俺は、バス・タオルを軽く肩の上に引っ掛けた格好で紳士2人が対峙している居間まで舞い戻った。
寺尾聰“grand cross”社長と高田純次京応大学内科部長は、極力努力しいつも通りの親密な雰囲気を醸し出していた。
俺は、鼻歌交じりに林檎にフォークを差した。
すっかり、色が赤茶けた果肉を抉り構わず口に入れた。
途端に、高田先生がその様子を見咎めた。
「銀狼君。さっきの聰ちゃんのアドバイスには、僕も賛成だ。食べものに対して、”勿体無い”と感謝する気持ちがあるなら前以て食べ切れる量を頼みなさい」
俺は、先程とは違い素直に従った。
「は、はい。申し訳ありませんでした」
俺は、頭を下げて手に持ち掛けた小皿を置いた。
そして、別室から小袋に分けられた品々を持ち込んだ。
「そうそう。高田純次京応大学内科部長。この機会に、我が社の商品を、PRして宜しかったでしょうか」
中身は、“grand cross”が世界中に流通させている健康食品群である。
高田先生は、幾つかを指差した。
「ああ。日本でも、TVコマーシャルをよく見掛けるね。アメリカでも、売っているのかい?」
俺は、にこやかに説明した。
「ええ。正確には、”無料頒布”ですが。このThe Kitano New Yorkも協力してくれています」
高田純次京応大学内科部長は、不思議そうに小首を傾げた。
「え?売らないの?」
寺尾社長も、立ち上がって話に混じった。
「ああ。俺が、商売を度外視して配っている。世界中の病人や老人や女性・子供達を、優先しているがな」
あの人は、盟友や俺に手渡しながら自分も一口食べて見せた。
「ほら。結構、旨いだろう?レシピは、銀狼のアイディアで随分改良されたんだ。これだけ、バラエティにも富んでいるし。こっちは、お手軽な飲料だ。コーヒー味も、数種類ある。今度、貧民街でもキャンペーンを張るつもりだ」
あの人の脳内で、世界を引っ張る先進国・大都会の下層に蠢く掃き溜めがクローズ・アップされた。
「寺尾聰“grand cross”社長は、イースト・ウェスト・セントラルのハーレムでイベントを開催するつもりだ」
ところが、次の瞬間。
俺は、危うく悲鳴を上げそうになった。
物語の脈略を切り裂く唐突さで、藤田薬品協業・研究開発棟の主任を務める内田有紀さんの像が浮かんだからである。
「まさか!!寺尾聰氏は、すでに別所哲也氏や安達祐実さんや果ては星製薬の暗部にまで触手を伸ばしているのでは」
俺は、震撼とした眼差しで改めて1m先に立つ怪物を透かし見た。
「古巣の藤田薬品協業・その強力な仇敵である星製薬、まさか両方を“grand cross”の財力で牛耳ろうとでも」
俺は、床に踵が張り付き心臓が飛び出しそうになっていた。
「うん」
そんな緊張感とはまるで無関係に、高田先生ののんびりした感想が響いた。
「少なくとも、昨日の残りものよりは美味しいと思うよ」
そして、舌を鳴らしながら考える表情になった。
「あれ。何だか、昔懐かしい古き良き時代のチーズとかヨーグルトとかお漬物のお味がするね」
寺尾聰“grand cross”社長は、突然相好を崩した。
「あはは。あっははは。ったく、そう言うところはお前も銀狼もO型だからか。食う事に関して、鋭いな」
高田純次京応大学内科部長は、頬を膨らませた。
「失敬だな。僕に、非科学的な血液型性格診断なんか当て嵌めて貰っても迷惑だね」
あの人は、首を縮めた。
「あはは。それは、済まなかった。俺も、銀狼のミーハー精神が移ったらしい」
高田先生は、一袋のお菓子を食べ終えた。
「ご馳走様でした」
彼は、食物に手を合わせた。
そして、彼なりの見解を言い添えた。
「聰ちゃん。僕も銀狼君も、自分で料理をするからね。多分、その所為で舌が肥えているんじゃないかしら」
俺は、話が弾んでいる2人から離れた。
クローゼットの一番奥に、ひっそりと立てかけて置いた自分用の旅行Bagを改めた。
鍵が掛けられる隠しポケットの内側に、真新しい携帯電話を閉まって置いた。
これは、いつ何時盗聴器を仕掛けるか判らないあの人に対抗して密かに契約したものだった。
「良かった。山田純大刑事からの返信は、無事にこっちに転送されている」
俺は、その伝言を確認した。
そして、さっさと衣服を着替えると誰にも気付かれないうちに部屋を出た。