ネヴィル・シュート『渚にて』 | 文学どうでしょう

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渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)/東京創元社

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ネヴィル・シュート(佐藤龍雄訳)『渚にて 人類最後の日』(創元SF文庫)を読みました。

「地球滅亡SF特集」第三回目にして、ここで一旦一区切り。それぞれ映画化された、『アイ・アム・レジェンド』『トゥモロー・ワールド』『ザ・ロード』辺りで第二弾もやりたいですね。まあその内に。

人類の終末を描く滅亡ものの名作と言えば? という問いにおそらく真っ先に名前があがるのが、今回紹介する『渚にて』でしょう。SF色はさほど強くなく淡々とした描写が積み重ねられるリアルな作品。

荒唐無稽な物語というよりは、仮定の設定を描くシミュレーション小説に近い感じです。『渚にて』で描かれるその仮定の設定とは、第三次世界大戦の勃発。第三次世界大戦が起こるとどうなるでしょうか。

第二次世界大戦との大きな違いは、今度起こる大きな戦争は核戦争になるであろうこと。物語の中では中国とソ連が牽制しあう状況の中、勘違いからアメリカやイギリスなど西側諸国が参戦してしまいます。

それぞれの国のリーダーが亡くなるなど歯止めがきかなくなり、混乱の中でお互いに核爆弾を撃ち合って、地球の北半球は放射能で滅んでしまったのでした。こうした状況が『渚にて』での前提となります。

物語の舞台となるオーストラリアなど、南半球は無事でしたが、放射能降下物を含む死の灰は、徐々に南下を続けていて、遠くない将来に地球はすべて放射能降下物で覆い尽くされることが分かっています。

そんな中避難して来たアメリカの原子力潜水艦〈スコーピオン〉が、生存者が発しているかも知れない無線電波を調べにいくという物語。

汚染帯をくぐり抜けていくミッションの面白さもある作品ですが、実を言うとこの作品は、滅亡の恐怖に怯えるパニックものとも、不可能ミッションに挑む冒険ものとも違う独特の雰囲気の作品なんですよ。

潜水艦〈スコーピオン〉は人類が死滅した街を調査に行くのですが、街はそのまま残っていて、乗組員は、こんな会話を交わすのでした。

「たしかにわたしには想像力が足りないのかもしれない」とホームズが考えながらいう。「これが世界の終わりだってわかっていないのかも。そんなこと、これまで考えたこともなかったから」
 するとオズボーンが笑った。「世界の終わりというわけじゃありません。ただ〈人類の終わり〉だというだけで。世界はこのまま残っていくでしょう。そこにわれわれがいなくなってもね。人間など抜きにして、この世界は永久につづいていくんです」
 タワーズが顔をあげて、いった。「たしかにそのとおりだろうな。ケアンズもポート・モーズビーも、街はどこもほとんど破壊されていないように見えた」そういって、潜望鏡で海岸に見た花の咲く木々の風景を思いだした。日差しのなかに立ち並ぶウメモドキや梧桐や椰子の木立を。「こんなことになってしまった世界で生き抜くには、われわれ人間はあまりにも愚かすぎたのかもしれない」(139~140ページ)


愚かさにより滅亡を引き起こしてしまった人類。『渚にて』は人類全体のもはや避けようのない死を前にして、最後の時を誰とどんな風に過ごすのかが綴られていく、そういうとても静かな物語なのでした。

恐慌ではなく日常風景を描いた、終末ものの名作。言い知れぬ感動が胸に残る、今なお色褪せることのない作品です。1957年の作品ですが、2009年に新訳が出て、ぐっと手に取りやすくなりました。

作品のあらすじ


ピーター・ホームズはオーストラリア海軍の少佐ですが、もう五ヶ月も軍務がありませんでした。それでも給料は支払われるので、妻のメアリ、そして生まれて間もない娘ジェニファーとの生活は安心です。

司令官に呼ばれて海軍省に行ったホームズはアメリカ合衆国海軍潜水艦〈スコーピオン〉の連絡士官に任命されたのでとても驚きました。

長旅に置いていく妻子を思い、迷った後引き受けたホームズは、親交を深めるために艦長のドワイト・L・タワーズ大佐を家に招きます。

以前、イギリス空軍の人を招いた時は、家族のことを思い出して泣き出してしまったので、また同じようなことにならないようメアリは今ではなにかとお酒ばかり飲んでいる友達のモイラも招いたのでした。

ヨットに乗ったり一緒にお酒を飲んだりしてモイラとタワーズは打ち解け、モイラは自分が知らない現在の世界についてタワーズから色々な話を聞きます。人類が死に絶えてしまった北半球の恐ろしい現状。

「街にも、村にも、田畑にも、生きてる人間が一人もいなくて、ただなにもないところが広がってるありさまをよ。わたしにはとても想像できないわ」
「わたしもだ」とタワーズはいった。「そんなさまを思い浮かべたいとも思わない。ただ昔と同じ景色だと思いたいだけだ」
(中略)
「あんな大きな街が滅ぶなんて」とモイラがいう。「信じられないわ」
「わたしもだ」とタワーズ。「とても考えられないほどだ。その事実に慣れることはむずかしい。想像力が欠如しているせいかもしれないが、それを思い描ける想像力を欲しいとは思わん。わたしにとっては、みんな今も生きつづけているものたちだ――どの街も、どの州も、以前と変わらない姿で。九月になってもそのままの姿でいるはずだとしか思えない」
 モイラが低い声でいった。「わたしもよ」
 タワーズは席を立ちながら、「お茶をもう一杯どうだ?」
「いいえ、けっこうよ」
 二人はふたたび甲板に出た。(99~100ページ)


〈スコーピオン〉は航海に出かけ、残されたメアリとモイラはどことなく不安な日々を過ごします。〈スコーピオン〉は今では人の姿が見えなくなった街をいくつかめぐり無事帰って来ることが出来ました。

北半球の人々は核爆弾の放射能で亡くなりましたが、遠くない将来、放射能降下物の南下によって、自分たちも死ぬだろうと分かっている南半球の人々の精神状態も、やはり、どこか普通とは違っています。

ホームズ夫妻が熱心に取り組んでいるのは、家庭菜園。野菜が実際に実を結ぶのはまだまだ先のことなのに。モイラの父は牧場経営に没頭しており、集めていたワインをずっと飲み続けている人物もいます。

モイラの従兄で、〈スコーピオン〉の科学士官に任命されたジョン・S・オズボーンが夢中になっているのは車でした。今ではガソリンが手に入りづらくなっていますが特別性の混合燃料で走らせるのです。

オズボーンが手に入れたのはフェラーリでした。小さい頃からカー・レースが大好きで、フェラーリは憧れの車だったのです。オズボーンにフェラーリを見せてもらったホームズは、悩みを打ち明けました。

次の任務から帰って来た頃にはオーストラリアにも放射性降下物の前線がやって来てはいないかと。ホームズは薬局によって放射能を浴びたらどうなるか、そしていざという時の薬について聞いてきました。

ホームズはもしもの時に取るべき行動をメアリに話して聞かせます。

 彼はもうひとつの赤い小箱もポケットから出し、その扱い方を説明した。妻の目がしだいに敵意に燃えてきた。
「はっきりいえば、こういうことでしょ」その声には刃がひそめられている。「わたしにジェニファーを殺せってことでしょ!」
 ホームズは難局が訪れたことを悟ったが、しかしそれに立ち向かうしかない。「そのとおりだ。そうすることが必要な事態になったら、きみはそれをやらなければならない」
 メアリは急に怒りを爆発させた。「あなた、どうかしてるわ!」と声をあげる。「仮にあの子がそれほどひどい症状になったとしても、わたしにはそんなことできないわよ! ほんとに頭がおかしいんじゃない? そんなことがいえるのは、あの子を愛していないからよ。今だけじゃなく、これからもずっとね。あの子なんてじゃまものだとしか思ってなかったんでしょ。でもわたしにとってはちがうわ――あなたこそじゃまものよ。そんな人間だから、妻に子供を殺せなんてことが平気でいえるのよ」怒りとともに立ちあがった。「もしそれ以上なにかいったら、わたしはあなたを殺すわ!」
 ホームズは妻がそれほどに怒ったのを、これまで見たことがなかった。彼も立ちあがり、「最後にどうするかは、きみの判断にまかせるしかない」と弱くいった。「もしどうしてもやりたくないなら、やめるのもきみの自由だ」(240ページ)


一方、モイラは知り合いの夫人からタワーズがブレスレットを買い、子供用ホッピングを探していたと聞かされます。ブレスレットをモイラへのプレゼントだと思い込み、しきりに二人の仲を冷やかす夫人。

しかし、モイラは知っています。タワーズはアメリカに残して来た家族へのおみやげを買っているのだということを。まるで、もういない家族がまだ生きていて、その家族の元に帰れる日が来るかのように。

そしてついに、それぞれの思いを抱えたタワーズ、ホームズ、オズボーンらを乗せた〈スコーピオン〉は生存者の可能性がある謎の無線電波について調べるため危険な北半球への航海へと乗り出して……。

はたして、〈スコーピオン〉の乗組員らが目にしたものとは一体!?

とまあそんなお話です。誰が主人公というわけではなくホームズ、タワーズ、オズボーン、モイラなど、何人もの人物にスポットがあたっている物語。それぞれの登場人物が抱えているものがあるんですね。

中心となるのはタワーズとモイラ。互いに惹かれてはいるものの、タワーズは家族はまだ生きていると思い込みたがっており、モイラもその気持ちを受け入れているだけになかなか二人の仲は進展しません。

人類滅亡を意識して人々が取る行動は似た部分があり、なにか一つのことを徹底的にやろうとします。それが最もよく表されているのが、オズボーン。やがて彼は、カー・レースに挑戦することになります。

ホームズ夫妻の決断、タワーズとモイラの恋愛、オズボーンの生き様など、様々な見所がある作品。終末SFにしては派手さのない、とても静かな小説ですが、それだけに登場人物の姿が印象に残りました。

次回からは、ヤングアダルト叢書「STAMP BOOKS」を読みながら、あわせて紹介したいなあと思っていた、ヤングアダルト小説を三冊ほど。まずは、ジェリー・スピネッリ『スターガール』から。