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ご利益のための神頼みと本当の祈りは、まったく別物なのだとシルバーバーチは教えてくれています。ニコニコ




祈るということは大切でしょうか?


その祈りがどういうものであるかによって答えが異なります。

祈りの本質は、人のためのサービスという行為へ向けて魂を整えることです。

より高度なエネルギーと調和するための手段です。

全身全霊をこめて可能なかぎり高い次元の波動に合わせようとする行為のことです。

それに呼応して注ぎ込まれるインスピレーションに満たされて霊性が強まります。

祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。

もちろん全身全霊をこめた祈りのことです。

祈りはあくまでも手段であって目的ではない――これが最も正しい表現でしょう。




祈りの言葉はたった一言しかありません。

何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え これです。

この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。

どのような形でもよろしい。

大霊の摂理の霊的な意味を教えてあげることでも、飢えに苦しむ人に食べるものを与えてあげることでも

あるいは暗い心を明るく晴らしてあげることでもよろしい。


人のために役立ちさえすれば、形式はどうでもいいのです。

自分のことより他人のためを優先し、自分の存在を意義あらしめるほど、それだけ霊性が発達します

それはあなた方の一人一人の内部に宿る大霊が発揮されるということです。




至って単純なことなのです。

生きる意欲を失くしている人のところへ出かけて行って元気づけてあげ

疲れた人に眠る場を与え、飢えに苦しむ人の空腹を満たしてあげ、渇いた人の喉を潤してあげ

暗闇に閉ざされた人の心に明るい真理の光を灯してあげることです


そうしたことを実行している時、あなたを通して大霊の摂理が働いていることになるのです。




祈りとは魂の表現です。そのことを分かり易く説明しましょう。

祈りとは光明と導きを求めての魂の叫びです。

その行為そのものが回答をもたらすのです。

なぜならその行為が思念のパワーを生み出すからです。

そのパワーが原因となって回答を生み出します。

その回答が結果です。

そこには不公平も、えこひいきもありません。

内部の大霊をより多く発現し、より多くの恩寵を授かるための、魂の活動です。





なぜ人間は神に許しを乞うのでしょうか。摂理を犯せば必然的に罰が与えられると思うのですが……


許されればそれで償いが済むわけではありません。

代償は必ず支払わねばならないのですから。

許しを乞うという行為は、大霊の摂理と調和しようとする行為の始まりです。

内省し、魂が自己批判をしはじめたことの証です。

そこから本当の進化が始まります。





人のために祈るということも何か効用があるのでしょうか?


あります。真摯な祈りは決して無駄にはなりません。

意念には生命力が潜在しているからです。







利己的な祈りではなく、本当の祈りを行っていきたいものですネ。ニコニコ






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