宮本輝『ドナウの旅人』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

ドナウの旅人〈上〉 (新潮文庫)/新潮社

¥620
Amazon.co.jp

ドナウの旅人〈下〉 (新潮文庫)/新潮社

¥660
Amazon.co.jp

宮本輝『ドナウの旅人』(上下、新潮文庫)を読みました。

しばらくの間、沢木耕太郎の『深夜特急』を読みながら考えていたのは、旅を題材にしたいい小説には、なにがあったかなあということ。

旅行ガイドになり、実際の経験が描かれていることで面白い読み物にもなる優れた紀行文はそれこそたくさんあると思いますが、“物語”にまで昇華されているものは、意外と少ないのではないでしょうか。

思いついたのが2作品あったので、今日明日で紹介したいと思いますけれど、真っ先に思い浮かんだのが、この『ドナウの旅人』でした。

ご存知の方も多いだろうと思いますが、宮本輝は日本の文学界が誇る屈指のストーリーテラーです。何気ない日常が描かれながら、物語の核には何かしらの謎があったりして、ぐいぐい読ませるんですね。

とにかく一度読み始めると、もう止まりません。椎名誠と並んで、ぼくが高校時代に最も愛読していた作家です。かなりおすすめですよ。

宮本輝は連載する媒体の読者層にあわせて作風を変えることで有名なのですが、『ドナウの旅人』は作者初の新聞小説で、ゆるやかな物語の筋と、心理や人間関係が変化し続ける緊迫感をあわせもった作品。

奇妙な関係性の4人の男女が、西ドイツのフランクフルトから東ヨーロッパの共産圏を通り、ひたすらドナウ河沿いを旅する物語です。

朝日新聞でこの小説の連載が始まったのは1983年のこと。描かれているのは同時代の世界情勢なのですが、「西ドイツ」とあることからも分かる通り、作中の時代は現在からするともうかなり古いです。

共産圏というのは、共産党が政権を握る社会主義の国がある所。物語では入国するだけで一苦労ですし、政府に反対しているために仕事がない人々と出会ったりもしますが、今ではもうかなり変っています。

1980年代の後半、ソ連でペレストロイカ(「建て直し」を意味する改革)があり、ソ連の崩壊と前後して各国で民主化運動が起こったんです。「ベルリンの壁」が壊されてドイツは一つになりましたね。

なので、東ヨーロッパは今ではもっと楽に旅行が出来るようですし、旅のガイドとしてはあまり役に立ちませんが、何と言ってもこれは小説。“物語”がとにかく面白いんです。非常にユニークな設定の作品。

「奇妙な関係性の4人の男女」が旅する物語だと書きましたね。中心人物の一人が、かつてドイツで勉強をしていた29歳の麻沙子。この麻沙子の母、絹子が突然、家出をして外国に行ってしまったんです。

麻沙子が日本にいなかった五年のあいだ、私はもう二十数年間もひたすら考えつづけてきたことを、じっくりと考え直し、結論を出して心を定めてしまいました。お父さんが定年になったら、それを機に、離婚しようと決めたのです。いつそのことをきりだそうかと迷っていたとき、たまたまテレビでドナウ河が映り、サラサーテのツィゴイネルワイゼンの曲が流れました。ほんの三分か四分かのあいだでしたが、私は憑かれたように、ああ、いまテレビに映っているこの場所に行ってみたいと思いました。(上巻、13ページ)


母を追いかけて西ドイツへ飛んだ麻沙子は、50歳の母が17歳も年下で33歳の長瀬道雄と旅していることを知って衝撃を受けます。かつての恋人シギィと、2人を別れさせようとするのですが・・・。

母が目的地まで行くと言い張り、また、次々と予想外の出来事が起こったこともあり、母と、その不倫相手と、2年前に別れた恋人と一緒に麻沙子は、ドナウ河沿いを旅することになってしまったのでした。

必ずしも麻沙子が主人公ではなく、旅をしながらそれぞれの登場人物の悩みや葛藤、心の揺れが描かれるのがこの小説の醍醐味。絹子と長瀬、麻沙子とシギィの関係が一体どうなるのかもう目が離せません。

異国での旅が描かれていながら、紀行文とはまた違う、小説ならでは、物語ならではの面白さを感じさせてくれる作品だと思います。

ちなみに、この小説の取材旅行の紀行文集が『異国の窓から』です。

異国の窓から (文春文庫)/文藝春秋

¥520
Amazon.co.jp

紀行文として楽しめるのは勿論、旅での経験がどんな風に作品に生かされたのかが分かるので、あわせて読んでみてはいかがでしょうか。

作品のあらすじ


麻沙子は、デンマークのコペンハーゲン空港行きの飛行機に乗っていました。その後で、飛行機を変えて西ドイツのフランクフルトへ向かう予定です。突然家を出てしまった母の絹子を追いかけるために。

女学校時代の友達と10日間ほど北海道旅行に行くと言って出かけた絹子は、自分は今外国にいて、ドナウ河沿いを旅する予定であること、夫との離婚の決意を告げる手紙を麻沙子に送って来たのでした。

西ドイツに着き、働いていた時の雇い主、八木夫妻と再会すると、麻沙子のかつての恋人シギィの話が出ます。結婚話があったほどの仲でしたが、麻沙子は、西ドイツに残る決断が出来なかったのでした。

「じゃあ、はっきり言うわ。冗談めかして言ったけど、麻沙子の心の中ではまだシギィとのことはピリオドを打ってないと思うの。私は、シギィって青年にとっても好感を持ってるの。麻沙子がシギィと結婚したらいいのになァって、いまでも本心からそう思ってるんだもん」
 麻沙子は、はっとして八木夫妻の顔に交互に視線を走らせた。智子の言葉は、シギィがまだ結婚しないでいることを明示していたからだった。
 麻沙子は心の動揺を悟られまいとして、無表情を装い、どうでもいいといった口振りで訊いた。
「シギィ、もう結婚したんでしょう?」
「してないと思うよ。もし結婚したんなら、俺たちにしらせてくるだろうし、そういう噂もまったく耳に入ってこないしね」
(上巻、50ページ)


絹子の行方を探してくれていた八木夫妻によって、母が若い恋人と一緒であると知らされた麻沙子は、その恋人とは会いたくないと思います。そこで、友人のペーターに手助けしてもらうことにしました。

2年ぶりに再会したペーターは、頼みを快く引き受けてくれましたが、ペーターの運転する車は目的地とは違い、シギィの住んでいるニュールンベルクに向かっているようなので、麻沙子ははっとします。

問い詰めるとペーターは「だまして悪かったよ。ぼくは心から謝る。でも、こうでもしなきゃあ、マサコはシギィとは逢わないで日本に帰ってしまうだろう?」(上巻、128ページ)と白状したのでした。

シギィのことを忘れられなかった麻沙子は、ペーターに騙されたという形を取ってシギィと再会します。そして、麻沙子の姿を見て仰天したシギィと、お互いが胸に抱えていたことを話し合ったのでした。

気持ちを言葉にしなかったが故に、すれ違ってしまった過去。お互いにとって、かけがえのない大切な存在だと確認し合い、ペーターの代わりにシギィが休暇を取って、ついて来てくれることになります。

ついに絹子と若い恋人長瀬をつかまえた麻沙子とシギィでしたが、絹子は長瀬と別れることを拒否し、旅を続けると言い張ります。長瀬は悪い男にも見えませんが、何を考えているのかよく分かりません。

どうしても絹子と長瀬が旅を続ける気だと知ったシギィは「じゃあ、キヌコさんと旅をつづけて下さい。しかし、私とマサコはついて行きますよ。どこまでもね」(上巻、213ページ)と宣言しました。

シギィは、不倫して出奔した絹子を「ある種の痴呆性と演技じみた色香とがないまぜになった」(上巻、212ページ)ような女性だろうと思っていたのに、世間知らずな純粋さを持っているので驚きます。

そして、絹子を騙してなにかをしようという風でもなく、かと言って、絹子との激しい愛に溺れているわけでもなさそうな長瀬の態度もどこか腑に落ちません。一体何故この2人は旅に出たのでしょう?

絹子の離婚の決意が固いことを知り、連れ戻すのを諦めて日本へ帰ることを麻沙子は考え始めますが、シギィは2人の態度が気になって、もう少し一緒に旅をしながら2人の様子を見ようと言うのでした。

麻沙子とシギィは普段はドイツ語でやり取りをし、長瀬は英語が堪能なので、長瀬とシギィが話す時は英語が使われます。麻沙子は英語も喋れますが、絹子一人だけまったく分からず、時折むくれたりも。

旅の途中、ヴァルハラ神殿から、悠々と流れるドナウ河を眺めた長瀬は、その雄大さに心打たれ、自分の孤独さを改めて思い知りました。

 ドナウ河は、彼がこれまで目にしてきたドナウよりも浅く、幅も狭かった。いくら目を凝らしても、いったいどっちの方向へ流れているのか判らなかった。視界の右側で、ドナウは弧を描いたあと、そこからまるで広大な空へと昇っていくかのように真っすぐ延びていた。ちょうど弧を描くあたりに、橋があった。それも橋だということがおぼろげに判別出来る程度で、石の橋なのか木の橋なのか、それとも鉄の橋なのか判らなかった。
 長瀬は、誰かに手紙を書きたい衝動に駆られた。けれども、即座に彼は、自分の手紙を受け取り、胸震わせて封を切ってくれる人間が、この世に誰ひとりいないことを思い知った。
(上巻、246ページ)


でたらめな住所宛てに、自分の気持ちを綴った長瀬は、郵便配達夫に手紙を渡しますが、間違った住所だと気付いた郵便配達夫は手紙を持って帰って来てしまいます。それを受け取ったのはシギィでした。

長瀬がわざとどこにも届かない手紙を書いたことを知ったシギィは、麻沙子に手紙を読んでもらいます。すると、長瀬は何億もの莫大な借金を背負っており、自殺する気で旅に出たことが分かったのでした。

長瀬が命を絶てば、絹子もどうするか分かったものではありません。ひそかに長瀬を監視しながら旅を続ける麻沙子とシギィでしたが、ウィーン行きの列車に乗って、長瀬は突然その姿を消してしまいます。

生と死の狭間で迷う長瀬、長瀬の気持ちがつかめず苦しむ絹子、絹子の欠点を麻沙子に重ねて苛立ちを感じるシギィ、激しい気性のシギィと常に穏やかなペーターとの間で、気持ちが揺れてしまう麻沙子。

それぞれに迷い、揺れる心を抱える、一行の旅は続いていき・・・。

はたして、一行は入国審査の厳しい共産圏を通り抜けて、ドナウ河の最終地点まで、たどり着くことが出来るのか!?

とまあそんなお話です。場面によってスポットのあたる人物は変わっていて、それぞれの葛藤が分かるのがこの小説の面白い所なんです。

シギィは麻沙子がいずれ絹子のようになるのではないかと、麻沙子との将来について考えるようになり、一方の麻沙子もまた、自分に穏やかな愛情を捧げてくれるペーターに惹かれていってしまうのでした。

旅の記録ではなく、物語なだけに、刻一刻と変化する人間の心理や登場人物の関係性に引き込まれます。ドナウ河沿いの旅を通して、4人の気持ち、そしてその関係性はどのように変化するのでしょうか。

上下巻とやや長い作品ですが、設定やストーリーが面白い、読みごたえのある小説なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、遠藤周作『深い河 ディープ・リバー』を紹介する予定です。