イギリス子育て、さあどうする?

イギリス子育て、さあどうする?

日本へ帰りたいけど、帰りそうもない家族の記録。

始めは2年の予定で来たイギリス。

3年、 5年 、10年と、あっという間に時間が経ち...

親に会うために、なるべく毎年、帰国するようにしていますが、いつしか”祖国日本”が”異国”に感じるようになりました。

2011年、40才直前で母になり、仕事と子育てに追われながら、毎日がんばってる家族の記録。

宜しくお願いします。



$23:00 ロンドン発



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子供が生まれた事で何年か放置していたフェイスブックを再開し

今度はこちらのブログが放置になってしまいました。

ブログから遠のいてしまった原因はといいますと...



1 それはフェイスブックの操作が簡単であるということ

2 産休中は母乳育児でしたので時間がとれなかった

3 9月から職場復帰し、3人の新しい生活サイクルにてんてこまい



スマホからなら写真を撮ってすぐ投稿出来ちゃうのでフェイスブックは簡単ですもんね。

だけどまたブログがんばっていこう。

そんなこんなしてるうち、我が家の息子は後3日で1歳7ヶ月になります。

大きくなってます。


リクを彼の部屋に移動して約2週間を迎えようとしている。





『まだ7ヶ月の赤ちゃんを1人にするのはさぁ...』





生まれる前は6ヶ月になったら即そうすることが計画だったが、いざ生まれてみると


気持ちの準備は簡単に整うものではない。


スヤスヤと眠る我が子の寝顔を見て、今まで感じた事のない感情を味わった。


しかも自分の顔に似てるから思わずぷっと吹き出しそうになる。




なぜそんなに早くから1人にさせるのか?





自分は16でアメリカに行くまで1人で寝る事ができなかった。


ずっと家族4人で日本間に布団を広げるのが我が家の習慣だった。


親と暮らす事のできなかった父は、家族みんなで床につく事に少しポリシー的なものを


持っていたようで、そうできることに感謝しているようだった。



小さいときはそれで良かったのが、少し生意気な年頃になった私は



『1人で寝れないなんて、いかん』



と思っていた。



こんなことクラスの友達には言えないと思っていた。



本気で『いかん』と思っていた。



こんな自分を直そうと何度か2階の自分の部屋に布団を持ち込んでみたこともあった。



だけど、どんなに電気を明るくしようが、音楽をかけてみようがダメなものはダメなのである。



『もしも自分が子供をもったとしたら、こんなことはないように...』。



更に生意気な年頃になった私はこれから自分の将来がどうなるのかさえ分からないのに、



そんな思いをずっと強めていった。



自分が子供を生むかどうかさえまだ分からないのに。



ましてや自分が『この人の子供を生みたい』と思えるような男にさえ出会えるのかもわからないのに。



この世に誕生しまだ7ヶ月余り。



親の勝手な思いにより1人で寝かされているリク。



ごめんね。



そして、いつしかその小生意気な小娘は母となり独り真っ暗闇で大の字になって眠るのが大好きになった。



ブログ放置しすぎだろ?
と思われても仕方ありません



皆さんお元気ですか?






去年の8月に息子を生んで...



育児の間の家事
夜間の授乳
3人という生活への変化


.....



リズムをつかむまで時間がかかり
軌道にのってからも暇があったら眠りたい...(無理だけど)
という生活



家族はみんな日本なのでリクをちょっと預けるというわけにもいかない




.....




しかし



最近、このような生活に変化が!




リクを自分の部屋に移動してもらい
夜も7時半から朝の7時まで寝てくれるようになりました(もちろん今の所だけど)




おまけに!




母乳は朝と寝る前の1日2回!
(自分では目が飛び出そうなくらいスゴい事なんです、すみません)









今週体重を計りにいった時のこと...



『8月で産休終わるので9月くらいから仕事復帰なんですが
どうやったらお乳が自然に減ってくれるんでしょうか?』
ヘルスヴィジターに尋ねてみた



『お母さん、それは授乳してたらしてるだけお乳はつくられるから』



いやぁ
それはわかってるんだけど
おっぱいのトラブル無しで
どうやって回数を減らしていったらよいのか



幸いな事に母乳が足らなくて困った事はなく
むしろ溢れ返すという言葉がピッタリくるくらいだった
多すぎて乳腺炎手前といことも何度かあって
『もう母乳やめたい!』と頭を抱えた日々もあった
日本のようにマッサージとかなくて不安だった経験も今となってはいい思い出



ヘルスヴィジターに『1日に何回お乳あげてるの?』と聞かれ



『うーん、4回とかかなぁ?』(まあ4回に減ってるのは自分でもよく減ったなと思う)



『お母さん、そんなにあげなくてももういいのよ
離乳食、3食あげてるんでしょう?
しかもリクちゃん、体重はファンタスティックだし』



はい?えええええええええ!



あげすぎてたの、もしかして?



そりゃ6ヶ月すぎると母乳の栄養成分は変わるというのは知ってたけど、えええええええ!









全てが初めての経験
しかも異国



こんな毎日の試行錯誤の連続で今まできたので
ブログの時間はありませんでした




でもこんなわけで
また定期的に戻れそうな予感(今の所)




読んで下さった皆さん!




このブログ
間隔があきましても
閉鎖することはありませんので
よろしくおつきあいください




リク




来週の月曜日で8ヶ月です...




わたしの手編みセーターを着て...



最近急におにいちゃんになっています

突然ですが心機一転
ブログタイトルを変更しました


えみちんです
こんにちは


なんとなく赤ちゃんとの生活も落ち着いてきました



8月15日に我が子が生まれてからというものブログの更新もままならず
また出産経緯のブログで時間がかかってしまい、詳しいことは書けずじまいでした



申し訳ないです


  





性別判定はお願いしていなかったので、赤ちゃんの性別は
その子に本当に出会うまで分かりませんでした



お腹の形から職場では95パーセントの同僚に女の子と言われ続けました


違う部署の人たちまで私のお腹を見に来て『こりゃ、ガールだね』などと言って去っていく始末







看護士さんたちには

『赤ちゃんの性別は相方に教えてもらいたい』

と伝えてありました




そして17時間のお産の末に相方から聞いたのは


『えみちん、男の子だよ!』


『あっ、そう。 え”え”え”ーーーー!!!


洗脳とは怖いものです


というわけで期待?を裏切り元気な男の子が生まれてくれました



名前は、途絶えることのない大地のようにどっしりとした重みを持ち、その強さの中に何事をも包み込むような優しさを備えた人間に成長して欲しい、という願いを込めて『』と命名しました






生まれた日に病院で 8月15日





10月11日 生後8週目


宜しくお願いします


ロンドンもめっきり気温が下がってきました
寒い冬がやってきますねぇ
あぁ、落ち込む
こんにちは
えみちんです


それでは出産記録の終盤戦いきましょう


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



水中出産の予定だったのに
普通分娩室へと移され
最終的には手術室へ


お産とは計画通りにはいかないものですね


とりあえずもう疲れの限界...
生も根も尽き果てていた...


場所は手術室


20人から25人くらいのスタッフの気配


ザワザワザワザワ...


やたらテンションの高い麻酔医が説明を始めてくれた


じゃあチーム、がんばっていこうかっ!


皆に元気よく号令をかけている


『なんかスゴい... ああ、そういえば、さっき何か紙にサインしたよな』


もうそんなことはどうでもいい


陣痛の嵐
は続いているしその痛みも大きくなるし間隔も狭くなっていた


どうやら脊髄麻酔をして吸引分娩になるらしい


子宮口が全開大になっても、赤ちゃんがなかなか下りて来られない状態が続くと、
赤ちゃんの心拍や酸素不足が心配で、早く赤ちゃんを出した方がいいと判断された場合に、
『吸引分娩』や『鉗子分娩』になるそうで...


"Emi, I'm gonna have to shave you just in case we have to switch to a caesarean section"


吸引分娩がうまく行かなかった場合に備えて剃らなきゃいけないらしい


はい、もうなんでもいいです


必要なら好きに剃って下さい


つんつるてんでもいいです


こうなればまな板の上の鯉です


麻酔はすぐ効いてきて陣痛が嘘のように消えた


ええええええぇ、今までの痛みはなんだったんだ?』



でもそれは甘かった...


看護婦さんがこれからりきんで赤ちゃんを出して行こうという




は?陣痛がいつ来てるかわからないのにいつ力めばいいんですか?』




足腰ともに感覚ないよ




『それはこちらで陣痛が来てる時に合図するからその時に力んで』


『ってか、麻酔がきいて感覚ないのにぃーーーーーー?』




もう訳わからん


しかもプッシュのチャンスはたったの3回しかないと言う


3回のプッシュで出て来ない場合は緊急帝王切開だと





『えええええええ、もう分かんない! とりあえずじゃあ力みます!』





相方とスタッフ全員がえみちんを囲んでいる





『えみ、今陣痛がきたよ。はいっ、プーーーッシュ!』


機械かなんか見てるんだろう


『えみ、10年分の便秘がたまりにたまって、それを出すように力んでーーーーーーー!』





そんなん言われてもさぁ


なったことないし


1度目と2度目は残念ながら出て来なかった





『えみ、次の陣痛が最後のチャンスだよ。わかった?10年分の便秘だよ。』





横に相方
えみちんをはさんで担当の助産婦さん
ぐるり一周全員が手術台のえみちんを囲む



助産婦さんと相方はえみちんの背中の下で手を組み合っていた



もう麻酔で足と腰はぐらぐらで感覚はなかったけど
そこまで応援されたらここはいっちょ日本人の意地じゃ!


最後力んでやるーーーーーーーーーーーー


これが最後のチャンスーーーーーーーーーー!


手術室にいたスタッフ全員と相方の大合唱
皆の声が重なり合って




プーーーーーッシュ




部屋が揺れそうな皆の大きな声




『えみ、赤ちゃん出て来たよーーーーーーーーーーーー!




信じられなかった


最後の最後で出て来てくれた


長時間キミもお疲れさまでした


17時間の出産でした






誕生したのは元気な男の子3750グラムありました。

長い間お付き合いしてもらってありがとうございます



えみ



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