先日、玉縄城址を訪ねた際、龍寶寺にも立ち寄りました。北条氏綱の後、玉縄城主となった網成が建立した香華院(瑞光院)が始まりと言われ、玉縄北条氏の菩提寺として栄えてきたお寺です。網成、氏繁、氏勝ら玉縄歴代城主たちの位牌も安置されています。山門脇のイチョウが黄色く色付いてさらに趣きを重ねていました。
本堂にお参りをし、辺りの散策しようと階段を降りていたら、初老の男性に声をかけられました。
『本堂に誰かいらっしゃいますか?』
『いえ、いらっしゃらないようでしたよ。』
『昔ここに外国人捕虜を収容していた施設があったんですよ。捕虜が2人亡くなっている。お墓や供養碑が残っていないかと思って。庭の手入れしていた人に聞いてみたけど知らないというので、本堂に誰かいればと。』
『存じませんでした。本堂にはいらっしゃらないようでしたが、御自宅に伺えばお話が聞けるかもしれません。参りますか?』
『いえ、近所なのでまた来ますよ。』
伺えば以前は新聞記者をされていたとのことで、こども時代のエピソードなどをお話して下さいました。
『私がこどもの頃には、ここに外国人捕虜を収容している施設があって、彼らは着ているものもぼろぼろで、果物の皮や野菜の切れ端なんかを食べていたものだから気の毒で、私はほとんど毎日こっそりと蒸したイモを風呂敷に包んで彼らのところへ投げ入れていた。そんなことをしていたからか、母が特高警察に連れて行かれて酷く殴られているのを見たんです。私はまだこどもでしたが、軍で働いていた父のところへと急いで、母が連れて行かれてしまったことを話すと、父はサイドカーでやってきて、特高警察の人たちを叱りつけて母を連れ帰ってきてくれました。』
『捕虜になっていたのはパラシュート部隊の人のようでした。私はこの近くの玉縄小学校に通っていましたが、運動会に彼らも来て、一緒に走ったりね。その中には元オリンピックの選手だという人もいて、彼に運動会で家族に良いところを見せたいと言ったら、徒競走のときわざと負けてくれました。』
『彼らはそのうち国に帰りましたが、帰れずに亡くなった人も2人いました。ここには碑もない。彼らは国に帰った後、また私に会いにきてくれました。私のことを「ボーズ、ボーズ」と呼んで。「ボーイ」じゃないんだね。色々な人たちが訪ねてきてくれた。まるで、映画みたいな話ですよ。』
『すみません、長々と…』
『いえ、とんでもないです、こちらこそ貴重なお話をありがとうございました。』
『あの山の方に北条早雲のお墓がありますよ。
昔はあの辺りから狼煙を上げて小田原城に色々知らせていたんです。
暗くならないうちに行った方がいい。』
昔はあの辺りから狼煙を上げて小田原城に色々知らせていたんです。
暗くならないうちに行った方がいい。』
『はは、今日は正にそちらを見に参りましたので…、ありがとうございます。』
この龍寶寺にはかつて外国人捕虜の収容所があり、捕虜として捕われていた人たちと、地元のこどもたちとの心温まるエピソードがあったこと…私は帰ってから少し調べてみることにしました。
そして、この龍寶寺にはかつて通称『大船収容所』こと『横須賀海軍警備隊植木分遺隊』があり、収容されていた捕虜の中にはベルリンオリンピックに出場した長距離ランナー、ルイス・ザンペリーニさんもいたことを知りました。大船収容所は陸軍に引き渡す前に、海軍が捕虜から情報収集を目的とする施設であり、収容されたのは情報を持つ選別された将校級の人たちが主体で、潜水艦や航空機の搭乗員が多かったそうです。特高警察、パラシュート部隊、元オリンピック選手だった捕虜…あの男性から伺ったキーワードやエピソードが次々に点と線になり、結び付けられていくのを感じました。大船収容所でも厳しい尋問が行われ、相手軍の教育、艦隊情報や潜水艦の作戦について、また、レーダーや飛行場についての情報を得ていたと言います。正規の捕虜収容所では行えない尋問等を実施するために敢えて国際赤十字に告知していない施設でした。その為、捕虜の死亡や苛酷労働が比較的少なかったにも関わらず、国際法上に認められていない尋問を行ったとして、戦後、収容所としては最多の30名に及ぶB・C級戦犯を出しています。ローラ・ヒレンブランドの『UNBROKEN』という著作において、ザンペリーニさんの捕虜体験とその人生は描かれ、この本はアメリカでベストセラーにもなりました。また、アンジェリーナ・ジョリーの手により、『UNBROKEN』を原作とした映画も作られています。この映画には日本のアーティストも参加していました。MIYAVIさんというギタリストです。彼は劇中で捕虜という身分から解放されたルイスに、その後も終始殺意を抱かれる程トラウマを与えた存在、ワタナベという伍長を演じました。
The Bird swung the belt backward, with the buckle on the loose end, and then whipped it around himself and forward, as if he were performing a hammer throw. The buckle rammed into Louie’s left temple and ear.
Louie felt as if he had been shot in the head. Though he had resolved never to let the Bird knock him down, the power of blow, and the explosive pain that followed, overawed everything in him. His legs seemed to liquefy, and he went down. The room spun. (p251)
『バード(捕虜の間でワタナベ伍長を揶揄した仇名)はズボンのベルトの先を握ってバックル(留め金)の部分を後ろに振り、ハンマー投げをするように、自分の体に巻き付けるようにしてベルトを前方に振り出した。バックルはルイスの左のこめかみと耳にぶつかった。ルイスは頭を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。
ルイスはそれまで、バードに殴られても決して倒れまいとしてきたが、打撃の強さと、激痛に見舞われ、すべてがまひした。両足が溶けるようにして、ルイスは倒れた。部屋が回った』
『他の俳優たちを憎悪しなければいけないということは拷問のようだった。僕は単なる悪い男は演じたくなかったから、彼を殴る時、自分の家族を守っているんだと考えた。(ワタナベは)クレイジーでサディスティックだが、同時に弱くて、トラウマを抱えた人間だ』
捕虜として過ごした日々は苛酷だったと思いますが、そうした中でもこの日龍寶寺でお会いした男性が話して下さったような地元の人々との交流が、捕虜となった方々の心を僅かでも慰めていたことを祈るばかりです。そしてまた、この日この時龍寶寺を訪れなければ、大船に収容所があったのも知らずに過ぎてしまったことでしょう。お話を聞かせて下さった男性とこうした機会が与えられたことに感謝致します。本当にありがとうございました。
本の内容には日本人への偏った見方があるように受け止められかねない表現がないとも言えなくない印象も受けましたが、いつでも相手はどう受け止めていたのか、ということをお互い思いやりを持って考えていくことが大切なのではないでしょうか。戦争を描くにあたってはいつも心に留め置かねばならないことで、戦国時代を映像化するにあたっても同じことが言えるのではないかと思います。北条五代を描いた大河ドラマが実現した暁にも、北条家だけをただ単に持ち上げる内容ではなく、北条家を取り巻く多くの人々の思いも丁寧に描かれることで、さらに北条五代の魅力が伝わるような、また熱いご支持のいただけるものになることを切に願っております。
参考HP:『鎌倉歩け歩け協会』