山本周五郎『赤ひげ診療譚』 | 文学どうでしょう

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山本周五郎『赤ひげ診療譚』(新潮文庫)を読みました。

昨日紹介した藤沢周平と双璧とも言うべき時代小説作家が、山本周五郎。その代表作の一つが、小石川養生所を舞台に”赤ひげ”と呼ばれる医者と、その弟子の活躍を連作形式で描いた『赤ひげ診療譚』です。

三船敏郎と加山雄三が師弟を演じた黒澤明監督の映画『赤ひげ』も大ヒットしました。白黒ですが、『赤ひげ』は今観てもかなり迫力があって面白いです。若かりし頃の加山雄三もかっこいいんですよねえ。

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確かな腕を持ちながらも出世を目指すのではなく、庶民の味方であり続けるという”赤ひげ”の姿は後の物語にも大きな影響を与えました。

たとえば史村翔原作、ながやす巧作画のマンガ『Dr.クマひげ』がありますが、このマンガもまた影響が大きくて、香港ではトニー・レオンを主演に『裏街の聖者』という映画が作られたりもしています。

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『裏街の聖者』は、すごい腕を持ちながら決して偉ぶらず、庶民の味方であり続ける医者の物語で、いい映画なので機会があれば、ぜひ。

そんな風にマンガやドラマなど、”赤ひげ”を思わせる医者ものというのは結構あるのですが、『赤ひげ診療譚』にはもう一つ大きな魅力があって、それは実はバディ(相棒)ものになっていることなんです。

長崎で外国の最先端の医療技術を学んで帰って来て、出世を目指している若き保本登は、こんな小さな施療所で貧しい人々の相手ばかりを続けている”赤ひげ”こと新出去定のことが、気に食いませんでした。

服装の決まりも守らず、入所患者の手当ても手伝いません。同僚の森半太郎からいさめられましたが、その言葉も耳に入らないのでした。

「どういうつもりなんです」と半太夫は登を睨みつけた、「いつまでそんなことを続けているつもりなんですか」
「そんなこととはなんです」
「そのつまらない反抗ですよ」と半太夫が云った、「人の気をひくような、そんな愚かしい反抗をいつまで続けるんです、そのために誰かが同情したり、新出先生があやまったりするとでも思うんですか」
(中略)おそらく、田舎者にとっては幕府経営の施療所や、その医長である新出去定などが、輝かしく、崇敬すべきものにみえるのであろう。ばかなはなしだ、と登は思って、半太夫とは殆んど口もきかずにいた。それが思いがけないときに、いきなり辛辣な皮肉をあびせられたので、殴りつけるのをがまんするのが登には精いっぱいであった。(30~31ページ)


勿論、そんな登は次第に”赤ひげ”のことを認め、圧倒され、やがては自分も”赤ひげ”のようになりたいと思っていくわけですが、バディものの最高に面白い所は実はベテランの方も影響される所にあります。

ベテランが新人を育てるだけでなく、若くてまっすぐな新人が入って来たことによって、ベテランの心持ちもかなり変わるんですね。そうして相互に影響しあう所が、バディものの何よりの醍醐味なのです。

お互いに意地を張りあい、激しく反発していたベテランと新人が、やがてはお互いに認めあい、少しずつ絆を深めていく――そんな物語がもう面白くないわけがないじゃないですか。ぐっと来る感動作です。

連作なので長編のように読むことも出来ますし、話自体はそれぞれ独立しているので短編集のように読むことも出来る、そんな一冊です。

作品のあらすじ


『赤ひげ診療譚』には、「狂女の話」「駈込み訴え」「むじな長屋」「三度目の正直」「徒労に賭ける」「鶯ばか」「おくめ殺し」「氷の下の芽」の8編が収録されています。

「狂女の話」

三年間の長崎遊学を終えた、前途有望な若き医者の保本登。しかしその心はすさんでいました。「どうして待てなかったんだ、ちぐさ、どうしてだ」(7ページ)と頭の中はちぐさのことで一杯だったから。

すぐ出世の道が開けると思っていた登でしたが、四十から六十の間と見えひげを生やしたその逞しい顔つきから「赤髯」と呼ばれている新出去出が医長をつとめる小石川養生所で働かされることになります。

服装などの決まりに従わず、反抗的な態度を取り続ける登はやがて北の病棟に一と棟の家があることを知りました。そこでは富豪の娘ながら男を誘惑して殺してしまう病気を持ったゆみが暮らしていて……。

「駈込み訴え」

高名な蒔絵師で、決して苦しいと口にしない六助を担当することになった登。全身に広がり、もはや治療法が見つからない六助の病気について話し合っている時、去出は思いがけないことを言ったのでした。

「ない」と去出は嘲笑するように首を振った、「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などはない」
 登はゆっくり去出を見た。
「医術がもっと進めば変ってくるかもしれない、だがそれでも、その個躰のもっている生命力を凌ぐことはできないだろう」と去出は云った、「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、病気が起こると、或る個躰はそれを克服し、べつの個躰は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることができるし、生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」
(55ページ)


医術の不足を補うために、貧困と無知に勝っていかなければならないと言う去出に対し、登は内心それは政治の問題ではないかと反発します。やがて六助が死に、去出と登は娘に会いに行ったのですが……。

「むじな長屋」

ようやく自ら進んで薄鼠色の上衣を着るようになった登は、貧しい人々が暮す長屋へ治療に訪れるようになりました。特に気にかけていたのが佐八という病人。労咳のようですが、無茶ばかりするのです。

体が動けば無理して働いてしまいますし、薬や食べ物を与えても佐八は誰かにやってしまうのでした。やがて崖崩れをならしていた時に、15年前ほど前の女の死躰が見つかって、辺りは大騒ぎになります。

すると佐八は、皆は自分のことを褒めるが「本当のことを知ったら、私がどんな人非人かということを知ったら、みんなは唾もひっかけやしないでしょう」(134ページ)と登に打ち明け話を始めて……。

「三度目の正直」

去出と登は藤吉という大工に頼まれ、弟分の猪之の診察に行きました。ぼんやりしていたかと思うと、突然にやにや笑い出す、おかしな様子の猪之。他の医者からは頭がおかしくなったと言われています。

「私は気鬱症だと思います」
「都合のいい言葉だ」と去出は云った、「高熱が続けば瘧、咳が出れば労咳、内臓に故障がなくてぶらぶらしていれば気鬱症、――おまえ今日からでも町医者ができるぞ」
 登は構わずに反問した、「先生はどういうお診たてですか」
「気鬱症だ」と去出は平気で答えた。
 登は黙っていた。
「明日おまえ一人でいってみろ」と去出は坂にかかってから云った、「藤吉と二人の、昔からのことを詳しく訊くんだ、あのとおり当人はなにも云わないから、藤吉に訊くよりしようがない」
(153~154ページ)


藤吉に話を聞くと、猪之にはおかしな癖があることが分かりました。藤吉に縁談の仲立ちを頼むのですが、話がまとまって相手の女性が自分のことを好きになると、途端に嫌になってしまうという癖で……。

「徒労に賭ける」

娼家へ診察に行った去出と登。幼い少女が無理矢理働かされ、町医者が暴利を貪る劣悪な環境を目の当たりにしますが、去出は人間に欲望がある限り、欲望を満たす条件が生まれるのは自然だと言いました。

それだけでなく「師を裏切り、友を売ったこともある、おれは泥にまみれ、傷だらけの人間だ、だから泥棒や売女や卑怯者の気持がよくわかる」(212ページ)という思いがけない言葉で登を驚かせます。

劣悪な環境を少しでも改善するべく、出来る限りの努力を続けていた去出と登でしたが、ある時、四、五人のやくざ者に囲まれ、この土地へは近づかない方がいいと脅されてしまうこととなってしまい……。

「鶯ばか」

見えもしない鶯(ウグイス)の話をし、「とうとう手に入れた、ほら、鳴いてるだろう、あれが千両の囀りだ」(239ページ)、これで貧乏から抜け出せると口にする十兵衛を診察するようになった登。

同じ長屋の子供たちも登になつき、銀杏(ぎんなん)をたくさん拾ったと自慢する長次は、今度登にもくれると約束してくれます。一方おきぬという遊女あがりの女は登を誘うように頭痛を訴えるのでした。

やがて生活に苦しむ長次の家族は、殺鼠剤を飲んで一家心中をはかります。息も絶え絶えに、約束した銀杏はお金のために売ってしまったとしきりに謝る長次を、なんとか救いたいと思った登でしたが……。

「おくめ殺し」

体中にけがをした二十五歳の男、角三を救った去出と登は角三が誰かを殺そうとしていたことに気付きます。角三は実は折角作った自分の店を潰されそうになって、家主の高田屋松次郎を狙っていたのです。

高田屋の先代と角三の住む長屋とは不思議な取り決めがあって、何故かずっと店賃が無償だったのでした。しかし代替わりすると松次郎は長屋の者を追い出し、長屋を取り壊すことを決めてしまったのです。

先代の高田屋との不思議な取り決めの理由について、唯一知っているのは角三のいいなづけおたねの祖父ですが、もうぼけてしまっていてよく思い出せず、ただ”おくめ殺し”という謎の言葉を口にして……。

「氷の下の芽」

施療所に、おえいという十九歳の娘がやって来ました。母親はおえいのおなかの子供を堕ろしてほしいと言います。それと言うのもおえいは、突然泣きわめいたりにやにや笑ったりと頭が少しおかしいから。

「あたい赤ちゃんを産むの」とおえいはまどろっこい口ぶりで云い張った、「このおなかの子は、あたいの子だもの、どんなことがあったって、産んで、育てるんだ、うう、誰の世話にもならなければいいでしょ」
「おまえが母親になれるのならいい」と去出が云った、「けれどもそれは無理だ、おまえは頭が普通ではないから、自分ひとりでさえ、これからの長い生涯を満足にやってゆくことはむずかしい、そうだろう」
 おえいはにっと笑い、ないしょ話をするように、去出に向かって囁いた、「先生、――あたいほんとは、ばかのまねをしているのよ」
「よし、それはもう三度も聞いた」

(338ページ、本文では「えい」に傍点)


おえいは馬鹿なのか、それとも、馬鹿のふりをしているのか? やがて登は、おえいの口から衝撃の事実を聞かされることとなって……。

とまあそんな8編が収録されています。治療される側だけでなく、治療する側である、登や去出もまた心に傷を抱えているのが、とても印象的ですよね。去出は、どうやら過去になにか色々あったようです。

一方、登もちぐさのことで苦しみ続けています。三年間の長崎遊学を待ちきれなかったちぐさとは一体誰で、登とはどんな関係の女性だったのでしょうか。その挿話も少しずつ語られていくこととなります。

どの話も印象的で面白いものばかりでしたが、場面で言えば去出の意外な一面に驚かされる「徒労に賭ける」が特にいいですね。心に残る話で言えば、子供との交流が描かれた「鶯ばか」が忘れられません。

個人的に一番好きだったのが「おくめ殺し」です。何故先代の高田屋は長屋の店賃を無償にしていたかの謎に迫るミステリ仕立ての短編。これが本当に意外な真相になっていまして、非常に面白かったです。

有名な作品なので、なんとなく知っているという方も多いであろう『赤ひげ診療譚』。医者ものとして、バディものとして楽しめる盛りだくさんの一冊なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

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