ココマスダの個人的ニューヨーク便り-杏奈と猫


家で古いマック、iBook G4を使っていたんですが、
新しいソフトがとうとう入らなくなりました。
マック自体はまだまだ使える物なので
これって詐欺だと思うんですが、仕方ありません。

スタジオで最近は使っていなかった、
比較的に新しいアシスタント用のマックを家に持ってきて、
iBookからデータを移す作業をしてします。

個人的に一番大切なのは写真です。
私は写真の整理にiPhotoを使っています。
Die Hard マックユーザーで~す。
(死んでもマック、というような意味です。)
アップル社の株も持っています。

ウィンドウズの使い方も一切しらないと、
いろいろ不便なこともあるんですが、まっそれは別として、、、。

いっぺんにデーターのトランスファーをしたのですが、
ちゃんと移っていないものもあり、
写真が一点でも無くなっては困るので、時間はかかるとも
かなり丁寧にチェックしました。

そのお陰でずっと見ていなかった娘の小さい時の写真を
久しぶりに見る事ができました。

写真て、長い間見ないと変わると思いませんか。
実際は変わっていないのに、写真自体が変わっている錯覚に陥ります。

幼少の頃の娘の笑顔、親ばかですが涙が出るほど可愛い!
あんなに手がかかって憎たらしかったのにどうしてこんなに可愛いの?
写真は沢山ありますが、もっと取っておけば良かった、と思います。

娘が小さい頃、うちには2匹の猫がいました。
イタリア系の夫が飼っていた猫のドルチェとバチ。
夫よりもお母さんになった私になついた2匹。
ここに載せた写真のように、
ひとりプラス二匹に一緒にごはんをあげていたっけ。
2匹は間もなく15歳と13歳で息が止まり、
娘だけが育つ事になりました。

床は張り替える前、家具も古い物だけど
すごく懐かしい写真です。

もう戻ってこない思い出のひとコマが見れました。


先ほど空手の稽古に行ってきました。今日は、組手のクラスです。
普段のクラスでも組手はやりますが、このクラスはそのテクニックを
集中的に練習します。

最近、稽古をしている間、体と脳の衰えを感じ始めました。
50歳なんだから当たり前!と言われそうですが、
正直言ってうろたえています。

体力ではありません。スタミナは、若い時よりよっぽどあります。
子供の事私は貧血気味で、朝礼なんかで目の前が真っ青になったり、
短距離走は早くとも、マラソンなんかは全くだめなタイプでした。

20代後半で初めた空手の稽古でも、
激しい動きになると、気持ち悪くなってしまう事が多かったのです。
今はほとんどそういう事はなくなりました。
もちろん疲れますが、筋肉痛とかもありません。
週に2、3回かかさない稽古の積み重ねの効果でしょうか。
それだけは嬉しいことです。

それなのに、体は思うように動かなくなってきたし、
相手の動きを読んでそれに対応する、というような事が
全くできなくなってきました。
瞬発力には自信があったのに、それもなくなりました。

組手は昔から下手だったんですが、
「うん、わかってきたぞ!」みたいな時期があったんです。
それが今の私の組手はひどい。
もともと力は全くない上に、動きがのろくなり、
技もなし。茶帯を締めている者の組手ではありません。

その日によっては神経がはっきりしている日もあるのですが、
ちょっと疲れているともうだめです。
黒帯なんてとても取れないのではないか、という思いが
頭をかすめるようになりました。

若くて大きな男性たちは、帯は下でも、
かなり手加減して私の相手をします。
背が小さくて痩せているので、
私が子供と組手をするような感覚かもしれません。
最近、私は髪の毛を染める事を辞め(これはついては次回に)、
白髪も増えてきたので、よけいやりにくいかと思います。
「もっと入ってきていいわよ。」って言うんですが、
本気でかかってこられたら困るんだろうな(苦笑)。

今日は、一分半の組手をローテーションで続けましたが、
私のところにくると、皆さんほっとして休憩をしているような感じでした。
こっちは真面目なんですが、仕方ないですね。
それなら突きでも蹴りでも入れてしまえばいいんですが、
私のそれは痛くも痒くもないようです。

背が高く、非常に力の強いPは、今日も相手の胸に容赦なく
突きを入れ続け、白帯さえもぼかぼか痛めつけていました。
一年以上も前に、彼の下蹴りを始めて股に受けた時の痛さは忘れません。
それから、彼のキックだけはまともに受けないように気をつけています。

Pが回ってきたときは、手加減をしながらも突きと蹴りを入れてきて、
自分の胸へのガードは開けて、「突いていいよ。」みたいに挑発します。
たぶんどうもないだろう突きを何本か入れた時、
「うっ。」とPが大げさに痛がる格好をしました。

すぐに冗談だとわかり、
「冗談でしょう。一度でも本当に入れたいわ。」
と言うと、Pはにやっと笑いました。
その時はそれだけだったんですが、
じわじわと、

「ばかにされた。」

という悔しさが湧いてきました。
Pから見たら、私の組手なんかみっともないんだろうな。

先生は、こんな私でも真面目に指導してくださいます。
テクニックを教えながら、
「もう少しですよ。」と言ってくれる。
ありがたいことです。

間もなく稽古が終わって、私以外に誰もいない女子更衣室に戻ると、
じわっと涙が出てきました。
悔しい。情けない。
(今も書きながら涙が出てきます。)

なんでこの年でこんな事しているの?
(女で、っていうのは考えないのは性格です。)
自分より半分の年の猛者たちと組手して、
相手にされないのは当たり前。

歌手でもスポーツのプロでも、
みっともなくならないうちに引退するのが普通。
私は大会選手ではないけれど、
自分の能力の限界を知るべきなのか。

どうして自分は極真空手がこんなに好きなのか?
運動のために空手をやっている人たちもいるし、
型だけが好きな女性は多いようで、
それはそれでいいと思います。

だけど私はそうではない。型も好きですが、
組手も全部ひっくるめて空手が好きなんです。
強くなりたいし、うまくなりたい。
年は取っていても
「あの人の技はすごい。かっこいい!」っていう人がいるじゃないですか。
そういう空手家になりたいんです。
そう、この年で、そんな事を思っているんだからあきれますよね。

30代の後半に、商売道具の手をかばいながら組手をしていて、
「シャドー・ボクシングやっているんじゃないわよ。」と
荒っぽい女性に言われて、
「彼女の言う通り。私にこの空手はできない。」
と思って一旦極真を離れました。

そして何年もの間空手が恋しくて仕方がありませんでした。
子育てが一段落して、またやってみようか、という気になったけど、
今更極真は無理だろう、とセミ・コンタクトの道場に入門し、
やっといい道場が見つかった、と思ったのも束の間、
毎回極真道場を懐かしく思いながら2年以上も稽古をしていました。
そして数年前に極真に復活して今日に至ります。

もう自分には他の道はありません。いつか極真空手の黒帯が取りたい。
取るだけではなく、それに値する技を得たい。
初段の試験で病院行きになってもいいと思ってます。
どうしてだかはわかりません。
理屈では説明できません。

子育てと仕事をしながらの稽古にあたられる時間は限られています。
これからは本当に年との戦い。
力は弱くなる一方。

でも諦めません。私の修行の道は続きます。
















ココマスダの個人的ニューヨーク便り-バレットとスケート

 


先日、ロックフェラセンターのスケートリンクでの
お誕生日会について書いたばかりですが、今日もスケートの話題から。

昨日は、娘の学校が一年に一回催す「アイススケート・デー」で、
2、3年生全員が、セントラル・パークの
ウォールマン・リンクに遠足でした。
ボランティアの親たちも何人か付き添いで行きました。

これは新学年が始まってから100日めに行われる催しで、
本当は2月にあるはずなのですが、その日に大雪になって
学校は閉鎖、今まで延期になってしまったのです。

上の写真は、娘の担任の先生とクラスメートたち。
最近結婚したばかりの、若くてクールな先生です。
冷たすぎる、という親の意見もありますが、
子供にも親にも媚びず、やる事はやっていて私は好きだし、
娘も、マラソンも走っているという先生を尊敬しているようです。
学力も、この先生のお陰でぐっと伸びました。

昨日はぽかぽかの春日和。
暖かくて最高でしたが、午後にはリンクの氷が溶け出すことに。
上手な私には問題なくとも(笑)、転んだ子たちはびしょぬれ!

先日は空手で痛めた足が痛くて滑れなかったので、
昨日は久しぶりに滑って最高でした。

そして、セントラルパークを出て遭遇したのが
このおもしろい風景。

 

 

 

ココマスダの個人的ニューヨーク便り-馬と鳩

 


セントラルパークの南端の外側には、
旅行者を載せる馬車と馬が沢山ならんでいます。
一頭の馬の餌にたかっているのがちゃっかり者の鳩達。
馬はどうやって餌を食べるのか、と思いきや、
馬が首を下げると、パァーっと鳩が飛び去ります。
そして、馬が休憩して頭を上げると、すかさず戻って来る。
馬は鳩が自分の餌を横取りしているのにも気付かない様子。
なんだか平和な風景です。

これを見て子供たちは大はしゃぎでした。

人間もこんな風に富を別け合えればいいですね。

 

 

ココマスダの個人的ニューヨーク便り-ロックセンタースケート2
ココマスダの個人的ニューヨーク便り-ロックセンタースケート1

 


ほとんどのツーリストが必ず立ち寄る、
ロックフェラー・センターのスケートリンク。
私も上から見学するだけで、一度も滑った事はありません。
セントラル・パークのウォールマン・リンクなどに比べると
かなりこじんまりしていますが、一度は滑ってみたいな、
と思っていました。

空手を一緒に稽古している可愛らしいお嬢さんが、
ここで5歳のお誕生日パーティーをすることになって、
娘が招待されました。
付き添いの私も初めて滑る事に、と書ける予定だったのですが、
午前中に行った空手の稽古で足を痛めてしまい、
靴を履いているのも痛かったので見学でした。 残念!

でも、スケート場のフロアに降りて、
プロメーテウスの像を間近に見る事ができました。
この金ピカの像は、ニューヨークの象徴として自由の女神に次いで
知られていますが、名前を知っている人は少ないのでは。

スケートの出来ない子たちには、
インストラクターがプライベートレッスン。
ただひとり大きなゲストの娘も、
助っ人として小さい子達と手をつないで滑ってあげていました。
小さい子達の世話が大好きな娘はハッピーでした。

でも、いつの間に「大きな子」になっちゃったのかな。
子供、と呼ばれるのもあと数年だけね(涙)。

一時間ちょっとスケートをした後、
プロメーテウスの横にある広場でお誕生日ケーキのお祝い。
チョコレートにバニラフロスティング、
とってもおいしかったです。
こんなすてきな場所でのお誕生日会、参加できて光栄です。
ママさんのYさん、ありがとうございました。











 

 

ココマスダの個人的ニューヨーク便り-杏奈_読書

 


3年生の娘が急に前に本の虫になりました。
いや、徐々にだったのかもしれません。すごい変化です。

彼女は、ずっと読書が好きな子ではありませんでした。
私自身が読書は大好きで、暇さえあれば本を読んでいるので、
小さい頃から考えられる事はすべてやって、
本の好きな子になるように努力しました。

娘をバイリンガルに育てるために、
その筋の専門家の書いた本に従って、
私は娘に日本語の絵本を読み、
夫は英語の絵本を読んであげるようにしました。
寝る前にはどちらかが必ず読み聞かせをしてきました。

けれども、活発すぎて、昼間に座って本を読む事は拒否する子だったのです。
本屋さんや図書館に行く事もいやがりました。
保育園で、親に本を読んでもらっている子を見ると、
どうしてうちの子はそんな普通の事ができないんだろう、
と悲しくなりました。

一年生になる前の夏(アメリカの学校は9月始まりです)には、
学校が推薦した、「読書が好きになる」という講座を親子で受けました。
少しは読む能力は進んだかもしれませんが、
本を手に取る事には、一向に効果があったようには見えませんでした。

夜の読み聞かせの方は、だんだん英語の方を好むようになってきました。
言葉自体がどうのこうの、というよりも、
英語の本の内容の方が興味があるようでした。
娘が興味を持てる、日本語の本がないかと、随分探しました。
英語の本の翻訳を読ませる、という事も試してみました。

一、二年生の間、学校で習う読み書きは普通に出来るようでしたが、
自分から本を手に取ったのは見た事がありませんでした。

私は本を読む事の楽しみを言い聞かせ続け、
いつか娘と一緒に並んで本を読む事を夢見ていました。

2年生になると、一日20分間、3年生では30分間、本を読んで、
読書の記録をつける事が毎日の宿題になりました。

去年の暮れ頃からでしょうか、日本語の宿題をするよりは、
英語の本を読んだ方がよっぽどいい、というような
態度になってきました。
日本語の本はなだめてもすかせても読もうとしません。
10分間読ませるのがやっとです。

夫が担当の夫が取った手段は、娘が興味を示せば、
くだらない本でもなんでも買ってあげることです。
彼自身、フィクションは全く読まない人なので、
これは私には辛かったですね。
なんでもっといい本を薦めないんだろう、と
思いました。

そのうち、子供たちの間で流行っている、
”チャプター・ブック”と呼ばれる、シリーズ物の本を
好んで読むようになりました。

クラスでは、日本のように皆が同じ教科書などを読むのではなく、
子供の読書の能力別にAからZまでのレベルが定められ、
そのレベルの本だけを読むように勧められます。
クラスにはレベル別の本が沢山置いてあって、
子供たちは自分の宿題の本を選んできます。

読める本のレベルが上がる事は、
娘にとってとても大事な事になりました。

時々「本(英語)を読んでいい?」と聞くようになってきたのは
数ヶ月前のことでしょうか。
とってもいい事なのに、日本語の補習校の宿題が沢山ありすぎて、
「ごめん、悪いけど日本語の宿題やろうね。」
と言わなければならないのはとても辛いことでした。
それが、補習校をやめさせることに繋がりました。

そして、ここ何週間かの間に、暇さえあれば本を読むようになったのです。
一日一冊のスピードです。
話しかけても本に夢中で返事をしないし、ご飯を食べる時間も、
寝る時間も惜しいようです。
「いいかげんに本を読みなさい!」が、
「いいかげんに本を読むのを止めなさい!」になりました(笑)。
娘といる時間がかなり楽にはなりましたけど。

あんなに好きになってもらいたかった読書なのに、
なんだかこれから淋しくなるなぁ、と複雑な気持ちでいますが、
一応、めでたし、めでたしです。

その内、日本語の本も読んでくれるようになるのかなぁ、、、。