新井素子『結婚物語』 | 文学どうでしょう

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結婚物語(上) (中公文庫)/中央公論新社

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結婚物語(下) (中公文庫)/中央公論新社

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新井素子『結婚物語』(上下、中公文庫)を読みました。

「新井素子特集」第四回は、作者自身の結婚にまつわる出来事をベースに、一組のカップルが結婚式をあげるまでの騒動を描いた『結婚物語』。1987年に沢口靖子、陣内孝則主演でドラマ化されました。

ラブストーリーというのは普通周囲の反対や恋敵が現れるなどカップルにあれやこれやの出来事がふりかかって、破局しそうになるも絆を深め「ウィル・ユー・マリー・ミー?」とプロポーズで終わります。

言わば恋の最高潮で物語の幕が降ろされるわけで、その後の、結婚式に関するあれこれとか、もしかしたら平凡で退屈なものになったかもしれない二人の結婚後の日常生活というのはあまり描かれないもの。

その点、今回紹介する『結婚物語』は異例中の異例で、原陽子と大島正彦というカップルには何の障害もないんです。恋敵もいなければ、周囲からの反対もありません。やがて自然と結婚の話が出て来ます。

ところが、当人同士が結婚を決めてからが大変で、まずはお互いの両親に話をしなければなりません。その後は両家の顔合わせ、いざ結婚式となると席次から引き出物まで決めることは山ほどあるわけです。

婚約指輪、結婚指輪、新婚旅行、新居など、決めなければならないことはたくさんある中、原陽子と大島正彦は時にぶつかり、時にめげそうになりながらも、結婚に向けての準備を整えていくのですが……。

ドラマチックなことはなにも起こらない、起伏のほとんどない作品ではあるのですが、結婚にまつわる細々とした出来事がこういう風に徹底的に書かれている作品というのは滅多にないので面白かったです。

実際に結婚式を行った方や、あるいは結婚式に出席した方にとっては「あるある」と思わずにやにやさせられること請け合いの一冊です。

全体的にドタバタ喜劇テイストというかコミカルな感じなのですが、描かれていることは、かなりリアルだろうと思います。たとえば、両家の顔合わせが延期になって、結婚話がちっとも進まない時のこと。

「だってぶつぶつ言いたい心境なんだもん。でも、具体的にぶつぶつ文句を言うには、たーさんは悪くない。たーさんのご両親も、悪くない。うちの親だって、この場合、悪いって訳じゃない。とすると……よ、誰も悪い人がいないのに、誰かにむかって文句を言うわけにはゆかないじゃない。それってあきらかにフェアじゃないもの。けど、あたしとしてはあきらかにもう、ぶつぶつ言いたい気分なの。だからしょうがないから、具体的な文句一切なしで、ひたすらぶつぶつ言ってんじゃない」
「どういう理屈なんだそれは」
 マスターが何となく首をかしげてカウンターの奥にひっこんでしまったのを確認してから、正彦くん、憮然とする。
「それに、それなら僕にだって、充分ぶつぶつ言う権利はあるんだぞ!」
(中略)
「どうぞ」
「本気だぞ」
「だからどうぞってば。あ、ただし、はた迷惑を考えて、お互いにもう一ランク、小声にしよう」
「よし、判った。そっちがその気なら……いくぞ。ぶーつぶつ、ぶつぶつ、ぶつぶつ、ぶつぶつ」
「ぶつぶつ、ぶつぶつ、ぶつぶつ、ぶつぶつ」
「ぶつぶつ、ぶつぶつ、ぶつぶつ、ぶつぶつ」
(上巻、145~146ページ)


はたから見れば、微笑ましいぐらいに平和なカップルですが、お互いはもう心を決めていて、出来るだけ早く結婚したいのになかなか結婚話が進んでいかないもどかしさというのは、すごくリアルですよね。

自分の結婚式のことを懐かしく思い出したい方、そして将来の自分の結婚式の段どりをシミュレーションがしてみたい方など結婚という行事そのものに関心のある方は、手に取ってみてはいかがでしょうか。

『結婚物語』は角川文庫で出ていたもので、続編が『新婚物語』、さらなる続編が、2011年に中央公論新社から出版された『銀婚式物語』。その刊行にあわせ『結婚物語』は中公文庫に収録されました。

作品のあらすじ


昭和五十九年一月。岡山の実家に帰省していた恋人を張り切って東京駅まで迎えにいった陽子さんでしたが、色々と迷ってしまい着いたのは新幹線が到着してから二十分も経ってからのことだったのでした。

陽子さんはフルネームを原陽子といい、大学のドイツ文学科を卒業した後は、高校生の頃から続けている小説家の仕事に専念している23歳。恋人の方は大学の同級生だった24歳のサラリーマン大島正彦。

大学二年生の時からの交際で、陽子さんは正彦くんを「たぬきのおじさん」を略した「たーさん」と呼んでいます。正彦くんが何だか苛々しているので、びっくりした陽子さん。遅刻で怒る人ではないのに。

東京駅地下街の喫茶店で正彦くんが大切な話があると言い出したので陽子さんはピンと来てしまいました。きっと実家で、お見合いの話を聞かされたかなにかで、別れ話をしようというのに違いありません。

「あたし、やだかんね」
 気がつくと陽子さん、すでにその言葉を舌にのせていた。
「……は? やだ?」
 正彦くん、連続して十回くらいまばたきを繰り返す。鳩に豆鉄砲をぶつけたことはないけれど、鳩が豆鉄砲をくらったような顔って、さしずめこんな表情だろうか。
「やだったって今更」
「今更?」
 今度は陽子さん、とまどってしまう。今更、ということは、年末に正彦くん、陽子さんに対して別れ話を切りだしてたんだろうか。それでもって、知らず陽子さん、それをうけてしまったのだろうか?
 あり得る。
 我と我が身をふり返って、陽子さん、すぐにそういう結論に到達した。
 あり得る。それは、あきらかにあり得る。他のことではそうでもないのだけれど、こと恋愛に関する限り、原陽子という人間は、果てしなく、どこまでも鈍感であるという自信が、陽子さんにはあった。(上巻、19~20ページ)


別れるか別れないかはともかく、別れようと思っているのに今までと同じような態度を取っていたことが許せません。陽子さんが怒りを爆発させた結果、正彦くんは結婚の話をしていたことが分かりました。

陽子さんはさらにきょとん。正彦くんが言う年末のプロポーズの記憶がなかったから。十二月二十三日、美しい風景を見た時のあまりにも遠回しな言葉だったので、陽子さんは気付いていなかったのでした。

ともかく別れ話ではなく、結婚を申し込まれたのが分かったので陽子さんは大喜び。結婚を承諾します。家に帰ると早速両親に報告したのですがすんなりいくかと思いきや思わぬ事態となってしまいました。

まず、そんな大事なことをどうして相談してくれなかったのかとお母さんの光子さんがへそを曲げ、お父さんの力さんは四年でなにが分かる三、四十年付き合わなければ本質は分からないと言い出すしまつ。

二人とも正彦くんのことは気に入っていて娘の結婚にショックを受けているだけなのでよけいにたちが悪く、なんとか説得して正彦くんが原家にあいさつに来た時はもう三月になってしまっていたのでした。

五月の連休には、今度は陽子さんが岡山にいる正彦くんの両親にあいさつに行き、すべてはとんとん拍子にいくかと思いきや、両家の顔合わせをすることになり、その日取りは延期に延期を重ねていきます。

十一月の終わりの日曜日に、なんとかかんとか両家の顔合わせが出来て無事婚約となりましたが、婚約指輪と結婚指輪のことで陽子さんと正彦くんとの間でまたもやひと悶着。それもなんとか乗り越えます。

いざ結婚式を行うとなれば、会場や日取りを決めなければなりませんし、誰を呼ぶか、引き出物はなににするかなど色々決めなければなりません。時に衝突をしながら、二人は準備を着々と進めていきます。

それと同時進行で、新婚生活を始める新居も見つけなければなりません。住まいの好みで、陽子さんと正彦くんは対立してしまいますが、それでもなんとか妥協点を見つけ、新生活の準備も始めたのでした。

山ほどある、決めなければならないこと決め、難題を乗り越え、一致団結結婚へ突き進む陽子さんと正彦くんでしたが、結婚式が近付くと大きな問題が浮上して来ました。陽子さんが感傷的になったのです。

愛する正彦くんとの結婚が嫌というわけではないのですが、結婚して新居で生活を始めると馴染みの喫茶店や本屋にはもう行くことが出来ません。ずっと実家で暮らして来たのに、家族とも離ればなれです。

なので「結婚行進曲」を耳にするだけで陽子さんは感極まって泣いてしまうようになったのでした。それを知った正彦くんは青ざめます。

「……ああ。ううう、おそろしい……もし、そんなことになっちまったら、どうしたらいいんだろう……」
「……何よってば。気になるじゃない」
「あの……おまえ……今、結婚行進曲を聞いただけでも、感極まって泣いちゃうんだよ……な?」
「うん」
(中略)
「すすり泣くくらいなら、『ああ、お嫁さんになって感動しているのね』ってみんな温かい目で見てくれるだろうけど……花嫁が、わあわあ号泣してたら……それって……」
「……かなり……やばいな」
「何か僕、略奪結婚してるみたいじゃない」
「うん。それに……声をあげてぎゃあぎゃあないてたら……式次第ができなくなるんじゃ……」
「人がスピーチしている時に、花嫁がわあわあテーブルにつっぷして泣いたら……」
 二人、しばらく黙る。(下巻、162~163ページ)


号泣して結婚式を台無しにしてしまわないよう、陽子さんは毎晩「結婚行進曲」を聞き、泣かないよう特訓することにしたのですが……。

はたして、陽子さんと正彦くんは無事に結婚式をあげられるのか!?

とまあそんなお話です。感情で行動出来る恋愛と違って、結婚式の準備では、もう淡々と事務的に様々な物事をこなしていかなければなりません。ドラマチックではありませんが、それが現実なんですよね。

結婚にまつわる色々な出来事をコミカルに描きつつ、結婚のリアルを描いた作品。小説的な筋の面白さこそありませんが、微笑ましい主人公カップルに好感が持てるだけに、引き込まれてしまう作品でした。

陽子さんと正彦くんの結婚に興味を持った方は読んでみてください。

「新井素子特集」は、あと三作品紹介する予定でいますが、ここで一旦小休止。次回からは、キリスト教を題材にした文学三作品の紹介です。まずはヘンリク・シェンキェーヴィチ『クオ・ワディス』から。