お恥ずかしい話だが、コロナ禍が始まるまで世界統一政府を目論むDS(ディープステート)なんて、さすがに考えすぎでしょと思っていました。

 

そして、ここ数年程度の割と最近出てきた言葉だと考えていました。

 

でも、そうじゃないんです。80年以上前の戦前の新聞にその言葉が出ています。

 

 

記事にあるアメリカの「地底政府」というのがまさにそれです。昭和16年の報知新聞の記事で、神戸大学附属図書館のアーカイブで見ることができるので、間違いなく本物です。

 

https://usaco.hosted.exlibrisgroup.com/primo-explore/search?query=any,contains,アメリカの地底政府&tab=all_tab&search_scope=digital_archive_scope&vid=kobe&lang=ja_JP&offset=0

 

ルーズベルト大統領が戦争反対の世論を無視して日本との開戦を推し進めていることも書かれています。

国民がストップと手を挙げているのに運転手ルーズヴェルトは赤信号を無視して遮二無二参戦の交叉点を渡ろうとしているのだ、冷静な与論を踏みにじってまでアメリカは何故"参戦"の危い橋を渡ろうとするのか

 

ルーズベルトが三選を果たした1940年のアメリカ大統領選についても、両陣営の背後でDS、ユダヤ金融財閥が糸を引く、"からくり芝居"、茶番だと見破っています。

ウイルキーか、ルーズヴェルトの三選かと世紀の話題を賑わした大統領選挙も、種を明かせばユダヤ地底政府が書御し—ユダヤ財閥が演出した国際的"からくり芝居"であったのだ

戦後の歴史教育で私たちは、バカな軍部が勝ち目のない工業大国アメリカとの戦争に日本を引きずり込んだと教えられてきました。

 

しかし、実際には、日本は江戸時代の忍びに由来する優秀な諜報機関を持っていて、世界情勢を分析した上でなんとかアメリカとの戦争を回避しようとしていたのです。

 

本として刊行されていたので、一般の人でも知識階級では知っている人は多かったはずで。しかし、戦後GHQ焚書や検閲をはじめとする言論統制でないことにされました。

 

 
(政府や軍の幹部が関与した機関がユダヤ研究誌を刊行していた)
 

 

こうしたことを現代に生きる私たちは知る必要があります。過去のことなんかじゃなく、今まさに私たちの足下にあって現代社会の土台を成しているものだからです。

 

また、恨みや怒りを募らせたり、よい悪いで断罪したり、正義を振りかざすためではなく、困難な今の時代をどのように舵取りし、子どもたちや後の世代が自然に笑っていられ、安心して子供を育てられる社会を遺せるか、について考える礎として必要だからです。

 

 

自分も含め、人はよく忘れる生き物なので、大事なことを忘れ(かけ)ていることに気づいたら、記事に書いていきたいと思います。

 

幸せな現実を生きるために一番大切なこと。

 

それは、自分自身が幸せであること。

 

つまり、幸せの波動を放っていること。波動とは生命エネルギーの周波数のことです。

 

そうすると、無限の可能性の場、量子場、とりわけ、ゼロ・ポイント・フィールドといったところから、自分の波動に見合う現実が引き寄せられるんだとか。

 

おなじみの引き寄せの法則ですが、最新の量子物理学の立場からもそういう可能性が囁かれています。

 

 

 

因果関係でいうなら、ダウンです。

 

(原因)自分自身が幸せである

 

(結果)幸せな現実を生きる

 

逆にすると、ピンときやすいかもしれません。

 

どんなに恵まれていても、不幸な人はたいてい不平不満、愚痴や文句を言います。いますよね、そういう人。

 

 

 

「今の『絶望的な』世の中の状況を知って、幸せでいるのは難しい」そう思うのも無理はありません。

 

けれど、因果関係はシンプルで、あくまで自分のあり方が原因であり上流です。

 

それこそが、大きな【希望】ではないでしょうか。

 

自分のあり方は、自分一人で・主体的に・自由に決められるものだから。

 

あとは、ありたい状態、幸せな状態でいる時間をより長くしていく「だけ」です。

 

 

自分が関わる世界は自分次第で確実によくなる。

そのために必要なのは、本質に沿って生きること。

〜どんなに世の中がひどくても、希望を失わず前向きに生きるための考え方を綴っています〜

 

 

前2回の記事に書いた通り、本質を見据えて明るく輝いていた日本人は、すっかり目に見えるものに振り回されて曇った人々になってしまいました。

 

昨今のコロナ禍をめぐる分断状況を見ても、普通に考えれば悲観的にならざるを得ない状況です。

 

とはいえ、絶望や批判は事態をさらに悪くするだけです。

 

現状をしっかり認識した上で、個人としてどのように前向きに生きられるのかについて考えてみましょう。

 

口を酸っぱくして言いますが、世の中がどんなであっても、個人として希望を持って前向きに生きることは可能です。

 

具体的にどんなふうに可能か、仮定の話として、少し考えてみてください。

 

バイブレーション(周波数)が非常に高い人の場合、何を食べどんなふうに生きているでしょう?

 

食べ物については、添加物を使わない、天然原料を使うなど質の良いものは、どこでもとは言わないまでも、探せば普通に見つかります。

 

低所得の人ほど安さにつられ、ファストフードなど体に悪い食べ物を摂る傾向があるそうです。

 

逆に、お金の制約がなく、感受性が鋭ければ、たとえ頭で意識しなくても悪いものを避け、健康的な食生活になっていくでしょう。

 

味覚や嗅覚などの本質的な役割は、体に害のあるものを避け、栄養になるものを摂ることですから、納得がいきます。

 

また、騒がしい社会とある程度距離をとって生きることも同様です。

 

今の社会はお金のため気忙しく働き、ストレスを溜めてはお金を使って娯楽で発散し、そして食うため遊ぶためお金を得るためにまた働くというラットレースです。

 

それらは生きることの本質に反するものであり、磁石の同極が反発するように自然と距離ができるのも納得ではないでしょうか。

 

人生全般においても同じことが言えます。

 


翻って、私たち自身が、今の社会にどっぷり浸っている、あるいは、少なくとも関わりがあるということは、必要だからそうなっているのです。

 

まずはそれを思い出すことが重要です。

 

つまり、魂が成長するために、気付いたり学んだりするべき何かがありますよということです。

 

自分が気になるもの関心が向くものは、ほとんどの場合、自分の中にもあります。

(例.本質を見ない、お金のために自分を曲げる、不都合なことに気づこうとしないなど)


自分の中にも同じものがあるから、許せなくて批判したくなるのです。外を批判することで自分は正しいんだと安心し、現状を維持しようとする働きです。

 

1歩目として、自分の中に同じものがあることを受け入れること。

 

そして、受け入れたからといって、自分を批判したり自己否定する必要はありません。

 

否定して自分を下げるのではなく自分の特性はそのまま認めます。

 

誰でもできること、できないことがあって、互いに補い合い助け合い、高め合うために生きているのですから、そのままの自分で自分を生かして、他人の役に立てばいいのです。

 

一人の例外もなく、すべての人に必ずその人にしかできない活躍の場があります。

 

宇宙は完璧なので、存在を許されていること自体がその証だからです。

 

本来の自分として活躍するというのは、要するに、余計な我を手放して自分の本流で生きるということです。

 

こう書くと美しく、簡単にできそうなことに感じるかもしれません。

 

実際、そのとおりなんですが、「我」にとってはものすごく怖いことでもあります。

 

お金がないという恐れから、自分を偽る人のなんと多いことか。

 

上記のプロセス全般において湧き出てくるネガティブな思いや感情は、元になる不要な思い込みやエネルギーがあることを示しています。

 

それらを手放すことで、自分が自分がという「我」が小さくなっていき、振り回されることもなくなっていきます。

 

そうするともし同じことが起きたとしても、心が反応しなくなり、ということは体験する必要がないということなので、結果的に目にしなくなるという経過をたどります。

 

こうしたクリアリングや自己対峙について、修行のように捉えるとしんどそうに感じるかもしれませんが、実は、それ自体すごく楽しいことです。

 

幼い子供の頃、体験することの全てが珍しく面白く、どんなことに対してもワクワクした気持ちがそれに近いようにも思います。

 

人生とは、さとりとは、生きること全てが喜びであるという、ごくごくシンプルで当たり前のことに近づいていくプロセスなのかもしれません。