アドラー心理学を生きる6 で、一時期、私本郷ひろなかがアダルトチルドレンの自覚があったと書きました。
実はこの自覚が、私がアドラー心理学を生きるのを少し邪魔しました。
 
アダルトチルドレンの自覚を持っていて、それを引きずったことで、私が純粋にアドラー心理学を理解して、生活の中で生きて行くことが少し遅くなったのです。
 
私本郷ひろなかの理解の変遷を書くことが、アドラー心理学に触れて、「アドラー心理学を実践して行こうかな。」と考えている人のお役に立てると思うので、書きます。
 
世間の多くの人々は、原因論的な考え方をしています。
 
アダルトチルドレンの自覚もそうです。アルコール依存症のいる家族で育ったから、こんな生き辛さを感じているんだという考え方です。
 
世間の多くの人も、過去の成育歴が原因で今の自分があると思っていますし、
 
多くの人が、「人というものは遺伝や過去の成育歴が原因で、今の性格を獲得している。」と思っています。
 
これは、「遺伝と環境の輻湊説」と言って、人の人格や性格は、その人の遺伝と環境の複雑な絡み合いで決まっているのだという、一般的な心理学の定説です。
 
私も大学の心理学の授業で「遺伝と環境の輻湊説」を習いました。非常にポピュラーの学説ですし、世間の多くの人が何となくそう思っています。
 
そして、多くの人が、人間に起こった出来事や行動の「原因を考えてしまう」という癖を持っています。
 
実は、この原因論的な考え方を一切捨て去って、実存主義的(※後で詳しく説明します)な考え方に変えない限りは、アドラー心理学を本当に理解したことにならないし、もちろんアドラー心理学を生きることにならないのですが、
 
原因論的に考えることは、この世の中に満ち溢れているので、かなり自覚的に自分を訓練しないと、巻き込まれたり、元の考え方に戻ったりするのです。
 
私たちは、「遺伝と環境の輻湊説」を明確に否定します。遺伝や過去の生育環境という原因が、今の人格や性格を決めたとは思わないのです。
 
じゃあ、何が決めたのか?
 
「私」です。アドラー心理学の用語を使うと「個人」です。私が決めました。個人が決めました。
 
いや、だって、あんなにひどい生育環境の中で無力な子どもとして生きていて、ひどい環境の影響を受けざるを得ないよね。とどうしても思ってしまっていたのが、アダルトチルドレンの自覚を持っていた私でした。
 
アドラー心理学は、遺伝の影響や環境の影響を否定したりはしていません。
 
それなのに、原因論をどうして捨てきれなかった私には、影響を否定しているように感じてしまって、どうしようもなかったのです。
 
今では、実感しています。遺伝や過去の環境は、ただの「影響」にすぎないのだと。全てを決定するのは「私」なのだと。
 
当時の私や、多くの人が、ただの影響の力を、自分の決定の力よりも大きく見てしまう「色眼鏡」をかけているのです。
 
自分の決定の力を矮小に見て、ただの影響に過ぎないものを過大に見るので、遺伝や環境を原因のように感じてしますのです。
 
子どもの頃の私は、遺伝の影響や当時の成育環境を前にして、「辛く苦しく生きて行く」ような「ライフスタイル」を決定して、使い始めました。
 
決定した自分を責める必要性は全くないのですが、決定したのは私だったのです。
 
だからこそ、その後私は、ライフスタイルを変更していき、幸せになりました。多くの人々がアドラー心理学に出合い、自分のライフスタイルを変え幸せになっていっています。
 
もしも、人間が遺伝や環境に支配されるような存在だとしたら、私たちは、自分を変えることはできないということになります。
 
原因論が正しくて「ライフスタイルが遺伝や環境によって作られたもの」で「ライフスタイルが遺伝や環境を原因とするもの」であるならば、私たちは無力だということになります。
 
だって、遺伝や環境には勝てないのですから。
 
私は、次第にこの原因論的な考え方から脱却していったのです。原因論的な考え方をナンセンスだと感じるようになっていったのです。
 
それは、アドラー心理学の実践で、少しずつ楽になったり、明るく前向きになっていったのも大きかったと思います。「こんなに、変わってきたじゃん。つまり原因のせいで苦しかったわけなじゃないってことじゃん。」と感じるようになりました。
 
「私は、今ここに生きている」「その私が、全てを決定して、人生を創造していく。」というのが、アドラー心理学の実存主義的な考え方なのです。
 
人間という存在が、遺伝や環境に翻弄されるような柔な存在だと思わないのです。運命に受動的に流されるちっちゃな存在だと思わないのです。
 
今、私が苦しいのは、過去の環境の犠牲者だからだなどと考えないのです。犠牲者だと感じると、パワーがなくなってします。自分以外の何かのせいにすると、一見楽なようで、実は自分のパワーがなくなって「弱っちく」なってしまうのです。
 
人間という存在は、自分の決定と行動で、積極的に人生に関与して、環境をも変えて行く主体的な存在だと思っているのです。
 
私も、そう思う方が、自分にパワーを感じ、実際に人間関係もうまく行くし、ライフスタイルもより良い方向に変わっていくと感じて行ったのです。
 
私は、犠牲者ではない。全てを創っていく主体者なのです。
 
あなたもそう。いろんなものに翻弄される犠牲者だと感じる癖を持っている限り、つい原因を探って考えてしまう癖を持っている限り、誰かに救ってもらおうとしている限り、魔法はないかな?と全てをうまく行かせる魔法を期待している限り、幸せにはなれません。
 
自分が全てを決定する主体者だと気づき、未来を変えるために、今行動を始めた時、あなたも幸せへの道を一歩踏み出したのです。
 
犠牲者はきついですよ。ただの思い込みですし。
 
自分が決定者で主体者なのだと思うと、楽になっていきます。まあ、これも思い込みにすぎませんけどね。
 
アドラー心理学って、「思い込み」ですべてが決まると思っているのです。
 
続き
 

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