いフィフィの付き合い、知っている事柄の中で辿り着いた事。

 

 

 

 

 

色々なメディアに取り上げられ

発達障害について、少しづつ理解が深まってるこの頃。

 

最初の頃は病気と思われていて

治す事が出来るように言われてたり

 

子供だけが発症するように言われて

「大人になったら治る~」のニュアンスを何かで見た記憶がある。

 

そのうちに、いつの頃からか

「大人の発達障害」も言われるようになり

発達障害の方が増えた!とかも言われている。

 

遺伝性の強い障碍であることも分かってきた。

全員にと言うわけではないが、親族に発症が認められるとリスクが高くなる。

親から子へ遺伝する場合もある。

 

病気ではなく(なので治らない)

身体障害や知的障害と同じレベルで発達障害なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィフィは思ってる。考えてる。

大人の発達障害が増えたのではなく、

「なんとなく変わった人、変な人って言うのが

色々思い当たる事を当てはめると、発達障害なことが露見する」のだと。

 

昔から居たんだよ。

70代、80代でも発達障害だろうなと言う方に何人も出会ってるフィフィ。

 

フィフィ世代の50代でも何人も

多分そうだろうなあと言う人を知っている。

 

フィフィ息子の世代の(直接関わる事が出来るから)

同級生の中にも

そうであろうと思える方がいる。

 

ごくごく狭いフィフィの付き合い関係であっても

知り合い関係でも

どの年代にも一定程度いるように思えているよ。

 

だから、大人の発達障害が増えているのじゃなく

今まで露見していなかっただけで

そういう人は何人もいるんだよ。

 

で、何故

今までは露見してなかったかと言えば

社会全体が緩やかだったから~と言うのがフィフィの結論。

 

53年生きてきて

乳幼児の頃のあやふやな頃を除いても

どんどん、社会全体が個人個人にかける期待やレベルが高くなってると思ってる。

 

それと社会全体に余裕がないから

要求される事をこなしていくのに

自分自身の課題で精一杯で

そうなると他人に対して厳しくなる。

 

何故って

例えば

同僚が仕事が遅い、出来ないせいで迷惑を蒙るし

自分自身もいっぱいいっぱいだから助ける余裕がない。

 

職場でもそうだし

学校でもそうだし

家庭でもそうだ、

 

何処でも余裕がなくなり

常に追い立てられて生きていかなきゃ無い。

 

もっと緩やかな社会の中でなら

「ちょっと変わった人」で終わるだろうに

 

全員に「24時間戦えますか?」を要求するような時代になったら

自分の事で精一杯で他人を補助出来ないし

足を引っ張るような人には厳しい目を向けてしまう。

 

これが大人の発達障害が顕在化する理由と

顕在化することで増えてしまっているように見えているのだと

フィフィは思ってる。

 

 

 

 

んで、こういう社会全体は

発達障害の方にとって生きづらい社会だろうが

 

健常者にとっても

それなりに生きていくのが厳しい社会に思えてならない。

 

もっとこう、なんと言うか

穏やかに特性の違いを違いのまま許容していても

生活できるような社会になって欲しいよ。

 

 

 

 

 

 

 

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