奥田英朗『イン・ザ・プール』 | 文学どうでしょう

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イン・ザ・プール (文春文庫)/文藝春秋

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奥田英朗『イン・ザ・プール』(文春文庫)を読みました。「伊良部シリーズ」第一作です。

ドタバタ喜劇風のミステリだと、言動がへんてこな探偵が登場して、やっていることはしっちゃかめっちゃかなのに何故か難事件を解決してしまうというものがたまにあります。名探偵ならぬ迷探偵ですね。

今回紹介する『イン・ザ・プール』はテイストとしてはそんな感じですが、登場するのは探偵ではなく精神科医。色白で太っていて、見た目は四十代前半の伊良部一郎です。注射マニアかつ極度のマザコン。

心の病を抱えた患者がやって来ますが、まともな治療をしようとせずおかしなことを言ってばかり。深い考えのある名医なのか、それとも迷医かは分かりませんが、いつの間にか病気を治してしまうのです。

描かれる心の病はどれも深刻ですが、伊良部のキャラがとにかくぶっ飛んでいる上に思いも寄らぬ治療法が出て来るので、思わず吹き出してしまうこと請け合いです。笑って、ちょっと考えさせられる一冊。

伊良部が登場する短編が集められた連作形式で『空中ブランコ』『町長選挙』と続編が出ていて、『空中ブランコ』は直木賞を受賞。ぼくは観ていませんが、シリーズ通してドラマや映画にもなりましたね。

ではここで、伊良部の変人ぶりを少し紹介しましょう。股間が勃ちっ放しになってしまって困っている田口哲也がやって来ると、いきなり股間を膝で蹴りあげ、平然とショック療法を試してみたと言います。

「やっぱりショックを与えるっていうのがいちばん――」
「いやです」即座に拒否した。
「心的ショックでもいいんだけどね」コーヒーで口の中をゆすいでいる。どうするかと思えばそのままゴクリと飲み込んだ。「アソコが縮みあがるような体験をしてみるとか」
「ほう」哲也が身を乗りだす。
「やくざのベンツに当て逃げすれば、相当肝を冷やすと思うんだけど」
 体の力が抜け、病院を代えることを考えた。
「バンジージャンプなんかもいいんじゃない」
 あまり信用したくない。痛みが増すだけに決まっているのだ。
「ディズニーランドのジェットコースターは? ぼくも一緒に行くからさ」
 返事をせず、ため息をついた。
「ついでにエレクトリカルパレードを見てさ」
 何が悲しくてこんな中年男と遊園地に行かなくてはならないのか。(86ページ)


もう完全に途中から患者の治療を忘れて、自分の行きたいところを言い始めている伊良部。毎回こんな感じで、患者を呆れさせてばかりです。こんなへんてこな精神科医がちゃんと治療出来るのでしょうか。

「物語に登場するかかりたくない医者ナンバーワン」であろう伊良部ですが、はたから見ている分には完全に他人事なので、にやにやしながら楽しめます。迷医、伊良部の診察室をぜひ覗いてみてください。

作品のあらすじ


『イン・ザ・プール』には、「イン・ザ・プール」「勃ちっ放し」「コンパニオン」「フレンズ」「いてもたっても」の5編が収録されています。

「イン・ザ・プール」

夜中に突然呼吸困難に陥ったり、日中下痢をするようになったりした出版社勤務の大森和雄は伊良部総合病院に行きましたが、原因ははっきりしません。そこで、地下一階にある神経科へ回されたのでした。

何故か注射を射たせたがる医師伊良部一郎の指示でマユミちゃんと呼ばれている茶髪の若い看護婦が注射します。見ないようにした和雄ですが白衣の前がはだけた看護婦の白い太ももが目に焼きつきました。

運動がいいというので、プールに通い始めると夢中になってしまいます。やがて「えへへ、来ちゃった」(28ページ)と伊良部までハマり始めました。ところがしばらくプールで泳げない日が続いて……。

「勃ちっ放し」

浮気されて別れた妻の淫夢を見て目を覚ました田口哲也はトイレに行こうとして転びます。そして手をついた本棚から落ちてきた広辞苑が股間に直撃したのでした。それから股間の昂ぶりがおさまりません。

精神科に回された哲也ですが、わけの分からないことばっかり言っている伊良部は全く助けにならず、陰茎強直症の原因は必要な時に自分が感情を爆発させられないからだと哲也は思い始めたのですが……。

「コンパニオン」

コンパニオンの安川広美はストーカーに悩まされていました。ずっと誰かに見られている気がするのです。しかし実際にその誰かを目撃した者はなく、周りからは疲れているせいではないかと心配されます。

精神科に行くと伊良部は、ボディーガードでも雇ってみたらと言い、「ぼくがやってもいいんだけどね、タダで。ぐふふ」(132ページ)と笑うばかり。ストーカーらしき目はどんどん増えていき……。

「フレンズ」

いつでもケータイを手放せない高校二年生の津田雄太。いつ誰から連絡が来るか分からないからです。いつもメールを打ってばかりで、あまりにも度が過ぎると両親から心配され、精神科にやって来ました。

影響されてケータイを持ち始めた伊良部でしたが「これからお風呂に入るよ」(203ページ)などとくだらないメールばかり送られる雄太はうんざり。やがて雄太はケータイをカツアゲされてしまい……。

「いてもたっても」

ルポライターの岩村義雄は、ある時から家を出る時に煙草の始末をしたかどうかがどうしても気になるようになってしまい、自分で色々調べた結果、強迫神経症らしいと気付いて、精神科へやって来ました。

伊良部は義雄の話をあまり聞かず、ライバル病院の悪事を記事にして欲しいなどと言うばかり。完璧を求めすぎるあまり仕事もあまりうまくいかず、煙草の次はガスと、病状は悪化していったのですが……。

とまあそんな5編が収録されています。突拍子もないキャラクターの奇怪な言動に笑わされるだけでなく人情話の要素もあるのがこの本の醍醐味ですが、そういった意味で面白いのが「イン・ザ・プール」。

話の展開も意外性があり、最後にはじんわり感動させられてしまいました。そして、精神科にやって来る患者たちの中で最も共感しやすいのはいつも誰かと繋がっていたい「フレンズ」の津田雄太でしょう。

雄太ほど極端ではないにせよ、ケータイが手元にないと不安という気持ちは分かりますよね。誰かに必要とされることに喜びを感じる雄太ですが、次第に本当の友達とは何かが問われていくこととなります。

ぶっ飛んだ内容ながら、なんだか妙に身につまされる話ばかり。読みやすく面白い作品なので興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、山中恒『ぼくがぼくであること』を紹介する予定です。