不思議と余韻の残る映画だった。
世間向けにPRされている「首相暗殺犯に仕立て上げられた男」
という文句からは、権力、陰謀、裏の組織etc.のキーワードがあり
ある意味、現実に起こりうるかもしれない権力同士の力学を、
壮大かつスペクタクルに描かれる・・・そんなイメージをもっていた。
個人では太刀打ちできないような大きな力に対して結子さん
演じる役が、どう立ち振る舞うのか、そして結子さんがどんな
魅力を見せてくれるのか・・・
しかし、実際にこのように想像していた背景から展開されるような物語が
きっかけとなるのだが、事件の謎を追い、その帰結を見ての爽快感を
期待して、この作品を見てはいけない。
そのことは、この映画の「よさ」を感じると同時に理解できる・・・。
この映画は、青春時代のさりげない、平穏な日々のひとつひとつが、
大人になったいまでも実は貴重な体験、経験となって、気がつかない
うちに自分の財産となっている、そんなことを教えてくれる。
そんな日々を無駄ではない、キラキラした時間なんだ、いいことも
つらいことも、いまの自分があるのは、そんな経験のおかげなんだ、
という意味で、歌手の絢香さんは、「Jewerly day」という歌にしている。
そんな彼らの青春の一コマ、一コマがいろんな伏線となって、それが
すべて物語の中で結びつき、展開が進んでいくのは、べたな感は
多少あるが、安心感があって、面白く感じた。
ややありえない都合のよい進展、物語の大きさを度外視した個々の
登場人物の人それぞれを描き、そこにメッセージ性を加えるあたり、
舞台演劇のストーリー展開そのもので、実際見終わったあとの
余韻感、やんわりとした気持ちの収まり感は、舞台演劇をみた後の
ものと同じだった。
たしかに楽しめる作品。
2回みたが、実は見れば見るほど、その面白さというか、物語の
世界や、描きたかったこと、キャスティングの妙、俳優陣のうまさなどが
味わえる作品のように思う。いい余韻を味わえる、そんな作品だった。
今回の結子さん。
主人公の大学時代のサークルでの友人かつ元恋人。いまは、別の
男性と結婚し一児の母でもある役。
演じる晴子の年齢は不明だが、いまの結子さんとかわらない設定
であれば、青春時代の回想シーンは、10年以上も若き日の自分を
演じることになる。
これまで、数年程度の逆行、若い頃を演じるのは見たことがあるが、
これほどの若返りは、はじめてみることになった。
そして・・・「見事」の一言に尽きた。
18~22才頃の”晴子”は、たしかに20歳前後の女子大学生の
はつらつさ、はじけている輝き、人生経験の少なさから垣間見える、
幼さ、怖いものしらずさ、無邪気さ、があるのだ。ほんとうに
"この時代の晴子"がいた。
そして現在・・・"一児の母である晴子”は、たしかに人生経験を当時より
多くふんで、いろんなことを見てきたことからくる落ち着きがあって、
しっかりと大人の女性だった。どちらの晴子も本当に美しいのだが、
20台前半の"晴子"のきらめきと、20台後半の彼女のきらめきとは、
明らかに異なっている。
トーンが違う、光の質が違う。顔のしまり具合が違う。これはシワのこと
ではなく、学生と主婦では、時間の進み具合が違うし、責任感も違うこと
からくる、のんびり度、余裕度の差である。
なにもかも自由な学生時代に比べ、就職・結婚と人生の階段を上るほど、
悠長にすごせる時間は減ってくる。"いまの晴子"には、学生時代
との経験の差がでている。ひいては、体の、とくに手の動きのスピードも
異なっているようにさえ見える・・・、
これが、結子さんの表現力だ。
震え上がるような感動を覚えた・・・
どちらかといえば、"若い頃の晴子"に結子さんは、エネルギーを
使っているはずだと思う。
笑い方でも、"若い頃の晴子"のほうは、大きく口元をひらき、
結子さん独特の大きくて真っ白な前歯を強調して見せている。
そのことで、はつらつさや無邪気さが感じられ、ぐっと若く、すこし
幼く見える。
また瞳の輝きも、この頃の晴子は量的に多く感jられる。それが好奇心
旺盛で、怖さをしらない純粋さを感じさせられる。
恋人だった主人公の青柳に、別れをつげる当時の回想シーンでは、
ちょっと間延びした表情でもって、ぼそぼそ語っている。
このある意味、しまりない表情が、どこか可能性をひめた若い女性の
余裕、まだ未熟な部分を強調する。
この表情は、結子さんが自分自身を納得させながら、相手に問い
かけたり、また自問自答するシーンを演じる際に、よく使われる彼女
独特の表情。
自分の中でいろんな感情が交錯して、答えを出し切れない状況を、
とてもよく表す表情だと思って、いつも感心していた。
それを、彼女はまだ迷いの多い多感な時期の"自分"を表す表情にもって
きたのだ。
このあたりは、結子さんの表現力のオンパレードで、女優竹内結子を
ダイレクトで感じることができ、ファン冥利に尽きるシーンの連続であった。
また"今の晴子"は、結子さんがほんとにいまの自分自身のまま、
自然体で演じていたのだろう。
デパートで子供をさりげなく気遣う、目線や仕草、手をつなごうとする
姿勢まで、ほんとに母親の雰囲気そのもの。
小さな子供をもつ女性なら、きっとこうするであろう、仕草を演出なしで
表現できる・・・このあたりが、作り手側に信頼や安定感を感じさせる
要因なのであろう。
最近感じる引き出しの多さが、より作り手川の期待を大きくしている。
ぶっとばされようが、下ねたをふられようが、子供にかわされようが、
どのシーンでもきちんと無理なく対応できる力、向き合える度量の
おおきさ・・・こういうのも結子さんの安定感につながっている。
しなやかさをもった強さが、結子さんには備わった。やさしい雰囲気
だけの女性ではなく、はっきりとした”敵”に対しても、正面から向き合える
”強さ"の空気・・・失敗しても落ち込んでも這い上がってくる泥臭い
空気・・・結子さんが醸し出すあたらしい空気が、最近のしなやかな強さ、
安定感につながっている。
しかもいつもながら感じ、惹かれることだが、自分以外の誰かの
セリフ中でも、それを聞いて自然に反応して、感情表現をしている
のが結子さん。
今回もとくに、劇団ひとりさんとの病室のシーンでの、相手への思いやり、
話を聞いたことによる心の動揺、周囲への配慮…
まさに"晴子"がそこで生きていた。
こういう演技の姿勢から、どんな相手に向き合っても、自分の気持ちを
正対させている姿が想像できる。
この人の人間的な力の部分である。多くの人を惹きつける力は、本人の
意思がもたらすこういう姿勢をつつけてきたことによって、おのずと
備わっていったのであろう…
Heart Wave…
この作品で、結子さんが画面に現れるたびに、惹かれていた
自分がいた。
おそらく、ファンでなくともそう感じた人が多いと思う。
それは、一年一年増し続ける竹内結子さんの輝き以外、理由が
見当たらない。
誰をも魅了するその美貌の輝きはいうまでもなく、自分が進んで
いる道の自分なりの確かさ、解答がでているんであろう…
そこから生まれる自信…気持ちの余裕に、持ち前のやさしさ・相手の
よさに気づき、つねに周囲に配慮できるるセンスが加わって、いっそう
彼女自身が輝いている…ように感じる。
画面を通じて、一場面ごとに感じた「惹かれる感覚」…
年齢を重ねるごとに増す「人の魅力」という"類まれな才能"が、
その感覚を呼びさましている…
ただ憧れるだけでなく、少しでもそのエッセンスを人に感じてもらえるよう、
もっと心の根源的な内側から自分を磨くことの努力をしつづけたい、
とも思う。
この作品の中村監督が、試写会舞台挨拶で、結子さんに送った言葉…
「男・竹内結子」
どんなときでも絶大な信頼と期待を寄せることができるうえ、それに対し
期待以上の結果を出し続ける安定感と才能、見えない部分で続けられ
ている向上心に満ちた努力…
そんな存在に触れた人だから、感じざるを得なかった一言だと思う。
最後の場面で、結子さんが登場したのはうれしかった。
ただでさえ出演した作品を見終わった後は、余韻を残す女優さんなのだが。
カメラ目線で微笑まないのがいい。
エスカレーターをおりていく結子さん・・・
これまで以上にセンチメンタルで、ずっと漂い続ける余韻が残った・・・
これも結子さんの力なのだ・・・