童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』 | 文学どうでしょう

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小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫)/集英社

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童門冬二『全一冊 小説 上杉鷹山』(集英社文庫)を読みました。

この間、旅の途中で山形県米沢市にある上杉神社に寄りました。元々は米沢城だった所。戦国時代は伊達家の所領で伊達正宗の生誕の地でもあります。江戸時代に国替えで上杉家が治めるようになりました。

上杉家と言えばみなさんご存知なのは、戦国時代に武田信玄と川中島の戦いなど何度も名勝負をくり広げたことで有名な上杉謙信でしょう。上杉謙信の養子になって跡を継いだのが上杉景勝という人です。

その上杉景勝に仕えたのが、妻夫木聡主演の2009年大河ドラマ『天地人』で広く知られるようになった、直江兼続です。ぼくはドラマを見ていなかったのですが、上杉神社には像が立っていましたよ。

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上杉景勝から数えて四代目になる米沢藩主に、上杉綱憲という人がいました。この人自身は、さほど有名ではありませんが、父親は歴史好きなら誰でも知っている、超がつくほどの有名人、吉良上野介です。

みなさんは、『忠臣蔵』をご存知でしょうか。最近では知らない人も増えているみたいですが、浅野内匠頭という殿様が江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りかかり、その罪で切腹させられてしまうんですね。

赤穂藩も取り潰しになってしまい、家臣はみな浪人になってしまいました。しかし、大石内蔵助を筆頭に四十七人の義士はひたすらに機会を待ち続けて、主君の仇を討つために吉良邸に討ち入るというお話。

詳しく知りたい方は大佛次郎『赤穂浪士』の記事もご参照ください。

何故浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかったのかは謎なんですが、物語では大体吉良上野介が憎々しげな悪役キャラに設定されています。

上杉綱憲の娘の孫にあたる女性を母に持ち、九州の高鍋藩から養子としてやって来て十七歳で九代目藩主になったのが上杉鷹山で、今回紹介する小説の主人公です。”米沢藩中興の祖”と讃えられている名君。

時代が経つに従って米沢藩の財政は悪化して、財政破綻寸前の状況にまで陥っていました。そんな最悪の時期に上杉鷹山は当主になってしまったんですね。そこで鷹山は改革に乗り出すことにしたのでした。

本文で触れられていましたが、こんな有名なエピソードがあります。

 余談だが、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が生きていたころ、日本人記者団と会見して、
「あなたがもっとも尊敬する日本人は誰ですか」
 と質問されたことがある。そのとき、ケネディは即座に、
「それはウエスギヨウザンです」
 と答えたという。
 ところが残念なことに、日本人記者団のほうが上杉鷹山という人物を知らず、
「ウエスギヨウザンて誰だ」
 と互いにききあったというエピソードがある。ケネディは、日本の政治家として、何よりも国民の幸福を考え、民主的に政治をおこない、そして、
「政治家は潔癖でなければならない」
 といって、その日常生活を、文字どおり一汁一菜、木綿の着物で通した鷹山の姿に、自分の理想とする政治家の姿を見たのである。(620~621ページ)


このエピソードもとても印象的ですよね。戦国時代でも幕末でもなく江戸時代中期の人物なだけに、企業運営などビジネス面では注目されていますが、一般的な知名度は今でもあまりないだろうと思います。

ケネディ大統領のエピソードもとても興味深いですが、ぼくが上杉鷹山に関心を持ったのは旅先の上杉神社である石碑を見たからでした。

その石碑には鷹山の歌「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」が書かれていました。いい言葉ですね。座右の銘を聞かれた時に「なせば成る」と答える人も結構多いでしょう。

やろうと思ったら出来る、出来ないのはやらないからだという言葉は、とても勇気づけられますよね。厳密に言えば元になった武田信玄の歌があるようですが、鷹山のこの歌が今では広く知られています。

そんな名言を残した藩主が、どんな改革をしたのか気になって、ぼくは上杉鷹山について書かれた小説を読んでみようと思ったのでした。

作品のあらすじ


17歳で当主になった米沢藩の若き藩主上杉治憲は、江戸の藩邸で庭の池を眺めていました。池の中で泳ぐ様々な魚を見ていたのですが、見飽きないのは、魚それぞれを藩邸の家臣に見立てていたからです。

その頃の米沢藩は借金ばかりがどんどん膨らみ、財政難に陥っていました。重臣の間でもはやこうなっては幕府に藩を返上した方がよいのではないかという話が出るほど、追い詰められた状況だったのです。

治憲は財政再建のための改革をすることを決断しました。そのために必要なのは、何を置いても人材です。治憲は小姓の佐藤文四郎に不思議な頼みごとをしました。藩邸で孤立している者を調べて欲しいと。

治憲は古い考えに固執し、重職の顔色を伺うような人物では、改革の役には立たないと思ったのです。正しいことをするためには、周りとぶつかってでも、意志を貫き通すような人材を探していたのでした。

そうして、藁科松伯を中心とした冷メシ組を集め、財政再建のための改革案を練らせたのです。そうして提出された倹約案には、五十人いる奥女中を九人に減らすという案があったので、佐藤は怒りました。

治憲の妻の幸は生まれつきの障害者で体も不自由ですし、頭も幼い子供のまま。その分、なにかと人手が必要なのです。しかし治憲はその案を受け入れ、身の回りの物を質素にし、倹約につとめたのでした。

この頃の大名は参勤交代といって、一年ごとに国元と江戸を行き来する決まりがあります。江戸の藩邸で質素倹約の改革案を実行していた治憲は19歳になった時にいよいよ米沢藩に行くことになりました。

ここからが治憲の考える改革の本番なのですが、宿場に誰も人がいないほど米沢藩の貧しさはすさまじいものであり、よそからやって来た若造の主君を快く思っていない国元の重臣たちは、冷たい態度です。

駕籠で移動中、煙草盆の中の冷たく冷えた灰を手に取った治憲は、米沢の国や、暮らす人々は、この灰のようになっていると思いました。

「この死んだ灰とおなじ米沢の国に、何かの種を蒔いても一体育つだろうか。恐らくすぐ死んでしまうにちがいない。だからこの国の人間は誰も希望を持っていないのだ。ああ私は大変な国に来た。年若く、何も知らず、経験もなく、この国で富民のための藩政改革をおこなおうなどというのは、天を恐れぬ高言であった。おそらく、私は、米沢城で、改革の第一歩にも着手しないうちに、しっぽを巻いて、遠い日向の国に帰らざるを得なくなるであろう」
 そういう悔恨の情が次から次へと突き上げてくるのであった。
 そのうちに、治憲は、何の気なしに冷たい灰の中を煙管でかきまわしてみた。
 治憲は、煙草を吸わない。だから、家臣たちも、火に注意を払わなかったのである。が、灰の中に小さな火の残りがあった。それを見ると、突然治憲の目は輝いた。(130ページ)


火種を新しい炭に移し、治憲は家臣たちにお前たち一人一人が火種になって、灰のような米沢の国に火を灯してほしいと頼んだのでした。

藩内を見回った治憲は、早速国元でも大きな改革に取り掛かります。

何よりもまず、利益を出すために、今までは疎かにされていた絹織物や鯉の養殖、笹野の一刀彫りなどの質を高め、他国との売買で利益をあげようとしたのです。しかし、そこには大きな問題がありました。

農民は自分たちの仕事だけで手いっぱいで、これ以上苦しめるわけにいきません。武士やその家族が、労働者となって仕事をしなければならないのです。当然武士からは、強い反発の声が上がったのでした。

治憲を信じる人々が、開墾の仕事を請け負ってくれましたが、ようやく改革が軌道に乗り始めた時、治憲は参勤交代でまた江戸へ行かなければならず、改革派は、古い考えの重臣たちに苦しめられ続けます。

やがて、重臣たちに処罰を下して腐敗を取り除いた治憲は、目先のことではなく、米沢藩の将来のことを考え始めました。そこで学校を作ることにしたのですが、その学校がまた、周りの人々を驚かせます。

「私の考えている新しい学校は、藩士だけのものではない。もちろん、藩士の子弟も入れるが、同時に、百姓、町人のこどもも入れたいのだ」
 といった。
 これがまた大問題になる。藩の学校で、藩士の子と庶民の子が机を並べて勉強するなどといったら、もうそれだけで古い考えの藩士たちは、
「とんでもない、そんな学校をつくるのは反対だ」
 ということになるだろう。
(つぎからつぎへと、お屋形さまはよく問題になる火種をお考えになる)
 佐藤は馬の上で苦笑した。(369ページ)


先生を呼ぶのにもお金が入りますが、まだまだ借金だらけの藩には、そのお金を出す余裕すらありません。しかし治憲の考えを知った人々が少しずつお金を出してくれ、計画は前へと進んでいったのでした。

様々な困難を乗り越えながら、治憲の改革は進められて行きますが、ある時、たまたま出会った老婆が治憲に「米沢には、まだまだ悪い役人がいるぞ」(541ぺーじ)と妙に気になることを言ったのです。

古い考えから改革を邪魔していた重臣たちを筆頭に、腐敗した人々はすでに一掃したはずで、今は、治憲が心から信頼している部下たちが政治を取り仕切っています。悪い役人など、いるはずがないのです。

老婆の勘違いなのでしょうか。迷いを抱えるようになった治憲をさらなる打撃が襲います。長雨から来る冷夏によって、作物が取れなくなったのでした。それは五年間続く天明の大飢饉の始まりで・・・。

はたして、米沢藩の運命はいかに? そして改革は成功するのか!?

とまあそんなお話です。童門冬二は長年東京都庁に勤めていた人で、組織のあり方や人材育成について、また組織の経営方法や政治についてなどビジネスの視点を盛り込んでいることに特徴のある作家です。

なので、その作品は歴史小説というよりは、ビジネス書のように読まれることが多いのですが、ビジネス面でためになることが多いだけでなく、ストーリーに引き込まれる、小説として、面白い作品でした。

借金による財政難など、日本の政治が抱える問題とも重なる部分が多いだけに、興味深く読めるこの一冊。ぜひ、読んでみてください。

明日からは5夜連続で、米澤穂信の〈古典部〉シリーズを紹介する予定です。まずは、『氷菓』からスタート。