http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/obituary/?1303094077
笑われるのを、承知で書くが。
俺は、好い加減10代後半で専門雑誌を手に取るまで”アニメーション”とは何かさえ知らなかった。
理由は、幾つかある。
基本的に、思春期後半位まで子供達が視聴する番組は親が選んでいた。
当然、見られる内容が限られていた。
後は、底抜けの無知。
俺は、叔母の家で特撮番組に触れ”東京には、本当に怪獣や、宇宙人がいる”と思い込んだ。
また、漫画映画は”ああ言う、生命体がある”と考えている程だった。
俺は、アニメーションに凝り始めた。
同人誌を読んだり仲間達との語らいの中で、”アニメーションは、手書きの絵の連続である。それを、制作する人達がいる”と学んだ。
そして。
俺に、”演出とは、何か”を鮮烈に刻んだのが天才・出崎統氏だった。
映像とは、”単に、背景と登場人物とが映る”ものでは無かった。
何処から日差しが入り、主人公にどう陰りが差すのか。
主人公の心情を、どう音楽や構図や動作や表情や物の配置で表現するのか。
細密に計算し、視聴者側に”メッセージ”を伝える偉業。
傍らには、もう一人の天才・杉野昭夫氏がいた。
出崎統さんが、TVアニメーション「エースをねらえ!」の竜崎麗香を「海の藻に差す、光の様な女性」と注文すれば美事にそう描いて退ける。
俺がTVアニメーションに興味を抱いた頃は”何でも屋”と揶揄されていた。
出崎さんは、ジャンルを問わずコメディから女の子もの・大人向けまであらゆる作品に足を突っ込んでいた。
同人誌仲間が、”突撃インタビュー”を敢行すれば気軽に答えてくれる。
しかも、演出の深淵まで語ってくれる方だった。
独特のシャープな風貌に都会的な雰囲気がある、不思議なシルエットだったらしい。
俺が好きなもんは、全部”厭らしいまでに、色っぽい”もんばかりなんだよ。
太宰治先生も東郷青児先生の訳も永井豪先生の「デビルマン」もコナン・ドイル先生の「シャーロックホームズ」もテレビ朝日「特捜最前線」も深作欣二監督作品も出崎統&杉野昭夫アニメーションも。
今は。
色気が溢れている様で、全然色気が無い。
色気だと思い込もうとしてるだけで、色っぽくない。
生気のある色気が、感じられない。
出崎統先生が急逝され、一番思うのは「もう、あの狂う様な色気が感じられるアニメーションが見られない」と言う寂しさ。
「Genji」が、遺作となってしまった。
最期の作品を、リアルタイムで見られたのが幸福だったのか不幸だったのか。