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アーシュラ・K.ル=グウィン(清水真砂子訳)『こわれた腕環』(岩波少年文庫)を読みました。「ゲド戦記」シリーズ第二巻です。
前作『影との戦い』が少年の成長譚であったように、今作『こわれた腕環』は少女の成長譚として読むことが出来ます。しかし、ただ単に少女の成長譚が描かれているだけではない深いテーマの作品でした。
たとえば、この作品では”自由”とはなにかが問われ続けています。自由とは自分の頭で考え、自分の意志で行動出来ることですが、誰しもが何かに縛られているよりは、自由でありたいと願うものですよね。
しかし実は、自由であり何をしてもいいということはすなわち、何もかも自分で判断し、決断しなければならないということでもあります。そしてそれは時に、激しい痛みと苦しみを伴うものなのでした。
物語の主人公である少女テナーは、幼くしてアチュアンの墓所の大巫女の生まれ変わりとして選ばれます。儀式を経て名前を失い、”喰らわれし者”を意味するアルハとなり名なき者たちに仕え始めました。
アチュアンの墓所には様々な仕来りがあり、巫女の教育によってアルハは世界のことを知っていきます。アルハにとってはアチュアンの墓所がすべてであり、そこの考え方だけが確かなものだったのでした。
しかしある時、アチュアンの墓所に忍び込んだ侵入者と出会ったことにより、アルハは、今まで自分が信じていたことや、世界の見え方は、どこか歪んだものだったのではないかと、気付いていくのです。
顔に傷のある黒い肌の侵入者は、この場所についてこう語りました。
この世はたしかに美しくて、明るくて、慈愛に満ちている。だが、それだけじゃない。この世には、同時に、醜くて、暗くて、非情なところもある。緑の草原ではウサギが恐ろしい悲鳴をあげて死んでいくし、山々は巨大なこぶしを握りしめて、大量の真っ赤な溶岩をしぼり出す。海にはサメが泳ぎ、人の目には残忍さがひそんでいる。そして、人間がこうしたものをよしとして、その前にひれふすところでは、悪は勢いを得て、大いに栄えるんだ。そこには闇が集まり、闇の集まるそんな土地は、われわれが名なき者たちと呼ぶ精霊の支配下になってしまう。光があらわれる以前からの古い大地の精霊たちの支配下にね。闇、破壊、狂気といった力の支配下に、だ。(180~181ページ)
名なき者たちは強い力を持っているが、その力は世界を暗くし、なにかを破壊するだけで神のように崇拝されるべき存在ではないのだと。
アルハは、今まで通りアチュアンの墓所で名なき者たちに仕え、大巫女の道を進んでいくか、それとも、自分が捕えた侵入者の言葉に耳を傾けるかで揺れ、いくつかの決断を迫られていくこととなるのです。
何が正しくて何が間違っているかを判断するのは、ただでさえ難しいことなのに、アルハの場合は、幼い時からずっと教え込まれて来た考えを否定しなければならないわけですから、より一層大変ですよね。
揺れる心を抱えたアルハは、一体、どんな答えを出すのでしょうか。
この物語でもう一つの大きな役割を果たすのが、タイトルにある”こわれた腕環”です。巨大なカルガド帝国が成立するきっかになった戦いの時に壊れてしまった、エレス・アクベというまじない師の腕環。
半分はアチュアンの墓所に収められていますが、もう半分は失われてしまい、どこにあるのか長年分かっていません。侵入者はこの”こわれた腕環”を求めてアチュアンの墓所に忍び込んで来たわけですね。
真っ二つに割れてしまい、その半分が失われてしまった”こわれた腕環”。再び一つにすることが出来たならば、一体どんなことが起こるのでしょうか。腕環に隠された謎から、目が離せなくなる物語です。
『こわれた腕環』のストーリー自体は独立したものですが、失われた腕環の半分にまつわるエピソードや、登場人物が再登場したりするので、やはり前作の『影との戦い』から順番に読むのがおすすめです。
作品のあらすじ
夕闇が迫る深い谷間に、母親がテナーという子供を呼ぶ声が響きます。しかし父親はテナーについて妻に冷たくこう言い放つのでした。
「あいつのことを思うのはよせ。来月には迎えが来て、連れてっちまうんだ。連れてったら、それっきりだ。いっそのこと、死んでくれたらいいものを。いずれいなくなると決まってるやつのことをなど、考えてどうする? あいつはわしらにとっちゃ、屁にもならん。金を払って連れてくなら、まだ話もわかる。だが、そんなことはすまい。連れてって、それで何もかもおしまいさ。」
(12ページ)
5歳になったテナーは親元から引き離されて神殿に連れて行かれ、名なき者たちに捧げられる儀式を受けました。巫女たちは「娘ごは喰らわれぬ! 娘ごは喰らわれぬ!」(17ページ)と口々に叫びます。
そうしてテナーは自分の名を失い、”喰らわれし者”を意味するアルハと名付けられ大巫女になる教育を受け始めることになったのでした。
アチュアンの墓所にいる唯一絶対の大巫女が死ぬと、同じ日に生まれた赤ん坊、すなわち大巫女の生まれ変わりを探す決まりになっています。そんな風にして、大巫女は永遠に生まれ変わり続けるのでした。
病気を持っている赤ん坊は大巫女になれませんから、テナーの母親は、イチゴの汁をつけて発疹が出たように見せかけましたが、その偽りはすぐにばれてしまい、結局テナーが大巫女に選ばれたのでした。
アルハは、幼い巫女たちとともに、聖なる歌や舞いを習い、カルガド帝国の歴史や、アトワーとウルワーという双子の神について学んでいきます。15歳になると、大巫女としての仕事も任され始めました。
新しいことが始まるので心ときめかせていたアルハでしたが、やがてすべてはまた習慣になってしまい、なんの変りばえもしない一年がただ過ぎて、このまま自分の人生が終わるかと思うと、ぞっとします。
「退屈がすぎると、それは時に恐怖に変わって、彼女の喉をしめつけた」(47ページ)のです。その苛立ちをぶつける相手が、年老いた召使いのマナンでした。マナンは、昔に起こった話をしてくれます。
かつては、様々な領主がアチュアンにやって来ては、名なき者たちにお伺いを立てていたものだったが、150年ほど前に、神官を兼ねる大王がカルガド帝国を築くとそれがすべて変わってしまったのだと。
今では自ら神の言葉を聞くカルガド帝国の大王が権力を持っていて、アチュアンの大巫女は力を持っていないとアルハは知ったのでした。
大巫女がやらなければならない仕事に、罪人の処刑があります。
坂道の途中で、コシルがうしろから声をかけた。
「すでにご存じのとおり、あなたさまのお仕事のひとつに、罪人の生け贄を捧げる儀式がございます。われらの大王さまを冒涜したか、反逆を企てたかして罪を犯した高貴の者たちを生け贄に捧げるのでございます。」
「大王だけでなく、名なき者たちに対して罪を犯した者たちも、だろうに?」
「まことに、おおせのとおりでございます。喰らわれし者なるあなたさまがお小さかったので、今まではこの儀式はひかえてまいりました。ですが、あなたさまももう子どもではありません。罪人どもは”鎖の間”に入れてございます。ひと月まえ、われらの大王さまがわざわざアワバスからお送りくださった者たちでございます。」(52ページ)
サーとコシルという二人の年配の巫女は、アルハの前の大巫女に仕えていました。二人とも墓所の仕来りついてなんでもよく知っていますが、大巫女にはなれないコシルは、屈折したものを抱えてもいます。
名なき者たちよりも今では権力が強くなった大王に忠誠を誓い、大巫女たるアルハのことをコシルは軽んずるようになっていくのでした。
生け贄として捧げられた罪人をどのようにして処刑するかを決めるのも大巫女の役目なのでアルハは残虐な殺し方で殺すように命じます。
やがてアルハはサーから、大巫女しか入れない地下の宝庫にエレス・アクベというまじない師が持っていた、腕環の半分が収められていることを聞かされました。それを西国の魔法使いが狙っていることも。
自分たちの国から奪われた腕環を取り戻そうとやって来ては迷宮で命を落とす西国の野蛮な魔法使いたちは、名なき者どころか、そもそも神を信じない驚きの人々で、目くらましや奇術を使うというのです。
そしてアルハはその魔法使いの一人を目にすることとなりました。自分しか入ることの許されていない墓所の中を男が歩いていたのです。
なんとしても飲みこめないのは、自分が今、見ず知らずの人間を目の前にしているということだった。アルハは見なれぬ人間というものをまったくといっていいほど知らなかった。付き人のひとりか。いや、石垣の外からやってきた人間にちがいない。山羊番か、衛兵か、それとも墓所の奴隷か。名なき者たちの秘密をさぐり、あわよくば、何かを盗み出そうという魂胆か。
盗む。闇の世界を荒らして何かを盗むだと? アルハの脳裏にゆっくりとひとつのことばが浮かび上がった。冒涜。目の前にいるのは男だ。男はこの聖なる墓所には一歩も足を踏み入れてはならないはず。なのに、彼は洞窟に、この墓所の心臓部にいる。侵入したのだ。しかも、あかりが禁じられ、この世の始まりからあかりを知らなかった場所にあかりをともしている。なぜ、名なき者たちはこの男を殺さないのだ?(104ページ)
道に迷った男を墓所に閉じ込めることに成功したアルハ。放っておけば男は餓死をするはずです。しかし男に興味を引かれたアルハは、片言のカルガド語を話す男と少しずつ言葉を交わすようになりました。
顔に傷を持つ黒い肌の男、ハイタカと名乗ったその魔法使いはアルハが今まで知らなかったことを話し、アルハの心を揺さぶって・・・。
はたして、アルハは墓所に侵入した野蛮な魔法使いハイタカを生かすのか殺すのか? そして、”こわれた腕環”に秘められた謎とは!?
とまあそんなお話です。アルハは大巫女として罪人を処刑しましたね。同じように大巫女としての役割をアルハは果たして来ました。しかしそれは別の観点から見ると恐ろしいことだったりもするのです。
もっと楽な処刑の仕方はなかったのか? そもそも、罪人は本当に罪人だったのか? アルハの行動は大巫女としては立派な行動でしたが、それはもしかしたら罪深き行為だったのかも知れないわけです。
侵入者ハイタカと出会ったことによって、自分が信じていた世界、見えていたもの、価値観のすべてを揺さぶられることとなったアルハ。それはアルハとハイタカの人生にどんな影響を与えるのでしょうか。
明りを灯すことが許されない、ほとんどすべてが闇に包まれた墓所が舞台となった、暗い雰囲気のファンタジーですが、考えさせられることの多い作品でした。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
ファンタジー特集はまだ続きます。明日も、アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」で、『さいはての島へ』を紹介する予定です。