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アドラー心理学を生きる2 どのように改善されたか?そしてどのように改悪されたか?
アドラー心理学を生きる3 メモ「ライフスタイル」
アドラー心理学を生きる4 メモ「課題の分離」
アドラー心理学を生きる5 闘い続けた30代

アドラー心理学を生きる6 ちょっと脱線「アダルトチルドレン」

 

アドレリアン本郷ひろなかの「アドラー心理学を生きる」 第7回です。

 

今回は、メモ「使用の心理学 道具をかえる」です。

 

妄想好きな私は、子どもの頃から妄想ばっかりしていて、現実にはあまり向き合おうとはしていませんでした。現実の生活が辛すぎたので、逃げたかったのかもしれません。

 

そして、その妄想の中で、かなり頻繁だったのが、「もし、あの時こんな行動をとっていたらどうなっただろう」という夢のような甘美な妄想でした。

 

実際には、うまく行っていない私でも、妄想の中では大成功しているのです。この、過去を妄想する癖は、30代のころまで続いていました。

 

同時に、過去の行動を後悔したり、罪悪感を感じて悶々と苦しむ癖も同時に持っていました。

 

例えば、大学時代に教授と約束したレポート提出を引き延ばして引き延ばして、とうとう提出しなかったことを、大学卒業後も、それこそ10年くらい後悔して罪悪感にさいなまれていたのではないでしょうか?

 

ところが、アドラー心理学は、徹底的に「今ここ」に意識を集中させることを推奨するのです。

 

「過去はもうない」として、後悔どころか反省すらもしない方がいいとします。


反省しないって、やばいんじゃ?と思う人もいるかもしれませんが、大事なのは未来に向けての改善であって、反省ではないのです。反省だけして改善しなかったら何の役にも立ちませんし、反省なんかしなくても、ちゃんと回復措置や改善が出来たら、それで十分だと思いませんか?

 

まだ来ていない未来の出来事を不安がるのもナンセンスだと考えます。その出来事がきてから、自分にできることで対処すればいいのであって、その時考えればいいのです。

 

もっと言うと対処できないような出来事であるならば、対処できないのであるから、考えるだけ無駄なのです。自分にできる事だけを考えればいいと考えるわけです。

 

しかし、当時の私はこのアドラー心理学の基本的な考え方と正反対のライフスタイル(人生のプログラム)を持っていたようで、しつっこく過去を変える妄想を繰り返し、過去の行動を後悔して、罪悪感にさいなまれ続けました。そして、未来に良くないことが起こるかもしれないことを不安がり続けました。

 

これは、癖のようなものなので、なかなか修正できないのです。

 

私は、必死にSMILEのテキストを読み返して、過去のことを考えないで、意識を現在に戻す練習、意識を自分にできることに戻して行動する練習をし続けました。

 

このように、SMILEのようなプログラム学習コースは、テキストを何度も読み直したり、再受講して再確認することによって、ライフスタイルを変えて行くことに役に立つのです。

 

これが、自分一人でやると、自分の古いラフスタイルで考えて変えようとするので必ず失敗するのですが、SMILEの受講と練習の繰り返しは、カウンセリングと同じようにライフスタイルの改変に著しく効果があるのです。本人がSMILEのテキストを暗記するくらい読み直して、あきらめないで自分のライフスタイルの改変のために実践し続ければですが。

 

ジョセフ・ペルグリーノ博士のカウンセリングを受けたこと、岩井俊憲先生(ヒューマン・ギルド代表)のカウンセリングを受けたこともあって、私のライフスタイル改変は進んでいきました。

 

比べて、競争して、闘う癖の方はかなり根強かったのですが、過去を考える癖は、過去を考えていることに気づいたときに止めるようにしていたので、次第に過去を考えることもなくなり、未来を不安に思うこともなくなってきました。同時に、後悔の念や罪悪感を使う癖もなくなていきました。

 

この過程の中で、アドラー心理学の一つの特徴である「使用の心理学」について、納得していきました。

 

過去を妄想する癖も、過去の行動を後悔する癖も、罪悪感という感情も、全て自分が使っていた道具に過ぎなくて、それをやめて、「目的を意識して行動する」などの違う道具を使うのは「私」なんだな。

 

私が使用者で、全ては道具に過ぎないんだな。と納得していったのです。

 

この「私」という感覚が「分かる」のには、数年かかったような気がします。これは、「全体論」というのですが、後で詳しく説明しますが、人間を一つのまとまりを持った統一体だととらえる考え方です。

 

さあ、アドラー心理学は人間のことを個人と呼んで、アドラー心理学の正式名称は「Individual Psychology」直訳すると個人心理学というのですが、この「Individual」には「分割できない」という意味があって、フロイト精神分析が人間の精神構造を、「スーパーエゴ」「エゴ」「イド」などの部品に分けて考えたのに異論を唱えたのです。

 

分割できない「個人」が、あらゆるものを道具として使う。と考えているのです。「ライフスタイル」ですらも「個人」の道具です。だから替えられるのです。

 

感情も道具です。

 

好みの異性と出会って、「この人と親密に付き合いたい」という意図(目的)を持つと、近づいていくために役に立つ「好き」という感情を作り出して、積極的な行動に出ていきます。

 

車を運転していて、スピードを出しすぎると、「未来の危険から自分の身を守りたい」という意図(目的)を持ち、守るための「怖い」という感情を作り出し、アクセルを緩めたり、ブレーキを踏んだりします。

 

夜遅くになっても宿題をしていない自分の息子を見て、「宿題をさせたい」という支配的な意図を持つと、怒りという感情を作り出して、「さっさと宿題をしなさい。」と怒鳴ります。

 

このように、感情というのは、相手役に対してある意図=目的を持って作り出し使う道具なのです。

 

そして、ライフスタイルの方向性にそって感情を使う癖を、道具として使い続けるわけです。

 

私は、いつも競争していましたので、私から見て、他者は潜在的な敵でした。特に、父との関係が悪かった成育歴から、上長者は敵でした。

 

だから、学校の中で管理職の先生が私から見て期待外れの言動をすると、「許せない」となって、行動を変えさせる、懲らしめる、脅す、復讐するなどの目的のもとに、怒りを作り出して、攻撃的に要求をしていたのです。

 

現在の私は、父とも仲良くしていますし、上長者の方を攻撃する癖もなくなりました。だれとでも仲良くするようになりました。

 

闘う癖を仲良くする癖に変えるのは、過去のことを夢想する、過去を後悔する、反省をする、過去の自分を罪悪感を使って責めるなどの癖を改めることよりも、時間が長くかかったのですが、使用する道具を変えるだけなのですから、私にもできたわけです。

 

当然ですが、ですから、過去を考えるという道具を、感情的になって攻撃するという道具を、もっと言えばライフスタイルという道具を変えればいいだけですので、だれでも絶対に幸せになることができるのです。

 

なかなか、ペルグリーノ博士が登場しません。

 

続く

 

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熊本こころ相談室