グレゴール・ドラクール『私の欲しいものリスト』 | 文学どうでしょう

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私の欲しいものリスト/早川書房

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グレゴール・ドラクール(中島さおり訳)『私の欲しいものリスト』(早川書房)を読みました。straighttravelさんのブログ「Straight Travel」で紹介されていた本です。

おそらく、こんな風に思っている方は多いはずです。「もっとお金があったらなあ」。なので宝くじが当たるかなにかで大金持ちになったら幸せになれるだろうと思うのは、不思議でもなんでもありません。

今回紹介する『私の欲しいものリスト』は、平凡に暮らしていた四十七歳の女性が、二ユーロで買ったくじが当たって、千八百万ユーロもの大金を手にする物語。普通に考えたら、ラッキーなことですよね。

しかし、お金を取りにいくと心理カウンセラーを紹介され「私が得たのは素晴らしい幸運であると同時にたいへんな不幸だということを説明するのに四十分間欲しい」(49ページ)と説明されたのでした。

自殺者がたくさん出ます、と彼女は言った。鬱病になる人、離婚、憎しみ、悲劇がいっぱいあります。刃傷沙汰もあります。シャワーの柄で殴った傷、ガスボンベで火傷。引き裂かれ、ばらばらになった家族。不貞を働く義理の息子たち、アルコールに浸る婿たち。誰かを殺害するための契約。そうです、安っぽい映画みたいに。妻を殺してくれる人に千五百ユーロ約束した義理の父というのがありました。彼女が当たったのは七千ユーロちょっとでした。クレジットカードの暗証番号を知ろうとして親指をふたつとも切った婿というのもありました。偽のサイン、書類のごまかし。お金は人を狂わせるのですよ、マダム・ゲルベット、犯罪の五件に四件はお金のためなんです。鬱病は二件に一件です。あなたにあげられるアドバイスはありません、と彼女はまとめた。ただこの情報をさしあげるだけです。あなたがお望みなら、私たちには心理的なサポート・システムがあります。彼女は、ついにデイジーダックの唇を浸すことのなかったコーヒーカップを置いた。家族の方に、もうこのことを話しましたか?(49~51ページ)


主人公のジョスリーヌには結婚や経済的な事情で諦めた夢がありました。今なら叶いますがそうすると今の生活はどうなってしまうでしょうか。また、いつか実現したいと思う、現実的な目標もありました。

こつこつお金を貯めて、いつか買いたいと思っている家族の好きなもの。それも全部買うことが出来ますが、それは本当にいいことなのでしょうか。ジョスリーヌは家族に言えずに、小切手を隠し持ちます。

千八百万ユーロは幸せの象徴でもありますが、あまりに額が多すぎるだけに、家族をばらばらにしてしまう恐ろしいものでもあるような気がして、ジョスリーヌはどうしたらいいか迷ってしまったのでした。

思いがけず大金を手にしたジョスリーヌの過去、亡くなった母や脳梗塞が原因でわずかの間しか記憶が持たない父のこと、夫との出会い、二人の子供たちと亡くなってしまった娘のことが語られていきます。

すごくラッキーな出来事を通して、苦しいことも多かった一人の女性の人生が語られていき、本当の幸せとはなにかが問われていく物語。考えさせられることが多く、忘れられない印象が残った一冊でした。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 人はいつも自分でごまかす。
 たとえば、私だって、美人でないってことは分かってる、私の眼は青くない。男がじっと見つめるような、溺れてしまいたくなるので誰かが飛び込んで助け出してやらなければならないような、そんな青い眼をしていない。私はモデルのような体型もしていない。ぽっちゃり、というかむしろ丸いタイプ。一・五人分の場所を取るようなタイプ。普通の男の腕には余る体。句読点代わりにため息が混じる長い長いフレーズを耳に囁かれるのが似合う、優美な女ではない。違う。私を口説くには、短いフレーズにしたくなるらしい。簡潔な言い回し。剥き出しの欲望。周りの白いところのない、つまり口当たりするよくする部分を省いた、ずばり肉だけのロースハム。
 そんなことは、みな分かってる。(5ページ)


〈私〉ジョスリーヌには二十一年一緒に生活している夫のジョスラン(愛称はジョー)がいました。ハーゲンダッツの工場で働いていて、月に二千四百ユーロを稼ぎ、薄型テレビを買うことを夢見ています。

子供は二人で、ロマンという男の子と、ナディーヌという女の子ですが、その下に生まれてすぐ死んでしまったナデージュという娘もいました。ショックを受け人生はクズだと暴れ回って物を壊したジョー。

ジョーと結婚した頃、働いていた手芸店の持ち主が亡くなり店を受け継いだ〈私〉。その時は、前途洋々の未来が開けているような気がしましたが、現実はそう甘くなく、手芸店の経営はうまくいきません。

四十七歳になった今では、子供たちはもう家を出ています。あまり連絡をしてこないロマンは、商業学校の二年生。ナディーヌはイギリスに渡って、ベビーシッターをしながら映画製作に取り組んでいます。

二十歳の頃には〈私〉も夢がありました。それはデザイナーになること。パリへ行って、ステュディオ・ベルソかエスモードに通いたいという計画がありましたが、家庭の事情と結婚で、叶わぬままでした。

〈私〉には毎朝ブログを書く習慣があります。編み物や刺繍、ソーイングについて書く「金の十本指(ディドワドール)」と名付けたブログ。そのブログが注目され始め雑誌記者から取材が来るほどでした。

ジョーがインフルエンザで苦しんでいたら、「私はここにとどまる、なぜならジョーが私を必要としているから、女は必要とされる必要がある」(35ページ)と店を閉めるほど、家族を大切にしています。

ある時、予想もしていなかった幸運が舞い込みました。たまたま買ったくじで、千八百万ユーロもの大金を手にしたのです。今ならジョーが長年欲しがっていた色々なものを全て簡単に買ってあげられます。

しかし、言い知れぬ不安を抱くようになった〈私〉は家族や周りの人に言い出せず、小切手を隠し持ったまま思い悩むのでした。折に触れて「欲しいものリスト」を作りますが、気持ちははっきりしません。

そこで記憶に問題がある病気の父親に何度も相談しに行くのでした。

 父さんに会いに行く。また私の千八百万のこと、私の煩悶について話す。彼は耳を疑う。祝福してくれる。そのお金をどうするんだい、おまえ? どうしたらいいか分からないの、父さん、怖いのよ。で、お母さんはどう言っているんだ? まだ言ってないのよ、父さん。おいで、こっちに来なさい、私にみんな言いなさい。ジョーと私は幸せなの、私は震える声で言う。どこの夫婦でもそうだと思うけど、良い時も悪い時もあったわ。でも悪いことは乗り越えられたの。(中略)一週間後には、ジョーは現場主任になって工場の部署のひとつを任せられて、リビングに超薄型テレビを買って彼の夢の車のためにクレジットを申し込むわ。ぐらぐらすることはあるけど、ちゃんと立ってる。私は幸せなの。おまえを誇りに思うよ、と私の手をとって父が囁く。それでね父さん、あのお金は、私、怖いのよ、彼が……。あんた、どなただったかな? と彼が突然訊いた。
 いまいましい六分。(99~100ページ)


必要なものはなんでも買えるはずですが「するべき小さなこと、それが私たちを明日へと、あさってへと、未来へ送り出す」(102ページ)と思います。小さなつまらない買い物が、生きることなのだと。

そうして叶うはずのない夢は、昔のように物語の世界に没頭することで味わっていた〈私〉でしたが、やがて思わぬことが起こって……。

はたして、莫大なお金を手にした〈私〉を、待ち受ける運命とは!?

とまあそんなお話です。迷うジョスリーヌが父親に向かって語った、「どこの夫婦でもそうだと思うけど、良い時も悪い時もあったわ。でも悪いことは乗り越えられたの」という言葉がとても印象的でした。

いいことばかりではないけれど、いいことも悪いことも全部ひっくるめて自分の人生であり、自分はそれで幸せなのだと。莫大なお金は、その平凡ながら大切なものを壊してしまうような気がしたんですね。

ジョスリーヌはこれから一体どんな出来事と遭遇し、何を思うようになるのでしょうか。150ページほどの短い作品なので、ジョスリーヌの人生が気になった方には、ぜひ手に取ってもらいたい一冊です。

次回からは「地球滅亡SF特集」第二弾をやる予定でいます。まずはリチャード・マシスン『アイ・アム・レジェンド』から、スタート。