新井素子『あたしの中の……』 | 文学どうでしょう

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立宮翔太の読書ブログです。
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あたしの中の… (コバルト文庫)/集英社

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新井素子『あたしの中の……』(コバルト文庫)を読みました。

2002年に、集英社文庫25周年を記念して、応募者全員プレゼントが行われていたんです。対象の商品を2冊買うと、鳥山明が描く読書竜「リードン」のブックカバーがもらえるという、キャンペーン。

そのブックカバーが欲しくてぼくが買ったのが、上下巻のSF、新井素子の『チグリスとユーフラテス』。これがぼくが初めて読んだ新井素子作品でした。というわけで始まりました「新井素子特集」です。

今新井素子がどんな風に読まれているのかはちょっとよく分からないのですが、ファンも多いと思うので、最初に読んだ一冊とか、読むようになったきっかけなんかをコメントしてくださるとうれしいです。

根強い人気がある一方で、絶版状態になっている作品も多いですし少女向けのレーベルであるコバルト文庫などは一般にはあまり読まれていないと思うので、新井素子をご存知ないという方もいるでしょう。

SF的な発想を、やわらかくユーモラスな文体で描くことに定評のある作家で、今は「ライトノベル」の源流という風に語られることが多いです。デビューはものすごく早くて、16歳の高校生の時でした。

そのデビュー作となった短編が今回紹介する本の中に収録されている「あたしの中の……」なのですが、応募された雑誌「奇想天外」のSF新人賞の選考委員がものすごくて、星新一、小松左京、筒井康隆。

日本SF御三家の面々ですね。「あたしの中の……」の評価は割れます。星新一は激賞しましたが、小松左京と筒井康隆は難色を示し佳作どまりとなりました。その辺りのことは星新一の解説に詳しいです。

争点となったのは、新井素子のいきいきした新しい文体をどう評価するかでした。新井素子の個性が光る、一番の魅力と言ってもいい文体を、当時は否定的にとらえる向きがあったというのが面白いですね。

女の子のうきうきしたおしゃべり口調の文体は、今読むと驚きはないどころか、わりとよくある感じですらあるのですが、よく考えたら逆にそれがすごいことで、時代が新井素子に追いついた感があります。

文体が話題になることが多いですが、新井素子はSF的な発想も面白くて、この短編集には、星新一ばりのブラックかつ鮮烈なオチのある作品がいくつかあります。なので、星新一が好きな方にもおすすめ。

それから、「あたしの中の……」(1977年発表)が面白かったという方におすすめの海外SFが、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの、『たったひとつの冴えたやりかた』(1986年発表)です。

たったひとつの冴えたやりかた 改訳版/早川書房

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「あたしの中の……」も『たったひとつの冴えたやりかた』も少女の中に別の人格が棲みついてしまうというSFで、似た部分もありまた違う部分もあるので、興味のある方はぜひ読み比べてみてください。

作品のあらすじ


『あたしの中の……』には、「あたしの中の……」「ずれ」「大きな壁の中と外」「チューリップさん物語」の四編が収録されています。

「あたしの中の……」

〈あたし〉は目を覚ますと病室にいました。以前のことは何も思い出せません。部屋の中にいたのは白衣を来た医者らしき男とスリーピースを来た目つきの鋭い二十六、七の男と、四十歳くらいのおじさん。

「あなた、おそらく気絶していたんでしょう。だから判んないんですよ。あなたが乗ったバスは十メートル位ある崖から落っこちたんですよ」
「バ……ス?」
 あたしはあいかわらずきょとんとしていた。バスって何のバス? どこへ行くバス?
 ――とたんに、まったくとたんにあたしの頭の中におそろしい疑問がわいてきた。あたしは誰だろう? 単語がうかぶ。記憶喪失。何ぃ? 記憶喪失だぁ? 冗談じゃない。なんであたしが記憶失わなきゃならんのだ。でも現実にあたしにはあたしが誰だか判んないんだし、世間的一般的常識ではこれを記憶喪失って言うんだから、つまるところあたしは記憶喪失なんだろう。
「何一人でぶつぶつ言ってんだ?」
 鋭い声がした。見上げるとスリーピース。
「自分が何したか覚えてないってわけでもあるまいに」
「何をしたかって……あたし、何か悪いことしましたか?」
(11ページ)


スリーピースは山崎という刑事で、〈あたし〉田崎京子は一週間たらずのうちに二十九回も事故に遭っていてしかもいつも自分だけ無傷。これはどう考えても〈あたし〉が事故に関与していると言うのです。

山崎が親しくしていた新聞記者の森野一郎もバスの事故で亡くなっているだけに山崎が事故に対して激しく怒るのも無理はないのでした。

やがて〈あたし〉は頭の中から声が聞こえたので驚きます。なんと死んだはずの森野一郎は死ぬ間際に〈あたし〉の中に入って来てしまったというのでした。〈あたし〉と一郎さんは、善後策を相談します。

〈あたし〉は命を狙われているらしいということが分かったので、そいつを正当防衛でやっつけて、一郎さんにその体に乗り移ってもらうことに決めました。そうして二人は、事故の真相を探り始めて……。

「ずれ」

17歳の〈あたし〉は、落ちて来た鏡が刺さって意識を失います。気がつくと〈あたし〉の身体は血を流して倒れており、自分はうす白い影のようになっていたのでした。ふと心惹かれて鏡をすり抜けます。

すると鏡の向こう側には〈あたし〉が知っているのと同じ世界があり〈あたし〉そっくりの女の子がいたのでした。鏡を見ると、二人とも映っていません。なんとか元に戻る方法を考え始めたのですが……。

「大きな壁の中と外」

4人の仲間と28収容所C棟で暮らす、17歳の〈あたし〉立木あゆみ、通称仔猫ちゃん(プシキャット)。第三次世界大戦で滅びかかった人類はコンピュータに管理される「エデン計画」を実行しました。

精子と卵子の提供を受けて、子供もコンピュータによって作られる平和で理想的な社会ですが、都市生活に適応できないものは思想犯はA棟、犯罪者はB棟と、収容所に隔離される決まりになっていました。

C棟は「危険ではないが都市生活に適応できない者」で、〈あたし〉は外の世界からやって来た猫を守ろうとして、規格外に認定されてしまったのです。やがてC棟にミュウという新入りがやって来ました。

しかしそれからC棟では不可解な事故が続けて起こるようになり、C棟の面々はこんなに偶然が続くのはおかしいとミュウを疑って……。

「チューリップさん物語」

三歳になるチューリップの〈ボク〉トトがコミュニケーションのクラスの宿題の自由作文を書いています。夜にみんなで一列になって散歩すること。昼はドーブツが起きていて動けないからつまらないこと。

ニンゲンという、恐ろしいドーブツについて語られていきます。〈ボク〉らの死体を飾る習慣を持ち、首を引きちぎって胸に飾って……。

とまあそんな四編が収録されています。SF的に特に面白いのが、平和で誰もが幸福でいられる管理社会を築いた「エデン計画」と謎めいた「スネイク計画」をめぐる冒険アクション「大きな壁の中と外」。

コンピュータに生活全てが管理されているという世界観や、真相自体がなかなか明らかにならないストーリーの面白さもさることながら、ベタベタな恋愛要素が結構見所。ああいう感じ、嫌いじゃないです。

どの作品も、設定やストーリーに引き込まれるものばかり。女の子が喋るような文体に、あうあわないがあるかもしれませんが、読みやすく面白い一冊なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

「新井素子特集」次回は、『いつか猫になる日まで』を紹介する予定です。