私の密かな楽しみ、それは文通

パソコン、携帯が世に普及した今でも、手紙を書くことが大好き。手紙には何か相手を勇気づけるパワーがあるよね。特に離れている友達からもらうととても嬉しいもの。

夕べ会社から帰宅すると、九州にいる友達からの手紙がポストに入っていた。彼女とはもう12年もの付き合いニコニコ地元で一番親しい友人である。ぺちゃくちゃおしゃべりしていても、お互い黙ってマンガを読みふけっていても居心地がいい。今は東京と九州で離れてしまったので、会えるのは年に一度くらい。これは非常に寂しい。

ものすごく親しい仲でありながら、実は私、彼女を本名で呼んだ記憶がない

中学1年のとき、私がどうやら彼女にあだ名をつけたらしいのだが(ここではTと呼んでおこう)私はよく覚えていない・・・本名とはかけ離れた、一体どこからそんな発想が出て来るのか自分でも分からないくらいぶっとんだあだ名。確か、バーテンダーごっこを理科室でしていたときに付けたような気がする。私がマスター役で、もう一人の友達が「サブ」という常連役、そして彼女が店を荒らしにくるヤクザか何かの役柄だったような・・・

まあとにかく、女の子らしくない、ワケの分からないあだ名で私はTを12年間呼び続けている。可哀想なことに、うちの両親&弟まで彼女のことをTと呼ぶ。定着しちゃってるんだよね。しっくりくるんだもん。

でもTは決して、ヤクザみたいな顔をしているわけではない。
ちっちゃいどんぐりのような、柴犬のような、くりくりとした目を持つ愛らしい女子なのだ。つい最近髪型をマッシュルームカットにしたらしい。「ビートルズの中に入っても絶対気づかれない」みたいなことが手紙に書かれてあった。


そんな彼女と私、お互いどうして友達でいるのか分からないくらい性格も嗜好も生き方も違う。

子供の頃はそれほど違いは見えなかったものの、自分で自分の人生を選択していく年頃になってからは、2人の違いははっきりと出て来た。


でもそれがなぜかうまくいく。
Tは手紙の中で、「私があんたと友達になれたのは人生の七不思議だ」と言っていたが、私も同じように思う。ラッキーな七不思議だ。

中学の頃、私たちは本当にアホなことにはまっていた。
掃除の時間はたいてい「小林幸子ごっこ」(椅子の上に立ち、制服のわきからほうきなどを差し込んで上から毛布をかぶせ、紅白さながらの巨人を作る)か「ジュディオングごっこ」(基本的に幸子ごっこと同じ。違うのはそでにかけた毛布をゆらゆら揺らしながら歌うだけ)に熱中していたし、偽ラブレターを靴箱に入れて反応を見て楽しんだり、授業中先生のイラストを書いて、体だけグラマーな姉ちゃんにしておもしろがったりしていた。

あの頃は、将来自分が親元を離れ、いつか友達ともバラバラになることなんて思いもつかなかった。中学高校を通して、今もまだ連絡を取り続けている友達は5本の指に収まるほど少ない。だからこそ貴重なんだな。


こんなことを書いていると無性にTに会いたくなって来た。
次はいつ会えるのかな・・・

こういうときはやはり・・・手紙でしょう!!!!