TFHキネシオロジー 2月28日(火) 3月4日(土) in熊本

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☆TFHキネシオロジー(タッチフォーヘルス)level1 熊本市 国際キネシオロジー大学公認コース

どなたでも受講できます。また、見学、施術体験、どなたでも無料です。遠慮なく予約してください。090-2855-4567本郷

日時:変更2017年2月28日(火)9:30~11:30 続き未定

会場:熊本市中央区水前寺6-10-44-303

※今回の日程が合わない人はあなたのご希望の日程で開催します。ご連絡を!

 

3月15日9:30~18:00は、福岡市中央区今泉(天神から徒歩10分)「タッチフォーヘルス・level71」です。

 

☆TFHキネシオロジー(タッチフォーヘルス)メタファ 熊本市 国際キネシオロジー大学公認コース

level2を修了した人は受講できます。見学、施術体験、どなたでも無料です。遠慮なく予約してください。090-2855-4567本郷

日時:2017年3月4日(土)10:00~18:00 2日目

会場:熊本市中央区水前寺6-10-44-303

※今回の日程が合わない人はあなたのご希望の日程で開催します。ご連絡を!

 

タッチフォーヘルスとは?

TFHキネシオロジー=タッチフォーヘルスの奇跡←クリック

 

「キネシオロジー」という名前のセミナーは存在しません。ちゃんとしたキネシオロジーのセミナーには「TFHキネシオロジー」とか「ブレインジム」とか「スリーインワン」などのオリジナルの名前がついているはずです。

 

本郷ひろなかは、国際キネシオロジー大学の公認インストラクターです。その私が断言します。

 

気をつけて。「キネシオロジー」という名前のセミナーが開かれていたら、それは公式の資格を持たないもぐりの「自称キネシオロジスト」のセミナーに間違いありません。

 

タッチフォーヘルス(TFHキネシオロジー)のlevel1(15時間)を開催します。

見学、体験、誰でも無料で出来ます。ご連絡の上お出で下さい。090-2855-4567本郷

level1は誰でも受講可能です。

 

タッチフォーヘルス(TFHキネシオロジー)は、全てのキネシオロジーの大元です。全てのキネシオロジーはタッチフォーヘルスから生まれました。(スリーインワン、ブレインジム、バイデジタルオーリングテストなど)

 

タッチフォーヘルスは、全世界1000万人以上の実践者がいる確かなキネシオロジーです。

 

タッチフォーヘルスは、筋肉反射テストを丁寧に取っていくことで、心身のエネルギーバランスを取ります。

 

エネルギーバランスが取れることで、本人が望むように、あらゆる問題を解決し、あらゆる目標を達成します。

 

それこそ、魔法のような効果が出ることがあります。でも、魔法ではありません。技術です。

 

タッチフォーヘルス・メタファは、言葉を使って心身のエネルギーバランスを取ることを学びます。

 

メタファ(隠喩)である言葉をかけるだけで、エネルギーバランスが取れていきます。それこそ魔法のようですが、魔法ではありません。

 

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引用元:TFHキネシオロジー 2月28日(火) 3月4日(土) in・・・
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本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説16

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この文章は書きかけです。嫌われる勇気118~

テレビドラマ「嫌われる勇気」に日本アドラー心理学会が厳重に抗議しているようですね。

まあ、あそこまでアドラー心理学を捻じ曲げられると、抗議したくなる思いも分かります。

そうなんです。人を嫌いになるのは、そのような人との交友を避けたいからです。

でも、いいんですよ。「こんな人との交友を避けよう」という目的をもっていいんです。そして、その結果として「嫌い」になってもいいんです。 

哲人は、それではだめだと言っているのではないんです。人は、まず目的や意図を先に持って、その結果として感情を作り出して使うのだと解説しているのに過ぎないのです。

どんなに多くの日の目から見て素敵な人格の人であろうとも、いや、逆に私にとっては「素敵すぎて嫌味で嫌だ」ということすらあるのです。

目的や意図を決めるのは本人です。全ての責任は本人にあるのです。それが悪いと言っているのではありません。

いいのです。どのような目的や意図を持ってもいいのです。それが自分が作った目的や意図だと認めさえすれば、

認めないで、何かに責任転嫁することを、アドラーは「人生の嘘」と呼んだのです。

自己嫌悪や他者恐怖や神経症やうつやパニックや摂食障害や様々な症状を作り出して利用しているのは、本人なのです。

責任転嫁することをやめて、真正面から見つめ受け入れることから、第一歩が始まります。

そして、この第一歩を踏み出すのに必要なのが「勇気」なのです。自分の勇気を振り絞りましょう。

全てが、さいころの面のように、同じアドラー心理学というものを、様々な角度から見ているのです。

それが、「全体論」であり、「自己責任」であり、「所有の心理学」なのです。

全てをその人が決める自己責任論だからこそ、あらゆることを「道具」として使う「使用の心理学」なのです。

そして、そんな人間を具体的に勇気づけ、人生に向かい合い、幸せになっていく「技術」があるのです。

その「技術」を学び、練習するのが、「SMILE勇気づけの親子・人間関係セミナー」なのです。

引用元:本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説16
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「嫌われる勇気」P108~P117 逃げてはいけない

アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第15回です。

どうして、アドラーが対人関係を大事にしているかって?

それは、われわれ人間の生きて行く道は、対人関係の中に居場所を作る(社会の中に居場所を作る)しかないと思っているからです。

フロイトは、人間の悩みが本能と理性の葛藤だと誤解しましたが、

アドラーは、人は対人関係を通して社会の中に居場所を作ることが人間の究極の目標だからこそ、対人関係そのものや対人関係に関連したことについて悩むのだと喝破しました。

そして、対人関係の中に自分の居場所をつくることを、人生のタスク(課題)と呼んだのです。

われわれは、人生のタスクに取り組むしか、対人関係の中に居場所を作るしか、社会の中に居場所を作るしか、幸せに生きて行く道はないのです。

これは、アドラー心理学の思想です。

そして、社会の中に居場所をつくるときに、自立した人間として、社会と調和して、社会の中の人々と協力し合って、助け合って、貢献し合って生きて行く必要があるのです。

依存や共依存や支配や服従からは離れる必要があります。

そして、競争や戦いからも離れる必要があるのです。

この二つから離れて、社会の中に良好な居場所を作るために心理面として必要なのが、「自分には能力がある」という思い込みと、「他者は仲間だ」という思い込みなのです。

自分に能力があると思っていれば、いくらでも何度でも挑戦できます。

他者が仲間だと思っていれば、闘う必要も不必要に警戒する必要もありません。

仲良く協力して、助け合い、貢献しあうことが出来ます。

仕事の課題
私たちは、仕事に従事する中で、いろんなことに悩みますが、全て対人関係です。仕事上のことで悩んでいる人はたくさんいますが、

仕事ができなくなるほど悩んでいるのも、仕事上の人間関係が怖くて、抵抗感があって、出来なくなるのです。

本当は、「出来ない」ではなくて、「したくないからしない」のです。出来ないと表現すると、「しない」のは自分の責任ではない、出来ないからしょうがないのだと責任放棄することになってしまうからです。

つまり、「出社拒否」や「辞職」は、対人関係の中で生まれるだろう苦しみを避けるために「仕事をしない」という決断をしたと解釈するわけです。

自分に能力があると思うために一番大事なのは、「失敗してもいい」という思い込みです。

失敗してもよければ、いくらでもチャレンジできます。出来るまでチャレンジすれば、必ず「出来ます」。

つまり、出来る力=能力があることになるからです。

三つの人生の課題、仕事の課題、交友の課題、愛の課題の中で、一番イージーなのが仕事の課題です。仕事さえこなせればいいという低いハードルがあるからです。

交友の課題はハードルが高くなります。自由度が上がるからです。

仕事をただこなすだけよりも、他者を信頼して、自己開示して、親密な関係を維持しないとうまく行きません。

いくらにこやかにしていても、心の中で相手のことを「こいつは、俺の役に立つかな?」とか、「こいつをうまく利用するためにはどうしたらいいかな?」とか、「こいつに俺の期待通りの行動をさせるためには俺はどうしたらいいかな?」と考えていたら、

短期的には仲良くすることはできるかもしれませんが、

長期的には、その思いが様々行動や態度に表れてしまって、関係が壊れてしまうでしょう。

そして、一番ディフィカルト(シンプルだけど)なのが、愛の課題なのです。愛の課題は別名「運命共同体の課題」と言います。運命共同体との課題なので、一番嘘がつけなくて、ごまかしが効かなくて難しいのです。

配偶者やそれと同等の関係が愛の課題の舞台です。

配偶者との間に子どもができますので、親子の関係も愛の課題の舞台です。兄弟の関係もそうです。

配偶者の親や兄弟との関係も愛の課題の舞台です。

裏表が一切通用しません。裏表を作ってはいけません。裏表を作ると結局は失敗するでしょう。(実感を込めて)

愛の課題では、全てがあらわになってしまいます。

しかし、この愛の課題をうまく行かせることが出来れば、深いやすらぎと幸せを感じることが出来るでしょう。

私たちは、三つの課題から逃げてはいけないのです。

というか、幸せになりたければ、三つの課題から逃げずにチャレンジし続けることなのです。
 
あきらめなければ、必ず成功します。

引用元:書き上げました。本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説15 逃げ・・・
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どなたでも受講できます。また、見学、施術体験、どなたでも無料です。遠慮なく予約してください。090-2855-4567本郷

日時:2017年3月15日(木)9:30~18:00(開場9:20)2日目未定

会場:福岡市中央区今泉2丁目5-20荻野ビル305

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タッチフォーヘルスとは?

TFHキネシオロジー=タッチフォーヘルスの奇跡←クリック

 

「キネシオロジー」という名前のセミナーは存在しません。ちゃんとしたキネシオロジーのセミナーには「TFHキネシオロジー」とか「ブレインジム」とか「スリーインワン」などのオリジナルの名前がついているはずです。

 

本郷ひろなかは、国際キネシオロジー大学の公認インストラクターです。その私が断言します。

 

気をつけて。「キネシオロジー」という名前のセミナーが開かれていたら、それは公式の資格を持たないもぐりの「自称キネシオロジスト」のセミナーに間違いありません。

 

タッチフォーヘルス(TFHキネシオロジー)のlevel1(15時間)を開催します。

見学、体験、誰でも無料で出来ます。ご連絡の上お出で下さい。090-2855-4567本郷

level1は誰でも受講可能です。

 

タッチフォーヘルス(TFHキネシオロジー)は、全てのキネシオロジーの大元です。全てのキネシオロジーはタッチフォーヘルスから生まれました。(スリーインワン、ブレインジム、バイデジタルオーリングテストなど)

 

タッチフォーヘルスは、全世界1000万人以上の実践者がいる確かなキネシオロジーです。

 

タッチフォーヘルスは、筋肉反射テストを丁寧に取っていくことで、心身のエネルギーバランスを取ります。

 

エネルギーバランスが取れることで、本人が望むように、あらゆる問題を解決し、あらゆる目標を達成します。

 

それこそ、魔法のような効果が出ることがあります。でも、魔法ではありません。技術です。

 

タッチフォーヘルス・メタファは、言葉を使って心身のエネルギーバランスを取ることを学びます。

 

メタファ(隠喩)である言葉をかけるだけで、エネルギーバランスが取れていきます。それこそ魔法のようですが、魔法ではありません。

 

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引用元:TFHキネシオロジーlevel1公認コース、3月15日福岡今・・・
嫌われる勇気P99~P108

アドレリアン本郷博央の「気われる勇気」解説 第14回です。 権力争いから降りるということ

「青年」が原因論=決定論から逃れられないのは、彼が「人は過去から逃れられない」という「意味づけ」を使うことをやめないからです。

そして、兄との競争の結果、自分は競争を意識するしかなく、競争意識から生まれる劣等感(これは本来の純粋な劣等感ではないことにお気づき下さい。)を強く感じざるを得ない と青年は主張します。

この主張も、自分が「人と人は競争しているのだ」という「意味づけ」を使っているだけなのですが、青年は自分の意味づけが正しいのだと主張します。

それに対して、哲人は「人びとは私の仲間なのだ」という新しい意味づけを提案します。

もちろん、魔法のように、一瞬で、使う意味づけが変わったりしません。

まずは、自分の使っている意味づけの現状を把握して、だから、このような意味づけに変えるぞ!と目標を持ち、初めて作業が開始されるのです。

そして、いろんな方法で自分の使っている意味づけを変える作業を、あきらめないで続けるのです。

そうすると、自分の使う「意味づけ」が変わります。

意味づけが変わると、自分自身も、そしてこの世界も一変するするのです。

社会的な問題に公憤を覚えて、社会改革のために行動するとき、多くの人は冷静です。というか、公憤を長く持って冷静である方が、社会改革はうまく行きます。

激情に駆られて、暴動を起こしたら、逆効果です。

ところが、私憤は、権力争いで勝ちたいという私利私欲ですから、負けたら悔しいので、中には「勝てないまでも絶対負けるもんか」と抵抗して、亀のように押し黙る人さえいます。

まともに闘わずに、ニヤニヤ笑って、反抗的な態度を取り続ける人もいます。勝てないまでも負けたくないからです。

そして、それでも負けた人は、復讐に走ります。

私は、復讐の天才でしたので、復讐の方法ならいくらでも思いついていました。

戦って、負けた時はどうやって復讐しようかとばかり考えていました。

権力争いは百害あって一利なしです。やめることをお勧めします。

多くの不幸は、この復讐によって引き起こされているからです。

怒っちゃいけないと聞くと、怒りを我慢する人たちがいます。

我慢する時点で、すでに怒ってますって。すでに権力争いをしてますって。

でも、哲人は簡単そうに「言葉によるコミュニケーション」と言ってますが、権力争いから降りて、怒りを使わないためには、実は、違う方法を学び、それを練習する必要があります。

シンプルですが、イージーではありません。学び、練習する必要がある程度にはディフィカルトなのです。

自分の意見が正しいかどうかなんて、分かるわけがない。

みんな様々な意見を持っています。それらは「違う」だけです。

どちらが正しいかなんて考え始めたとたん、権力争いに足を踏み入れてします。

「ああ、あなたの意見はそうなのですね。私の意見はこうなんですよ。違いますね。」で終わりです。

相手を自分の対等の人間として認め、相手の意見を聞いて理解して、受け入れませんか?自分の意見と違っていいじゃないですか。

権力争いをしていたことに気づいたら、謝って、争わないこと。謝るというのは、自分の権力争いを認め、そこから降りる作業なのです。

引用元:本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説14 権力争いから降りる
「嫌われる勇気」P84~P98

アドレリアン本郷博央の「嫌われる勇気」解説 第13回です。戦わないということ、競争しないということについて、今回も言及します。

競争の枠組みの中にいると、純粋な劣等感(未来の理想の自分との比較)ではなくて、劣等コンプレックスになりやすいこと、

競争することから、「あたかも自分がすぐれているかのごとくふるまう」優等コンプレックスに走ることもあることがあるのです。

そして、不幸や神経症やうつやパニックや拒食症や様々な症状を使って、特別であることを誇示して、競争に勝とうとしてしまうことすらあります。

「自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。」(P89)のです。

実際、周囲の人は、はれ物を触るように特別扱いしてくれます。

拒食症など、「死」という不幸をちらつかせますので、周囲は振り回されやすいのです。

もちろん、本人は、意識の上ではまったく「特別であること」で競争して、支配しようとしていることなど気づかなかったりします。

気づかないから、その作戦を使っているわけですが、

この作戦を使っている間は、この人は不幸です。

不幸な人は、不幸を必要としているということに気づいてください。このことに気づかない限り、抜け出ることはできません。

何度も言いますが、アドレリアンのコモンセンス(共通認識)においては、この世の原理は競争ではありません、協力です。人生も競争ではありません。人生も相互貢献と協力なのです。

人間と共通の祖先をもつニホンザルという種がありますが、彼らの基本は競争と闘いです。

もちろん、ケガをさせたり、殺したりしないというルールに守られた「競争」ですが、ボスざるから45位の下っ端猿まで、全て順位がついています。

ルールを守らない猿は、いくら強くてもボスにはなれません。群れから追い出され、「はぐれ猿」になります。他の猿が一同団結して追い出すのだそうです。

多くのニホンザルは、ニホンザルのルールに従って毎日競争して争っています。

これは、アドラー心理学の話ではなくて、私の私見なのですが、競争している人、競争の枠組みに生きている人は、猿の本能を活性化して使っているのかも知れません。先祖は一緒ですから、猿の本能も持っているでしょう。

実際、人とけんかして威嚇している姿は、若い粋がっているサルが威嚇している動作やボディーランゲージとそっくりです。(ニホンザルは人間のボディーランゲージを読むらしいです。)

サルをやめませんか?

競争と争いはサルの流儀です。

サルの流儀を続けている限り、「人間としては幸せににはなれない。」と思うのです。

どんな経験をしたとしても、全ては、その経験に、自分がどのような意味づけをするかなのです。

「青年」はP97,P98で、どうしても両親と兄との過去の体験から逃れられないと主張します。

「青年」自身がそのような意味づけをしているのですが、彼は自分の意味づけが一般的なものであるかのごとく思っています。

そう。原因論、環境決定論を主張する人は、自分の意味づけしかないと狭い見方をしているのです。

引用元:本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説13 競争について

2月2日(木)~5日(日)はサービスデー

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2月2日(木)~5日(日)は、本郷ひろなかサービスデーです。

 

ご予約の時か、カウンセリングの初めに「2月は素敵」という合い言葉を言われた方は、

 

本郷ひろなかの60分対面カウンセリング・施術が、6000でどうぞ。

 

本郷ひろなかの電話カウンセリングは、2回目以降6000(初回のみ3000)なのですが、合い言葉を言われた方のみ、60分4000でどうぞ。

 

サービスデーを有効に使って、人生を幸せに導きましょう。

 

 




引用元:2月2日(木)~5日(日)はサービスデー
アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第12回です。 戦わないという選択

アドラー心理学ではなくて、仏教の話になります。

実は長老派仏教でも、アドラー心理学と同じく、感情というものは湧き上がってくるものではなく、「その人が怒っているだけだ。」だから「怒らないようにすればいい。」と言います。

似てますね。ちなみに、長老派のお坊さんたちは、「仏教は宗教ではない。仏教は人が悟りを得るための実践学だ。」と言うらしいです。

長老派の仏教というのは、昔「小乗仏教」と言っていたスリランカやビルマ、タイ、ラオス、ベトナム等に伝わった仏教です。

いわゆる大乗仏教が、長老派の仏教を参考に創作された仏教なのに対して、長老派の仏教は仏陀の直接の弟子(長老)たちが指導し、仏陀の教えを伝え続けた仏教です。

仏陀の逸話に「悪口を言う男」の有名な話があります。

ある男(バラモンだったとも言われる)が、仏陀(ゴーダマ・シッタルタ)がたくさんの弟子に慕われ、人びとが集まって来るのに嫉妬を覚えていた。

その男は、仏陀が毎日のように、同じコースを歩いていることを知りました。それで、男はそのコースの途中で待ち伏せして、弟子たちの見ている前で、あることないこと悪口を言ってやろうと思いました。

そしたら、仏陀が怒って言い返してくるだろう。その仏陀の汚い言葉を聞いた弟子たちや人々は、仏陀に幻滅して、仏陀のもとを去っていくに違いない。と思って作戦を練ったのです。

仏陀がいつものコースを歩いてきました。待ち伏せしていた男は、仏陀にあることないこと悪口、罵詈雑言を投げかけました。

しかし、仏陀はただ黙って、穏やかな顔をしてただ立っているだけでした。弟子の中には怒る人もいたのですが、仏陀本人は平気な顔をしていました。

ものすごい勢いで、悪口を言い続けた男は、疲れてへたり込みました。そして、「こんなに言っても、なぜおまえはそんな平気な顔をしているんだ。」

仏陀は静かに言いました。

「あなたが、誰かに料理を食べてもらおうと持って行ったとしますね。相手が『いらない、食べない。』と言って返したら、その料理は誰のものですか?」

「そりゃ決まっているだろう。私のものだ。持って帰るしかない。」

「私も、あなたが持ってきた料理はいりません。食べないのでもって帰ってください。」

「あっ」と気づいた男は、恥ずかしくなって逃げて行ったといいます。

仏教の逸話の中でこの「男」が仏陀に挑んだのも権力争い=戦いですね。(嫌われる勇気P102)

戦いに負けると屈服しみじめな気分を味わいます。

戦いに勝つと、相手を支配したような気分になります。しかし、その後に待っているのは復讐です。

支配と屈服は、戦いの延長戦なのです。

われわれは、最初から戦いません。土俵から降ります。

負けて屈服したりもしませんし、勝って支配しようともしません。ぜったに挑発に乗らないのです。

「我慢したり」もしません。我慢は、心の中で戦っていて、だから怒りを使っているのだけど、それを表現することを我慢しているのです。

闘う以外の方法を知らないから、怒りを使わないコミュニケーションを知らないから、つい戦って怒りを使うのです。

自分の意見が「正しいか?正しくないか?」相手の意見が「正しいか?正しくないか?」という考え方にとらわれると、正しい争いに迷い込みます。

意見は、違うだけです。

ライフスタイルの中に「戦う癖」があるから、意見交換をしているだけなのに、つい相手の意見を否定して、自分の意見の正しさを主張するのです。

「私が間違っていました。」と自分の誤りを認めるのは「負け」でも何でもない。ただ、自己の謝りに気づいたという意見を述べただけです。

「私の言葉で嫌な思いをされたんですね。ごめんなさい。」と謝るのは、相手の心を癒すためです。相手と仲良くするために癒すのです。「負け」でも何でもありません。

「戦いの土俵から降りる事」は、戦いをやめて、協力して仲良くしていく舞台に上がったのです。

引用元:本郷ひろなかの「嫌らわれる勇気」解説12 戦わないという選択・・・
アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第11会です。 どのような意味づけをほどこすか

実は、アドラー心理学は、過去の環境のような原因が決めてしまうという「決定論」は否定していますが、過去の環境の影響は否定しない「やわらかい決定論」です。

だからこそ、アドラーは、教育や子育てに興味を持ち、世界最初の児童相談所を作り、親や教師や医師の再教育の場としたのです。

親や教師や医師を再教育することで、子どもたちの成育環境を改善しようとしたわけです。

決定権は、過去の成育環境にあるのではなく、本人にあるのですが、「青年」のように「幼いころから優れた兄と比べられて育って来た」という環境に大きく影響は受けるわけです。

ただ、私たちは過去の成育環境を「原因」とは思わないで、ただの「影響」だと思い、その影響をもとに決定を下したのは本人だと思っているからこそ、救いがあると思っているわけです。

子どもの頃の決定は過去のモノなので、過去にさかのぼって覆すことはできませんが、決定権を有する「原因」ではないので、過去にさかのぼって覆す必要もないわけです。

決定権を持った本人が、子どもの頃に決定したライフスタイルを、幸せなライフスタイルに決定しなおせばいいわけです。

そして、その決定し直しの時に、競争の枠組みから離れて、他者を協力し合う仲間だと思う枠組みに決定しなおせばいいわけです。

そして、過去はすでにないため、それに対する現在の意味づけさえ変えてしまえば、世界はすっかりと変わってしまうわけです。

過去はないのです。過去の出来事についての 今の記憶 しかないのです。今の記憶=意味づけを変えてしまえば世界は変わるのです 

なぜならば、われわれは、現実そのものを直接見ることはできなくて、意味づけを通してしか見ることが出来ないからです。

意味づけ=ライフスタイルで世界は変わるのです。

アドラー派のカウンセリングを受けて、ライフスタイルを改善した人たちは、口をそろえて、過去の記憶が変わったと言います。

私も変わりました。過去の悲惨な体験の記憶が薄れたり、まったく違ったものに変わったり。

この体験をした人は、「ああ。トラウマってないんだ。」と分かります。

間違えないようにいますが、思い出すととてもつらい、苦しい記憶を持っている人はたくさんいます。それを「トラウマだ。」と呼んでいる人たちがいることも承知しています。

私たちは、それを「トラウマ体験」という原因によって必ずそうなっているという決定論を否定しているだけです。

アドラー心理学は「やわらかい決定論」ですから、原因だけが決定するという決定論は否定しますが、過去の成育歴のような体験の影響までは排除しません。

「体験」という影響を受けて、その「体験」を本人がどのように受け止めるかという「意味づけ」を通して、現在のライフスタイルを形成し、そのライフスタイルに合致する記憶を保持している。と私たちは思っているのです。

だから、「哲人」は、P101で、「過去の出来事にどのような意味づけをほどこすか。これは『今のあなた』に与えられた課題です。」と言っているのです。

引用元:本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説11 どのような意味づけを・・・
 
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アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第10回目です。 競争の枠組み

他者と比べたり、競争したり、戦ったりしている間は、人は幸せにはなりません。

私たちアドレリアンは、「この世は、人びとが協力し合って助け合って成り立っている世界だ。」というコモンセンス(共通感覚)を持っています。

原始時代は、何でも村人が協力して行っていました。釣りくらいは一人でできたでしょうが、大きな獲物を狩りに行くときとか、村人の家を建てる時などは、村人が協力して事に当たったはずです。

釣りでも、何もかも最初から一人でというのは無理でしょう。

竿や釣り糸や釣り針の作り方、道具の使い方、沼や川や海で釣る時のコツなど、最初は誰かに教わったはずです。これも協力です。

現代の複雑な社会もそうです。全部を一人でやってしまうなど絶対に無理です。

ものすごい種類の職業や役割を分担して、お互いに助け合ってこの複雑な社会を維持しています。

この世は助け合う場だし、他者は助け合う仲間です。

この共通感覚の現実に合致する意味づけ=思い込みを持っていると健全であり、幸せを感じることが出来るのです。

ところが、「この世は競争だ」「この世は戦いだ」「他者は競争相手だ」という意味付け=思い込みは、共通感覚と大きくずれるので問題です。

競争や勝ち負けがあるのは、ゲームの中だけです。

ゲームの特徴は、ルールと時間や空間の制限があることです。

例えば、ジャンケンは、「パーがグーより強くて、チョキがパーより強くて、グーがチョキより強い」というルールがあって成り立ちます。

「俺のパーはグーよりも強いんだぜ」と言い出したら、ジャンケンの勝負は成り立ちません。

将棋、野球、ラクビー、相撲、100メートル走などなど、ルールがあって、みんながそれを守って初めて、競争や勝負が成り立ちます。

人生には、ルールも制限もありません。だから、競争も勝ち負けも成り立ちません。

協力と助け合いがあるだけなのです。

昔の私もそうでしたが、ゲームでもないのに競争意識や勝ち負けを意識する人がいます。

そうすると、未来の理想との間に感じる純粋な劣等感ではなくなって、苦しい劣等感になることがあるのです。

そして、中には、苦しい劣等感をごまかすために、自慢をして、競争で勝ったような気になるのです。

本当に自分に自信がある人は、競争していないで、ありのままの自分(劣等感込みで)を受け入れてますから、自慢をする必要はありません。

自慢をして、優等コンプレックスを振り回すのは、競争の枠組みの中に生きていて、優等コンプレックスを振り回すことで、苦しい劣等感をごまかそうとしているのです。
 
競争の枠組みは、勝ち続けるといいように思えるかもしれませんが、いつかは負けるし、負ける不安などもあるし、多くは勇気をくじかれるし、トラブルも多いので、あまりお勧めしません。
 
だから、p95で、哲人は、「対人関係の軸に競争があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることはできません。」と言っているのです。
 
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